どうも、ひのきですm(*_ _)m
いやーーー凄かったです、晴明神社(*´ω`*)
というわけで京都初日の参拝予定を終え、かな~り濃い一日過ぎたのでさすがに疲れ果てエネルギーチャージの夕飯探し
飲食店を物色しつつアーケード街を歩いていたところに現れたこの光景
ちょっとちょっとwww 鳥居の端が建物に刺さっちゃってませんか????と空目するほどギリギリまでの大きな鳥居です(いや、建物の方がギリギリに建てた?)
近付いてよく見たらやっぱ刺さってますってばwww なんとビルの中からは壁から突き出た鳥居の端が見られるのだそうです(行けばよかったー!w)
もう陽は落ちて来ましたが、開いている神社さん(特に明るくなっているところ)は夜でもお参りしても問題はありません
というわけで初日の神社追加ですw
こちら、天満宮の中でも由緒が深いとされる菅公聖蹟二十五拝の第二番とされているんですって!
ほほう、と調べてみてほんと、自分の無知を痛感いたします。。。
私の浅学においては、天満宮といえば大宰府! 道真公も福岡に由緒のある方だと思い込んでおりました、大変失礼しましたっ(滝汗)←後述にします
お馴染みの撫で牛もしっかりとした存在感
よくお見掛けする髄神様は大抵門の左右にいらっしゃるのですが、こちらでは拝殿内に鎮座されていました
なんかいいな、って思って参拝しながら眺めさせて頂いたのに写真を撮り忘れていました
御祭神は塩椎神、、、かと思いきや、聞いたことの無い源融(みなもとのとおる)公という
どちらさんで???と調べてみたら仰天、嵯峨天皇の皇子にしてあの源氏物語の主人公 光源氏のモデルとされる有力候補なのだそうです
御神徳が安産とされてるので不思議だったんですけどそういう事だったのかー、、、って色男だから安産?w
お隣の一際目立つお社が倉稲魂命を祀る日之出稲荷神社ですが、お気付きでしょうか
鳥居がなんと額束の部分だけ山王型なんです、初めて見たー!!!(多分)
拝殿などに御幣や神鏡が置かれているとそこへ向かってご挨拶するのですが、ちょっと覗いてみたら高い所にありました
境内社の前は狭いながら綺麗な庭園のようになっていてとっても風情が良い、夕暮れの雰囲気も相まってここが商店街の中だということを忘れてしまいます
また絵馬や大願梅という奉納品が風に揺れてカラカラと音を立てるのが物凄く雰囲気があり、特別な空間となっていました
続いてこちらの白太夫神社は渡會晴彦が御祭神
どなた?と調べるとお世継ぎの居なかった菅原是善は伊勢の外宮神官であった渡會晴彦を通じて祈願をしたところ御神徳にて授かったのが道真公、そのご縁で道真公守役として忠誠を尽くされた方なのだそうです
ウカ様を挟んで子授けと安産、こちらをお参りしていると素敵な家庭を築けそうですね(*^^*)
奥の合祀者は七社之宮と呼ばれています
写真奥、左手から
応神天皇を祀る八幡神社
竈神(奥津日子命、奥津比売命)を祀る竈神社
市杵島姫命を祀る市杵島神社
伊弉諾命、伊弉冉命を祀る熊野神社
事代主神を祀る恵美須神社
大物主神と崇徳天皇を祀る事比良神社
少彦名命を祀る床浦神社
となっています
おや? と思った事はこれまた後述にしましょう
いやはや、いつも通り完全無知状態での参拝でしたが、それでも今までご挨拶させて頂いた天神様の中でも群を抜いた空気感でした
私の参拝は基本的に偶然の出会いが中心で目的を持って事前に決めていたとしても下調べはほとんどしません
本来であれば事前にしっかりと調べ、どんなご由緒でどのような神様が祀られていてどのような見どころがあって、と把握してご挨拶するのが筋なのは重々承知はしているのですが
そういった事前情報からの先入観があるとどうしてもその場での感じ方に影響が出てしまうので極力調べないようにしているのです
そしていつもこうして調べながら記事にすることで「うわー、あの時~だったのはこれか!」とか「だからあの場所でだけこうなったのか!」っていう答え合わせを楽しんでいますw
勿論、「うわっ気付かなかった!勿体ない!」ということも多々ありますが、それもまた御縁ということで(*^^*)b
うん、とっても素晴らしい天神様との出会いでした!
さて、後述コーナーです
ここからはものすっごく長くなりましたw そして私の無知全開の内容になっていますので物事を良くご存知な方にとっては時間の無駄になる可能性大大大です、悪しからずm(*_ _)m
と思って調べてみたら連鎖的に無知の穴が埋まって行きましたので一旦崇徳天皇にはお待ちいただきます
学問の神として広く崇敬を集める菅原道真公を祀る天神様、その始まりは公の怨霊を鎮める為でした
神社巡りを始めた頃に薄ら知った事ではありましたがそれ以上掘り下げた事が無かったので完全に忘れていました
朝廷の最高職 右大臣まで登り詰めた菅原道真は左大臣 藤原時平により陰謀を企てているという無実の罪を着せられ大宰府にて左遷されてしまいます
そっか、だから菅原道真=大宰府のイメージだったんだ!!! 大宰府の本殿下には道真公が眠っているのだそうです、いつかご挨拶に参りたいですね
幽閉されてから2年の後に道真が非業の死を遂げると共にそれは始まります
藤原時平が突如死亡、宮廷への落雷で複数の貴族が死亡、道真を左遷した後醍醐天皇とその皇太子が立て続けに死亡などなど、、、これらは道真の怨霊の仕業とされました
その恐怖たるや、既にこの世に無い道真に太政大臣などの位を送るほどだったようです
勿論そんなことで怒りが収まるわけはなく、御霊を神として祀ることで怒りを鎮めるべく道真生誕地へ創建されたのが吉祥院天満宮だそうです(これも大宰府じゃなかった!(>_<) w )
そのお陰かやがて災いが収まると道真公のお力にあやりたいと学問を中心とした御神徳を求める人が参拝し今に至るわけですね
なるほど、多くの天満宮がご由緒に怨霊を鎮める為という創建理由を書いていないのは既にその怒りが鎮まっており、純粋に道真公の御神徳を求めての勧請だったからかもしれませんね
錦天満宮さんは御由緒に書いていただいていたのでしっかり調べることが出来ました、感謝
さて、菅原道真公は日本三大怨霊とされていますが、つまり強大な怨霊とされる御方がさらに御二方いらっしゃるということです
御一方はほとんどの人が思い付くでしょう、平将門公ですね、私も結構前ですが首塚へ行ったことがあります
正門公は神田明神の元の主祭神とされており、一度摂社として外されましたが今では本殿三之宮に祀られています
そして最後の御一方こそがこちらに大物主神と共に祀られていた崇徳天皇なのです!
3歳で即位させられた崇徳天皇は実権を握れぬまま鳥羽上皇の計略により攘夷させられ、後に保元の乱を起こし復権を狙うも敗北
皇族が罪を犯しても出家すれば良しとされていた時代にも関わらず出家してもなお流罪とされました
それでも写本を作るなど出家の道をしっかりと生きようとしたにも関わらずその写本に呪いが込められていると送り返される非道な対応を受けたことで怨念を持って余生を過ごされたのだそうです
崇徳上皇が無くなると日本史に残る事件事故が連発すると共に敵対していた後白河天皇方に不幸が相次いだ事から怒りを鎮めようと廟が建てられ罪も取り消されましたが、後白河天皇が無くなるまで災いはやまなかったそうです
なんとその怒りへの恐怖は凄まじく、今でも天皇による鎮魂行事が行われているのだとか?
あれ? そういえば虎ノ門 金刀比羅宮に参拝したことがあるし記事にもしたけれど御祭神に崇徳天皇なんて………ちゃんと書いてたっ!!!
そうか、神社巡り初期だったからそもそもが神社=天皇(神)を祀る場所として特に疑問に思うこともなかったんだなぁ、成長したもんだなぁ(まだまだです)
あ、はい、一緒に祀られている理由ですよね
崇徳天皇が流された地は讃岐でした
讃岐といえば、そう、うどん!
修学旅行で行きました! 手打ちうどん体験は自分達で打ってそれを食べられるのかと思いきや粉から練って練って踏んだ後は寝かすのに時間が掛かるからと店の人が打っておいた(と言いつつ前日の団体が打ってたかも?)塊とすり替えられ、それを切るのだけどせめて自分で切ったうどんが食えるかと思いきや一気に茹でて持って来るからもう誰が切ったのかもわからぬ太さバラバラなうどんを食べた思い出です
いや違う、長い長い階段をずっーっと登って行きました、こんぴらさん こと 金刀比羅宮
折角素晴らしい所に行っていたのに大事な事はなにひとつ覚えてこなかったんですね、反省
そう、あの参道を歩かれたのかどうかはわかりませんが、讃岐に流された崇徳上皇は出家した仏教を深く学ぶと共に金刀比羅宮へ熱心に参拝し続けたのだそうです
その事から相殿として祀られることになったのだそうで、崇徳天皇を相殿にしてから金刀比羅宮は益々崇敬を集め発展したのだそうです
もしかしたら、ずっと居場所を奪われ続けた崇徳天皇が崇敬した大物主神と共に祀られた事でそのお力を如何無く発揮されているのかもしれませんね
あぁ、なんてことでしょう、これまで境内社を含めればいくつものコトヒラ神社に参拝してきたのにそんなことも知らなかったとは(>_<)
………とは一瞬しか思いません
今知ることが出来た、それが大切です(´◉ᾥ◉`)
実は私、これまで天神様へは特別な想いも無く、どちらかというと神様(記紀に描かれるような謎多き神々)の方に想いを馳せて来たのです
とはいえ最近は天神様へご挨拶する機会が何気に多いなぁとは思っていたのですが、ここに来て錦天満宮へと誘われ、それによって深く調べるキッカケを頂き、想いを新たにすることが出来たのです
そう、今こそが、知る時だったんです!(前向き)
これぞ私が神社巡りをしてきた中で身に付けてきた秘技、超前向き思考!
初めから全てを知るのは困難だし全てのことを学ぶという気概まで持ち過ぎてしまうと私の狭い能力袋ではすぐに限界が来て神社巡りが楽しくなくなってしまう
というわけでこれからもこんな感じでゆるゆるとでも着実に神社巡りを楽しんでいきたいと思います!
錦天満宮の話より後述の方がとんでもなく長くなっちゃいましたけど、次は京都二日目に入ります!!!
まだまだ凄いぞっ!!!