どうも、ひのきですm(*_ _)m
かなり大きな鳥居ですね
賑やかだと思ったら定期的に骨董市が開かれているんですね、といっても時節的に人出は疎らです
創建は1627年と比較的新しいながら徳川家の保護もあり庶民からの崇敬を広く受けて門前が大きく栄えたのだそうです
そうか、門前仲町はこちらと別当寺院の永代寺を中心に栄えた街という意味の名なんですね
ちなみにこの後深川不動堂へ向かう途中の公園で別当永代寺跡の石碑を見掛けたのですが、その隣にあった巨大な石碑と共に野球少年達の荷物置き場になっていたので写真は撮りませんでした
それではご挨拶に回りましょう
手水舎は龍ではなく黄金の鳳凰
早速ですがこちらが拝殿、いやぁ物凄く綺麗で立派ですね、御祭神は八幡様 誉田別命です
公式の説明には 他8柱 と書かれているだけでどなたなのかが書かれておらずWikipediaによると、相殿として神功皇后、仁徳天皇、天照皇大神、常磐社神、武内宿袮命、日本武尊、天児屋根命、竈大神の8柱が祀られているとされています
常磐社神がよく分からなかったのですが、もし茨城にある常磐神社の御祭神であるならば、高譲味道根之命とされる徳川光圀公と押健男国之御楯命とされる徳川斉昭公の二柱だと思われます
もしそうであれば、水戸黄門様!!!
あ、そうか、徳川家の保護を受け、と書いてあったのできっとそうでしょう
全体的に壮麗豪華、といった感じでお城のようです
ご挨拶をしましたが、とても静かでした
それでは境内社を巡って行きます
数が多いので文字通り、巡ることになります
まず本殿前から西側へ向かうと西鳥居から入る参拝者に向けた手水舎があり、これが一枚岩の水桶になっていてなかなか凄いですね(今は水が出ないようです)
鳥居の先に大きな合祀社が三社並び鎮座しています
骨董市の賑やかさ(といってもかなり人は少ない)と離れ静かな空間が広がっているのですが、風も鳥も無く、とても静かでした
この時の私には気付くことが出来ませんでした
写真にも写っていますが、実はこの金刀比羅神社・富士浅間神社の裏手(左側?)には小さな富士塚があるのです
わかります?社殿左側にギリギリ映る塚と石社です、完全に視界に入っていたにも関わらずこの日は受け取ることが出来なかったようです
我が八柱の産土神様の中でも一番呼んでいただける木花咲耶姫なのに全く繋がることが出来なかった、うん、そういう日もあります
さて、一旦本殿前に戻ってから東側の末社へ向かいますが、本殿東側には相撲関連碑などがあり、こんな感じの案内が出てきます
なぜ立て札が花本社だけの案内なのかは不明ですが、こちらから入るとお稲荷さんの脇から侵入することになります(別に悪くはないですがw)
お勧めは、一旦本殿に背を向けて階段を降りるところまで戻ってから東側へ向かいましょう(境内外へ向かう感じです)
すると大きな神馬像があります
素敵ですね(*^^*)
手前の植え込みに碑などがあり、その内側へ入ると境内社が並んでいます
室外機の風を浴びながら千本鳥居へと進みます
途中にも狛犬が居ます
社前にはタイプの違う狛犬も居ますね、狐は見当たりませんが倉稲霊命を祀る永昌五社稲荷神社です
五社の稲荷が合祀されているのかもしれませんね
沢山の鳥居を潜り敬愛するウカ様へのご挨拶なはずなのにここでも心は鎮まりません
その隣が合末社
合祀されているのは右から、、、おっと、ここでも出会うことになるとは思いませんでした、清原頼業命を祀る車折神社、そしてさらに客神社が合祀されています
客神社の祭神は宇受売命とありますから、つまりは京都車折神社の境内社である天鈿女命を祀る芸能神社のことでしょう
牡丹住吉から続くまさかの車折・芸能神社コンボにびっくりです( ̄▽ ̄;)
続いて相撲の始祖である野見宿禰命を祀る野見宿禰神社、住吉三神を祀る住吉神社
聖徳太子を祀る聖徳太子社、菅原道真公を祀る天満天神社、そして祖霊舎には花本社が合祀されていてその御祭神は松尾芭蕉だそうです
右手から一社づつご挨拶していきましたが、車折・客神社で優しい風が抜けていきました、やはり今日(というか最近)は天鈿女命様の日のようです
先程の写真で気付きました? 入る時はただの石柱かと思ったのですが、実は上部が破損した鳥居だったのです
東京大空襲の爪痕なんですね、ただ驚くことにこちらの一角は焼けずに残ったんだそうです
こんな大きく目立つ看板なのに入る時に気付かなかったのですが、出る時に内側からこの鳥居の不思議さに気付いたのは、天鈿女命がくれた風で心が鎮まったからでしょうか
境内社の最後、七渡弁財天とされる七渡神社は市杵島姫命が祀られており、少彦名命を祀る粟島神社も合祀されています
何故か惹かれて撮った一枚
ポンプから勢い良く水が吐き出されていて人工感満載ではありますがそれでも心地好いのは御祭神のお力でしょうか、やはり水の気は心地よいですね
水に囲まれた弁財天様がここへ避難した方々を救ってくださったのでしょうか
朱の映えるとっても素晴らしい社殿、手を合わせるととっても心地好い風が吹き、水の音が染み渡ります
天鈿女命と市杵島姫命と華のあるおふたりがいらっしゃって沢山の水と花に囲まれたとっても素晴らしい一角です、ここに一番長く居ました
他にも三年に一度だけ担がれる日本一の黄金神輿や相撲関連で有名なので見どころの多い神社ですね
さて、今回の記事に関してはこれだけの規模の神社なのにいつもとトーンが違いましてすみません(いつも読んでくれてる人しか気づかないw)
ここからは完全に個人の感想でしかもダラダラと続きますので、富岡八幡宮を崇敬される方(はそもそもこんなブログ読まないでしょうが)やあまりそういう面を見たくないよーという方はそっとこの記事をお閉じください
では
こちらの神社を参拝・記事にするには避けて通れなかった現実、そう、あの事件です
当時は今ほど神社に想いがあるわけでもないながらも、「内部騒動で殺傷事件が発生した神社がある」という報道は知っていました
白山神社をを参拝した時に東京十社という存在に気付き、残り二社ならばとこちらを調べた時に、まさかアノ神社だったとは、と驚きました
いやーそうであれば事前に知らないまま行った上で後から調べて知りたかったんですけど、場所を調べようとして速攻で事件が出てきちゃったんですよね(´・_・`)
細かいところは真実か噂かわかりませんが、いずれにしても権力と財力による欲望と家族の角質の結果ということでしょうか、「富岡八幡宮 事件」で検索すれば沢山の記事がHITしますし、専用Wikipediaもありますね(富岡八幡宮 だけの検索でも出ますけど)
勿論、神様には何の罪も無く人間だけが悪いのですが、私は迷いました
私は別に霊能者でもなければそういった方向の力があるわけでもないので"そっち"方面の不安はありませんが、そのような血塗られた神社に意味はあるのだろうか、他でもない宮司により穢されてしまった神社に神様はまだいらっしゃるのだろうか
いや、内部(境内)でそのような事件が起きてしまう神社にそもそも神様はいらっしゃるのか
こちらが私の産土神でもある八幡様がいらっしゃる神社であることも理由のひとつとなり、参拝することに決めました
結果として上述のように、骨董市が開かれ活気があるようには見えるのですが心清らかになることが出来ず、敬愛する木花咲耶姫や稲荷様の御前においても何も感じることが出来ず、視界に入っていたはずの富士塚まで見逃す始末
ただし、邪悪な気を感じるとか嫌な気がするなどといったような事も全くありませんでした
何とか気持ちを引っ張ってくださった(と思っている)のは合末社前の鳥居と天鈿女命様、市杵島姫命様でした
合末社には個別のお賽銭箱がありませんでしたので、帰りに本殿にて合祀社宛のお賽銭をお入れすると共に、もう一度、八幡様と向き合いました
と言っても、そうです、私には神様のお声が聞こえるなんて素晴らしい力は備わりも目覚めもしておりませんので、ただ境内を見渡しながら自分の頭の中で逡巡するだけなのですが
その時、ふと頭に浮かびました
多くの氏子さんの崇敬を集めながら私欲を満たすままに神を穢し続けた宮司を八幡様が悲しみをもって自らの懐の中で納められたのではないか、と
いや、さすがに神様が人の命を、、、なんて失礼なのですが、だからこそ境内内(占有地内)だったのかな、と
身内のゴタゴタで他所様を穢すわけにはいかないですものね(といっても唯一の生存者は境外です)
そして残ったのが、八幡様の悲しみという感情です
あ、いや、これはいかん、想像が過ぎました
事前情報により私が掛けてしまっていたフィルター付きの眼鏡は神域の空気を受け取ることを遮ってしまいましたが、後半にはその眼鏡は外され、神様の存在を感じる事が出来た気がしています
そして今、落ち着いて考えれば、到着時からマイナス面の印象を持って参拝を始めたのが、参拝を進めるに従ってそのマイナス感情が祓われていた、という現実があります
いつになるかわかりませんが、再び呼んでいただける時には改めてご挨拶に伺いたいと思います
その時は何を感じることが出来るのか、そして富士塚にもご挨拶したいな、と(*^^*)
というわけで、こちらを参拝したことで赤坂氷川、日枝、神田、亀戸、芝、品川、白山、根津、富岡と9社を巡ったことになりました
残すは王子神社!
といって急いで行くような私ではありませんので神社記事は溜まってますけどまだ行ってませんしし予定も立てていませんw
いつ呼ばれるでしょうかね~