どうも~、ひのきですm(*_ _)m
市比賣神社の参拝を終えて京都での予定も終了
いやー、凄かった、ほんと、全部凄かった
と思い出いっぱいに京都駅へ向かい歩いている時でした
文字通り どーーーーん と壮大な構えの門
昨夕、バスで通過した東本願寺!
京都は素晴らしい神社とお寺がたくさん!
なので今回は「一社一社での時間をしっかり大切にするため目的を絞る」「目的外であっても呼ばれたと感じた時は進む」と楽しんできました
だって素敵な寺社ばかりなのでお寺まで行き始めちゃうとねぇ、道の反対側だし、と再び通り過ぎようとしたその時でした
目が合ったんですよ(写真では横向いてますけど)
鷺ですね
いや、京都へ来れば皆さんそうでしょうけど
夫婦鴨がすぐ足元まで寄ってきたり(写真は離れていくところですけど)
近くまで寄っても逃げずにまったりしている鴨や
こちらは目が合って少し気まずそうな至近距離の鷺
スイ、スイとごく普通にすれ違う鷺
その他にもこれまでの記事に載せたようにやたらアピールしてくるカラス(勿論威嚇もされず何かを狙われているわけではない)や雀など盛り沢山でした
京都の締めくくりも鷺かー^( 'Θ' )^
もう少し近くで写真を、と近付いたらバサーッと舞い上がり、そして舞い降りた先がココ
暫し上がって行かれませよ
そう言われた気がしました
境内を真っ直ぐ見据える彼はすぐ真横を通っても飛び立つことなくしっかりと見送ってくれました
って………こんなことある?
人が居ない
正確には、写真から見切れている左方向、阿弥陀堂の方に二~三人見えますが、現場からは以上です
階段を登りお賽銭を入れおいとましよ………
もう一度言おう
こんなことある?
撮影禁止なのでこの先の写真はありませんが
かなり広い御堂の中にも三人しか居ない
こんなことある?
折角です、上がらせていただきましょう
927もの畳が敷かれたとてつもなく広い堂内は、ほぼ静かに通り抜けていく風の音しか聞こえず静まり返っている
御真影の前に座られている老婦人と中央やや右よりに座るカップルがひと組
私は中央辺りのほぼ正面にて正座
親鸞聖人ということしかわからず、日本史の勉強をサボった私には具体的に何をされた方なのかも分かっていませんが、静かに座して目を閉じ、時折御真影を見つめ、そしてまた目を閉じ、御堂内を見回し、を暫く繰り返しました
御堂を見渡す時は壁や天井ではなく、その手前の空気を見ている感じです
大通りが近いのに車の音は遠くほぼ聞こえず(自分の脳が雑音をシャットダウンしていたのかも)、人の話し声どころか衣擦れの音さえも無く、心地よい風の音を聴く
膝に伝わる畳の感触がとても心地よい
親鸞聖人の声は聞こえてきません
でも、親鸞聖人が見守ってくださっている、というような穏やかな気持ちを感じました
私はなかなかに目が悪いのにも関わらず裸眼生活をしているのですが、何故か、御真影の目が見える気がしたんですよね
視力的にも距離的にも
絶対に見えるわけが無いんですけど
なぜか見えた気がしたんです
ここ、東本願寺の正式名称は真宗本廟というそうですが、こちらには御骨はありません
本願寺の元は親鸞聖人の廟として建てられ(現在の大谷祖廟)、やがて本願寺と呼ばれる寺となり大きく広がっていったのだそうです
あとは皆さんも知るように信長による天下統一の動きの中で揉まれてしまったんですね
はて、戦国の歴史は浅いなりにも好きなので多少は知っているのですが、石山本願寺という名前だったな? 知識が浅すぎて東西本願寺がよく分からない
ということで調べてみました
石山と東と西がそれぞれあるのかと思ったのですがそうではなく、当時本願寺が本山を置いていたのが大阪なんですね
石山という地名は無く焼き討ちに遭った事で現在は推定地に石碑が立っているそうです
信長からの厳しい和解条件を飲むか飲まぬかで親子喧嘩が勃発、さらにその後跡目争いで兄弟喧嘩へと発展、兄は追放され弟が相続すると決まったものの、その直前に秀吉が翻意し今度は追放されたはずの兄が継ぐことに決定
これに母の猛反発があり再度弟へ決定、兄は再追放されどーなっとんじゃー!!!と怒り心頭、、、と秀吉の死去により家康に取り入った兄が大谷派(東)となり、弟の本願寺派(西)と別れることになったそうです
やはり 人 ですね
これ以上は申しますまい
勉強になりました
そして短い時間でしたが やっぱり日本人だなぁ………ってとっても感慨深い素晴らしい時間でした
お寺は時々行くことがあっても堂内で心を鎮めるという機会はなかなかありません
聖人がお呼びくださったのか、はたまた御鷺様がお勧めくださったのかはわかりませんが、恐らく沢山の人がいらっしゃる中とは全く違う素晴らしい状況でご挨拶をさせて頂いたことに感謝
有り難や、有り難や
こうして濃厚な京都二日間が幕を下ろしました
おや、次は何処へ?