どうも、ひのきですm(*_ _)m
佐久奈度神社を堪能した私は再びバスに乗り石山駅へ向かいます
素晴らしい瀬田川沿いに歩いて戻るのと結構悩みましたけどね( *´꒳`*)
そして私は南郷バス停で途中下車します
その理由はこちら、御霊神社です
御霊神社といえば怨霊となる(なった)方々を鎮めるために祀られた神社として有名です
なぜかお呼ばれしたので参拝に伺いました
理由は後述します
真っ直ぐ山の上まで続く階段、まぁこの程度なら、と少し登った所に一の鳥居、私が大好きな両部鳥居です
気づかれましたでしょうか、一枚目の写真、階段の始まりに 三十三段 と書かれており、この両部鳥居の所にも 三十三段 と書かれております
書かれた通り三十三段登ったところで、右手にお社が二社祀られていました
うーん、どなた様か分からないな、と頭だけ下げで上へ向かおうとしたのですが、いや、待てよ?となりまして
そういう時は何かある、失礼ですが覗き込ませていただいたところ
立派な屋根で見えていませんでした、ちゃんと神額がありましてこちらは大山咋神様を祀る日吉神社さんでございました
錆付いた感じの御神鏡が物凄く美しく感じ、お社手前の足元もなんかとっても風流でした
一段高く祀られている左手のお社は...
菊理媛命を祀る白山神社でした、そりゃ素通りなんて出来るはずもないですわ(*ノω<*)
そしてここには、四十二段と書かれています
33+33+42=...108! 煩悩の数!!
では42段、登ります
二の鳥居到着!! まだ少し階段があり、そこには十五段、そして脇に小さく 七五三 と書かれております
...╮(´•ω•)╭ ワカリマセン
あ!! 7+5+3=15か!!
えーと、、、なんで??????
わかる方教えてくださいm(*_ _)m
そのうちポッと判明するかなぁー
階段の手前にはそれこそ苔むしたという表現がピッタリの丸い水鉢があってとっても趣があります
そしてね、気づいてらっしゃるでしょうか
まじかー、まじかーと声にしながら目ではめっちゃ見ていたのに何故か写真は撮らなかったようですね
あんなに雲もほぼ無く晴れ渡っていたのに、なんなら両部鳥居の時点でガッチリ太陽差し込んでいたのに境内社二社から上へ向かうところで突然空にどんより大量の雲が、しかも急速に境内の方向から押し寄せてきたのです
ただし、階段にも境内にも一切風が吹いていないと言っても過言では無いほど静か
空だけが物凄い勢いで雲に隠されていきました
ここは御霊神社
参拝前にちょっと調べたところ(←珍しいでしょ?)、いろいろとありそうな雰囲気でもあったのでちょっとビビります
まぁ傘は持っているので降るならどうぞ!!って感じではありますけれど、もしドザァーッなんて降られたら歓迎されてないのかな、なんて思っちゃいますよね
そう、参拝において空ってやつぁなかなかお印として考えるものです
晴れてれば嬉しい
元々荒天ならば致し方なし(でも残念)
荒天だったのに直前に晴れると最高
直前だけ雨が降ったらなんか清めてもらった感
なんて感じで、まぁ個人的な感覚ですけどね
753を上がると境内です、真正面は手水舎
右手に社殿、南向きにお祀りするためでしょう
写真に撮っていませんでしたが、左手には社務所か集会所かという地味な建物があるだけでした
拝殿へ向かおうとしたのですが、なんでしょう、振り向かさせられるんですよね、そっちの方に
理由はわからないです
怖いとかいう感覚も無いです
勿論姿も見えないし声も聞こえませんけど
ただ、え?なに?そっち?って感じで歩いていくことにしました
別に何にもなさそうなんだけどなぁ
気になったら行くしかないやん...え、あった
怖いと感じる方もいらっしゃるかもしれません
というか普通であれば怖くて当然な状況ですかね
屋根に守られた古井戸です
見た瞬間だけ マジかー って思ったんですけど、でも不思議と怖さはなかったです
あぁ、そうか、こちらの水神様に先にご挨拶するべきだったんだなー、っていう穏やかな感じです
井戸前の山も神聖な感じがしました
ちなみに社務所らしき建物の裏側はトイレになっていたので参拝中にもよおした方は裏側へどうぞ
境内に戻りまして、手水舎の脇のお社
中が良くわかりませんが、真言 三遍 と書かれているのでこちらの真言を三度唱えさせていただきました
神社境内にしっかり仏様が祀られているのはちょっと珍しいですが、神仏習合の名残って私はなんか好きです
ご真言を調べてみたところ、こちらは地蔵菩薩様でいらっしゃるようです
では参りましょう
こちらは外拝殿、舞殿でしょうか
さて、お気付きになられたでしょうか
左手から回っていきますと山沿いに灯明舎
そして拝殿の前には釜がありました
拝殿本殿は一段高くなり垣に囲われていますし、灯明台に御贄釜土と素晴らしい造りですね
そして、もうお分かりですよね
ガッツリ晴れました
今にも雨粒が落ちてきそうなほどのあの雲の流れはなんだったんでしょう
即ち、最高に嬉しいです、こういうのはほんと
そしてなんともにこやかな狛犬さんが意外です
垣内の左手
掠れてしまって
山〇神社 祭神 大山〇〇命 でしょうか
勧請元とされる京都の下御霊神社にはそのような御祭神が見受けられず、思いつくのは大山祇神と大山咋神ですが、どちらも文字数に当てはまらない
山神社とするなら大山祇命だけど山〇神社なんだよなぁ...あ、丸の中は 乃 っぽい!!
調べてみると大山咋命を主祭神とする日吉神社は大津市が総本社なんですね!! しかも山王、日枝も同系列だったとは!!
というわけで、そうなんじゃないかと勝手に思っておりますが、両脇の二社が全くわかりません、すみませんm(*_ _)m
本殿は三社型になっています
左に宇賀神社、御祭神は宇迦之御魂神でしょう
と思ったのですが、何と三柱書かれておりやはり読めなくなっている...
調べました、琵琶湖畔に鎮座する宇賀神社には倉稲魂命、市杵島姫命、大己貴命(ほか13柱)が祀られているとあります
ここには右に1柱の ~命、左に2柱の ~尊 となていますが、上記3柱のことかと思います
右に産霊神社、高皇産霊尊が祀られています
お社の枠組みの中に組み込まれるかのように座する狛犬は正面を見据えています
御前に立つとピリッと緊張します、彫りがとても迫力あってこちらを見据えています
御祭神はこちらの八座
右からではなく左から書かれております
吉備真備、早良親王、伊豫親王、藤原吉子(土と口)、藤原廣嗣、橘逸勢、文屋宮田麻呂、そして菅原道真です
ここについても後述しましょう
ピリッと引き締まった空気の中、ご挨拶に来た事をご報告、感謝させて頂きました
お社の後ろに回ることが出来ました、夏のような雲
すーっとしたとても涼やかな空気です
とても力を感じた社殿右側の木
枯れているというよりどこか焼けた感じがしますが、後ろから隙間から新たな命が伸びていてとっても生命力を感じるのです
何をどう思っていたということはないのですが、気まぐれでぶらり寄った神社でこれほどまで御神威を感じるとは思っていませんでした
素晴らしかったですが、佇まいをピシッとしなければ、と思わせる威厳がありました
ありがとうございましたm(*_ _)m
皆様も、佐久奈度神社へ行かれる際は是非、途中下車を(*^^*)b
時間帯によりますが20分おきくらいでバスが来ますのでちょうど良いですよ( *´꒳`*)
さて、どうでも良いあとがきでございます
今回の旅はまず瀧川神社を第一目標に、そしてマップをぐりぐりしながら定めた第二目標が佐久奈度神社でした
佐久奈度神社の近辺を調べた時に、なんと御霊神社の多いことか、と驚きました
その時点では歩いて行くつもりだったので、途中にある御霊神社にも寄るかな~なんてパッと情報を開いたのです
ただ、写真だけ流し見して文字はほぼ読まなかったはずです(が、人間の目と脳は凄いですね)
仕事の休憩中だったのでとりあえずスマホを置き、目を閉じて仮眠をとることに...とその時のこと
思いっきり鮮明な声が発されました(というか自分の脳内の声ですけど)
きびのまきび...きびのまきび...きびのま...きび...ってなんで!?誰!? いや、聞いたことある名前だけど、なんでっ!?
真言のように唱えた三度目でなぜそれを(脳内で)口走っているのか全く理解出来ず思わず自分で突っ込みました
まぁいいや、起きてから調べ、、、いや、今だ
ふむ、歴史上の人物で確かになんか聞き覚えはあるけど全く何した人かも知らなかったし、、、と思いついて御霊神社を調べてびっくり、先程の神社の御祭神こそ、吉備真備と記されていたのです
先程見たページにはどこにも吉備真備とは書かれていなかったのですが 吉備公 というのを意図せず目の端のどこかが捉えていて脳がそれを処理するのに過去に耳覚えのある 真備 と紐付けたんでしょうね
これは行かなければ、と思ったのですがまぁ流れ次第でとも考えており、実際バスを使ったのでそのままやり過ごそうとしていたんですよね
でもやはり、スルーは出来ませんでした
結果、小さな神社でありながら見どころの多い素晴らしい神社だったわけです
さて、その吉備真備です
御霊信仰、御霊神社といえば、無念に亡くなった方の怨霊を鎮める為に祀られたものであり、鎮まった後にその方の御神威が得られるようになったというもの(と解釈しています)
しかし吉備真備は決して怨霊となるような状況には無く、寧ろ右大臣に取り立てられ寧ろ高齢になってまでも必要とされていた御方でございます
それが何故、御霊神社に? しかも怨霊とされる方々を差し置いて主祭神に?
これにはいくつか説があるようでして
吉備真備公は辞してもなお取り立てられたことで後に恥をかくことになり、その怨念を恐れて祀られたとする説(ちょっと無理がある気がする)
吉備真備公の仁徳が故に、共に祀ることで怨霊達をまとめ鎮めて頂けるだろうという説(主祭神である理由としてもわかる気がする)
京の下御霊神社ではこの事について、やはり吉備公は大変成功された方で御霊とは当てはまらず、御霊の和魂である[吉備聖霊]だ、としているようです
この近辺に座する御霊神社はいずれも大友皇子(弘文天皇)を祭神として祀っており、その中では事なる当社だけに参拝することになったのも何か意味があるのかないのか、と思ってみたり
さて、この日の参拝はこれでは終わりませんでした