どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日で名古屋最終参拝になります、こちら!!
名古屋 豊国神社
最寄り駅は市営地下鉄 中村日赤 もしくは 中村公園
なかなかな距離なのに歩いてしまいました(そのお陰で八幡社春日社合殿に出会えたのですが)
さて、東方面からナビを使うと中村日赤で降りるよう勧められると思うのですが、中村公園で降りてくださいねー
m9( ゚Д゚) ドーン!!
オワカリイタダケタダロウカ
中村公園駅を出ると巨大な鳥居がお出迎え
この鳥居は中村の大鳥居と呼ばれ、高さ24.5mと1929年の創建当時は世界一高い鳥居だったんだそうです
派手が好きで豊国神社として相応しい気がします
真下に立つともはや何が何だかわからないデカさ
大鳥居から真っ直ぐ参道を進んでいくと、中村公園の入口、つまり豊国神社があります
中村公園と境なく一体化していますが、元々は公園の中に組み込まれていたのが現在では公園から除外された境内となっているんだそうです
境目は、、、うん、まぁなんか周りのその辺でw
銅板と木でしょうか、シックな鳥居のところまで参拝列が出来ていましたのでそのまま並びます
いやー、、、大鳥居と社名から想像したのとは違って遠目に見てもさほど大きくはない社殿ですが、並ぶ灯篭がとても素敵で大きく感じます
手前は小さな石太鼓橋になっていて手水舎(右手に見える屋根)もとっても素敵だったのですがどちらも人が居て撮りづらかったので写真は無し
そういえば水野社を出てからどんどん晴れていってまた太陽が凄いな。。。
いや、逆に朝イチの日泰寺も晴れていたから水野社だけが曇っていたのか!! それもまた良し!!
しかし太陽がすご、、、と振り返ったらこう
ふむ、なるほど(*´ω`*)
さて、並びながら豊国神社について
名古屋駅を使ったことがある方ならご存知の方もいらっしゃるでしょうか、名古屋駅の新幹線側を太閤通口というんですね、そしてその前からこの中村公園方面への道を太閤通りというんです
理由を今、知りました←灯台もと暗し
列が進むにつれ空もがっつりソレらしくなります
豊国神社といえば有名なのが大阪、京都ですね
調べてみると、秀吉の死後廟所が建てられ朝廷より豊国之大明神と神号を与えられ神社となった京都豊国神社が1599年のこと
大阪城前に鎮座する大阪豊国神社は1880年の創建、明治天皇が祀るよう仰せになったそうです
そしてこちら、名古屋豊国神社の創建は1885年、もちろん御祭神は豊臣秀吉公
恐らく大阪での事を意識してか、秀吉生誕地に秀吉公を祀るべしとの声を受け創建されたのだそうです
説によるとこの場所若しくは東隣にある常泉寺が秀吉生誕地と言われているのだそうです
鳥居にも桐紋が輝いていますが元は天皇の御紋ということを知ってみると少し見方が変わりました
鳥居の内側は少し狭く、拝殿があり御幌の奥に本殿があります
例のように柔らかな風が真っ白な幌布を揺らしその隙間から少しだけ本殿を拝むことが出来ました
金に 夢 の字がなんとも秀吉らしいですね
時間が無く見つけることが出来ませんでしたが、清正公社もあるそうで加藤清正公が祀られています
実はやはりこの近く(というか隣)にある妙行寺が加藤清正生誕地なんだそうです
なんだよ中村公園すげぇじゃん!←知らなかった
名古屋へ起こしの際は是非、日本一の成り上がり、太閤生誕地にて御威光に触れてみてはいかがでしょうか(*^^*)
さて、ちょっと長くなるかな~
学校の授業に始まり沢山の映画にもドラマにも小説にもなり知らぬ人の居ない豊臣秀吉
様々な面が語り継がれていますが、偶然?ながらここ最近で考え方が変わって来ました
元のイメージとしては、猿!!猿!!と言われながら信長の背に憧れ必死でついて行き、気づいて見れば自分がトップになっていた
田舎者の農民が国の長になったわけですから贅沢をしたり権力をちょっとワガママに使っちゃうのは人の性、それでも反乱もさせることなく家康の野心すら抑えこむことが出来ていたのはやはり実力者
戦を無くすことが出来ず最後まで無理に朝鮮を攻めたのは最後が悪かった...
が、最近変わりましてね
どうやら朝鮮出兵はヨーロッパが東亜を攻めようとしていたのを守ろうとしていただけだという見方もあるそうなんですよね
そうなると伝わってる話や文とは異なってきちゃいますが、だから大半が朝鮮に渡らず九州で、しかも遊郭まで開いていた、形だけの出兵だったというんですねぇ
傍目には無益と思われる朝鮮の役により豊臣が弱体化すると三成が嘆いていたという流れが、実は豊臣家が傾くことを承知の上でアジアを守ろうとしていたと考えると全く違ってきますね
そうですよねぇ、確かに良く考えれば最後まで朝鮮に拘り国内を疲弊させた大罪人であれば、朝廷もわざわざ秀吉を祀れ!とは言わないと思うんですけどね
しかも翌年1600年に関ヶ原の合戦が起こるわけでその流れはもう見えていたでしょうに
勿論、やり過ぎ感のある強引な家康側へのひとつの圧として敢えて、とも考えられなくもありませんけどねー
ちなみに 豊国 は 豊葦原中つ国 と豊臣の 豊 をかけて名付けられたのだそうです
豊葦原中つ国 とは神々が暮らす高天原と死者が暮らす黄泉の国の間、つまり我々の暮らすこの地のことを指します
というわけで、豊国神社でした!!
締めはこちら、伊勢に行かずとも市内で売ってる赤福さん♪
あと初めて知った、正月だけの和菓子 花びら餅
白味噌餡と牛蒡が巻かれ、少し甘いけどお雑煮(関西風)を模した縁起物☆
名古屋からの帰京は混雑する東海道を避け信州周りにて、信州から見る富士、甲斐から見る富士
行きは駿河から富士を眺めたので富士に始まり富士に終わった今回の帰省参拝旅でございました
2022年も開運!!
皆様に沢山の笑顔と健やかな日々が訪れますように
~完~