どうも、ひのきですm(*_ _)m
遂にやって参りました、王子神社から歩きに歩いて辿り着きましたるは浅草、23社目となるこの日最後の神社でございます
浅草と言えば浅草寺ですが、その浅草寺の本堂右隣に鎮座している神社です
私は被官稲荷神社から来たので拝殿の横から境内に入ることになりました
裏から入ってしまうのはいつものことですが、いつものようにとりあえず境内の周りを散策しつつ一旦鳥居を出て正面からもう一度、、、とはならず、そのまま真っ直ぐ拝殿へと向かいました ← 珍しい
なんと荘厳で美しい拝殿でしょう
金幣の手前も扉が開いている様子、もしかしたら本殿でしょうか
左右に座するは右大臣左大臣、神社によっては豊石窓神と櫛石窓神とされています
そして御祭神は檜前浜成命、土師真中知命、檜前武成命、この三柱こそがかの有名な三社祭の三社様!!
無知にも程がある、浅草三社祭りって浅草寺の方だと思い込んでいました(考えて見れば、お祭りの多くは神社だし神輿が有名ですよね)
何故って、いつ来ても浅草寺が多くの人で溢れかえっているのに浅草神社の境内にはその1割にも遠く及ばない人しか見掛けないんですよね
という私も、境内に入ったことはあったもののしっかりとご挨拶するのはこの時が初めてです
なんでしょう...実は初めてお会いする(御名を伺う)神様なのでよく分からないままなのにも関わらず、ずっしりと構えてらっしゃって、それこそ「んむ、よう参った」とでも言われている感じでした
というわけで、調べてみました
公式HPでは御祭神名が上述の順でしたが、中央、右、左の順を上・中・下で書かれていたようです
浅草神社のご由緒によると、事の始まりは推古天皇36年、西暦628年
檜前浜成・武成兄弟が隅田川で漁をしていると何度網を投げても一匹も魚がとれず、それどころか何度捨てても同じ木像が引っ掛かる
そこで土師真中知命に相談すると、木像は聖観世音菩薩だという、漁師は魚がとれないと生きていけねぇよ、と言うと翌日はなんと大漁!!
後に土師が剃髪し自宅を寺と変え、観音様に生涯を捧げたのだそうです
これが浅草寺の始まり
そして時代は流れ鎌倉の頃、土師氏の子孫が夢にて「我を祀った三人は素晴らしいので権現として祭りなさい」という菩薩様の託宣を受け、三社権現を創建、神仏分離にて浅草神社へと変わったのだそうです
なるほど!!!!!
漁師さんが神様?!とちょっと驚いたのですが、拝殿で感じたあの雰囲気は立地的な勘違いではなく、やはり お寺 の雰囲気であってたんですね
観音様を祀っていた浅草寺はそのまま寺、人 を祀っていた三社権現は神社、ということかなぁ
1400年にわたり浅草がこれほど栄え続けているのも三社様が観音様を見付け祀ったからこそ、そのご利益は世界中の人々をも惹き付け続けています
皆さんも浅草へ行ったら是非、浅草寺だけでなく三社様にもご挨拶されてはいかがでしょうか(*^^*)
...っと、終わる流れになってしまった!
まだ境内を見ていきますよ!( *・ω・)ノ
姿の良い狛犬さんですね
拝殿右、写真右奥を進むと被官稲荷神社です
お気づきになられたでしょうか
そうです、三社様へのご挨拶が終わり、境内散策へ、と数歩歩いたところで背後からガコン、ガコン、という音が聞こえたので振り返ると社殿の扉がちょうど端から順に閉められていくところでした
いつものように境内を先に見て回っていたら素晴らしい拝殿内が拝めないところでした( ̄▽ ̄;)
浅草神社の境内中央から隣を見ればこんな感じ
立札と赤い番傘が無ければ見過ごしてしまいそう
ちょっと見てくださいよ!! なんて幸せそうなお顔をした御夫婦さんでしょう!! 見ているこっちまで笑顔になっちゃいますよ
待ち受けにしたら夫婦仲(恋仲)にご利益ありそう
他にも境内には様々な碑や塚があり、この地の歴史を感じることが出来ます
三社祭の時以外は人も少なめでのんびりできそうですし、観音様へのご挨拶と共に三社様へもご挨拶すればご利益も...?
と、言うわけでこの日の記録的な神社巡りは終了!
...ですが、お隣ですもの、浅草寺もご挨拶していきましょう(*^^*)b
すぐ隣なので観音堂へ、大提灯を真下から見上げると美しい龍に会えますよ
浅草寺を参拝すると必ずと言って良いほど目にする光景のひとつ
若い子:パン!!パン!!
大抵、近くにいらっしゃる壮年の方がそっと教えてあげているのですが、この日に指摘されていたご婦人がとても素敵でした
優しい笑顔と話し方で、まず参拝を褒めた上でせっかく参拝するならばもっとこうすると良いわよ、と一切空気を悪くせず当人達も周りも笑顔になるような教え方でした
そう、お寺では合唱、神社では拍手ですが、やはり参拝=拍手というイメージが強くてどうしてもやっちゃう方、いらっしゃいますよねー
でも、ご婦人のおっしゃる通り、参拝するということがまず素晴らしいので、間違ってはいてもダメだダメだなんて否定されては悲しいですもんね
そういえば、神社の手水舎に寄って居たのでこちらのお水舎は行ってなかったな、と目を向けると平日の夕方ということもあってか、パッと人が全く居ないタイミング!!
いつもは沢山の人がいらっしゃるので写真を撮ったことも無かったのですがよく見ればなんとまぁ素晴らしいお水舎ですこと!!
天井絵は東韶光作 墨絵の龍、像は無知な私でも名前を知っている高村光雲作の沙竭羅竜王像というのだそうです
なんと素晴らしい背中と龍か!
裟伽羅、沙羯羅、は八大龍王の第三に名を連ねる龍宮の王だそうです
さて、浅草寺で私が欠かせないのがこちら
銭塚辯才天
九頭龍権現と金龍権現
そして諾冉を祀る三峰神社!
神仏習合の頃は浅草寺内にいくつかの神社が勧請されていたようですね
今回調べて知りましたが、ちょっと東側に行くと弁天山 弁天堂があるんですね!
祀られている老女弁財天は関東三大弁財天のひとつなのだとか、これは次回ご挨拶せねば!!(もうひとつ、千葉の布施弁天もいつか行かねば!)
というわけで、裏から入って正面から失礼します
気がつけば薄暮
ザックリですが16km、浅草寺も含めると23社1寺を巡りまくった一日でした
そういえばこの日、昼飯も食ってないな…(笑)
さすがに やり過ぎたな と思いはしましたが、やはり朝から休むこと無く歩き通したとは思えぬ身体の軽さ
つまり、そういうことなんでしょうね
まぁ、以降はさすがに長距離(過ぎる)参拝は控えめにしてきているはずです(笑)
実はこの一日、昨年の5月24日のことでして、どんだけサボって記事にするの温めてたんだよ、って激しくセルフツッコミ
なんとか一年に追いつかれることなく記事に出来て良かった、と安心しつつ、その後の神社も季節に追いつかれる前に書いていこうと思いました、マル!