どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら
猿田神社
東京から総武線で東へ、終点である銚子のふたつ手前、猿田駅が最寄りです
とっても長閑なところです
勿論、下乗車する人は極わずか
猿田駅から西へ僅か徒歩5分、右手に大きな石鳥居が現れます
少し進むと扁額の掛かったこれまた大きな石鳥居
脇が煉瓦になっていてとても雰囲気がある石階段は跨線橋になっています
境内全体が千葉県の天然記念物に指定されている猿田神社の森
それはとても広範囲に渡っている文字通りの 森 であることをこの時の私はまだ知りません
階段を登ると素敵な境内が目に入ってきます
うわぁ、と思わず声に出ました
左手に手水舎、、、っと物凄い太陽がっ
こちらも素晴らしい造りです
いつも通り何も調べることなく訪問したのですが跨線橋を渡る辺りから一気に強まっていた感覚がこの辺りからはもうほぼ垂直レベルに上がっていきました
そう
ここはただ事ではない神社だ
この記事を書いている今思い返しても、これまで参拝した中でも指折りの凄さなのです
実は時折最新を折り込みつつも基本的には参拝した順に記事を書いてきていたのですが、この猿田神社の順番になってから長く記事を書くのをとめていました
神社のエネルギーが強過ぎてもう待てないというほどに一気に書いてしまうこともありますがこちらの場合は余りの強さに記事を書く事に物凄い力を使うので条件が整うのを待っていた、という感じです
手水舎の奥に何か惹かれる場所がありますがここは先に拝殿へご挨拶に
御祭神は社名からもおわかりのように猿田彦大神、そして天鈿女命、菊理媛命も祀られています
天孫降臨で瓊瓊杵尊を先導した猿田彦命を迎えたのが天鈿女命であり、その後妻になったとされています
はて、では菊理媛命が祀られているのはなぜでしょう
色々調べ考えてみたのですがわからず
ただ面白い事に、この二柱に関連は無いものの、猿田彦命は瓊瓊杵尊が降り立つのを、菊理媛命は伊弉諾射落が黄泉国から抜け出すことを "導いた神" であるという共通点だけがあるようです
質素でありながら、いや、質素であるからこその凄い迫力です
創建は垂仁天皇25年
っと、待って、紀元前5年!? 想定を恐ろしく超えてきました。。。
807年と記載されているところもありますがそれは社殿造営年を創建として捉えているようですね
神社の創建年においては磐座や祠を祀った時とする場合と正式に社殿を建てたり勅命を受けた時とする場合など様々です
あれ? 日本最古という神社のひとつとして有名な椿神社も猿田さんを祀っていたよな? と調べてみると創建は垂仁天皇27年とある
えっ、猿田神社はそれより2年も古い!?!?
ま、まぁ伝承による記述の正確性とか信憑性とかそういう絡みもあるからね(*^^*)
と同じ検索結果の中に白鬚神社も出ていました
そういえば滋賀の白鬚神社も猿田彦命を祀る古社だったよな、と調べてみるとやはり創建は垂仁天皇25年と古く。。。待ってっ!!!!!! 猿田神社と創建年が一緒!!(しかもこちらも椿神社より古いことに…)
これはあれだ、、、いつもの情報の連鎖ってやつで無関係に見えて関係があるぞっていうやつだ
というわけで白鬚神社単体で検索してHPを見ると白鬚大明神縁起というのがありまして、まぁ半分が昔言葉なのでハッキリとは分からないながらも大祓詞に似ているのでサラッと読んでみたのですが、その中に 根国底国 という文字を発見
あーそうよね、根の国底の国って大祓詞でも出て…あ、いや、それは気吹戸主と速佐須良比賣のところかー(*´∇`)
あれ、でも猿田さんの話でも黄泉の国が?
名前は出てこないけど黄泉の国には菊理媛が?
なんか朧気ではありながらも繋がらなかったところがぼんやり繋がって来ちうのが不思議
さて、ご挨拶出来てすーっと体が軽くなったかな
拝殿左手にはお社があります
中に大きな水晶玉などが見えますが、→宝物殿?と右手を見るとなんと本殿の周りを回れる!
では、、、失礼します!!
大きく立派な本殿は修繕中でございました
本殿裏には拝する事が出来るよう賽銭箱と奥に御幣が供えられています
いやー、ここの空気は(勿論御神域全てが素晴らしいのですが)とっても心地好いですね、凄く落ち着ける空間です
本殿裏手の右には石祠が並びます
そしてこちらが右側の出口
ここから左を見るとこちらにも大きな鳥居
写真を撮るのが好きじゃなければ、ブログを書いていなければ、鳥居を外から撮る為にこちらへ来ることは無かったでしょう
祈祷等の車用参道になっていました(駐車場はその先でここではありません)
道の目の前には沢山の石祠が並んでいます
と、中央の札には ←奥宮、大神降臨之地
。。。え?
猿田神社の森、そして奥宮、、、まさか遠い?
少し様子を見てみよう
道はしっかりと舗装されていますが森です
お地蔵さんです
こちらにも石祠がたくさん
暫く行くと質素な木鳥居、札には ↑奥宮 →元宮
さほど遠くありませんでした(*^^*)
では、失礼します
この鳥居を潜ると少し空気が変わった気がします
ちなみに帰りのこと、別に何も聞こえないし見えもしないのですが、鳥居の上の端に神様か眷属様かが座ってこちらを見送っているんじゃないか、なんて気がしました
気がしただけですけど...
奥宮というからには覚悟してきたのですが緩やかに下る道
なんと美しいのでしょう
と、なんと御神砂取りの場所に出ました
頒布されている神社は時々ありますが、自分で採取出来る神社なんて初めてです、有難く頂戴致しました
そして振り返るとさらに下る道
湧水池を背に鎮座する奥宮です
調べもせず来たのに導いてくださって感謝
この池に注ぎ込む御神水は
奥の土の中、山から染み出しているお水です
えーと、、、結構濁って、、、?
持っていた小さいペットボトルに御採水
あれれ、彼女が頂いた御水は結構透明なのに私が頂いた御水は明らかに濁っている。。。w
日頃の行いでしょうね(´;ω;`)
でも御神水なので有難く頂戴しますよ、煮沸したらちゃんと飲めるさ!!(多分)
道へ戻りさらに先へ進むと駐車場がありまして、その先に元宮がありました
奥宮のように質素かと思ったら結構しっかりです
あかん、、、ここも凄い、、、
もう感覚がガンガンと上乗せされていきます、御神気に溢れ過ぎですよ、猿田神社さん
こちらが猿田大神御降臨之地
そして元宮です
元はこちらに鎮座されていたのでしょう
こちらがお背中
正直、いや、勿論鳥居の中はやっぱり空気が違ったのですがもう周りの山々も素晴らしいので格段に違うかと言われると奥宮程ではなかった気がします
が
お社の右手とその裏、そこが凄かったです
後ろに広がる森自体も凄いのですが、この木
物凄く温かで強く惹き寄せられました
特にこの写真
ブログの編集で見返す度に鳥肌が立ちます
勿論良い意味ですが
何が写っているともなく、よくある木のようにも見えるしこの写真だけならどこでも撮れそうな普通の写真なのですが、、、見る度に腕から肩、そして腰から背中へとすぅーっと空に引っ張られるかのような鳥肌が立ちます
いやー、、、凄いわ
戻ってきました、既に上述していますがこの鳥居を外から撮ろうと思わなかったら奥宮も元宮も気づかず帰ってしまっていたことでしょう
そして見事に、この予定外の工程によって時間がギリギリで過ぎてしまい御朱印とおみくじをお受けすることが出来なかったというオチが付きます、チャンチャン
でも、これには大きな理由があったんだと思います
そういえば手水舎の奥が気になっていたんd、、、おや、ガラスの向こうに何か見える?
わっ、びっくりした! 猿田様ともされる天狗面!
その先には西陽に包まれて力石と
お水取、、、り、、、
ちびちび垂れる濁った神水じゃなくても蛇口から頂けたんかーーーぃ!(爆笑)
いや、でも、奥宮で拝して頂戴した方が有難いに決まっておるのぢゃ
次に来ることがあってもわしゃ奥宮で汲ませていただくのぢゃ
その背後にはお社が並びます
西陽のせいだけではないでしょう、ここのピリッと締まった、でも温かい心地
そうです、お稲荷さんですね
ここの空気感は他の場所とはやっぱり違いますね、お狐様が見えないうちからお稲荷さんだなって思いました
物凄い御神気に溢れる猿田神社さんでした
御神気に当たられる、といいますが、とにかくもう凄すぎて疲れました
ただし、通常の疲れとは全く違って、身体も心も疲れてはおらず寧ろ充足して溢れんばかりです
そしてこの記事を書いている今もまた、実際にもう一度参拝したかのように物凄い疲れを感じていますが、満ち満ちた気分です(*^^*)
この後、我々は銚子へ向かいました(勿論特急は猿田駅を通過ですw)
後編へつづく
。。。え?
こんだけ詰め込んでおいて後編だって?w
いやー、迷ったんです!!
そもそもこの一日ですらもうガッツリガッツリなので分けてしまおうか、それともさらに併せてしまおうか、、いや、それはもうボリュームがおかしくなり過ぎる!
つまるところの
銚子旅の途中といいますか、旅前の猿田神社参拝だったわけなんですね
で、ですね
まさかのボリュームに時間を掛けすぎてしまってお受け出来なかった御朱印とおみくじの為に、銚子を巡った後の帰り、つまり翌日にも再訪する事をこの時点で決めていたんですw
行きにも帰りにも参拝するなんて、って思いますよねー、でもその価値は十二分にあるのです
その意味はあったのです
ということで、再訪の間にも別の神社と巡り会っていたので間に挟みつつ、また心身の整ったタイミングで記事にしたいと思いますd('∀'*)