どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はタイトル通り、神社ではなく鳥居です
羽田の大鳥居
羽田空港のすぐ傍、多摩川の河口脇に大きく聳える朱の鳥居、その先に神社はありません
この鳥居には多くの人が耳にしたことのあるであろうオカルトのような都市伝説があります
この鳥居は穴守稲荷神社の一之鳥居として京浜電鉄より昭和4年に奉納されました
この辺りは穴森として観光地になっており、いま羽田空港がある場所は穴守稲荷神社と住宅地があったそうです
戦後、GHQによる強制摂取が始まり、この地区も24時間以内の立ち退きを言い渡されました
とても無理だと交渉するも48時間に延長されたのみ、住民は身の回りの物だけを集めて出ていくほかなく、神社もまた1万基以上とも言われる鳥居や多くのお狐様を残し、御神体と移動出来るだけのものを羽田神社へ一時避難するのが精一杯だったそうです
ここからが有名な話
その当時の大鳥居は今の場所ではなくもっと中央にあったそうです
GHQが社殿、鳥居、住宅など全ての建築物を破壊し、そしてこの大鳥居を撤去しようとした時
鳥居の上でロープ掛けをしていた米兵が立て続けに落下し数名が死傷、鳥居に掛けたロープを引っ張ったらロープが切れて怪我人、基礎から掘り起こそうとしたら重機に人が挟まれて死亡
あまりに事故が連続した為、ならば日本人に作業をやらせたところ、その日本人作業者にも原因不明の発作など体調不良者が続出、これにはさすがの米軍も諦めざるをえなくなり、島のほぼ中央に位置しているという "邪魔" な鳥居を残したまま土地を利用する事にしました
戦後、土地が日本に返還され東京国際空港となった時もこの鳥居は残され、ターミナルビルの目の前という凄い位置にその姿がありました
後の1982年、空港拡張工事として鳥居の撤去を決定したすぐ後に日航逆噴射事件で羽田沖に旅客機が墜落、関係性があったのかなかったのか、撤去は取りやめになっているようです(この話は詳しい日付がわからないのでオカルトの結びつけかもしれません)(他にも撤去という計画が出る度に大小の航空事故が起きたとも?)
そして迎えた1999年、当たらな空港拡張計画によって今度は鳥居の撤去ではなく "移転" として現在の場所へ
その際は多少の不思議な事はあったようですが無事に工事が出来たそうです
以来、国土交通省管理の鳥居となり、世界への玄関口で飛び立つ飛行機を見守り続ける平和を祈る鳥居となっています
この日の神社巡りは今年3月3日でした
少し前に某国の軍事行動が始まり世界に衝撃を与えていた時
祟りの鳥居という存在は知っていましたが、今は平和の鳥居となっているということでこの日のルートを決めたのでした
平和を祈る気持ちにもいつも以上に気持ちがこもりました
伝わっている話には事実と都市伝説が入り交じり、中には日本の請負会社社長が亡くなった(事実ではないらしい?)など尾ひれがついている部分も多くあるそうですが
祟りという悪い言葉よりは御神威という前向きな言葉を使ってもらいたいな、って思います
この地を守っていた穴守稲荷は御神体やいくつかの狐像の避難は出来たものの社殿や多くの鳥居、狐様、さらに民家は全て米軍によって取り壊されたわけです
八百万の神としてその取り壊された全ての魂が、この大きく立派な鳥居に集まったんじゃないでしょうかね
いろいろ調べてみるとほんと沢山の話が出てきまして、元はこの地に狐が住んでいたからその祟りだなんてものもありましたけど、、、
また、米軍には死者重傷者が多発したけど日本人には発作とか体調不良という程度しか伝わっていないようです(上述のように請負社長の死は事実ではないとされています)が実際のところはわかりません
もし事実であったのならばそれこそ天罰であって、指示する米兵には重罰を、無理やりやらされている国民には抑制を、ということになります
現実的に考えても、当時の信心深い日本人が無理やり崇敬する鳥居を壊すよう命じられたら精神的に恐怖で恐れ慄いた人も居たでしょうし、なんならそんな罰当たりな事したくないという気持ちから仮病を使ってでも鳥居を守った方もいらっしゃったと思います
伝わっている話の中でどこに真実があるのかはわかりませんが、少なくとも、とても邪魔な位置であるにも関わらず大鳥居が残されたという事だけは間違いないわけです
戦前から戦後、そしてこれからも、この地、この国、世界の平和を願う鳥居
鐘を鳴らし、飛行機を見送りながら空に想いを込める
是非、平和の鈴を鳴らしに行ってください(*^^*)