どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、洗足池弁財天
都内にも大きな池が数箇所あり名前は知っていた洗足池ですがここまで素敵だとは思っていませんでした
八幡様へのご挨拶目的でしたがしっかりと池も堪能しております
池には小さな、といっても十分な大きさの島がひとつ浮かんでおります
躑躅かと思えるほど鮮やかな朱色が木々の隙間から見えます
島へ渡る橋は朱の欄干
こちらが厳島神社、洗足池弁財天です
各地に祀られる厳島神社は広島湾に浮かぶ安芸の宮島に鎮座する総本社を模して池に囲んだ島に祀られることが多いのですが、それが洗足池ですから素晴らしい
波打つ雲により陽が射したり翳ったりだったのですが、前でしっかりと参拝されてる方を待ってからこの美しい両部鳥居の前に立つと一気に眩い光に包まれました
神々しいにも程がある(*´꒳`*)
池周りもとても気持ち良かったですがここはさらに素晴らしい空気です!!
創建年は不詳ですが古来より池の守護神として鎮座されていたそうで、元は小さな島に祠で祀られていたのが年月を経て水没してしまっていたのだそうです
昭和初期に入り、なんと多くの人の夢枕に弁財天様が立たれたそうでこれは放ってはおけないということになり、築島の上で現在のように祀られたのだそうです
そうか、こちらの池は古くからあったわけでこの池があったからこそ鎮守をおくのにこの場所を選んだのでしょう
すると弁財天様は相当古くからお座りになっておられたとも考えられますね
御祭神は市杵島姫命ですが、私には、こちらは 弁財天様 という感じがします
勿論諸説はありますが全国的にも宗像三女神の市杵島姫命が仏教における弁財天と同神とされています
なので弁財天にも、稲荷における宇迦之御魂神と荼枳尼天のように市杵島姫命と弁財天とで雰囲気が少し違っていると感じています(多分私の思い込みや気の所為ですけど)
でも実際に寺と神社では雰囲気も違いますし、御祭神名が変えられていたとしても仏様観音様と神様ではやっぱり雰囲気は違うものです
こうして混ざり混ざってしまったのは最終的には神仏分離によるものですが、元より日本人特有の 良いものは取り入れて上手に融合させる精神 が遺憾無く発揮された結果だと思っています(*^^*)
困ったら 神様仏様 ってやつですね
悪く言えば 曖昧 ですが、この適当さは場合によっては無用な諍いを避けてより皆の心に広がるる手助けとなります
ちょっと旅行してきた、というくらいに素晴らしい氣を頂くことが出来ました
千束八幡神社と併せ、是非ご参拝ください
と、記事を書き終えたのですが何か足りなさを感じて調べてみると、名前の由来が出てきました
千束八幡神社というようにここの地名は千束
これは当時年貢とされていた千束の稲が免除されていた土地だったことが由来だそうです
では何故、池の文字が違うのか
1282年、日蓮上人がこの池で足を洗ったことから洗足となったそうです
ほんと、こうして神社巡りをしていると教科書の中にあった文字だけの存在が現実(過去ですけどね)になるのが凄いです
八幡神社もあることから将門の乱平定後に藤原忠方が参拝し付近に居を構えたり(説)、八幡太郎義家が戦勝祈願していたり、そして頼朝もまたひと晩を過ごしたりと歴史を刻んできた池と神社
そんな場所を、今、こうして穏やかな気持ちで歩くことが出来るという平和に心から感謝です