どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、鹽竈神社
塩竈といえば仙台
神社の社名は地名から付けられることが多いですがこちらは社名から地名がとられているほどの歴史ある神社で、こちらは1695年に伊達藩主 陸奥守伊達綱村の屋敷神として分霊を勧請され1856年に現在地である伊達藩中屋敷へと遷座されたそうで、神社へと繋がっている目の前の公園も塩釜公園となっています
公園から真っ直ぐ続く参道には石碑などがあります
参道途中の右手には稲荷社があるのですが
お気づきになられましたでしょうか
なんとお社の上から大黒様と恵比寿様が覗いて!?
横から見ると石社に負けないほどの大きさです
こちら、二の鳥居
そろそろ感じてこられたでしょうか
写真からは伝わりづらいでしょうが由緒からすると意外な程に荒れた感じがあります
参道脇には苔の具合が素敵な石や庭がありとても素敵な空気が流れてはいるのですが、どこか、やはり元気が無いのです
辛うじて残る文字から 塩竈講 が読み取れる石碑もかなり割れてしまっています
こちらが拝処、奥には社務所のような建物ですが本殿となっているようです
凄く、凄く、独特な雰囲気の神社で失礼ながら言わせていただくと、仙台藩主の屋敷神だったとは思えないほどの状態です
が
この空気感たるや、この場所に立たねば伝わらないと思います
写真だけでしっかり伝わる方は恐らく そういう方 なんだと思います
この日、境内の一部で改修工事が行われていたりして少し雑多な雰囲気でした
そして目の前の公園にはぼんやりと休んでらっしゃる方がひとりふたりのみで全く活気がありません
そして地味に荒れた境内
なのに凄く神聖感が滲み出ているのです
伸びっぱなしの草々、割れた石碑、転がる苔石、手水舎のような拝処、、、その全てに霊気が宿っている感じがするのです
木霊がそこかしこに居るような、そんな不思議な落ち着きがあるのです
見た目は古びた建物ですが、神様はしっかりといらっしゃるのではないでしょうか
ただ、落ち着いて静かに坐られている雰囲気です
この境内に居るだけで、静かに心身が回復してくような、そんな感じがします
この荒れた風には理由があります
伊達藩は中屋敷の土地を地域へ寄付していきましたので鹽竈神社においては管理者が居ない状態となっており、つまりは氏子も居ないというのです
それでもこうして残っていること自体が驚きです
参拝を終えてからも心地良さから暫く境内の雰囲気を味わっていたのですが、そこで気付きました
放置されているわけではなく、回りきっていないだけで手はちゃんと掛けられている感じがします
綺麗に整然とされているのも勿論良しですが、最低限の手入れのみで自然に任されているのもまた良し
眷属様はとても居心地が良さそうな気がします
鹽土様は日本の神様カードでもよく出ていただく神様なので愛着がありまして、参拝出来てとっても嬉しい気分になりました(*^^*)