日々是"吉"日

ゆるゆるなスピリチュアルでパワースポットやパワーストーン、原石、お香などを楽しんでいる日々の日記です。

渋谷氏鎮守 金王八幡宮

どうも、ひのきですm(*_ _)m


本日はこちら、金王八幡宮


渋谷駅から徒歩10分ほど、豊栄稲荷神社の隣に鎮座しており、八幡坂、八幡通りには大きな鳥居があります


鳥居を潜ってからどうにも気になる大きな石碑

こちらは明治三十八年戦役、つまり日露戦争の記念碑だそうで忠魂碑や慰霊碑ではなく記念碑というのは初めて見ました

乃木神社の御祭神 乃木将軍の揮毫とのことですが表面を撮っていないという←

鳥居を潜って左手に手水舎

さて拝殿へ、と思ったのですがどうにも境内右手側に惹き付けられました、洞の凄い御神木

背後からも凄い気が放たれています

と、義朝、頼朝御縁の金王丸御影堂という立札

その先に鎮座されておりました、なんとも健やかな気に満ちた御堂です


金王八幡宮は資料によっては河崎土佐守基家が1092年に創建したとありますが公式HPの御由緒をよく読むと源義家による創建のように読み取れます

その頃は 八幡宮 と呼ばれており、後に河崎重家が堀河天皇より渋谷姓を賜った頃から渋谷八幡宮

重家が子に恵まれず八幡宮に祈願を続けていると金剛夜叉明王が妻の胎内に宿る霊夢を見た後に子を授かった、それが渋谷金王丸常光で保元の乱での大功などから金王八幡宮と呼ばれるようになりました

堂内には自彫の木造と毒蛇長太刀が奉納されており年に一度、3月の最終土曜に特別開扉されているそうです


手水舎の後ろには境内社二社と神楽殿が並びます


創建年不詳の御嶽社には櫛眞智命、大己貴命、少名毘古那命、日本武尊が祀られています

玉造稲荷社は境内稲荷としては珍しく1703年8月と創建年月が伝えられています

どちらも力強い空気感です


こちらが応神天皇が祀られる美しい御社殿です

なんと1612年に青山忠俊と春日局によって造営されたものだそうです

後に忠長となる弟国松が三代将軍を継ぐと言われ、兄竹千代が継げるよう乳母であった春日局と守役の忠俊が熱心に祈願していたそうです

その祈願の強さがよく現れている彫刻はとっても素晴らしいものです


右の 獏 には世の安寧が

左の 虎 には正しい政への祈りが込められています

勿論御神威も強く感じますが、文化財としての素晴らしさに暫し見蕩れてしまいます


社殿右手の大木は金王桜

この一枝に一重と八重が混じって咲く珍しい桜は源頼朝が父義朝に忠節を尽くした金王丸の名を後世に残すべしと鎌倉亀ヶ谷の憂忘桜を移植させたもので江戸三名桜のひとつとされたそうです

当時の木は枯れてしまっているようですが大大実生より植え継がれている子孫とのことで春に参拝してその美しさを拝見したいものです


うん、とっても素晴らしい八幡様です


特に、金王丸、竹千代、そして代々継がれる金王桜と子が健やかに育つ御利益がとても強そうです


素晴らしい八幡様、渋谷へお越しの際は是非


ちなみに武運の誉れ高き金王丸ですが実在したかどうかわからないとされる説もあります

過去の歴史ですからわかりませんが、平治物語に義朝と子らが討ち取られた事を常盤御前に報告したと記されており、その後出家して土佐坊昌俊と名乗ったとされています

この土佐坊昌俊は後の1185年、頼朝の命により義経暗殺を引き受けて討ち死にしたとされています

別人説もあるのですが、1141年生まれの金王丸ですから1160年に出家していたとはいえ1185年にはまだ44歳

歴史的に年齢の疑問が多い言い伝えの中にあって結構信ぴょう性が高いのではないでしょうか

しかも1189年に藤原泰衡退治の途であり信心深い頼朝であったとはいえ金王八幡宮に立ち寄り太刀を奉納したばかりか "父への忠義を讃えて" わざわざ亀ヶ谷館から桜を植樹させているというのですから

皆が嫌がった義経討伐を出家した身でありながら引き受けて討ち死にした金王丸に対する慰霊だった可能性もあるのではないでしょうか