どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、御嶽神社
渋谷駅から宮益坂を登っていくと郵便局の手前あたりに鳥居が現れます
ちなみに私はナビを信じて神社の裏参道へ導かれること多数ですが、ここに関しては私だけでなくナビを信頼してはいけません
渋谷駅からナビを指定するとこうなります
この日、渋谷氷川神社から来た私へのナビがこちら
指定通りに行くとこうなります
おわかりでしょうか、高いビルに挟まれた低いビルの屋上に本殿のお背中が見えるのが
まぁ昨今はビル型の神社も珍しいものではないのですがどこをどう見ても参道なんて無いしましてやいくらビル型だからってお背中側から階段(参道)のある神社なんて見たことがない
しばし ??? と考えた後にふと あっ、そういえば宮益坂沿いに鳥居があったような! という遠く薄い記憶を引っ張り出しました
渋谷で仕事をしていた時期があるのですが専ら道玄坂側ばかりで宮益坂方面へは片手で収まるどころか1~2度しか来ていないんじゃなかろうか
まだ神社巡りをしていない10年近く前の通り過ぎた時の記憶にも残っていたほど、こんなところに?という参道、ちなみに地図で言うCR-Viteビルの横です
しかも社殿が見えないのですから
しかし、見れば見るほど不思議な気が立ちこめています
石段の手前には立て札で御祭神が記載されています
日本武尊、秋葉ノ神(火之迦具土神)、大国ノ神(大国主神)、菅原ノ神(菅原道真公)
右手には御由緒が、、、と思ったら明治天皇幸行の説明書きで、なんとこちらの拝殿でお休みになったそうなのです
階段を上がると石鳥居と境内が見えました
時既に夕方ですが、しっかりと波模様を保っている玉砂利
手水舎の隣にも石碑があります
明治天皇が立ち寄られた神社に不動尊? この時感じた謎は少しあとで
とても雰囲気のある御堂ですが素晴らしい気が伝わってくるのはそのせいだけではないでしょう
こちらは炙り本尊とも言われ、1570年頃に武田家陪臣が尊像を御嶽神社に合祀、1681年に子孫が三石像を建立、、、とされています
ですがその通りだと石像は4体?
こちらが御嶽神社拝殿
とても素晴らしい造りです、さすが明治天皇がお休みになられた、、、と言いたいところですが当時の拝殿は東京大空襲にて消失しており現在の社殿は1980年に再建されたもの
新しいのに古さを感じさせる質素な造りなのはとてもセンスを感じます
創建は1400年と伝えられ、吉野山の金峯神社の分祀だとされています
御嶽神社の総本社は金峰山の蔵王権現堂で、金峯、金峰と書いて きんぷ きんぽう そして みたけ とも読むそうです
日本武尊が御祭神となっているのは神仏分離により蔵王権現から変更されているものと思われます
そりゃそうだ、明治天皇がご休憩なさっているのに権現なんてね!!(といっても政府の意向で天皇がそうしたかったわけではないと思いますが)
ここでやはり疑問です
なぜ不動堂はそのままだったのか
考えられることはどこかへ移されていて後に境内へ戻されたというくらいですがそういった記述はどこにも見当たらず
特筆すべきはこちら!!
すばらしい(*´ω`*)
社殿左手には石碑が並びます
突き当たりからは本殿横を見ることが出来ます
宮益坂は途切れる事の無い車と仕事を終えた沢山の会社員、学生、飲食店へ向かう人々がたくさんいて賑やかだったのですが、少し奥まっているとはいえこの境内は静かでしっかりとご挨拶することが出来ます
やはり御神域というのは特別ですね
こちらはいつ撮ったのかなぜ撮れたのかわからない地面です
ちなみに宮益坂上の五叉路から神社北へ延びる道は美竹通りと呼ばれていて勿論、由来は神社
宮益 という地名も御嶽神社が由来となっているそうです
渋谷駅から僅かの距離にある素晴らしい古社、是非ともご参拝ください(*^^*)