どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、調神社です
調 ( つき ) とよみます
この日は第一にこちらの神社を目指して巡ってまいりました
さて、お気づきでしょうか
狛犬ではなく、狛兎!!
しかもこの日は己卯の日でございました、有り難や有り難や(-人-)
こちらも、雑念無く存分に空気感を吸い込む為、いつも通り御祭神だけ確認して由緒を全く見ずの参拝ですので謎のままの参拝でございます(後半に改めて由緒等を書かせていただきます)
参道左手には元宮司の像がありました
いやー、、、凄いぞ、なんだこの素晴らしい気は
太陽、青空、心地良い気温、紅葉、、、いや違う、それだけではない素晴らしい空気がこの境内に溢れている
立っているだけで心身が癒されていく
おっ、右手に手水舎が、、、あっ
兎が水を吐いているぅぅぅぅぅぅぅw
なんで兎なんだろう。。。
手水舎の後ろには、、、あっ
達筆過ぎて解読できない石碑と狛兎!!
新しくする前にいらっしゃったものでしょう
御社殿の正面には御神木?を注連縄が結んでいて鳥居の代わりのようになっています(そういえば正面参道に鳥居が無かった)
御神気に満ち満ちた拝殿前
身体はそのままに魂がすぅーっと天へ吸い上げられるような、そしてラッパ状になにか気のようなものがすぅーっと降りてきているような
煤けた灯、美しい社殿、そして細工の凄い照明
全てから気が溢れている、拝殿の前に立つことが凄く光栄なことに感じる、そんな素晴らしいお社
水鉢も物凄く素晴らしい
これは、、、相当な由緒ある古社なのではなかろうか
崇敬を集めてきた、というだけでは滲み出ない凄さがあるんですよ
神楽殿には大きな虎の絵馬、あっ、来年には兎の絵馬になるわけですね!! 来なければ(*^^*)
神楽殿の左手に大きな池が!?
池の真ん中で兎が水を吐いていますw
境内を満たす御神気はお社や天からだけでなくこの池からも拡がっていますね、いや、木々いっぽん一本からも、まさに八百万の杜といった感じです
おや? こちらは一体、、、どこかハワイっぽい雰囲気もある石像は剣?っぽいものを地についているので素戔嗚尊でしょうか?
池の畔に朱の鳥居とお社といえばね(*^^*)
んな!ん!!と!!! 両部鳥居ぃぃい!!
そしてちょっと不思議な造りの、でも美しいお社は、、、ウカ様!?
完全に池と朱の両部鳥居から弁天様かと思いましたが右側の立て札に 調稲荷神社と書かれております
しかも大きなのは社殿を保護する社で中に美しい本殿が!! こちらは調神社の本殿に使われていたお社だそうです
あまりに美しいので立て札が無ければ神輿かと勘違いするほどに美しい
そして吸い寄せられるような清々しさ
ウカ様のところでいつも感じるような神狐さんのような雰囲気は無く、そりゃ池が真後ろにあるんだから当然ですが、物凄く水の気に囲まれるのです
なんでしょう、優しく渦巻いた水柱の中に立っているような
いやー、、、ここも凄いぞ
左手にも小さなお社があり、そちらには 稲荷神社仮殿 と書かれています
ん? ということはまだ本殿に入られる前で仮殿の中にいらっしゃるということでしょうか
社務所裏にあたるところにこちらの社殿があったのですが工事用のフェンスで囲われていました
額は 本 報 と書かれていますがなんでしょう
さらに境内社がありました
左手は菅原道真公を祀る天神社
右手は金比羅神社、参拝の際に社殿の中が見えたのですがとっても素晴らしかったです
こちら側にも小さな手水舎があるのですが湧き水でしょうか、近づかなくてもずっと水が流れていてこちらも凄く清らかな気が流れております
境内、満遍なく素晴らしい
こう書くのは自分にしては珍しいのですが、ここはまさにパワースポットですね
周りにいろんな気配を感じるんですよ
いや、怖い話じゃなくてw
そもそも私にゃ何も見えませんがね、こう、眷属様方なんでしょうかねぇ、皆凄く楽しそうというか穏やかで心地よさそうな気がそこかしこを動いている、そんな感じがしました
己卯の日、兎の神社、そして来年の干支は卯
私は普段あまりこういった授与品はお受けしない方なのですが、思わず兎を頂戴しました(小ですがw)
さて、ご由緒でございます
社記によると第9代開化天皇乙酉年の創建とのこと
調べてみると、、、開化天皇、、、乙酉、、、お、皇紀505年ですね! って、紀元前156年!Σ(OωO )
チョットヨソウヲオオハバニコエテキマシタ
ですが、一寸の異議も無いほどに凄い氣が流れていましたので納得です
第10代崇神天皇の代に神宮斎主 倭姫命が参向し、ここを神宮に献上する関東の米・調集積所に定めたとされています
調 というのは貢物や税の事ですね
この伝承を裏付ける事として、調神社の正面鳥居が無いのは調を運び入れるのに邪魔だったからと言われています
確かに正面だけ鳥居が無かった!!
一説には、771年に主街道が変更された事に伴い役割を終えた倉に神社を創建したとも推察されているようです
個人的に…ですが、神宮の場所を選定したほどの倭姫命が自ら参向してまでこの場所を選んだのに倉だけで神社を置かないなんてことがあるでしょうか
少なくとも、神宮へお届けするのですから、、、ほら! だから内宮外宮の御祭神が祀られているわけですよ!!
って、後から祀ったとしても神宮にちなんでいるのだから不思議は無いか、、、推察って難しい!
はい、まだまだ長いですよー!
なのでこの辺りでページを そっ と閉じる事をオススメしますw
とにかく、素晴らしい神社ですので参拝される事をオススメします(*^^*)
特に2023年は うさぎ年 ですからね(・×・)b
調神社 は つきじんじゃ と読みますので、ツキという響きからツキを呼び寄せるとして人気があったようですが、ツキは月とも結び付けられ、室町以降には月信仰の地となったり月読神社と間違って記載されることもあったようですが神社自体は否定しています
でもね
私は思うのです
都市伝説系の推察が元ではありますが、神宮には境外ですが月読命も祀られており、天照大神、月読命、素戔嗚尊は姉弟神であります
それこそ推察の域を出ませんが、外宮の豊受大神こそが月読命であるとする方もいらっしゃいますね
というわけで、月と結び付けられたことで兎が神の使いとされるようになったようです
ちなみに月に兎が描かれるようになったのは飛鳥時代からだそうで、餅つきは江戸時代頃からなんですって(*^^*)
あ、、、ここから先はぐだぐだ長いので読まなくて良いです(爆)
そして、説 の域を出ないのですが、もうひとつ特に気になるのが、瀬織津姫
なんと、元の御祭神は瀬織津姫であったというもの
こちらについては、この地はこの池だけでなくもっと大きな湖の岸にあたる土地であり、その水を統べる神として水神、龍神とも言われる瀬織津姫が祀られていたというのです
瀬織津姫に関する説についておもしろおかしく盛り上げるだけの都市伝説として片付ける事は出来ず、中臣祓訓解という神道書には神宮 荒祭宮の御祭神が瀬織津姫であると書かれているそうです
さらに神宮公式由緒書きにはかつて並べ祀られていたと書かれていることがその裏付けと繋がって考えることが出来るようです
勿論、瀬織津姫を推す大祓詞はそもそも中臣が作ったものですから同じ中臣が作成した祓訓解に書かれているのも不思議ではありませんが(^_^;)
瀬織津姫をはじめとする祓戸大神は記紀などの諸記に驚くほど存在しないにも関わらず大祓詞や天皇勅令による創健社の御祭神になっているなど神道推察マニアにとってはこれ以上ない歴史浪漫とも言えるでしょう
で、ですが(仮定ですよ、仮定)
大祓詞が作られたのは600年頃、そして現在の形に整えられたのは700年頃と言われています
そして式年遷宮が開始され正宮に並び祀られていた瀬織津姫が移されたのが690年から
さらに天照坐皇大御神荒御魂を祀る荒祭宮が創建されたのは804年以前
以前というのは、そこではじめて記述に出てきたということなので都合よく考えれば690年頃、もしくはその後に遷座創建されたと考えることも出来るでしょう
諸説では、天照大神は男神であり、女性天皇を高める為に女神とするのに后であった瀬織津姫の存在が邪魔になり、ただ存在を抹消することが出来なかったもしくは反対勢力への妥協として祓戸大神として名を残した、と
そうなると、皇后としての立場を消すのですからほぼ全ての痕跡を消されることになるのですがせめて祓えの神として高く祀る事が出来て後世にも残す事が出来る、それはこれからの世のためである、というロジック
うーん、無い話では無い( ¯−¯ )
空想、小説のような話ですが、今やっている大河ドラマを見ていても分かるように、歴史とは奇なるものです
なんでも繋げりゃいいってもんじゃないぞ! とも思うのですが、それこそ記紀に登場するにも関わらず名前だけでほぼ実態が書かれないというのは確かに瀬織津姫と似ていますね
一部には月読命=素戔嗚尊とする説を唱えてらっしゃる方も居ますし、そもそも具体的な資料の無い推察と言うやつは都合の良い所だけ繋げた話ですから(*^^*)
さて、ここまで書き連ねておいて、、、ですが
由緒からすると倭姫命がこの地を調倉庫と定め、その敷地に神社もしくは祠を祀ったとしたら、さて誰を祀るでしょうと言うことになります
上述の私の予測では、神宮である天照大御神、豊受大神の二柱であり、それこそ神社というよりは遥拝所のような感じだったかもしれません
素戔嗚尊はそれこそ、倉庫としての役割を終えた後に祀られていたりして?
ですが、もし、瀬織津姫が元から水を司る神といて崇められていたとしたら、池(湖)の岸辺に位置する倉庫を守るため、瀬織津姫を祀るのが必然じゃないでしょうか
なーんて言い始めると、天照大神の皇后を祓戸大神とした690年前後と大きく時代がズレるので自論をみずから破壊することになりますw
結局、何が言いたいのか全然わからない空論乱筆になりましたm(*_ _)m
本来であれば、明確に瀬織津姫を祀る神社でもなければこうした話をズラズラと書くことはせず、また別の記事として書くのですが
なぜ、調神社の記事にここまでズラーっと書き連ねたのか、、、それは、このまま書いてしまうべきだ、と思ったからです(ノ∀`)タハー
たまにこうして勢いで書いた時は、書き終えてからごっそりと切り取って別記事にするのですが、今回は何故か、このまま繋げておこうと思ったのです
何故かはわかりませんが、そういう 勘 を大事にしておこうと思いまして(*^^*)
このグダグダをここまでお読みになった方がいらっしゃったとしたら、その方は賛成反対どちらにせよ、瀬織津姫に纏わる説や都市伝説が好きな方、もしくは何かを感じてらっしゃる方でしょう
おつきあい、ありがとうございますm(*_ _)m