どうも、ひのきですm(*_ _)m
大国主神の前に現れた大物主大神が、我を三輪山に祀れば国造りは成就されん、と記されているのが古事記
日本書紀においては大物主大神が大国主神の幸魂、奇魂であると名乗ったと書かれています
年代については諸説あり定かではありませんが、神武天皇即位が紀元前660年、国譲りがそれより前、当然ながら国造りはさらに前となりますので創建はその頃
日本の歴史を語るのに決して外すことの出来ない神奈備です
見たところ参拝者の9割以上が車で来ているようですが、三輪駅で降りた人々の全員が三輪山へ向かうのに私が真逆へ進んだ理由
それがこちら
當國 というのは この国 、つまり 大和国 という意味ですね
住宅地と木々に隠れているのと主要な駐車場がここよりも先にあるのでこちらにはほとんど人は居ませんでした
少し薄くはなりましたが彩雲はまだ健在です
鳥居を潜るとその先に小さな石橋 淵本橋 があります
橋もまた祓い清める意味があるので歩きながら軽くでも構いませんので一礼してから渡ると良いと思います(*^^*)
その正面には、、、なにか拝殿?御堂のようなものがあたとですがちょっと怪しそうなのでスルーしておきます
そちらは後ほど
このまま大鳥居まで回る予定だったので順序が逆になってしまいましたが、一の鳥居からすぐ先に鎮座されているのがこちら、綱越神社
御祭神は祓戸大神
夏越大祓の なごし が転じて つなこし になったのではないかと言われており、御祓さん(おんぱらさん)と呼ばれ親しまれているそうです
なんとこちら、延喜式神明帳にも記載されており859年に従五位下の神階を与えられているというから凄いですね
後から思いましたが、やっぱり大鳥居を見に行ってからおんぱらさんにご挨拶して、一の鳥居を通り三輪山へ向かうのが正解でしたね(´・ω・`)
大晦日ですから年越しの大祓式でしょうか、準備がされていたので奥へ進むのはご遠慮させていただき、手前に用意されていたお賽銭箱からご挨拶させて頂きました
うーん、最高かよ。。。(*ˊ꒳ˋ*)
横はロープが張られていました
大鳥居へ向かおうとしたら横からの参道が普通に空いていたので境内へ
入ったすぐ右手にこちら、磐座
うわぁ。。。
鎮 という言葉が相応しい御神石でございます
こちらが拝殿、玉串などが用意されていますね
そして本殿がこちら
なんと質素な、ですが苔むした屋根がとても素敵です
祓戸大神が大好きな私にとっては彩雲の元、この素晴らしい三輪の地で祓戸四神のお背中を見ながら祓い清められる清浄なる空気を感じていられるとはこの上ない喜びであります
待って、これってほんと、最高過ぎる2022年の締め括りじゃないですか!!(´;ω;`)
(まだ大晦日は始まったばかりです)
大神神社を参拝される方は是非、おんぱらさんで祓い清めて頂いて、一の鳥居からの参道を行かれてください
注:祓所は大神神社境内にもあります
そしてお車の方はこちら、大鳥居!!
っていうか大灯篭もめちゃデカイんですけど
いやー、凄いですね
彩雲は駅を出たところから30分ほどのあいだ出続けてくれ、大鳥居を潜ったところから徐々に薄くなり、そして消えました、ありがとうございました!!
三輪山、いざ、参らん!!
と歩き始めたところで目に入ったのがこちら
どうお感じになられますでしょうか
あ、青白い点は太陽光のレンズ反射ですよ(。-_-。)b
違ったらびっくりするけど←
そうではなくて
私の感想を正直に言います
う さ ん く さ い
大三輪神祠、大三輪崇敬會本部 という札が掛かっています
三柱鳥居だ!! と一瞬はテンションが上がったのですがペンキ塗りのような見た目でなんとなく雰囲気が?
これから神聖なる大神さんへ詣るのにこんな胡散臭いところに寄るわけにはいかぬ!!
と思ったのですが、この敷地が一の鳥居に繋がっている
そして何よりも、左奥のお社にすごく呼ばれる
まぁ狐様が見えててお稲荷さんだと言うことは分かっているからかもしれませんが、でも新興宗教系のお稲荷さんってどうも苦手なのですよ(当たり前っちゃ当たり前)
でもなぜか呼ばれるんだもの、勇気を出して踏み出してみた
三柱鳥居は浅草の三囲神社以来、二度目という珍しさ
お社は二社
左は三輪坐稲荷大神、御祭神は宇迦御魂神、佐田彦神、大宮能賣神、ちょっと分かりづらいのですが恐らく下段に書かれているのは豊受比売、大気津比売、猿田彦、天鈿女などの別称ですね
右は三輪坐 三寳荒神、御祭神は火産霊神、奥津比古神、奥津比売神で別称は火産霊神の 迦具土神 だけ書かれています
大三輪さんへ向かう人、車がたくさん見えるのにこちらはひと組いらっしゃっただけで他には誰も来ない
ですが、お社前に立ってみると胡散臭さが全て吹き飛びます
申し訳無いことに三寳荒神社の方からは特に何も感じないのですが、お稲荷さんの方はしっかりとお稲荷さんでしてストンと心が落ち着きます
ここで思い込みが間違っているのではないかと気付く
数少ないですがこれまでの経験からすると、所謂、新興宗教団体さん(どうしても悪きが思い浮かんでしまいますが善きもあるはずですよ)や固有宗教法人さんが祀られるお稲荷さんは祀られ方が通常と変わらなくても何故か神道とはちょっと違う雰囲気を感じるのです
実はこの感覚は伏見の稲荷山においてもあるのです
新興宗教というわけではないでしょうが(混ざっているかもしれませんけど)、稲荷山は個人や団体が祀ったお稲荷さんが集まりに集まっているわけですからあれだけ沢山祀られていても雰囲気が全く違うお稲荷さんも所々にいらっしゃるのです
なんなら、ちょっと脇へ行けば菩薩さんや寺仏系が祀られていたりも普通にしますからなんとなくの感覚っていうのは少しくらいはわかるつもりになっております
勿論、神仏習合によるお稲荷さん、荼枳尼天様のお稲荷さんもまた雰囲気が違います
その つもり 程度の感覚ではありますが、やっぱりこちらは違和感が無い
怪しい方向性の新興宗教施設なんかだと、見た目は凄く普通に祀られているのにどうも張り紙だったり説明文なんかで諸説という域を超えた独特な思想感が入っていたりもしますしね
この二社の右隣、こちらが主殿のようです
一の鳥居を潜り淵本橋を渡ったその正面にあり、最初から怪しい施設があると警戒したのがこちらでした
大神教本院
ダイシンキョウ と私は読みました
新興宗教だと思い込んでしまった理由となるこの最初の間違いにここで気付きます
おおみわ神社です
だいしんきょう、、、おおみわ教、、、大神教!!!
つまり、三輪大神を信奉する地域宗教的な存在だろう、この時はそう考えました
警戒心がかなり解けました(若干は残りましたが)
実はこちら、正規団体です(言い方が難しい)
記事を書くにあたり調べてみると政治に翻弄された大神神社の現実がありました
明治5年、政府方針とされた神道国民教化策に則り、官幣大社大神神社小教院 大神教会 を正式に設立し神道普及業務を中心的に行うようになります
それまでの神社は意外と質素な活動をされていたようで、ここで現代に繋がる神社活動が始まり、それはそれは大いに賑わったようです
しかし僅か8年足らずで政府は真逆の政策 社教分離 を指示、つまり折角賑わっていたところに祭り神楽祈祷神札御守などの全ての宗教活動を禁止します
もう無茶苦茶ですね。。。
そこで当時の禰宜を中心とした有志数名が神社を退職して小教院を存続させる道を選ぶ、これにより分離されたという体裁を保ち廃絶を免れたばかりか小教院は更なる崇敬者を獲得することとなった
そりゃそうだ、神社本体が何も出来なくされていますので大神神社を崇敬する民衆はそのまま大神教小教院を盛り立てます、だって表向きは無関係になっても実質は大神神社そのものですからね
知る人ぞ知る、大神神社は上之宮、大神教小教院は下之宮とされているそうで併せ参拝すると良いそうです
だーかーらーかーっ! 一の鳥居からの参道真正面に鎮座されていたんですね!!
いやー、もっとちゃんとご挨拶するべきだったな(>_<)
お稲荷様のお陰で(と思っている)誤解が解けたとはいえ若干の不安はあったので本院の方は中までは入らず外から礼とご挨拶だけにさせて頂いたのです
訝しんで素通りしてしまわなくて良かった(*^^*)
さて、この先はとても沢山の屋台が並び(年明けからが本番なのか半分くらいしか営業していませんでしたが)、神社へ向かう人がかなり多く賑わっていました
踏切を渡って少しの所、脇に鎮座されていたお社
そして近づいてくる木々と二の鳥居に胸が高まります
つづく