どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら!!
お稲荷さんを出て出会った日向神社の参拝を終えたところ
さて、、、ここからぐるーっと回って行かなければ、とマップを見ていてふと思いました、ここさえショートカット出来たら直ぐに着くのになぁ
。。。ショートカット?
いやいや、敷地で埋まってるし道なんて無いし、それにいつも物凄い私道みたいなところまで最短距離出してくるGoogleマップさんが回れって言ってるんだからなぁ
でも気になった、、、ということは?
降り始めた坂をわざわざ戻って覗き込む
。。。もしかしてこれ、、、行けるんじゃ?
平等寺というお寺がありまして、その門から先へ行けそうな道が見えたのです
果たして! 進んでみると竹林美しきちゃんとした道!!
The 山!! というこのスプーンカーブを曲がりながら確信しました、地図に無き道、これは絶対に行ける!!
抜けられた!! これで大分距離稼ぎになりました(*^^*)
たかが10分されど10分、この時間短縮がちょっと良いことに繋がる事になるのであった
ナイス勘♪
っていうか看板の磯、、、なんちゃら、、、宮跡? なんだ?
あぁ、これか!! 磯城瑞籬宮跡
しきのみずがきのみや っていうのかー、、、崇神天皇?
あれ? ここって神社じゃ、、、
この参道はきっと脇ですよね、でも入ります
やっぱり神社でした
そして磯城瑞籬宮跡でもありました
なんとこちら、三輪山の麓に都を移した崇神天皇が住まわれた場所、つまり皇居だった可能性が高い場所だというのです!!
社名は志貴御懸坐神社 しきのみあがたにますじんじゃ
そう、漢字が意味するところは全く分からなかったのですがこの社名を地図でひと目見た時から、ここは行かなければ、と感じていたのです
730年には既に祭神料という記録があることからそれ以前には神社もしくは神祠として祀られていたと考えられ、最古としては皇居が別の場所へと移った時に残された御祭神、またはその聖蹟に祀られたとも考えられるでしょう
御祭神は大己貴命、三輪山に大物主大神が祀られている事が関係しているでしょうか
凄く神聖感はあるのですが逆に静謐すぎるといいますが、とにかく静かです
境内社は二社、立て札の位置が左に寄りすぎている感じですが右手が市杵島姫命を祀る厳島神社、左手のお社はわかりませんでした
他の方のお写真を拝見すると鈴尾も無い状態だったようなのですが年末年始だったからか新たに整備されたのでしょうか
こちらから御本殿が見えます
そして拝殿右手側
磐座!! そう、磐座の存在だけは知っていたのです
四体の磐座が直列で並ぶのは珍しいんだそうです
とてもじゃないけどそんなこと出来ませんが、神聖な磐座にも関わらず触れようと思えば触れられる祀られ方なのが凄いですね
正直に言うと、こちらの磐座からは特に何も感じることは出来ませんでした
元々そういった能力があるわけでも感度が特に高いわけでもないお前が言うな、って感じですがw
それよりもなにか気になったこちらの方向
と言っても何も見えませんが(´・ω・`)
こちらからも本殿が見えます
いやー、素晴らしい御神域でした
特に何があった、というわけではないのですが居心地がすこぶる良い!!
なんでしょう、住宅地の中にあって子供たちの遊び場にもなっている静かな古い神社、というくらいに居心地が良いのです
。。。温かく見守られている的な?
全く意図せずでしたが、三輪山参拝の締めがこちらだったというのも何かの御縁でしょうか
ここまでの参拝で色々考えてきたことの最後の答えがこちらでいただけたような気がします
勿論、参拝時は何も調べず何もわかっていないのでこうして記事を書いていて繋がっていったのですが
駅の方から真っ直ぐこちらへ来られる方はこちらから
途中に看板もあり
こちらは二の鳥居
ちょっと離れた手前に一の鳥居があります
もしこちらを最初に参拝してから大神神社へ行かれる場合は道を戻らずともそのまま進めばお寺の脇を通って大神神社の境内(横からですが)へと進めますのでご参考に(*^^*)b
ただ、その場合は祓所や手水舎を通ることなく横からいきなり拝殿前になってしまいますのでその辺りを気にされるならば一旦戻るか最後に参拝されると良いと思います
いやーーー、凄かった!! 三輪山、凄すぎた!!
基本、古社であろうが大社であろうが全ては相性こそが全てだと思っていますので凄いと言われる神社に行けば必ず素晴らしい体験が出来るわけではないと考えています
ですが、さすがの大神神社でした
空気感も凄い、どこに行っても凄い、そして学ぶべきところが溢れに溢れていて凄かった!!
これほどまでに蛇、龍神 というキーワードが中心になるとは思っていなかったなー、さすが古代から蛇信仰の地とされてきた聖地ですね
三輪駅へ戻り、、、あぁ、この後を考えると飯を食う店も無いしそんな時間も残ってない、でも流石に腹がて、、、と思ったその時
救世主が居た!!
大晦日だというのに コロッケ という幟が見えたんですw
どちらにしましょうか?(*^^*)
ーどちら?!とは?
普通のコロッケと三輪そうめんが衣のコロッケですよ
ー三輪そうめん!?
迷わず三輪そうめんコロッケにしましたw
揚げたてサクサク中ホックホク、ソースなんて要らないやつで五臓六腑に染み渡るぅぅ( ^ω^ )
そう、あのショートカットにより10分の余裕が出来た事で落ち着いて三輪コロッケを食べることが出来たのですから(*^^*)
未明から出かけて名古屋へ戻っての夕食までの間で口にした固形物はこの三輪コロッケのみ!! このお陰で後の参拝に力が出ました! (・ω・)ノ
また、この事が強い縁となり、後に私は遺跡活用の用途で桜井市へふるさと納税をすることになり、極上の三年物 古代三輪そうめん を食べると共に三輪そうめんの歴史を学ぶことになるのである
827年、大田田根子の子孫が飢饉と疫病に苦しむ民を救うよう大神神社に祈願したところ神託を得て作った保存食が三輪そうめんの起源となったそうで、以降各地へと拡がり日本の伝統食となりました
素麺、、、実は子供の頃からあまり好きではなくて、ほぼ味が無くてただ啜るだけで美味しいといえば出汁の効いた麺つゆの味じゃないか、って思っていたのです
あれ? 素麺って美味しいぞ? っていうか普通のは普通wだけど高いやつってしっかり美味しいじゃないか!! と思うようになったのはここ1~2年のこと
大人になりましたねぇ(*´ω`*)
というわけでこちら!!
なんと素麺を三年も熟成させた 大古(おおひね) というのがあったのです!! 通常商品は既に売り切れということでふるさと納税にて注文したのですが、これが想像を軽く超えてきた!!
細い!! そして美しい!!
細~い1束でもなかなかの量があります
なんといっても凄いのがその コシ!! こんなに細いのに冷麺と言っても良いくらいの強いコシがあり、そして喉越しが素晴らしい、さらに優しい小麦の香り
しかもこちら、こんなに細いのにざるの上にしばらくあっても乾燥しないし逆にのびてしまうこともない
突然の宣伝ですがホンモノの素麺がそれだけ凄かったので載せずにはいられませんでしたw 是非(*^^*)b
あとがき
事前調べを極力しないようにしていますので記事を書く時に色々調べて様々な事実を後から知る、そして参拝時に感じた事の意味を考えるというのが私のルーティンですが、まさかこれ程になるとは思いもしませんでした
間違いなく、過去最大級です(この三輪山での記事を書くのにめちゃめちゃ時間掛かりましたw)
こうして色々調べてみると、抑、崇神天皇が三輪山の麓に遷都したところから始まっていたのでしょう
過去に類を見ないどころかその先の時代にも無い程の猛威を奮う疫病により人口は半分にまで減少
まず、ザッと調べると出てくる中で大勢を占めていた方向性の意見をまとめた側に立って書いてみます
天孫降臨以降ずっと宮中で祀られてきた大切な神様を畏れるようになった崇神天皇はあろう事か自分が出ていくのではなく二柱の神を宮中から追い出すという暴挙に、荒ぶる神を恐れる崇神天皇の混乱が伺えます
それでも収まる事は無く混乱を極める中、大物主が現れ 祟を起こしておるのはワシじゃ! ワシを三諸山に祀れ! と言われ急ぎ祀らせますが失敗、親族を祭主としろ!!と再び託宣を受け大田田根子を探し出して祀らせたことで漸く疫病は収まり、そこから豊作続きとなるなど状況が一気に回復しました
ちなみに天照大御神と共に宮中を出た倭大國魂神ですが、遷そうとした淳名城入媛命は長岡岬へ向かうも身体が徐々に痩せ細ってしまい祀ることが出来なかったそうで、後に複数の人物が同じ神託を授かった通りに同族を祭主として祀らせ、漸く鎮まったとされます(現 大和神社)
おぉ、祟りとはオソロシや
私も調べながら最初こそ、おー大変だなーと思ったのですがすぐにおかしいと思い始めました
詳細な時系列はわかりませんが、同じような事を繰り返していませんか...?
なんとなく、氏族を大切にせねばどういう事になるかというのを知らしめる話になっているようにも思えてしまいます
つまりは、、、たった今まで好き勝手書いてきた事、それこそが後の人による思惑通りなんじゃないかと思いました
実際の崇神天皇はなんとかして疫病を収めようと手と尽くされ、宮中の大神達をもっとしっかりとお祀りすることで事態を収めようと尽力されたのでしょう
その後も神社制度を整備したり民衆を大切にした政治により素晴らしい天皇として書かれているものもありますのでとても信心深く、どうも怨霊に苦しめられたただの祟られ天皇だというようには思えないのです
実際、ちょっと過去の自分の記事を調べてみると 崇神天皇の代に創建された という素晴らしい神社が複数ありました、しかも関東にもです
だからこそ、その皇居跡がこうして神社として大切に守られ続けているのではないでしょうか(皇居跡というのは推定ですが)
また、大物主が祀られし三諸山の麓に遷都したから怒りを買って呪われたのだという説を唱えた物もいるでしょうが、ここで三輪そうめんとの出会いが役に立ちます
そもそも古来から薬、医学というのはさほど発達しておらず薬といっても漢方の類が中心なわけですし満足に食事もとれておらず免疫が低下しているとウイルス系には全く適わず、死者が増えれば増えるほど不衛生な時代ですからとんでもなく疫病が蔓延していくことになるのは時代の常識
実際、"大物主を子孫に祀らせる事で無事に収めることが出来た"はずの祟り即ち疫病は恐らくその後も幾度と発生したでしょうし、300年ほど後には三輪そうめんの起源を生み出すほどの飢饉疫病が発生しています
勿論、その時も過去に則り大神神社に祈願し事態の収集を図るわけですが、当時としては困った時は神頼みが常識なんです
つまり、崇神天皇は 祟られた神 ではなく、大変な疫病を抑えその後の発展をもたらした 崇めるべき神 だと思います
現代においても賢人の素晴らしい話より怨霊だ祟りだという話の方が話も盛り上がるとして語り継がれた可能性もありますよね
そうそう、こちらの志貴御縣坐神社の御祭神ですが、饒速日命だという説もあるようです
この地域は物部氏が治める志貴県であり志貴連の祖神が饒速日だというのです
また出てきた、饒速日命!!
この辺りから大物主=饒速日説なども来ていたのかもしれませんし、実際にその通りである可能性も無くはないという...
あ゙~~~っ、歴史って難しい!!
でも
楽しぃ!!!!!
勉強が、特に訳の分からない年表と単語だけ覚えさせられてたあの頃の自分に教えてあげたい
歴史って何かのキッカケからちゃんと道理を考えて繋げていったら物凄く面白いんだぞ!! って(´・ω・`)
超勉強嫌いなお前が、おっさんになった頃になって一生懸命調べまくってたりするんだぞ!! って(*´ 艸`)