どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、率川神社です
三輪から奈良駅へと移動!!
奈良で動けるのは残り僅か二時間、、、本来ならば急ぎ最終参拝地へと向かわなければしっかり回れないのは確実なのですが、どうしても気になった、つまり呼ばれていると感じていた神社が二社あったのです
そのひとつがこちらでした
奈良駅から歩いていくとこちら側へ辿り着きました、明らかに裏参道なのですが注連柱に出会えたのは嬉しい(*^^*)
自分のルート取りのせいなのかGoogleマップの陰謀(大袈裟)なのか、神社参拝の8割型が裏参道に導かれますのでもはやルーティンです
おーーー!! いきなりの素敵な御神木
境内にはとても穏やかで、でも僅かに ピシッ とした圧もあるような、、、
おや、井戸と壁?
と思ったらそう言われればそう見えなくも無い蛙石と、、、大神神社の遥拝所?!
え、なぜここに?
裏から入ったので目の前が拝殿だったのですが地元の方でしょう、参拝されている方がいらっしゃったので先に境内散策~
磐座のように注連縄の巻かれた岩
おっ、賑やかな境内社があります!!
こちら、大物主大神の御子神であり恵比寿様としてお祀りされており、780年頃に藤原是公が創祀したとされている奈良市最古の恵比寿社だそうです
右手は春日社
勿論、春日大社の御祭神である武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神が祀られています
初えびすに向けた正月飾りもあってか、静かなんですがとっても賑やかな気分になりますね(*^^*)
春日様、住吉様のお力もあってとても元気な境内です
ふと目がいきました、、、社殿、、、凄くありませんか
よし、人も居なくなってしっかりご挨拶出来そうだ
今思うと、そのタイミングが来るのを待っていたというか、待つようにされていたのかな、とも思います
拝殿前へ
。。。待って
凄い氣を感じる、、、周りは凄く穏やかなのに、拝殿前で御本殿が見える位置に経つともの凄い御神威がっ
これはダメだ、ちゃんと調べよう
下調べの際には御祭神名が長すぎて覚えれておらず、つまりは申し訳ないけれど存じ上げない御祭神名だったのです
由緒は知らずとも御祭神名くらいちゃんと調べろってことですよね(当然)、ただこの時までは例えば国造といったその土地の神様だろうお思い込んでいたので参拝後に調べようと思っていたのです
本殿は春日造三棟並列となっており、中央には大物主大神の御子である媛蹈鞴五十鈴媛命、左に父神である狭井大神 つまり大物主大神、そして右に母神の玉櫛姫命が祀られていました
親神が子を守る形で鎮座されているんですね!! しかも大物主大神ですからそれは温かみと御神威が並び立っていたわけです
しっかりと、しっかりとご挨拶させて頂きました
ほんと、ビシッとした素晴らしい氣を頂けました
境内社などを除き、皇后が主祭神として祀られる神社は大変珍しく、皇后神として有名な神功皇后でさえ主祭神とされている神社は極わずかです
参拝時に調べたのは御祭神だけでしたが由緒を見てみるとあれだけの氣を感じた理由がわかりました
創建は593年、推古天皇の勅命により大三輪君白堤という方が創建した古社で正式名称は率川坐大神御子神社だそうで、701年の大宝令で疫病除けが国家祭祀とされていたという現 大神神社の摂社です
大三輪君白堤を調べてみたものの情報が少なすぎでよくわからなかったのですがこれまでの事を考えると、恐らく大三輪君白堤は御子孫でいらっしゃるのではないでしょうか、そしてやはり疫病避けです
何故大物主大神ではなく媛蹈鞴五十鈴媛命が主祭神として祀られたのか
彦火火出見には既に妃 吾比良比売 とその子が居たのですが、即位するにあたり相応しい正后を迎えることになり媛蹈鞴五十鈴媛命が妻に、そして初代天皇 神武天皇 の誕生と共に初代皇后となりました
神武天皇の死後、吾比良比売の子は自分が皇位を継ぐべく媛蹈鞴五十鈴媛命の嫡子達を暗殺しようと試みますがそれを察して子達に先手を打たせ、そこで活躍した上沼河耳命を二代天皇 綏靖天皇 に即位させ、自身は皇太后となりました
子を守った子守明神として崇敬されていたことから、疫病の被害より民を守ってもらいたいという推古天皇の想いが伝わってきます
いやー、凄い神社だった、、、と退出しようと正面へ行くと、両部鳥居(*´ω`*)
表が両部鳥居、裏は注連柱、素敵(*´ω`*)
率川神社、とてもとても素晴らしい神社でした!!
先日少し書いた気もしますが、実は当初、この一日で何処を参拝するか考えている時のこと、何気なく 奈良って余り行っていないなと考え真っ先に思いついたのが橿原神宮でした
穴八幡宮の神武天皇遥拝所でのあの感覚が忘れられなかったのです
全くそのつもりでルートを考え始めたのにも関わらず、何故か、橿原神宮ではなくすぐに大神神社を参拝することに変わりました
最初に思い浮かびそして決めたはずの橿原神宮をすぐに撤回して大神神社を選んだ理由は何なのか
日本最古の神社? いえ、それは理由ではありません
自分でも何が理由だったのか本当にわからないのです
そしてもうひとつ
この後、もう一社参拝して春日大社へ向かう予定だったのですが、時間的にギリギリ過ぎる、むしろ足りないと分かっていながら何故、御祭神や由緒をわかっていない率川神社を優先したのかも全くわかりません
当初の予定通りに橿原神宮を参拝していたら、媛蹈鞴五十鈴媛命の事は 初代天皇の皇后様 というだけで特に何も思わないままに参拝し、そしてその記事を書くために調べる時も神武天皇や創建理由などを調べはしても皇后様の事までは深く調べないで終わっている可能性が高いと考えます
知るも知らぬも、何事にも意味がある
神社巡りによって超絶前向きになった私には、橿原神宮に来るのは時期尚早である、しっかりと知った上で来た方が私お前の為になる、ということではないかと感じました
実を言うと、大神神社が余りに素晴らしすぎて奈良市三社の参拝予定を全て取りやめて久延彦神社、大直禰子神社など行ける限り三輪近辺の神社を優先してしまおうとも考えたのですが、どうにも率川神社と次に参拝する神社には行かなければ、という考えが捨てられなかったのです
どちらも、どういう神社かも分からなかったのに、です
まっ、こうして繋げないとそれまでの謎が謎のままになってしまう、このひとつの答えだけがそれまでの謎を全て繋げてくれる、っていうだけのことなんですけどね(*^^*)
こんな尤もらしい事を言っておきながら、きっと気づいてから良いだけで本来はもっとご挨拶しておかなければならない所もあるのでしょうけれど
私のキャパシティを考えてくれているのだろう、この後にある別の出会いにも繋がっているのだろう、という都合の良い考えでまとめますw
これだから、心赴くままの神社巡りはやめられないんですよね~( ・∇・)アハ