くらくらするほどに暑い日が続いています
暑さのあまり全身汗だくにはなりますが、突然滝のように汗が噴き出したり逆にピタリと汗が止まったりするとそれはもう熱中症の入口ですから直ぐに水分補給と動脈の冷却を始めましょう
どうも、ひのきですm(*_ _)m
どうでも良い話をただ繰り広げる徒然回でございます( *・ω・)ノ
6月末は夏越の大祓でしたね、みなさんも参拝されたでしょうか
私は直近の巡拝において何ヶ所かで茅の輪を潜っていました
でも前夜、無性に参拝したいと思ったのですが当日は仕事、時間を調整してみると一社くらい寄れそうだ(*´ω`*)
真っ先に思いついたのは氏神様だったのですが出先で行けそうなところで二社の候補を挙げ、一社に絞り、氏神様は下半期一番でご挨拶しよう
そして当日、参拝に向かうと茅の輪が無い...まぁご挨拶出来ればそれでいいか(^^) と思ったのですがどうもあまり気持ち良いとはいえない参拝になってしまいました
おかしいな...急に思いついたから参拝したのだけど呼ばれていなかったようだ...思いついたもう一社の方へご挨拶するべきだったか
そして夜まで仕事をした帰り、もうあと10分で帰宅というところでこの日のうちに氏神様へご挨拶に行こう、という考えが浮かぶ
え、今から? 時計を見ると日付が変わるまでに参拝を済ませられそうだけど明日行こうと思っているのに今なのか? いや、でもきっと行くべきなんだろう
というわけで一旦自宅に荷物を置いてから氏神様へ向かう
うちの氏神様は拝殿の提灯も点灯していて稀に日没後や真夜中にも関わらずご挨拶に行くべきだと感じた時は遠慮なく参拝します
勿論周りは住宅地なので鈴緒は鳴らさず拍手もごく小さくするのは必須のマナーですがどんな時間であっても必要があってご挨拶に来る人にはとても優しく包み込んでくださる氏神様です
歩いていくにつれて風が強くなっていき神社へ到着すると轟々と風が鳴っている、そうか、翌日は曇り時々雨予報だから気圧が変わり始めたんだなぁ
あれ?茅の輪が無い?! 近くのポスターを見ると今期は他の予定により既に撤去されていた、ガーン( ゚д゚) っていうほどでもなく、それこそご挨拶が出来ればそれで良いか、と(*´ω`*)
境内社からご挨拶して一社目で既に凄く気持ちが良い、風音、葉音、時々鳥の声、シンとした心地よい
そして二社目、神前に立ち礼をするとひと際大きな風音が響き、女神様の優しい御手が頭にそっと置かれる
えっ?と思ったら大きな枝葉が真上からの強風に押され、当たるとかではなくそーっと頭まで下がりまさに撫でる強さでサワサワっとしてまた上がっていく
その優しさに顔も胸も綻び、思わず笑ってしまった
ふふ、とても嬉しいけれど風強いもんね(*´ω`*)
そしてご挨拶を...あれ? 未だ風は轟々と鳴り高い木々が揺れているけれど低いところはほとんど揺れていない、その後もしばらく眺めていたし帰りも見ていたけれどさっきほどではないにしろ枝が降りてくることはない
もしかして、、、ほんとに...?!
数日後の朝に撮影した頭上がこちら
左下に写っているのが石社で中央の青々としているのが私の頭を撫でた枝葉、暗かったので紅葉かと思っていたけれど桜でした
うーん、2mよりも高く私が手を伸ばしても届かないこの枝葉があの時だけゆっくりと降りてきて私の頭に?!
茅の輪は無かったけれどとても優しく夏越の祓をしていただいた帰途、神社から離れていくにつれ風が弱まり5分も歩けば気持ち強いかな?というほど普通になってしまった
ちなみに氏神様が高台ということはなく周囲は私の家を含め結構な範囲で平坦、神社自体も周りの住宅と同じベースで建てられているのでそこだけが強風だったとは通常では考えづらい
あっ...そうだ、そもそも折角の夏越の大祓だからと最初にご挨拶しようと思ったのは氏神様だったのに仕事の都合もあるからと出先で行きやすい神社を選んだのは私だった
本来なら早起きして仕事前にご挨拶するべきだったんだろう、その選択肢を誤ったけれどきっと行くべき理由があったからこそ日付が変わる直前に呼んでくださったんだなぁ
そう、私は昔から無意識に何かをするとなかなか悪くない結果になるのに何かを意図して無意識から外れた事をすると裏目に出る事が多かった
あ、こうしよう! と浮かんだ通りにしておけば良いものを、でもきっとこうした方が喜ぶ、逆に、いやそれはきっと困らせてしまうかもしれない、なんて頭で考えるとダメなんですよね
かと思えば、あ、こうしよう! でもやっぱり、、、いや、思った通りにするべきだ!! って失敗する時もあるわけで、何が正解やねんw っていう結局は結果論なんでしょうけどね...
踏み出すべきだ、後込んだまま失敗するより踏み込んで失敗した方がいいじゃないか!! とも思うのですがその影響が自分だけで完結するかしないかっていうところが問題ですよね(´・ω・`)
さて、今日は七夕ですね、七夕といえば織姫彦星ですが元の七夕はったく異なる行事で後に説話が結びついて今のようになったと言われています
起源は中国とされていますがロサンゼルスやブラジルには日本から広まったようでTanabataとして親しまれているそうです
またヨーロッパでは七夕という風習は無いながらもベガとアルタイルが仲良し夫婦が星となり離れ離れになってしまったので星を集めて橋を作ったという伝説があるそうです、天の川は川ではなく橋という解釈なんですねー!
そう、七夕と結びつけているのは基本的にアジア圏だけですが琴座のベガとわし座のアルタイルを夫婦恋人に見立てるというのは世界的なお話
こちら、ちゃんとした器材ではないのでブラウザや環境によって真っ暗に見えてしまうかもしれませんが、私が撮影した夏の大三角形です( *・ω・)ノ▽
私の周りでも 七夕と言えば織姫彦星!! で終わってしまう方が多いのですが...私が推したいのは三角形の一角、はくちょう座のデネブです!
街中だとこと座やわし座は分かりづらいですがはくちょう座はわかりますよね!! 彼はふたりを分ける天の川の中を飛んでいます
もう天の川の中を飛んでいる白鳥というだけで私的には激推しなのですが都内であってもしっかりとはくちょうの形が見えるのも大きな魅力(*´ω`*)
七夕伝説は時代や地域によって違うこともあるので割愛しますが、年に一度だけ織姫と彦星が会えるよう天の川に橋を架けてくれるのがカササギ、ちょうど川の真ん中を飛び羽が橋のようになるはくちょう座がその役を担うようになったんですね
さて、私のブログは一応神社ブログですので神道に照らし合わせてみましょう(。-_-。)b
古来日本にも織姫がいらっしゃいます
まずは天服織女(稚日女命)、天照大神の神御衣を織っていたところへスサノオが...で命を落としてしまった女神です
続いて織姫として祀られることがあるのが栲幡千千姫、高皇産霊神の娘(孫)または思兼命の妹とされ天忍穂耳尊との間に天火明命と瓊瓊杵尊を産んだとされる女神で栲幡というのが繊維を織るということから織姫とされることがあるようです
七夕伝説自体が大陸のものなので日本では機織りの女神だけが織姫として祀られており、それ以外に織姫彦星として祀られている神社があるとすればそれは七夕伝承の伝来以降にあやかって祀られたのでしょう
ちなみに鹿島神宮にはスサノオとクシナダヒメを祀る熱田社という境内社があるのですが昔は七夕社と呼ばれ御祭神はスサノオとアマテラスだったというのです
牛頭天王ともされたスサノオが七夕の牽牛と結びついたのは用意に想像出来ますが織姫がなぜアマテラスだったのか
鹿島神宮の記事でも書きましたが、これはおそらく天安河を挟んで神産みをした事から七夕に結びつけられたのではないかと勝手に推測しておりまして、スサノオが悪さをした時に機織りをしていたのはアマテラス本人だともされているので織姫彦星として納得がいきます
ではなぜその後に変更されたのか、、、まぁ天孫族を主とする中で出雲族と併せ祀られる(誓約の真実が伝えられる)事に問題があったのかもしれませんし、(一応)姉弟で夫婦いうのが相応しくない的なものかもしれません(それはさすがに近代的過ぎるか)
というわけでちゃんと夫婦神にしましょうぞとクシナダヒメに変更されたのではないかと思うのですが、はて、やっぱり何故熱田なのかがわからないぞ?
私は名古屋生まれなので熱田と言われれば熱田神宮しか思いつかない、で、調べてみました
そういえば熱田神宮はヤマトタケルが遺した草薙剣が祀られる場所であり、、、なんと!? 知らなかった!? 熱田神宮の西にヤマトタケルが白鳥となって舞い降りたとされる白鳥古墳があるんですね?!
舞い降りた地とされているだけでヤマトタケルの墓という説もあるようですが白鳥が降り立った地ということでそれほど有名ではないのか...え、待って、川向うは白鳥庭園があって幼い頃のデザイン博でよく行った場所で子供ながらになんで白鳥なんだろうと思っていたのですがそういうことだったのか!!
説としては熱田神宮の古伝らしいのですが名古屋としても白鳥古墳がヤマトタケルの墓であるというのはさすがに、、、ということであまり推されていないのかもしれません、もしくは他候補地と戦えるほどの発見が無いからか
白鳥古墳は尾張氏有力者の墓である可能性が高いとされているようで宮内庁はヤマトタケル陵墓を三重県亀山の能褒野古墳だとしています
はて、織姫彦星に白鳥というところまで繋がったけれど白鳥だとしてももっと相応しい有名な地が他にもあるのになぜ熱田の名が使われたのか、まさか本当に白鳥古墳がヤマトタケルの陵墓だというのか
熱田という名前の由来も日本書紀に出る吾湯市(あゆち)だといいうのですが説明がそれだけだとちょっと うーん... と思わざるをえない、だって昭和区には阿由知通りと字も由来も違えど同じ読みがあったりするのに あつた まで離れた読みと文字になるだろうか...お湯だから熱いとは繋がりそうではありますけどねぇ
と思ったら気になる情報が、熱田の旗屋という地名の由来は雄略天皇の時代に呉国より二人の織女が来て一人が熱田神宮に奉られた事が起こりで熱田でも最も古い地名だという
機織と熱田が繋がった...けれど雄略天皇は450年頃で呉は280年に滅亡しているので170年もの開きがある、これはまぁ当時としての誤差の範疇とも言えるかもしれない
とりあえず熱田の名の由来は不明なままですが一応 機織 というキーワードは繋がったものの 機織 に関する事象は各地にもあるでしょうからなぜその中でも熱田だったのか、熱田であっても名古屋の熱田とはまた別の意味でつけられているのか
うーん、謎が深い...
七夕社から熱田社へ変わり御祭神も変更されていることがわかっているならばその由来なども残してくれよぅ、と思いつつやっぱり敢えて隠されているのかもしれないなぁ...と
はい、というわけで流石徒然回、当初思った内容とは大分変わりましたが七夕というテーマからは外れなかっただけヨシw