どうも、ひのきですm(*_ _)m
こちら、ルート策定当初から物凄く名前に惹かれていまして一社だけちょっと距離があるのですがどうしても参拝したいと思っていたのです
さぁ、まずは鬼怒盾岩大吊橋を渡ります!!
こちらは人気コースになっているようで今までの閑散とした(私的にはとても有難い)雰囲気とは違って20~30人ほどがいらっしゃる!!
もう二度目とあって揺れに合わせて歩くのに慣れていて、あれですね、電車の連結部を歩く感じに似てますね(*´ω`*)タノシイ
こちらが下流方向、ちょっと雲が出てきましたがとっても良い眺めですね
こちらが上流方向、あそこに見えるのが盾岩ですね
こちらもなかなかの高さですね
あっ、ここにも鬼怒太がいたっ!!
なかなか人が多いのにほとんどの方が戻って行かれます、吊り橋だけが目的だったようですが私はこの先が目的地です
いきなりの階段を登っていくと、、、なかなかの高さまでありました
ここからは少し舗装路を歩いていきます
緩やかな坂を登っていくとトンネルが見えてきました
斜面側にはこんな感じで綺麗に整備されているけれど台風や大雨だと土石流が怖い場所が点々と
川側も木々が茂っていて水音が聞こえてくるのが心地好い
豪快に岩をくり抜いたトンネルですね
うわ、暗い...
これ、実はノンフラッシュながらPixelさんが補正してくれちゃったので明るく撮れたもの
肉眼ではまさにこれです...w 画面を最高輝度にして漸く一部に岩肌が見えるかどうか、勿論肉眼では漆黒です(マジかw)
Pixelのお陰でとりあえず真っ直ぐなのはわかったのでそのまま歩いてみます
え? スマホライト使えばいいじゃないかって? そりゃぁちょっと無粋ってもんでしょう(*´ω`*)←ナンデヤ
トンネルは少し進むと右へカーブしていて出口が見えました
...あれ? 水、、、溜まり...なんかあったっけ? 地面が蛍光のようにところどころ光っていますが...まぁ木々の光を反射しているからでしょう、多分
でも雨は降ってないし水溜まりが出来るほど地面も湿っていなかった気がするんだけども...?
もっと大変かと思ったのですが意外と近かった(*´ω`*)
何故なのかは全くわかりませんでしたがこちらは社名だけの時点で絶対に外したくない神社だったのです
旅の直前に御祭神だけは調べておこうと翌日参拝する神社を調べてちょっと驚き、その流れで初日巡拝する神社の御祭神も調べました
(髙尾神社は気付いていなかったので調べていませんでしたが)
こちらの御祭神は田心姫命、大己貴命、そしてなんと味耜高彦根命が祀られている!! さらに軻遇突智命です
まーさーかーのーっ!?
旅前日にそれを知った時の驚愕たるや...(苦笑)
では...ご挨拶!!
ふーーーっ... ほんと、こうしてまたご挨拶出来るとは有難いことです、心から感謝
では、、、展望台、登りませう!!!
ひぃ、ひぃ、足が、太ももが、でも一気に登らねばこれは心が折れる!! と一気に登る
はーーーっ、はーーーっ、はーーーっ!!
そっか、ここが盾岩の上なんだ!!
木々で川は見えないけれど街が一望出来る、凄く気持ちが良い!
降りながら岩をよく見ると結構亀裂があっていつか割れてしまいそうな雰囲気がありました、にしても凄い岩だ
そういえば少しゆっくりしていたのですが私が居る間に来ていたのは9名ほど、老夫婦さんを除くと全てが女性?!
それはこれか!! 鳴らせなくなっていたけれど縁結びの鐘
そしてここにも居た! 鬼怒太!!w
縁結び子宝安産、なるほど(*´ω`*)
いやー...ほんと、気持ち良いなぁ...(*´ω`*)
さて、こちらの勧請元とされる森友瀧尾神社はさすがにこれからは行けませんが調べてみました
767年、田心姫が日光へ勧請された際に森友で休息された地は腰掛の地として大切にされたそうで1252年に祠が祀られ現在の森友瀧尾神社になったそうです
?!
記事は順を追って書いているので二日目に参拝した二荒山神社の記事は書いておらず何も調べていないのですがちょっとこうなると先行して少しだけ調べねばなるまい( 'ω')
二荒山神社は767年の創建とされているので確かに日光への勧請に立ち寄ったとされる年数と一致する、ただ当初は山岳信仰であり二荒山大神とされる三柱が人格神とされたのは12世紀頃だとも書かれている
???
そして式内社でもある二荒山神社にはもひとつ、宇都宮に論社があるようで現在も結論は出ていません
個人的な解釈をすれば、男体山女峰山は古く二荒山(ふたあらさん・ふたらさん)と呼ばれ古来山岳信仰の場であったと思われる、そこへ767年に新たな形で開山され二荒を にっこう と呼び周辺地が日光となったのが日光社、ただしその開祖とされるなぜ御祭神が大国主と妻子の三神となったのかはよくわからない
対する宇都宮社はさらに古く350年頃の創建とされ御祭神は地域を治めた下毛野君の祖 豊鍬入彦であることから由緒としての流れはこちらの方が分かりが良いのですが二荒山からは遠く無関係に思えますが古く宇都宮には二峰を持つ小高い荒山があったとされており社名はそこに準ずるという説もあるようです
となれば偶然にも?別の理由から二荒山という部分が被っただけで全く関係の無い二社ということになり、関東から新潟に掛けて多く祀られる二荒系神社は御祭神により祖神か山岳信仰かで(中には混同される場合もあるでしょう)それぞれ広がったのでしょう
延喜式の時代はどちらかというと山岳信仰最盛期というほどでもなさそうな気がする(個人的見解)ので式内社は古くから国造祖神を祀った宇都宮社だったのかもしれないと感じます
ただ、それはそれ、これはこれ、創建よりも古く霊山として信仰されてきた男体山を中心に栄えた山岳信仰の場である日光社は日光社でとても深い由緒です
と、少しどころではなく踏み込んでしまいましたがとりあえずこの辺りで( *・ω・)ノ
まぁつまり、767年にどこからか勧請されたのか、、、あれ? ちょっと待てよ?
そもそも二荒山は男体山に大国主、女峰山に田心姫、太郎山に味耜高彦根であってなぜ盾岩鬼怒姫神社では姫が主祭神となっているのだろう、、、まぁ普通に考えれば川沿いなので、ということになるのでしょうが
田心姫を主祭神に祀る主な神社として検索すると県内の小山市に806年再建(つまり創建はそれより古い)の式内社 網戸神社 が出てきました、ビンゴ! 網戸神社から日光へ向かうまさにその道中が森友瀧尾神社です!!
では大国主はどちらから、、、便利なマップ検索で見るとこ甘より先の茨城県桜川市に720年頃創建とされる大國魂神社がありました、いやマップで済ませるなよという気もしますがw 延長上にある古社ともなれば可能性はありますよね
そもそも、どこにも書かれていませんので私の勝手な推測ですが日光三山山体崩壊を起こし中禅寺湖を作り今なお豊富な湯量の温泉を産み出すほどの活火山であり、最後の噴火は7000年前と古いながらも古代祭祀の場であったことを考えれば山を鎮める水の女神が主として選ばれていても不思議はない
直近での噴火はなく水の豊富な日光においては宗像三女神っでもある女神こそが相応しいが三山の御祭神とするのであれば夫神と御子神、ということになったのではないだろうか(何の根拠もないただの妄想です)
妄想を置いて現実的に考えれば、千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音が廃仏毀釈により三神へ置き換えられたということになりますが、仏像が運ばれる途中で留まった地を聖地としてお堂(神社)が建てられるというのはあるのでしょうか、そして三柱は廃仏毀釈より古くその名で祀られているように思えるのですが果たしてそこまで徹底して綺麗に記録を変えたのだろうか
特別な地でもあった日光にはしっかりとお寺も残されていることからそこまで徹底して隠したとはちょっと考えづらいですね
おぉ、、、めちゃめちゃ考察(という名の妄想)してしまった
思いがけずタキリビメとアジスキタカヒコネという私が勝手に考察に燃えたふた柱と再会出来たということがついつい再燃させてしまいました(´>∀<`)ゝ
っていうか、なんかほんと、全く意図せずにここ最近ずっと山岳信仰系に偏り過ぎてますねん!!
さて、続きましてはこの後の鬼怒川紀行をひと記事挟んでから日光篇へと入ります!!