どうも、ひのきですm(*_ _)m
続きまして瀧尾高徳水神社を目指します
ボコボコとした石の道、すぐ右手が舗装路なのでどう考えてもそちらの方が歩き安い、しかも雨が降っているので滑ったら結構痛そう、、、ですが、この道を歩かなければならない、という謎の使命を勝手に受け取りました
それはやはり、使命だったようです
遠目に見え始めたところから目が釘付けでした、確かにこの岩は大きい、けれど周りには他にも大きな岩があちらこちらにあるのですがこの岩からは何故か目が離せない
そして近付くにつれて 触れたい という一心に変わりました
確かに私は岩が好きで立派な岩があれば触れたくなりますが、岩なら良い、大きければ触れたい、そういうわけではなく特に惹かれるかどうかです
この岩はなぜか、触れなければならない、そう感じました
それも、何故かはわからないけれど、遠くからずっとこの部分が凄くクローズアップされていたのです
そっと手を置くとなんと落ち着くことか、スーッと何かが入り込んでくるとも抜けていくとも、あぁ、なんて落ち着くんだ
でもなんでこんなに、しかもこんな大きな岩の中でこの部分に引き寄せられたんだろう、そして手を置くとこんなにも溶け込んでいくような落ち着きを感じるんだろう
岩陰になっていて気付かなかった、ふと脇を見ると立て札がありました、、、なになに、手掛石、、、手掛け?! だから手を置きたくなったっていうのか?! まさかっ Σ(゚д゚;)
しかも、、、昔、瀧尾神社の女神 田心姫命が手を掛けたと伝えられると書かれている、、、はっ?!Σ(゚д゚;)
ちょっと待って、いきなり情報量多い...
えっ、待って、もしかしてその手を触れられたのがこの部分だったとかだったら...ひぇぇ(⊙д⊙)
でも、、、御魂であらせられる御祭神が手を掛けられたとはどういうことか?!
考えられるとしたらよっつ(結構あるな)
まず、瀧尾神社へ御分霊を運んでいた際、なんらかの理由により神輿が傾きこの巨石が支えた、的な感じが比喩的に伝えられた、または女神が顕現され石に手を触れられている姿を見た人がそれを伝えた
もしくは、、、森友にも留まりこの地まで来たのは御神体ではなく御魂の依代となられていた巫女だった?! 神憑りされている状態にあっては身体は巫女でも御神霊である田心姫命そのものであるということかもしれない
そしてもうひとつ
タキリビメはアマテラスの誓約で産まれスサノオの子とされた三女神の長女でオオクニヌシとの間にアヂスキタカヒコネとシタテルヒメを産んだとされている女神です
そう、そんな女神そのものが日光へやって来てこの巨石に手を掛けていたとはちょっと考えづらい、ただし、このタキリビメという名が祭祀王としての職位名であったとしたら
この伝承がいつのことかはわかりませんが、日光(もしくは下毛野国などもっと大きな単位)の祭祀を司っていた巫女をタキリビメという職位名で呼んだ可能性も無きにしも非ず、といった感じでしょうか
いやー...これはさすがにビックリしました
帰りにもじっくりと石を全体的に観察してみたのですが
やっぱり強く惹かれるのはこの部分なんだよなぁ...
あ、あれ? 左手の手形が薄ら浮かび上がっているような??? あっ、自分が手を置いたからか(*´ 艸`)ナンダヨw
ん? 確かにさっき軽く手を置いたのは左手だし角度的にも来た時に置いた角度だけど、、、おいらの手の大きさより小さい...?!
いやいや、まさかね、さすがに思い込みでしょう(*≧▽≦)
ちなみに北野神社を参拝した後にこの石に手を掛け祈願すると字が上達するという信仰があると書かれています
まさに北野神社の帰りだ、、、と、ちょっと待てよ?! 普通に考えると北野神社の先にあるから帰りという表現なんて使わず、北野神社を参拝してからこちらまで来て、という感じになるはず
てことは出発点が瀧尾神社方向という事なのだろうか
でも参拝が主でこちらが追加なので経路として行き過ぎる方向だとしても 帰り ということになるんだろうか
なんてどうでも良い事を考えつつこの素晴らしい道を歩く、木々は雨に濡れて色濃く輝き美しく、元々雨が嫌いというわけではなく靴と足を濡らし傘で手が埋まるのが嫌なだけなので雨が染みずグリップの効く歩きやすい靴に軽装なのでむしろ楽しい
ひとつだけ残念なのは形まばらで足元の悪い石が濡れているのでコケないように視線が下がってしまうこと、でもこれはきっと晴れていても足元を見ながらじゃないと躓くだろうからきっと一緒だろう
しばらく行くと名馬の碑がありました、関ヶ原合戦で家康公が騎乗し家康公が亡くなった後も東照宮の神馬として主君に仕え続けた名馬 立黒 を称える碑だそうです
え、長くない?! と調べてみると馬の平均寿命は20~30年ほどで40年生きたらかなり長生きなのだとか、戦国の世にあってそれだけ生き続けたというのは凄いですね
っていうか、、、ここまで参拝時は必ず傘を脇に置いてご挨拶してきたのですが、ヤマビル注意の紙がっ!! :(´◦ω◦`):
ヤマビルは樹上からも落ちてきて首などに食いつくという、しかもこの日は雨なのでより落ちてきやすい気がする、、、というわけでこの後屋根のある場所以外では絶対に傘を手放さないようにしましたw
凄いですよね、雨も手伝って鬱蒼感が増しつつも凄く神聖さに溢れていてこの時の私ときたら、自分でも驚くほどにルンルンして(おまぃおっさんやぞ)一歩一歩石を飛び渡るように楽しく歩いていました
折角の旅先でふられる雨の森をこんなに楽しそうに、いや、実際に心から楽しんで歩く日が来ようとは
ほんと、日程逆にしてたらこれほど雨を楽しめなかったでしょう
どこを見ても凄い、美しい、本当に神の世界へ入ていただいているんじゃないだろうか、と真剣に思うほど
わっ、滝だ、木の根元にはお不動様の坐像がいらっしゃる
ここは天狗沢と呼ばれているんですね、弘法大師が修業されたという白糸の滝
これは美しい、まさに白糸
あれ?瀧尾神社の社号が出てきたけど水神社は...と見渡したら舗装路の向こうに見つけました
こちらが滝尾高徳水神社、清らかな氣に満ちていますがもはやお社だけでなくここまでの道、川、山、全てから神聖さが溢れています
お社前には珍しい、亀さんと蛙さんがいらっしゃいます
このような素晴らしい日にご挨拶させて頂ける事に心から感謝
御祭神は罔象女神、奈良県吉野の丹生川上神社より勧請されたそうで天照大神の姉君であると書かれています
...えっ?!Σ(゚д゚;)
調べてみるとミツハノメは古事記においてホトを火傷し伏せる中でイザナミの尿から生まれたと書かれている、日本書紀においてもやはり別の説として小便から生まれたと書かれている
一方、アマテラスはイザナギの禊で左目から産まれているのでそれぞれ単身で産み出された神なので次々に生まれた神々の中で先に生まれているという意味での姉神ということなのだろうか、それとも...
ミツハノメはセオリツヒメと同神、つまりアマテラスであるという説もあるほど謎多き女神です
ちなみにこちら、なんと1977年に時の栃木県知事が私財を投じて水の鎮魂を願い高徳の鬼怒川沿いに創建したが県道拡張に伴って1998年に当地へ遷座されたと書かれている
なんと思いもよらぬほど新しい神社でした、そしてそんな近い時代に知事が資材を投じて神社を建てていたというのも意外でした
それでは...いざ、瀧尾神社へ!!