どうも、ひのきですm(*_ _)m
先に言っておきます、その存在を知ったのは巡拝ルートを決めようとマップを見た時で由緒も御祭神も知らぬうちから何故か必ず参拝しなければならないと感じていたのが二荒山神社でした
そして大きな勘違いをしでかしておりまして、てっきり男体山山頂の奥宮、そして中宮祠がありこちらは参拝しやすいさらに手前のお社だと思っておりました
境内もまともに知らず、直前に知った御祭神と霊泉があるということ以外何も分からないままに来た、そういう状態参拝記事になります
なんと凄い参道...というか、薄らと記憶にあった杉の道はここだったのか!! 前の記事にも書きましたが23年前にもこちらを参拝していたようですが東照宮と同じく、慣れない外国語会話に夢中で三猿すら覚えていないのにこの参道は覚えていたんですね(この先はやっぱり覚えていない)
なんと大きな切り株か、何かが棲まれていても何の不思議もない、ただでさえ東照宮の氣も凄く良いのにこの参道からさらに変わっていきます
二荒山神社の山門が見えてきました
由緒板がありました、これがまた珍しいことに全部読んだのですが幸いなことに?こちらには782年に奥宮が創建されたことなど簡単な部分のみでした
凄く年季を感じる社号標ですね
おぉ、凄く素敵な大黒様がいらっしゃる! そうだ、男体山は大黒様もある大己貴命だ
麻掛け大黒様の腕に掛けられた麻は鹿沼産だそうです、そう、大麻取締法のせいで(いや、薬はダメ、絶対!)古来より大切にされてきた神具でもある麻の生産が限られてしまって良質の純粋な麻はなかなか手に入らず高価なんですよね
おや、こちらには良縁うさぎ、そうですね、オオクニヌシと言えばウサギですものね(*´ω`*)
なんとこっちはロップイヤー(笑)
さらに恵比寿様とマス!! 良縁に恵まれマス、よくなりマス
言葉遊びかよ!!w と簡単に思うのは大違いで古来より日本では言葉(音)に魂が宿る言霊が大切にされて来ました、こうした考え方こそが小さな島国をこれほど豊かな国に発展させてきた原動力ですね(*´ω`*)
いや、意外なほど参道が賑やかですね
それでは、いざ、境内へ
感じる雰囲気とは違って意外とPOPな感じなのだろうか、と思ったのですが鳥居を潜るとさらに氣が強くなりました、まさに御神域という重厚感
パッと開けた広い境内ですが物凄く氣のドームで覆い尽くされたかのような緊張感があります、な、なんだこれは
ぐん、と伸びる木に惹かれました、見ると夫婦円満と書かれていま(この時は気付きませんでした、新 と書かれているので先代は枯れてしまったのでしょうか)
そして金色に輝く良い縁うさぎと凄く立派な拝殿!!
何故か惹かれに惹かれた二荒山神社の御祭神にまさかの田心姫様と味耜高彦根様がいらっしゃった、それを知ってからさらに参拝を心待ちにしていた、真っ先にご挨拶、、、するべきにも関わらず私は謎の行動を取ります
向かい側に惹き寄せられ親子杉
の脇の子社が呼んでいる、見ると子安神社、勿論御祭神は木花咲耶姫命、さらに味耜高彦根命と久久能智命が祀られています
ぐぅぅ、ちょっと唸りました、まさかここでも咲耶様にご挨拶出来るとは
立派な神楽殿ですね
それではご挨拶、、、すると思うじゃないですか、なんと私は入苑料を支払ってその先の御神苑へと進んだんです
待ちに待った御祭神様への御挨拶もせずに庭へ行くだと?!
今考えても謎です、迷うことなくその先に霊泉以外何があるかも知らないままに一寸の迷いもなく進んでいきました
私はいつも主殿が先か境内社が先かを全く決めておらず、どのような規模の神社であってもその時に呼ばれる方へ先にご挨拶するようにしているのですがさすがに神苑(庭園)を優先したのは初めてです
おぉ、なんと味のある大黒様だと思ったらチェーンソーアート!
幸運招き桜!!
一番手前に鎮座されていたのが日枝神社
日枝さんと言えば猿!! 病魔を捨てサル!!
うむ、徹底して縁運と結びつけてくださる神社のようだ
こう書くと誤解を招くかもしれませんが、こうした縁起担ぎを大量に置かれている神社というのは勿論多くの人を幸せにしようとしつつもなんとかして現代の人々にも参拝していただこうという努力が見えるのですが、これほど素晴らしい場所にあってこんなにも縁起を担がれる神社はあまり無いように思えます
この先も御縁モノに溢れてはいるのですが不思議なことにそれを俗に感じることが無い、これは本当にそれぞれに御神威が宿られているのか、それとも御神職様方のお気持ちが溢れに溢れてらっしゃるのか
そして少し奥まった隅のような場所には高野槙、樹齢千年で弘法大師が手植えになられたと伝わっているそうです
そしてここに来て、なぜあれほど素晴らしい拝殿なのに素通りして神苑へと吸い寄せられたのかが一瞬で理解出来ました
神様に一番近い参拝所、の立札があるように本殿に一番近付けるのがこの場所なんですね!!
何も知らないままにお導きいただけるのはまぁまぁあることですがここまで見事な事はそうそうない、有難みに震えつつ心を込めて感謝、ご挨拶させて頂きました
暫し感慨に耽りつつ、、、あれ? 東照宮からすぐ参拝出来るように奥宮、中宮祠から分霊されたのが日光二荒山神社(とこの時は思い込んでいる)なはずなのにこんなに凄いの?! としたらこの後に行く中宮祠ではどうなっちゃうの?!
驚くことに神苑は決して庭園なわけではなく境内社が多く祀られている、いわば日光二荒山神社の本体でありそういう意味ではあの素晴らしい拝殿は境外からご挨拶出来る場所的な感じと言っても過言では無いでしょう
こちらは境内一の巨木杉
いやー...美しい、黒が映える装飾はそれ自体がとても美しいのに主張していない、東照宮の絢爛さとは対局の美しさですね
こちらは縁結びの神様と子授け安産の石
そしてこちらが大国殿
巨大な丸石は350年前に奉納されたもの、そして…お菓子の神様?
田道間守は垂仁天皇の命を受け不老不死の実 非時香菓 を求めて常世の国へ、苦労してなんとか見つけ持ち帰るも10年もの時が過ぎており既に崩御されており悲しみの余りに後を負いました
大切に育てられた非時香菓は多くの実をならせ、甘く香ばしかったことからお菓子が作られるようになった、だからお菓子の神様なんですね!! ちなみにその非時香菓は柑橘の 橘 だった、と伝えられているそうです
ちなみに社殿横には運試し輪投げがあり、以前はお菓子ルーレットwがあったそうです
殿内に入ると あれ?うさぎだけでなくねずみ?と思ったら火事からの逃げ道を導いてくれたのがねずみだったんですね(*´ω`*)
そして太郎丸と号される大太刀!! いやぁ...見事、久々に真剣を拝見しました
発見時は錆に覆われていたそうですが磨くとほぼ当時の状態と思われるほどに輝き、焼入れされていないものは珍しいんだそうです
朋友神社は少名彦名命を祀ります
こちらにも福カエルがたーくさん
なんて愛嬌に溢れた顔をしているんだ(*´ 艸`)
そしてこちらが神苑の奥
銭洗いの金龍
弁財天が祀られる石碑
そして二荒霊泉の説明が、恒霊山の薬師霊水と瀧尾の酒の泉が引かれているそうです
鳥居を潜り霊泉へ
何かを感じる...と周りを眺めていると...( ゚д゚)ハッ! めちゃめちゃ背景に同化されているお不動様がいらっしゃいました!! お水を頂く前にご挨拶出来て良かった
お水を頂きました(*´ω`*) 300円で1Lの専用容器がいただけますが持参容器の場合は20Lまで1,000円の初穂料が必要です
こチラのお水、どことなく甘味を感じるような気がするほどに円やかでとっても美味しいです(*´ω`*) 確かに旅後ずっと若返ったかのように力が漲っているのは霊泉の力かも?!
そして はー・・・ と全身でこの素晴らしい氣を感じているとすいすいと袖を惹かれるように吸い込まれたのがこちらの磐座
確かに素敵な石ですがなぜこんなに惹かれるのか、見ているだけで凄い優しさを感じるのか、立札を見るとお社も覆屋もありませんが若子神社と書いてある、はて、御祭神は...えっ!! Σ(゚д゚;)
下光姫命...シタテルヒメノミコトォォォオオ!!
調べてみると、田母沢川を登っていったところに鎮座される二荒山神社の摂社で元は寂光寺、瀧尾神社を開いた後に滝修行を行っていた弘法大師が女神のお告げを受け祠を建てたのが始まりで人物分離により寂光→若子(じゃっこ)として下光姫命が御祭神とされたんですね
全体的に元々山を御神体とした霊場であり開山された後に神仏分離で神道の神々が充てられたという形になっているのでそういう意味では純粋な御祭神ではありません、、、が、どうもやっぱり、知らずとも何かを感じる引っ張られるのがここまえ御縁の強かった神と重なるというのは偶然や思い込みだと片付けるにはなかなか難しい、こういうところが本当に不思議です
さらに奥がありました、ここからが神苑という感じでしょうか、あまりのボリュームにここまでも何度か記事を分けようかと思ったのですが最後まで続けちゃいますw
こちらは日光連山遥拝所、日光の霊山が再現されています
三山が有名ですが他にもこれだけの山々があるんですね
さぁ、気付かれましたでしょうか、正面から右から左から眺めていたのに私はこの写真を撮るまで全く気付きませんでした
なんならこの写真ですらプレデターのように同化しています、なんと男体山の頂上に刀が立っています!!
実際に男体山頂上には1880年に奉納されたという長さ4.5m、重さ100kgの刀身が聳え立っているそうです(物凄く登りたいと思うも登山のド初心者には厳しそうです...)
おや、斜面の上に何か見える...
ふと見れば神狐が置かれている
お、あっちには泉があるのかな?と思ったら防護ネットではなく良縁ハート投げの場所でした
陶器を投げる系のやつね! と思ったら木板を当てるんだそうです、そりゃそうか、ハートの陶器を投げて割ったら思いっきりハートブレイクだ(と苦笑しつつセルフツッコミ)
ここからさらに良い縁の杜、いや、ほんと、凄いボリューム
毘沙門天と弁財天
希望の壷
日光連山の全ての力が集まるのが恒霊山だそうです、なるほど、しつこいようですが、これだけ様々な縁起モノが大量に置かれているのになぜか私のような性格の持ち主が全く禍々しさを感じることなく気持ちよく歩けているのか、その答えをいただけたような気がします
寿老人、後ろには何故なのかわからない視力検査
突然流木が展示されていますが、この手前の一本にとても魅力を感じました
布袋尊、大黒様は大槌を鼓のように担いでいるのがなんか良い
恋人杉、下から見えていたのはここだったのね
恵比寿神、右手の石が凄く気になる、と思ったら
なにくそ石、すごいネーミングですがなんかこう、凄く、響く
七福神の最後に出会えたのは福禄寿
と...おぉ!!! これまた太い杉、そして本殿が見えてこちらにも入口があったんですね
なんと、お背中どころか畏れ多くも上からご挨拶が出来る
いやー見事、美しい、雨も相まってずっと眺めていられます
雨って残念っちゃぁ残念ですけど雨の日にしか見られない雰囲気ってありますよね、さらに山の中って雨の方がより濃密にいろいろ感じられる、ほんと雨の日に来て良かった
境内一の巨杉の裏側に当たります、鹿屋野比売神が祀られ四葉のクローバー...!?
ほんとだーーー!! 探す事もなくあっちにもこっちにも四葉!
もう一度境内を見渡すと大黒殿や霊泉の奥もありました
弥生祭において瀧尾神社からやって来た田心姫が大国主と味耜高彦根と出会う場所なんですね!!
それはつまり、こちらにも祀られてはいますが田心姫の御本体は瀧尾神社にいらっしゃるということになります、それは恐らく巫女神として神(山)に近い所にいらっしゃるということなのかもしれません
でも、なぜオオクニヌシ系なのに高天原なのだろう、という部分は後述にしまして、こちらの巨大な切り株には高千穂神社から樹齢800年の御神木からの挿し木がされています
いやー、、、凄いなぁ、、、切り株への挿し木でこれほどまでに青々と育つんですね、数百年後には元の切り株くらい大きく…
拝殿前へと戻ってきました、いやーこんなに素晴らしい拝殿なのに思いっきり素通りしたのはビックリでしたが、神苑へ入ってみるとその理由もハッキリしましたね
ありがとうございました!!!
この写真、何気に気に入っていますw うさぎさんの眼がめちゃくちゃ可愛いし雨粒がキュートさを際立たせている(*´ω`*)
正面から退出します、こうして見ると拝殿前には人がいらっしゃいますが東照宮からこちらへいらっしゃる方はかなり少なく、神苑まで入られる方はさらに少ない、うーん非常に勿体ない、、、ただそういう私も事前に調べて開運ポイントだらけなどの情報を見てしまっていたら入っていなかったかもしれません(それでも本殿前参拝や霊泉があるので入っているかもしれませんけどw)
石段の途中にも御神木、杉から楢が生えているということで 好きなら一緒に という願いを叶えてくださるそうです(*´ω`*)
というわけで、こちらが正面参道でございました!!
鳥居の脇には大きな大黒様と巨大な小槌
そして脇には瀧尾神社へと続く道がありました
あれ、他に道なんてあったっけ...
いやー...凄かったな、、4時半に起きて雨がジャンジャン降っている中をこれだけ元気に歩き回っていて全く疲れていないという不思議
さぁ、十分長いのに何故か途中で切る気にならず続けますw
正面参道から真っ直ぐ大通りへ出たら西へ暫く行ったところ、青龍神社です
弘法大師の弟子が仏法守護として京都醍醐の青龍神を勧請し、後に大海津見命が御祭神とされたようで東照宮・二荒山神社の例大祭前には祈晴祭が執り行われるそうです
...あっ!! そう、醍醐の青龍、つまり清瀧大権現!!
そして見た目の通り、物凄い御神域感でまさに龍神様が棲まわれていらっしゃる洞穴のような雰囲気なのは見た目だけでなく肌に強く感じます
もうこの辺りは民家やお店があるのにも関わらずちょっと進むだけで全くの異界、二の鳥居から先はさらに
ぐっと濃密になっていきます
こちらが境内、、、うわっ!!!
私が石段を登り始めたところから鳥の声が響きはじめ、それは私がゆっくりと参拝する間もずっと続き、主殿へのご挨拶を終えてその声の主を一生懸命探しているとふと目を逸らした瞬間に飛んでく気配があり声が止んだのですが
どれだけ目を凝らしてもわからなかったのに写ってた!! めちゃめちゃ近くに居た!!! いやー声も近かったのでめっちゃ見てた辺りなのに背景に紛れてわからなかったのかな...
善女龍王が祀られているという情報もありますが、なんともシンとしてそれでいて重力のあるしっかりとした重みがありまさに龍が眠る場所といった雰囲気、さらに間近でずっと唄う鳥が御神域感を増していました
こちらは晴れを願う場所ということですが水を司る権現様、こうして雨の中で恐らく最高最上の巡拝が出来たことはまさに清龍様の御加護、心から感謝を伝えると共に雨の音と鳥の声に暫し心身を委ねました
この上で唄っていてくれたんだなぁ、こちらには石祠が並びます、朱鳥居のお社はお稲荷様なのだろうか、赤い御幣が供えられています
赤い御幣といえば三宝荒神など火の神様というイメージもありますが魔除の御力が宿るという意味合いの方が大きいのでそれだけで御祭神を推測する事は出来ません
いやー...バスに乗る前にちょっと寄る程度の小さな神社だと思っていましたが、如何に上手く巡拝するかで四苦八苦している時にも絶対外そうとしなかったのはこういうことだったんだな、と勝手に納得
ほんと、今回の巡拝は何から何までに後から意味がしっかりと付いてきて凄い
と、いうわけでこの後はバスで移動します!!
後述
もうね、過去最長なんじゃないかってくらいに長い記事ですがさらに後述まで書いていきますw
もう長過ぎて何を後述するのかわからなくなっていますが(をぃ)、上と重複していたらすみませんm(*_ _)m
まず、ほんと、由緒も御祭神も知らないくせに絶対行かなければならないと思っていたのが瀧尾神社、二荒山神社(この後の中宮祠を含む)、青龍神社でした
御祭神に田心姫と味耜高彦根だったことで驚愕、ただし日光に繋がりがあるようには思えずなんとなく予想はしていましたがやはり神仏分離による配神でございました
にも関わらず、どちらでも凄い氣を感じまして、これまで参拝した同様の神社においては御祭神を変更していてもやはり寺感や山岳信仰感を感じてきたにも関わらず瀧尾二荒山両社においてはそれどころではない感覚を受けました
つまり、これまで自信を持ってきた稲荷神様の感覚や呼ばれていると感じてきた神様との繋がりは結局のところ都合よく解釈していただけなのかということになるのですが( ̄▽ ̄;)
それでもやっぱり、特に惹き寄せられた場所の御祭神が咲耶様であったり下照姫であったりとやはり繋がりがあったりすると思い込みや偶然とも思いにくい
いずれにしても恒霊山に連山の霊力が集まるというのはとても信じる事が出来るくらい不思議な感覚や出来事が集中しました
旅後も凄く調子が良いのはどこだれということではなく、この場所全体に凄い力があるのではないでしょうか
そして瀧尾神社、いや、盾岩鬼怒姫神社からずっと気になっていたこと、神仏分離で御祭神を充てたとは思えぬ祀り方から考えるともしかしたら本当に開山もしくはその前から田心姫が祀られていたのかもしれない
参拝時、私の中では大好きで御縁を強く感じる御祭神ではありますが元は権現信仰の場であるという認識で参拝していたにも関わらずこれまで重ねた経験をも超えてきた事に説明をつけるとしたらそれしかないのです
勿論、私の勝手な曲解と誤解、そして都合の良い繋げ方であるだけだという可能性の方が大きいのですがw
さて、忘れそうになりましたがなぜ男体山に大国主を配しその家系で占めているのに高天原なのか
いろいろなサイトでは天津神が降臨される場所としてその名が付けられていると書かれています
ここは色々と解釈の別れるところではありますが、私の中では天津神は天上神や降臨された天孫族であり大国主系は国津神であると認識しています
勿論継承者ではなく追放もされたスサノオも高天原に関わりがあるとも言えますし、その子である大国主も天津神…と言えなくもないのですが、恐らく大国主を神として祀るのにその場所に高天原という名を選ばれる方はかなり少ないのではないでしょうか
別の解釈をされている方はそうとして、よく分からないという方は一度 天津神国津神 で検索してみてください、当社の境内に祀られる神の中で天津神に分類されているのは恐らく少名彦名命だけだと思います
ではいったいどういうことなのか
都市伝説的に考えれば、天海僧正による何かしらの意図がある、隠された本当の神がいる、などという事にもなりそうですが感じる感じないと散々スピリチュアル的な事を言っておきながら現実的な私としてみれば
いつの段階から高天原と呼ばれているのかわかりませんが、権現信仰者においてはそれほど神道への造詣が深いわけではなく広義に解釈してそうなったのではないか、ということになる
でもちょっと待ってください! 弥生祭の起源を調べると1200年の歴史があると書かれています
祭り自体は神社だけでなく寺でも行われていますのでその頃から神輿を使った今と同じ神社形態だったのかそうでないのかによって大きく変わってしまいますが、変化していないのであればやはり開山かそれ以前より中心的に田心姫が祀られていたことになる
あれ、となるとますます都市伝説方面になってしまう、田心姫が祭祀を行っていた神、つまり本来は天津神が存在したのかもしれない?!
信じるか信じないかは...