どうも、ひのきですm(*_ _)m
此度の巡拝は暑さと体力を考慮して滝尾神社と二荒山神社、餃子を食べて元気だったら大神神社という三社に絞っていたのですが特に大神神社についてはほぼ何も調べておらずきっとサラッと参拝して終わるだろうと思っていたので二荒さんでかなり満足した私はもうそのまま帰っちゃってもいいかなぁなんて思っていました、気温も上がってきたし極度の睡眠不足だったし
心満たされたお昼に美味しい宇都宮餃子でビールをくぃーっとやって帰りの電車は涼しく寝ながら...なんて贅沢の極みでしょ!
でも何故か私は、次の神社はお酒を入れて行くべきではない、と頼まなかったのだ...あれ? 飲む気だった優勝確定ビールを辞めたってことは行く気なんだ? っていうか暑さと移動である程度抜けるはずのビールさえ抜いていくほどしっかり参拝すべきい場所なんだ? と自分でも驚きました、だってその時点ではまだ何も調べていなかったのですから
というわけでやって来ました、野州大塚駅!! なんと可愛らしいメルヘンな駅名標だ!! おぉ、そうか、いちご研究所があるんですね~
列車を降りたのは自分を含めて僅か三名、乗った人はゼロ、周りに広がる田んぼと凄く長閑な風景、高い建物は学校くらいで思いっきり広く見える空が気持ち良く、そして一番暑い時間帯に入って影も無く照りつける太陽
稲を揺らして来る風の匂いと林からの蝉の声、表通りではないから車も来なくて自然の音しか聞こえない、、、気持ちいーーーっ!! ...Demo-Me-cha-ku-cha-A-tsu-i!
徒歩20分弱、とナビに出ていたけれど早くも社号標と鳥居が見えてきた、あの鳥居まででも15分くらいだろうか
端の石碑には馬大神と彫られている、あまり見ないタイプですが馬頭観音を祀る石碑なのでしょうか
杜が近くなり蝉の声が響きます、そうか、こんなに田んぼがあったのに静かなのは余りに暑くてカエルさんも鳴いてないんだなぁ
参道前まで来ても最上級の長閑さと燦々と照る太陽にのんびりした気持ち(暑さにちょっとグダりかけてましたが)だったのですが鳥居前に立つと明らかに御神域の氣が違う事に気付く
瞬時に、あぁ飲む予定だったビールを直感で辞めたのはやっぱりそういうことだったのか、と悟り、これからの参拝に全神経を集中させられるよう整えます
朱灯篭が並ぶ参道を一歩一歩進んでいく、並ぶ木々の中でもこの一本はなぜか凄く存在感があって気になる
参道を進むと水は流れていませんが石橋がありました
振り返ると美しき参道、橋もまた鳥居と同じく御神域を分ける場所ですので一礼して境内へ入ります
おや、おやおや、、、あ、境内図を発見、どうやらこちらは西参道だったようで東参道と表参道がありますね、ナビは参道前を通過して東参道へ導いていたようだ
少し様子を伺っただけでもここは表参道から入り直すべきであると感じまして、はい、こちらが表参道でございます
長い参道はここで漸く中間点
ここからが凄かった、正面に回る時は右側の道路を歩いて行ったので分かりませんでしたが苔草落ち葉に覆われたこの参道はまともに歩けません
見えないでしょう? 見えないでしょう? 実はいっぱい写っているのですが...一歩進む事に何かが動き回る、その正体は大量のケロたんズ!! 周りが田んぼだらけで境内にも池っがるので物凄い量の子カエル達がそこかしこに居るのです
しかもなんか違うものも動いた!! と思ったら笹と完全に同化して見えたバッタもあちこちに居る!!
カエルもバッタも好きだから良いけれどほんと、ゆっくり一歩一歩進まないと踏んでしまいます、この先の境内もケロたんパラダイスなのでご注意を(。-_-。)b
こちらは水が流れている南側の橋、勿論ケロたんズいっぱい
思わず道祖神?!と感じた脇の巨石はなんとなく目と口があってにっこり笑っているように見える、全然違うのですが千と千尋の神隠しに出てきた石像のようです
橋を渡り境内に入ると左右にお社、左門神社は盤内戸神、右門神社は豊盤間戸神が祀られています
盤内戸神はクシイワマドのことでしょうか、左右は正面ではなく主殿から見ての並びになっています
そして正面へ回るため一旦境内を抜けて行く時も後ろから見て目が話せなかった素晴らしい木は御神木でした
御神木に指定されたのは最近のことのようですが境内全体の氣を安定させているかのようにスポット的な氣の流れがある(ような気がします)
この美しい根元から空に伸びる先までが素晴らしい氣に満ちています(ケロたんズも凄い数がw)
手を触れるのは畏れ多い、暫し見上げ御神氣を感じさせていただきました
こちらも凄い、幹周りは日本最大といわれる広葉杉は右が四本に別れながら真っ直ぐに伸びています
中国では広葉杉を杉としていて日本の杉は柳杉と呼んでいるそうですが学術的にはヒノキ科だそうです
こちらは神楽殿、こうして杜を背景に周りから独立していると凄く雰囲気があってここで神楽を見てみたいな、と思いました
それではご挨拶!!
真っ直ぐ主殿へ、と思ったのですが先にご挨拶すべきと感じた右手に祀られるお社
こちらは、、、神宮!! 天照大御神、木花咲耶姫命、天之忍穂耳命、瓊瓊杵命、彦火火出見命、大山祇命、そして周辺で祀られていた神々が合祀されているそうです
こちら...この時は細かな説明までは読んでいませんでしたが、皇祖神の系譜の後に「大物主は国つ神であり天孫降臨以前からもともと地上に土着していた神である」と書かれていますね、これについては後述にしましょう
それでは...大物主様にご挨拶!!
これがまた不思議な事に、参拝からさほど日を置かずに書いているのですが参拝中の記憶が綺麗にぽっかりと抜けているのです
いや、確かに素晴らしい拝殿に向かい心から御挨拶と一般的な短い神社拝詞を奏上し、特にお印的な物は無かったとは思いますがいつもならばどんな神社であっても期間がある程度空いたとしてもご挨拶の間を含めその日の参拝がどんな感じだったかほぼ全体を細かく覚えているのですがご挨拶の間だけが思い出せない
拝殿前に立ったところまでと、ご挨拶直後に柵に境内社が書いてあるのに気付いてこの写真を撮ったところからはしっかりと思い出せます、新宮社と書かれているのは神宮を新宮と打ち間違ってらっしゃるかと思います
そして、来て良かった、と物凄く満たされた感謝の気持ちでこの写真を撮った事も凄く覚えています
拝殿へ戻り、こちらを頂きました、室の八嶋参拝の証
それでは、境内社とその室の八嶋へ参りましょう!!
まるでキノコのような石碑はぐるりと見てみたのですが文字は確認出来ず
南石橋の畔に祀られているのが祖霊社と大杉神社
葉で見えなかったので覗き込むと大杉神社の御祭神は大山祇命
そして七福神を祀る福神社
ここからは池に社の祀られる八島が浮かぶ室の八嶋
由来も分からぬままに来たので恐らく八十嶋を模した境内があるのだろうと思っていたのですが重厚感と御神威を感じて驚きます
筑波神社には伊邪那岐伊邪那美が祀られ、男体女体とされているのは山に祀られているのでしょうか
池には鯉が...と覗き込むとすーっと一匹だけ黄金色の鯉がこっちに向かってきました、他の鯉がパクパク餌を求める中、この子だけは悠然と泳いでいました
続いて太宰府天満宮、こちらは意外でした、どういった繋がりで八社祀られているのだろう
実は手前の福神社で蚋が飛んで来て脚に留まり辛うじて叩き払ったので中では蚊や蚋が...と覚悟していたのですがこれだけ鬱蒼とした池では何も来ませんでした
こちらだけ所在地が書かれていません、雷電神社は鳴雷神を祀っています、八柱の総称である八雷神ではなくそれも鳴雷神とは珍しい
そして島の中心に唯一覆屋で守られているのが富士浅間神社、御祭神は木花咲耶姫命、そういえば境内社の神宮には紅一点で祀られていました(当たり前に書いてしまいましたが、やはり私の中では天照大御神は男神だと思っていますがホツマツタヱの読み解きでまたどうなるか...)
室池に 浮かぶる朱橋 何ぞ見る
うん、それっぽく詠んでみたけれど全然ダメですね(´>∀<`)ゝ
橋の手前は熊野神社、櫛御気野命が祀られます
橋の中央に立つとまたしても奥から黄金鯉がやって来ましたがパクパクする黒鯉の中にあってひとりだけ悠然と泳いでいます
しかもひとり波紋重ならずまるで浮いているかのように美しい
そして大己貴命を祀る二荒山神社、ありがとうございます、日光でのご挨拶があったからこそ、今ここに立つ事が出来ています
そして、、、あっ、無い?! ご挨拶した記憶はあるのですが最後だったので八嶋を振り返り眺めていて写真を撮り忘れたようです、最後は香取神宮、経津主大神を祀ります
調べてみると主殿に近く手水舎の脇だからかこちらから巡る方が多いようですが拝殿の掲示では筑波神社からの順で社名が書かれていました(でも特に正誤は無いと思います)
ふー・・・やっぱり素敵なところだ、本当に来て良かった
拝境内の御神氣を浴びていると、ふと 御籤を頂こう という気になりました、数多く巡拝している私が初詣以外に御籤を自分から引こうと思う事は珍しい
されば、と拝殿前へ行き今日参拝させて頂いた事のお礼と御籤でお言葉をくださいとご挨拶...していると別の方がちょうど御籤をお引きになられた
ご挨拶をせぬまま引いていたらきっとすぐそこでその方が読んでらっしゃる御籤が自分の手にあったんだろうなぁ、なんて考えつつ100円玉を入れると灯篭に灯りが点き ぴんぽーん となって御籤が滑り降りてくる
そして捲ってみると、、、だーいーきーちー
そう、私は何気に大吉を頂くことがとても多く、少なくとも60%以上かそれ以上は大吉を引いているはずですがどちらかと言うと内容こそが重要で下がりはすれど上の無い大吉よりもそれ以外の方が好きだったりします
勿論、中に書かれていることを心掛ければキープ出来るという事ではあれど大吉で厳しい事が書かれていたり、その時によっては「今の哀しい状態が自分には大吉クラスなのか...」という負の考えを持ってしまったりするのでw
それにしても御籤の言葉って読み解きが難しい事が多いのですが待人の「音信なく来る」って初めて見ましたw
1時間たっぷり居ました大神神社、本当に素晴らしい神社でした、というわけで由緒について調べてみました!!
創建は崇神天皇の代、東国平定に来た豊城入彦命が三輪山より勧請したと伝わっており下野国最古の神社とされています
そして一之宮という表記を不思議に思ったのですが近くに国府跡が発見されている事を考えればここは一之宮ではなく総社だったんじゃないだろうか、と栃木市などの説明を調べてみると下野国総社として紹介されていました
将門の乱で被害を受け藤原秀郷が再建するも戦国時代の戦乱で再び焼失、御神木の説明にもあったように徳川家光が日光参りの際に立ち寄り社領を与えるなどから再興が進んだそうです
一説には上古より室の八嶋があった事から勧請地に選ばれたという説もある、では室の八嶋とはそもそも何ものなんだろうか
室の八嶋は木花咲耶姫が火を放った無戸室で火火出見を産んだ伝説に因みます、だから中央に浅間神社が祀られていたんですね、ただ芭蕉も訪れ句を詠んだとされるこの室の八嶋がその伝説の地かというとそれには懐疑的にならざるをえません
それはなぜか、単純です、これほど小さな池に囲まれた島で皇孫を出産しますか? さすがにそんなわけが無い、、、ただ、宇都宮を水の京と感じたように地図を見れば未だに山から多数の川が流れ込む毛野国が当時は広大な湿地帯だったり多くの池や沼があったとすればその場所が下野国だった可能性は否定出来ません
勿論、大神神社勧請前からこの小さくも美し池島が古事に倣って室の八島と呼ばれていた可能性もありますし神社よりも後、平安や江戸期に整えられたのかもしれない
島々に祀られる神々は地域特性(時代)により選ばれているような気がしますので元は咲耶様だけが祀られていたかもしれません(まぁつまりよくわからんということです)
さて、ここで あれ? となりました、一之宮ではなく総社だったんだろうと思っていましたが、なぜ各社が祀られていない?
調べてみると下野国には二荒山神社が一之宮とされているだけで二之宮以下を指定する記録はほぼ無く、式内社である村檜神社が三之宮を自称し大神神社を二之宮としている程度のようです
神明帳には下野国五郡に11社の記載があり河内郡二荒山神社のみが大社で他は全て小社となっている、となれば国司が参じるのは一之宮だけで良かったため総社は存在していなかったかもしれません...あれ?でも住所が1-1とかではないけど栃木市惣社町だ!?
折角ならば国庁跡も行ってみたかったのですがこの炎天下に片道徒歩45分往復1時間半はさすがに無理でしたw
宇都宮二荒山神社での考察にこちらを加えると、三輪山の麓から派遣された皇子豊城入彦は大神神社を創建し、子孫は豊城入彦を祀る二荒山神社を建てた、本殿に三輪山の大物主・事代主と后神である三穂津姫が祀られているのは元々そこに大神神社が祀られていたのか祖に倣って三輪大神を併せ祀ったのか
もしかしたら豊城入彦が大神神社を勧請したのは宇都宮で二荒山神社となった際に室の八嶋があるこの地へ遷座された可能性もゼロではないけれど、、、宇都宮にだけ事代主と三穂津姫が祀られているのはどういうことだろう
そういえば事代主って? これがまた難解で国王や大臣的な役職名である主系で考えると頭が混乱する、例えば初代大国主は初代大物主でもあり息子は初代事代主から二代目大物主を継いでいるという
記紀においてはオオナムチがオオクニヌシになって三輪山に正体不明(自身の御魂)のオオモノヌシを祀って息子のコトシロヌシは逆手を打ち消えてしまうのでさらに意味不明です
む? 出雲を治めた大国主は大物主を兼任して三輪山に自らを祀らせ大和を統治した?やがて息子を事代主に任命していたところに国譲りが発生、大国主は隠棲し事代主は辞任するも反省を許され三穂津姫を娶って二代目大物主となった?
もしかしたら、大国主は最初から御魂を祀ったのではなく、古代祭祀の地であった三輪山の麓に国府を置いて大和の統治職を大物主として自らが務めたのと隠棲した後に崩御すると三輪山では山の御祭神として祀られたことが混ざってしまったのではなかろうかという気もします(勝手な妄想)
また、初代神武天皇は大物主の娘(直径子孫かもしれない)を后としたという説があり、10代崇神天皇は天つ神を宮外へ遷し国つ神の大物主を手厚く祀った、その息子達はどちらも御諸山(三輪山)へ登る夢を見て豊城入彦は東国へ移っても大神神社を建て、三世孫には御諸別王の名までついている
天皇家は基本的に神武天皇以降天皇家はアマテラスを皇祖とする血族で続いているとされていますが、こうして考えてみると崇神天皇の代で天つ神を宮中から出し国つ神である大物主を重要視したように感じ、それは皇祖の神々を祀る境内社 神宮に 大物主は国つ神である とわざわざ書かれていた事とも繋がるような気がします(妄想はこの辺りにしますか)
というわけで、雰囲気のある杜である見た目からの影響もあるとはいえとにかく素晴らしい氣に包まれ上古に想いを馳せることが出来る素敵な神社では気付けば普通に1時間が経過していていつも(長く居たはずなのに時間が経っていない)と真逆だったのでビックリしました
平日夕方の帰宅ラッシュと翌日の忙しさが頭を過ぎったので帰りましたが、気持ち的にはゆっくりしっかり参拝してもなお留まりたくなるくらい素敵なご神域でございます
ほんと、参拝する機会を頂けて良かった(*´ω`*)
では被る部分もありますがウダウダの後述ですw( *・ω・)ノ
日光巡拝を終え次の参拝を決めることもなく暫くのんびりしていた私はふと思い立って長く放置していたホツマツタヱを読んでみることにしました
記紀を読み不思議に思っていたところの多くを解消してくれる、勿論それこそが都合良く造られた偽書だからなのかもしれないが、、、とりあえず全部に目は通したもののしっかりと解読判別するには難しくまた気が向くまでちょっと置いておこう、というところで私がとった行動、それは5ヶ月も先の年末巡拝スケジュールを決めることだった
いつもならば10月頃に考えはじめて11月中~末に確定させ新幹線と宿を予約しているので7月というのはあまりにも早い、そしてなぜそんなに早く考え始めたのか自分でも分からない
ホツマツタヱが刺激したのかと思えばそうではなく、当初は昨年の続きとなる葛城で時間と距離的に前回巡れなかった所をベースにルート策定を始めたのに気付けば御所エリアが全て外れていた、あれれ??? そして替わりに選ばれていった神社を結ぶのに都合の良い泊地は、と目が留まったのは何故か三輪、さらにその宿は朝イチで出るスタイルの私には全く合っていない
そして大神さんは2022年末に参拝しとても素晴らしかったのは間違い無いけれど私としては出来る限り未参拝の神社を巡っていきたいと考えているので三輪に泊まってしまうと当然ながら大神神社を参拝することになりその分だけ他の神社を巡る時間も減ってしまうのである
やっぱり違うところを泊地にと考え直すも何故かそれ以外の選択肢を探す気が失せてしまっている、何故だ?何故だ? ホツマツタヱを読んだから前回参拝を抜いてしまった大直禰子神社に? いや、さすがにそれは無い
とりあえず時間はまだまだ余裕だから当分放っておこうとしたのに翌日になっても何故か宿が気になり続けてまた悩む、あれ? いつの間にか宿自体が気になっている、と今度は宿について調べていくとクチコミの中にもしかしたらこれか?!という情報を発見、そういう御縁だったんだろう、ということで早々に宿を予約しそのまま新幹線もおさえてしまった
遠征は主となる神社をベースに巡拝ルートを決めていく、結ぶ電車やバス、徒歩の時間に参拝時間予測を併せていき余裕がありそうならばマップで 神社 検索しながらひとつひとつ繋げていく二日分の行程表はいつもならば1~2週間掛かるのに今回は僅か2日で出来てしまった...なんじゃそりゃ?!
ちなみに性格は大雑把で普段の巡拝は経路しか調べませんが電車一本バス一本が大きく巡拝予定を損なう事に繋がる遠征においては間に合う間に合わない、ならば順番を変えるか参拝社自体を変更するか、どこを削るか、、、と出発・到着・移動・参拝時間を組み込む行程表にはガッツリ時間が掛かるものなのである
そして唐突に宇都宮二荒山神社に行こうと思い立ったのはその僅か2日後の事だった、地図検索で大神神社を見付けたけれど年末の三輪は宿に呼ばれたと思い込んでいたので特に意味があるとは思っておらず、過去に無いほど短期間に積み重なった謎と不思議が今回の参拝社を調べていくにつれ一気に繋がっていったのは大きな驚きでした
特にこれまではただの謎だった"三輪山の大物主"について調べ考えるキッカケが掴めた気がするのはかなり大きな収穫です(それで実際に"何か"が掴めるかどうかは別ですがw)
うーん、これは年末までにホツマツタヱから三輪山に関する部分を探してさらに記紀の崇神天皇と仁徳天皇の辺りと併せ読んでおかなければ、、、か(´・ω・`)