どうも、ひのきですm(*_ _)m
柏流山巡拝三社目はこちら、地主神社です
この日一番のどん底状態に落ちつつそれでも歩いて行くと正面に地主神社が見えましたがその手前に謎の小社が
覗き込むと観音様だろうか、どことなく落ち着く感じがして一礼して先へ進む、調べてみると弁財天様だったようです
さて、実はこちら、地図に表示されたので見てみたら大国主(大己貴)が祀られているという、なぜこの場所で地主の名で?、というだけで急遽追加したのですが歩き始めると表示された所用時間にびっくり、なぜそんな回り道をしてまで追加したのだろうと不思議に思いながら歩き始めましたが神社前まで来るとこれは来るべくして来た所だと察し、ちょうど目の前にあった自販機で飲み物を買って心を落ち着けてから境内へ
お分かりいただけますでしょうか、薄暗いとはいえ物凄く御神威に満ちて荘厳な境内は灯篭に明かりも灯っていてまさに神の国
先程までの不安定さは鳥居で締め出しを食らったように消え、まるで異世界へ迷い込んだ人間のように周囲を見回しながら一歩一歩ゆっくりと境内を巡っていく
大きな石碑に由緒が書かれていました、難しい書き方ですが創始はこの地域が大きく栄えていた奈良時代には既に祀られていたのではないかという、つまりよく分かっていないということですね
いつもほどではありませんが、こんな素敵な両部鳥居に迎えられたら心も安らぎます、そして決して見た目と雰囲気だけではありませんがこの境内からはかなりの古社であっても不思議ではない、それだけの鎮まりを感じます
ここではそうするべきだ、と感じ真っ直ぐ主殿へ、実際には見た目に凄い神社に居る感覚です
改装新しい社殿になぜこんなに青々としているのかというくらい新しい?注連縄の香りに包まれ、まるで襟元を掴まれひょいと持ち上げて御祖の前へちょこんと置かれたように全てが大きく感じます
そしてひんやりとした風が流れてくる、、、空はどんより曇っているとはいえ徐々に上がり始めた気温と高めの湿度からは流れて来ないであろう冷たさが心地よい、でもそれは神様からのおしるしというよりも木々がくれた風のようにとても優しさを感じた
社殿左手を覗くと杜はかなり広く境内社が見えた
こちらは疱瘡神
本殿が美しいですね、この規模の新しい再建にも関わらず無闇に煌びやかにすることなく祀られているところにこの神社と歴史、氏子様方の心が伝わってきます
雷神社、雷神を祀る神社は地図でも他地域に比べかなり多く見られましたのでそういった信仰が根付いていたのか、建御雷命や賀茂別雷命の影響もあったのかもしれません
伊勢神社
振り返ってもやはりとっても美しく素晴らしい社殿ですね
社殿右手側へ回って山神社
この辺りからメマトイと呼ばれる涙のタンパク質を舐めようとする虫の大群に取り囲まれかなり不快になるw この数に囲まれたのは初めてじゃないかというくらい多く、羽音もかなり不快である
曇り乃至雨で気温も上がらぬとすれば大量の蚊に食われる可能性も高くしっかりとイカリジンの虫除けを噴いて来ていたので一匹も寄って来なかったがメマトイには何の効果も無いようだ
そして唯一、長い参道で丘の上に祀られているのが浅間神社
産土神様のひと柱であり菊理媛様と共に昔から思い入れのある木花咲耶姫様、このような素晴らしい場所でご挨拶出来るのはとても嬉しい
仙 元宮? 上が割れてしまっているのだろうか、にしてもなんと優しい空間だろうか、そういえばこの参道でもずっと付きまとっていたメマトイも石碑の前ではほとんど来なかった(ご挨拶を終え下り始めると再び大群に囲まれた)
若干の丘とはいえ主殿がこのように見下ろせる位置に祀られる咲耶様はやっぱり富士の花ですね
メマトイ...音と目を狙うのが心底鬱陶しいけれど別に噛んだり刺したりしないところだけは許せる...うん、でも鬱陶しい
そして最後の境内社は主殿前の参道に祀られている大杉神社
栃木市の大神神社境内に祀られていた大杉神社は大山祇命でしたがこちらの御祭神は倭大物主櫛甕玉命です
こちらにもいらっしゃったんですね、この辺りでは大物主を祀る大杉神社が多く、今回の巡拝はその為に流山へ行くものでしたが急遽追加した柏でもこうしてご挨拶出来るとは
いやはや、、、凄かった
メマトイが
と冗談はさておき、本当に凄い御神域でした、僅か2時間前に急遽追加したルートで50分も歩いて来たかいがありました
ホツマツタヱを読み解いた事でこの地域には大物主の影響が強く残り三輪山や賀茂氏に繋がる御祭神が多く祀られているのではないかと思っています、だから御祭神名も大物主命ではなく倭大物主櫛甕玉命とされているのではないでしょうか
結局地主神社については調べても情報が得られませんでしたが、恐らく、かなり古来より祀られており子孫などによって創建されているのではないかと妄想しています(^^)
...!?
豊受稲荷神社の記事でHPのコラムに本来の稲荷信仰における三輪山の杉について書かれていると触れましたがどうして気づかなかったんだろう、私は毎年末に伏見稲荷を参拝して必ずしるしの杉を頂いています
実は巡拝からの帰省と帰京中にずっと手持ちで居る訳にもいかず、無事には家へお連れ出来るとはいえリュックの中で少し枝を曲げさらにペチャッと潰されてしまうのが申し訳なくて二度目以降は無しにしようかとも思ったのですが何故かお連れ出来るのにそうしないわけにはいかないという気持ちがあり毎年お迎えしています
そのしるしの杉の由来は平安時代に熊野詣から無事に帰ってきたという印として杉の小枝を身に付けたという習慣にはじまると説明されており本来は初午の時期だけの領布だったそうですがコロナ禍の影響からか年末から頂けるようになっています
現代では通常の縁起物として人気のようですが熊野さんへ行ってもいない私が伏見参拝の印として頂くのはなんか違っているような気がしたのも初回だけでやめようかと思った理由でしたが、豊受稲荷本宮のコラムによれば杉の由来は三輪山の御神木という
・・・ご、強引かもしれないけれど繋がった!?
いや、そりゃ神代ですから突き詰めていけばいろいろ繋がるのは当然ですが、感じる御縁がお稲荷様に始まり急に八咫烏になり、味耜高彦根になり、賀茂氏になり、そして大物主になり、その時々は関連がわからないのに深く調べていくとその全てが繋がっている
日本には杉がかなり多く特別だというわけではないにも関わらずなぜしるしの杉なんだろう、大杉神社なんだろう、と思っていたのですが御諸山の御神木、つまり杉=三輪神=大物主という考えからすると非常にスムーズな理解が出来る
神名には様々ありますし必ずしもではありませんが、倭大物主櫛甕玉命として祀られている場合は深く三輪山に関わる場合に多い気がします
今回の巡拝はそれもあって流山へ行くことにしたもので、まさか直前に追加した神社にも祀られているとは...
そういえば地主神社での不思議な御神域感は栃木市の大神神社にとても似ていたような...(さすがに思い込みかもしれませんねw)
というわけで次も急遽追加した神社になります(^^)
さて、今回は短めの晒話記コーナーです(略すな)
50分も歩いている間に、よく考えたらバスを使えば良かったんじゃなかろうかと思いましたが、恐らく、こうして自分と向き合いながら感情を垂れ流し歩いた事に意味があったのだろうと思います
その時はそんな事を考える余裕などありませんでしたが、一旦ボロボロになった事で頭がからっぽになってあの素晴らしい御神域に無心で浸ることが出来たのだと思います
だとすればそのキッカケを下さったのは豊受稲荷本宮、特にあの白蛇様だったのかもしれない
果たして当初の予定通り逆ルートで回っていたらこのような結果にはならなかったんじゃないかと、タラレバではありますが、思います
穢れ とは 氣枯れ とも言う、氣が枯れてしまった状態が穢れでありその状態に陥ると何をしても上手く行かず、何を考えても負に向かってしまう
禊とは、氣枯れて虚になった空間へと入り込んだ邪気を取り祓い、新たな氣が入ることの出来るスペースを作り出すことなんじゃなかろうか
地主神社前までの自分はもうそれはそれは酷い状態でした、まるで何者かに取り憑かれていたかのように腹や脳が支配され闇の中へ引き摺り込まれていた、なんとか上を向こうと投げ掛ける前向きな言葉あ楽しい事さえも全てが鋭い棘を出し腹を抉ってさらに深い闇へと沈ませる
まさか、本当に何か憑いていたのかな...だとしたら、憑き物が取れたのは地主神社...で?
ただここで一気に回復したわけではなく、この後もまだグジグジながら次の神社へ向かったのでありました