どうも、ひのきですm(*_ _)m
駒木諏訪神社です
神社まで10分弱というところから提灯がずーっと並んでいる、どうやら二日後がお祭りのようだ、これほど長い距離をずっと提灯が並び間々にはしっかり紙垂も下がっている、どんな凄い神社さんなんだろう?!と驚きました
文字通り固まりました、この位置からでも分かるほど鳥居の先の異世界感が強い
右手には文字の刻まれた巨石、寿?だろうか
参道手前にいらっしゃるのは珍しい御神馬さんは"八幡太郎"義家公が奥州仕置を終え戦勝祈願を行った当社へお礼に奉納した馬を社殿の屋根を葺き替えた銅板で鋳造したものだそうです
それでは、失礼します!!
お、思っていたよりも広い!? 第一~第二鳥居の間の杜が素晴らしく惹き込まれていたようであんなに美しく脳裏に残っているのに写真すら撮り忘れてしまったようです
一歩一歩を大切に歩き、こちらが第二鳥居
こちらも素晴らしい神橋
左手の巨石がまた素晴らしい
ほんと、この参道を歩いているだけで御利益があるんじゃないかってくらい凄い
そして諏訪梶の葉の神幕が掛けられた素晴らしい隋神門、第一鳥居の狛犬さんも素晴らしかったけれどこちらの狛犬さんも素敵
美しい奉納隋神像は参詣者を迎えるよう中央へ向き合っています
迫力ある格好良い狛犬さんの手元には亀!?
物凄く凝視してますがどういう状況なんだろう、でも凄く惹き込まれる、と撮影したのですがアップにして見るとちょうど視線の先には五円玉が置かれている(個人的には社が推奨されていないところにお金を置くのは大反対です)
そして第三鳥...居?! の先にも?!
鳥居、鳥居、隋神門、鳥居、神門、、、参道はじめの境内図をまともに見ていなくて広いなー程度に思っていたのですがこれほどの規模とは!
手水舎で改めて心身を清めます、杉が水盤の中や水受け敷かれているの大好きなんですよね(*´ω`*)
それではご挨拶
ピシッとした締まりがありつつもなんと大らかな御神氣であることか、程よい緊張感の中に凄い安心感がある、神前に立っていられることへの感謝に包まれ無心になる
今気づきました、右手の石柱に遥拝所の文字が見えますがアップにしても画質が追いついておらず読み取れない...方向的には北北東のような感じだけどどこだったのだろう、調べてもわかりませんでした
しかしこれは...凄いな、軽い気持ちで巡拝社に加えていたけれどとんでもないところだ
ほんとこちらの狛犬さんたちは個性豊かで拝殿前の子達は方や狼かと思うほどスラリとして威厳を放ち
方や、威嚇しているのかと思ったらおどけているようにも見えるし、でもよーく見るとまたなんとも表現し難い深い表情でもある
こちらに説明書がありました
おや? こちらは...御神水!?
キョロキョロ...あっ、社殿左手に御神水がありました
井戸から竹筒に流れる御神水、お水を救う女性の石像
ひょうたん型のボトル(ビンと書いてありますがプラスチックなので軽くて割れず安心)に頂戴します、流れる量が少ないのでなかなか時間が掛かりますがその時間の分だけ心が鎮まっていくように感じました
そうだ、水質検査証もあって極めて良質と書かれており、よくある飲用は煮沸という表示も無い、とその場で手にすくって飲んでみると身体の、いや、心の隅々まで染み渡ります
※ 社務所へ確認したわけではないので自己責任です
その気持ちを込めてこの写真を撮影したのですがよく見ると手の中に一円玉が...もう、折角良いところだったのに
ちなみに銭というのは大切なものでありながらも多くの人々手を渡り欲望も絡んでいるもの、清浄なる神の元へ直に置くのは無礼千万、だからお賽銭箱には 浄財 と書かれこの箱に納めれば浄化され神域を穢すことの無いようにされているわけです
社殿右手側に境内社が多く祀られていました、狛犬さんが守られる先には姫宮神社の名が見えます
進むと二社祀られていました、正面が姫宮神社
妃神である八坂刀売命は本殿近くに祀られていますが元は諏訪大社に倣いここから200mほど離れた地に祀られていたといい、今でもその場所は字姫宮という地名になっているそうです
別雷神社は賀茂別雷命で創建年は不詳だそうですがやはり上賀茂神社からの勧請のようです、近隣にも多く祀られていますがこちらにもいらっしゃったとは
こちらは靖国の神霊を顕彰鎮斎されている招魂社、こうして生きていられることに感謝しつつ、尊い犠牲の未来にあたる今を無駄にしてはいけないと改めて思いました
恵比寿神社は1985年と新しく創建されたようで水蛭子神を祀ります
こちらは屋根下に二社並び祀られており
右手は祓戸大神が祀られていますがこちらについてはHPにも詳細が書かれておらず不明ですが水蛭子の慰霊安鎮と共に並び祀られているのでしょうか
国魂神社は明治期に出土した板碑から道灌様として祀宇が建立され地域の遠祖を祀ります
1462年創建の天神社は1985年にこちらへ遷座されたそうです
お気づきになられましたでしょうか
前の木が気になって一旦離れ、そして天神社へご挨拶しようとしたその時にヒラヒラと舞ってきた蝶がまっすぐ屋根に留まりました、あらあらあらあら(*´ω`*)
最近多く見掛ける外来蝶アカボシゴマダラですがこういうタイミングで来てくれるとなんか嬉しくなりますよね(*´ω`*)
そしてちょっと集中してご挨拶したからか写真を撮っていなかった最後の境内社は稲荷神社、創始は不明とのことですが元は石祠の状態から祀られていたそうです
いやー...とにかく境内の隅々まで御神氣がいき渡っていてどこに居ても歩いていてもずっと神の国に居るかのように心地よい、なんかほんの少しだけ浮いたまま歩いてるような感じです
本殿前へ戻り、空を見上げ深呼吸...うん、これはお言葉を頂くべきだろう、と拝殿へ向かいお願いをする
建御名方様、今日はこんな状態にも関わらずお迎えいただき、そして素晴らしいご挨拶をさせて頂いてありがとうございました、前を向いて行かねばならぬのにウジウジしている私に出来る限り、どうぞこれでもかと言うくらい厳しいお言葉をください!お叱りをください!!
そして頂いた梶の葉みくじを開いてみると...
大吉...
私の体感的には大吉を引く率が6~7割はありまして(若干盛られて感じてるかもしれませんが)、勿論大吉は嬉しいし時に これほんとに大吉?! ってなくらい辛辣な言葉が並んでいることもありますが、今回のお言葉は過去に無いくらい全般的に大絶賛、しかも今の状態が最高潮に素晴らしいと書かれていたのです
ちょ、ちょ、ちょっと待って、真逆、真逆です!! あまりにも真逆です!!www
少ないながら参拝者がいらっしゃったので小声ではありますが思わず口に出して突っ込み、笑っちゃいました
そうなんですよね、大吉ってそれより上の無い最高の状態じゃないですか、だから努力しないと後は落ちるしか無くて厳しい内容の場合もあるのですが、実際がどん底なのに最高だと言われるとさすがにそれはないでしょう、、、今が最高ならこの後どこまで下がるんですか、って感じじゃないですか
まぁ占いみたいなもんで当たるも当たらぬも八卦、そんなもんでしょって言ってしまえばそれまでなのですが
これは敢えて真逆の言葉を与えることによってより打ちのめし後は上がるだけの状態にしてやろうということなのだろうか、と思って笑ってしまったのですが神門から拝殿を眺めていて思い直しました
違うんだ、きっと本当は、今の私は凄く良い状態にあるべきなのに自分自身で地の底に押し込めているだけだということか、確かにそれは自分でも自覚していた、背負う自身の御魂そのものが悪霊となり自らを喰らっている、お祓いも何も自分自身を祓うしかなくて、そんなのわかっちゃいるんだけど一番難しくて...そうか、そうですよね、、、ありがとうございました!
深く、深く、礼をして、全ての鳥居と橋でも深く感謝をしながら神社を後にしました
ふー...あっ、全然ちゃんと見てなかった、見逃した場所は無いかなと境内図を見ると駐車場の端に壽石と書かれている、行ってみると第一鳥居前にあったものと似た文字が彫られている、やっぱり寿だったんだ
こちらは北村西望という方が奉納された書の一字をとって筑波石に彫られたものだという、調べてみると日本彫刻会展覧会における最優秀賞が西望賞とされるほどの彫刻家で長崎平和祈念像なども造られた方なんですね
さて、、、あれ? 境内は木々に囲まれていて気付かなかったけれどいつの間にやら雲と青空の比率が逆転していらっしゃる
さぁ、次こそ今日目指した神社、40分もあるけど元気に行くぞ!
。。。...あぶなっ、忘れるところだった!! 由緒について何も調べず終わろうとしてました( ̄▽ ̄;)
社伝によると、大和国より高市皇子(天武天皇御子)の子孫が駒木へ移り住み、東漸の途次に深い御縁のある諏訪大社より御神額を頂き当地に祀ったのが創始で807年のことだと書かれています
さぁいろいろ難しいぞ(^ω^)
まず、サラッと調べてみたのですが高市皇子と諏訪大社との繋がりがまず見えない、大和国高市出身らしい、母方の御縁に宗像神社らしい、、、うーん、弱い
建御雷に追われた建御名方が同族であった物部守谷を頼って諏訪へ向かったという説もあったり諏訪大社は古来蛇信仰と持ち込まれた三輪信仰が融合されたものだという説もあり、御射山には三輪社があって大物主が、そして諏訪大社下社には夫婦神と共に八重事代主神も祀られている
話が広がり過ぎないようまとめると、大和から駒木へ真っ直ぐ来たのであれば他の地域と同じように三輪大神を祀るであろうにそうではない、いつの段階かは分かりませんが、縁のある諏訪へ移住し婚姻などで諏訪信仰が主となってから更に東へ移り住んだとしたら諏訪様を祀るでしょう
特に高市皇子と三輪山の関連はわかりませんが、それこそ移り住んだ地で家族を迎え暮らしていたとすれば諏訪信仰となり、その子孫が移り住むとすれば諏訪さんをお連れするでしょう、まっ、勝手な想像ですけどねっ!
ただ、これで大和・美濃・尾張・信濃、そして関東という繋がりが見えてきました(*´ω`*)
さぁ、次が今巡拝の中心でございます
では、まだ巡拝の途中ですが、最後の晒話記です
改めまして、この日の巡拝はこの次に参拝した大物主様が起点でして、地図を見て諏訪神社があるのに気付き、もしかして今考えているホツマツタヱの内容に関係性が見られないかと追加した神社ですが、さらに南柏の豊受稲荷神社に気付いて追加しました
豊受→諏訪→メインの間はそれぞれ結構離れているのでスタートにするよりもゴールにしてしまった方が天候や精神状態が悪化した場合にも距離を理由に切り上げやすい、ということで鰭ケ崎駅から巡拝を始める予定だったのです
が、当日朝の電車内で急遽豊受さんは朝イチで行かなければならないという謎の使命感を受け逆周りに変更、さらになぜか地主・熊野さんを追加してしまうという主副逆転状態になってしまったという流れでした
結果、長時間歩いた事で精神状態が暴発し、どうなることかと思ったところで地主さんにて少し落ち着いたものの熊野さんから諏訪さんまでの間もまだまだ不安定な状態で歩いておりました
諏訪さんの前まで来てもまだ心騒がしかったのですが鳥居の向こうが想像を遥かに超える素晴らしい御神域、まさに異世界...このまま入るわけにはいかない、と少しうろうろして心を落ち着けようと努めるもそう簡単には行きません
うむ、そんな自分こそが実際だ、と諦め すみませんこんな状態で来てしまったけれど入らせて頂きます と鳥居を潜る
するとどうでしょう、あまりに静謐な杜の力か外界の考えなど浮かばなくなり、ただ、ただ、素晴らしい境内を順に巡っている間もほとんど負の感情を抱くことはない、それどころかすっと浮かんでしまってもすっと流すことが出来ている
思いのほか広い境内を全てまわったところでそんな自分が居ることに気付く、え?どうした?何が起こった?
上でも書いたように諏訪の四宮は巡りましたが建御名方命に特別な御縁を感じていたわけでは無いのでまさかこれほどの変化を受けるとは?!
そして頂いた神様のお言葉に思わず笑い、突っ込んでしまいましたがそれこそが決定打だった気がします
以降、何が頭に浮かんでも負の感情は抱くこと無く、いや、そもそも悲しい感情すら浮かぶことなくしっかりとした巡拝を続け、雲と雷の天気予報は変わらぬままなのに雲よりも青空多く陽は照り続け、次の神社へ着く前に熱中症警戒アラートの放送が流れるほどになり帰宅までしっかりと肌を焼かれることになった
最寄り駅から家へ歩いている時、さすがに何がどうなって精神状態が180度変わったのかわからず、それは記事を書いている今でもわかりませんが、このまま帰宅して全てを終えた後に再びどん底に落ちたらやりきれない...
気持ちの良い参拝によって一時的に紛れているだけでやがて元通りになってしまうくらいなら早い方が良い、と謎の覚悟を決め、歩きながら一瞬浮かんだだけで致命傷を与えて来たワードを心の中で声を大にして真っ直ぐ投げつける
...あれ? 全く堪えない
別のワードを投げつける...あれれれれ?
いや、さすがにそんなはずは...
今度は思いつく限りの致命傷ワードをランボーかジョン・マクレーンかというくらい連続で撃ち込む!!!
本来ならそれらのワードの1~2文字の時点で胃が捻れ涙ぐむくらい痛恨の一撃となるはずが何発撃ち込んでもかすり傷ひとつ付かない
...そ、そ、そ、そんなことあるぅ????? はぁぁぁぁぁあ??
ほんとに意味不明です、逃げたりスルーしているのではなく、ちゃんと真正面から受け止めた上でその全てをしっかり消化出来ている
勿論、普通に生活をしているだけでもあちこちからそのワードは目に耳に入って来るのですが、それどころかちゃんと心から笑い、些細なものでも美味しく食べ、飲み、生きている事に心から感謝出来るようになっている
これまでの人生を振り返ってもありえないほどの短期的変貌です
さすがに数日程度で剥がれてしまうのかもしれなと思ったのですが、とりあえず一週間を超えた今でもまだほんと何事も無かったかのような健全な生活が、といっても時折自責ワードは出ますがそれもその都度ちゃんと前向きに飲み込む事が出来ており、修正することなくこの記事があがっているという事はそれよりさらに先まで効果が継続しているということになります
さぁ、いったい何が起きたのだろう
参拝中にお告げやおしるしがあったでもなく願い事をしたでもなく、かといって自分の中でも特に何かを決めたり覚悟を決めたりしたわけでもなく、なぜあれほど急激な変化があったのか
当初は、おすわさんすげぇ!と諏訪さんの御神威に驚愕していましたが、ここまで書いてきた通り、よくよく順序だてて考えてみると豊受さんが器の中の泥を取り除くキッカケをくださり、地主さんと熊野さんが傷跡を塞いでくれて諏訪さんが枯れた器に氣を満たしてくださったんじゃないだろうか
もうほんと、ただ情けない話をまとまりもなくグダグダと書くのもどうかと思ったのですが、そして伝わりづらくしか書けなかったのですが、こうして何度も思い返しながら書いていても全く意味がわからないんです
神社参拝って神様へのお礼と御神氣を頂くものだと思っていて確かに素晴らしい神社へ行くととっても心地好くて、なんだかそれだけで凄く良い氣に包まれるとは思っていましたが、実際に僅か2時間でどん底から超前向き
記事を書いていて思いましたが、やっぱり自分で自分を穢れさせていたのだろう、自分が自分に悪霊となって取り憑いていたんだろう
だって堕ちに堕ちている間、ちょっと本気で自分の荒御魂を祀ろうかなんて考えていましたもの...自分が自分で無い、乗っ取られている程酷い、と考えながらもお祓いを受けるでもなく自らを祓おうという考えの方が先に出るということはつまりそういうことなのかもしれません
胎内にまで巣食う自らの念を神々が引き摺りだし、それでもまだしがみつく怨霊を諏訪さん鳥居と橋が引き剥がしてくださった、そして氣枯れた肉体に杜や御神水、そして御神氣が溢れるほどに満たされた
そう思わなければ、突然高調子へ急転しその状態がその後もずっと継続している理由がわからないのです
正直、日が経てば経つほど、思い出すというか頭に浮かぶ頻度は上がって(戻って)きました、でもそれで自責地獄に落ち込むことはなく、冷静に受け止めることが出来ている
実はちょっとだけ いつまた闇に落ちるか とドキドキしている部分もあるのですが(苦笑)
今回頂いた御神威を無駄にせぬようちゃんと前を向いて歩き続けられるよう頑張ります(*^^*)