日々是"吉"日

ゆるゆるなスピリチュアルでパワースポットやパワーストーン、原石、お香などを楽しんでいる日々の日記です。

あんばさま御分霊 加岸大杉神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

いやー、想定外のど晴天になりまして茂呂神社で復活してその後に冷たい飲み物を購入したのでなんとか元気に歩いてこれました

 

続きましては大杉神社です
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実は参道がナビとも読みとも違いましてぐるりと区画を回ってよやく見つけましたw

 

ナビさん、何にもないところに案内しないでよ(・ε・` )

 

当然のように社名だけで決めて何も調べておりませんがやはり創建由緒不明と書かれています、そして御祭神は倭大物主櫛甕玉命の表記ですね
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注連縄も個性的でございます
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参道を進むと庚申塔や仏像?が並びます
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そして左手に社殿が...と、住宅地の区画のど真ん中にこれほど広く境内があるとは!?
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いやー、素晴らしいですね、少しだけお寺さんのような雰囲気を感じますが
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それではご挨拶!!  おや? 暑さのせいだろうか、どこか懐かしいようなでもなんだろう...気持ちは良いけれど想像していたのとは少し違うような

 

こちらも棒状の注連縄ですね、あれ? 御賽銭箱の社紋は...?
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とりあえず暑さもあってここで深く考えることも出来ないので記事を書く時に調べれば良し、ということで、、、でもなんか気になる、とガラスから中を覗いてみるとあーんなところに由緒書きが、と読めないのでアップにして撮影
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この加岸の里は江戸中期から明治に栄え、文化の頃に創建されたと推定されるという、ふむふむ

 

例のようにお背中へ、うん、素敵だ(*´ω`*)
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社殿右手側に境内社があるようです
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罔象女神を祀る水神社ですね、江戸川の畔ですから(*´ω`*)
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っと、、、おぉぉおお?! 真榊!!
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ホツマによれば皇位継承に必要不可欠だったという、ちなみに葉が小ぶりでギザギザしているものはヒサカキだそうです

 

こちらは...?! 大宮神社遥拝所?!
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特に何がというわけでもなく、というか何も知らないままこの後の巡拝先にある大宮神社の事だろうか、地図で見ると若干ズレてはいるけれどその方角を向いている

 

遥拝所が設けられるほどの何かがあるのだろうか

 

こちら側から見ても美しい社殿ですね! 本殿もあるのだけれどやっぱりちょっとだけお寺っぽい
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ふぇ~っ、藤棚助かるぅ(*´ω`*)  なんでだろう、こうして休んでいても神社神社していないというか、やっぱり寺社の中間的な雰囲気なのはなんでだろう
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ここで先のルートとそろそろお昼なのでちょっと昼食先を調べたりして休ませていただく

 

いやー、状態も状態だったし昼食べる元気なんか無いかもってほんとなーんにも調べていなかったもんで(´>∀<`)ゝ

 

では、調べてみました

 

なんとこちらもい茨城県稲敷のあんばさま(御田植と書いてあんばと読むんですね)からの御分霊だそうで1866年には既にあったことが確認されているという、ちなみに由緒書きにあった文化は1804~1818年ですのでその頃の創建のようです

 

そしてこちらは加岸、大宮公園に鎮座される大杉神社が加台とされているそうで...あ! 記事はまだ先ですが大宮神社の境内にも大杉神社がありました!!(大宮神社の記事冒頭ではこの事を知らない参拝時の状態で書きますw)

 

そうかぁ、この辺りの大杉神社はだいたいあんばさまから分霊されているんですね、それほど崇敬が篤かったんですね

 

そして社紋、これをテクノロジーを駆使してGoogleレンズさんに頼ってみると逆に泥沼にハマったところで当たり前の事に気付いてあんばさまのHPを見たらなんのことは無い、あんばさまの社紋でした(爆)

 

ではなぜか?  767年、大和国より日光二荒山へ向かう途中の勝道上人が(そこが繋がるんかぃ!?)大杉神社へ着くと病苦に苦しむ民衆がおり大杉に祈念すると三輪明神が降臨し病魔を祓ったという、そして天狗が眷属とされたので社紋が変わり羽団扇なんですね

 

この記述からは元から大杉神社が鎮座されていたのか、現大杉神社の地へという意味なのかが把握出来ないのですが、あぁ!? なにかよくわからぬ圧にも関わらず居心地は良くなんとなくの懐かしさとお寺にも似た雰囲気、つまり天狗を眷属とする権現様の特徴だ!!!

 

二荒山は味耜高彦根命だと思っていたのでここでそう繋がるとは思いもしませんでしたが、伝えの通りとすれば767年の時点で既にこの地は栄えており大和国から来た勝道上人がわざわざ寄るほど大和との繋がりがある地であったと考えられます(教えを広げるためならば繋がりが無くても足を運んだかもしれませんが)

 

そしてそういうことか、大和国から来た勝道上人だからこそ、祭神名を大物主ではなく倭大物主櫛甕玉命としたのかもしれませんね

 

としつこく言っておきながら大和の大神神社では大物主大神とされているんですけどね、わざわざ倭と付けるのは大和から離れているからって考えていたりするのと、櫛甕玉というのも意味があるんじゃないかと思っていたりしますがどうなんでしょう

 

いやー、思いもしなかった繋がりがまた出て来てびっくりですが、さぁ次の神社はどうなるでしょう(*´ω`*)