今更?ですがいつも活用しているGoogleマップのマーキング機能、これがタダのマーキングではなく分類まで出来るということに気が付きまして、これなら過去の巡拝社とまとめてマークしておけば物凄く便利じゃないか!と思ったのです(相当遅い)
よーし! とこのブログを参考に次々と保存にぶっこんでいてふと思った、、、これ、いくつまで保存出来るんだ?と
調べてみると、500件までが公式保証上限でそれを超えることも出来るようだけれど情報が正確に表示出来なくなっていくというのである
現時点で既に600が近付いている...あはは、と全削除、ポチッ
どうも、ひのきですm(*_ _)m (どんな入り方じゃ)
小西屋さんで復活したけれど外に出れば灼熱!!w でも元気に行けるぜぇぇぇ、残すところあと数社、ゴールはもう見えてきた!!
ここで本当に不思議なことに、次は江戸川沿いの赤城神社を参拝する予定だったのです、なんでもその昔、洪水によって群馬は赤城山から山体の一部が流れ着き、その山は赤城山とされ地名も流山になったんだという
今見ても残るナビの経路にちゃんと赤城神社が入っているのですが私が向かったのは大宮神社だったのです、なぜだろう???
しかも真っ直ぐ大宮神社へ向かうかと思いきや突然、経路選定の際に除いていた神社の方へ向かったのです
それがこちら、大原神社
住宅地の中、高台の上に鎮座されるこちらは だいばら と読むそうで江戸初期創建の氏神権現様、1909年に七郎神社を合祀されているそうです、いや、ほんと、全く何も知らないまま呼ばれた理由はなんだろう...
石段を登ると富士嶽浅間神社大神の石碑とお不動様、成田山月参と彫られています、浅間神社の石柱も月参だったのだろうか
権現様と書いてあったし手前は確かにそれっぽい雰囲気なのにどうしたことかこの素晴らしい境内は完全に神社のそれである
なんでしょうねこれ、見た目と知識の情報って結構大きいのに言葉には出来ない空気から感じる感覚、そして驚く程に居心地が良い、それこそ ただいま って言いたくなるくらい、なんだこれは
右手にはさらに青面金剛と庚申様が並びます、凄い数ですね
写真は撮れませんでしたが樹上に沢山のスカイブルーの鳥、一瞬逃げて繁殖したインコかと思ったのですがスラリと伸びた尾を見てオナガだと気付きました
もう結構近くに居たりするんだけど気付くとサーッと飛び上がってしまうのでたくさん見たしずっと居たのに1匹も撮れませんでした(><; )くー
え、まって、めちゃめちゃ楽しい、この故郷感、何?!
そして社殿はこちら、青い空にエメラルドブルーの屋根が美しい、どう見てもお堂の雰囲気なのにこの神社感はなんだろう
こちらが本殿、境内全体に漂う凄い懐かしい雰囲気は特にこの辺りから感じられます
高台になっているので街が一望出来ますね、うーん気持ちいい
こちらにも並ぶ石塔、山神宮と〇十二神以外は読み取れません
とにかく全くよく分からないのに懐かしさと居心地の良さが半端ない素敵な神社さんでございました
調べてみるとやっぱりよく分からないながら面白い、真偽不明で諸説入り乱れますがまとめてみます
1673年再建という情報があるので1600年から始まる江戸初期創建という説は有力そうですが付近からは縄文の遺跡も見つかっていることからも実はかなり古いという可能性も無くはない
氏神、権現としながらも祭神名が全くでてこず、ただ女神とだけ伝わっているのも不思議ですが祭りでは女神であることから神輿が無いようで相当昔から女神であることは間違いない
そういえば境内に多い青面金剛って何ぞやと調べてみたらインド密教から絵図だけが伝わり悪鬼として病気平癒の神とされていたり道教的には庚申信仰の本尊ともされているという、そういうことだったのか!
御祭神に関しては何故か瀬織津姫とされていたり祓戸四神とされているけれどその理由について説明されている人は全く居ない、ただ昔この辺りは海に面しており水と女神からの連想なのかもしれません、瀬織津姫といえば川ですが祓戸大神とすれば海ですからね、でも資料がある訳でもなく想像の域は出ていない気がします
ちなみに大原神社で検索すると習志野にや京都にイザナギイザナミを祀る神社があるのですが当社の大原はここの地名に由来するそうなので関連があるかないかはやはり不明
さらに合祀された七郎神社も祭神不明で一説ではこの境内全体が七郎神社だというがそれだと大原権現がどこからか移されたけれど氏神として格上だったから七郎さん側が合祀とされたことになる、まぁそれもたまにあることですが、だとすると七郎様としての神輿は残るはずで七郎だけど女神だったのだろうかという疑問が残る
結局のところわけがわからない、、、と検索をやめようとしたその時お祭りの写真が目に留まった、あまり見かけない言葉が大きく掲示されている
検索してみると 設神理以獎俗、敷英風以弘國 古事記序文の抜き出しのようですが神社参道に大きく掲示するのは珍しいんじゃなかろうか、でもやっぱり何もわからない事に変わりはない
そういえば群馬赤城山から赤城神社の札が流れ着いたのはこの場所であるという説もあるようです、そういえば何故か行けなかった赤城神社もそうですが群馬から山が流れてくるって何?!
調べてみると驚きである、地形地質調査結果としてこの辺りに山ごと塊となって赤城山から流れてきたというのは事実のようですが最後の噴火とされているのは万単位昔のこと...それほど前の事が伝わっていたのか? もしくはその後も大規模山崩れなどによりある程度の土砂が流れ付いたことからこの辺りの山もそうだという認識に至ったのかもしれない
とすれば、神札が流れ着いたというのもさすがに山の赤城神社ではなくとも途中に祀られていた分霊社から流れて来ることはあったかもしれません
いやー、ほんと、やっぱりなーーーんにもわからなかったし他の巡拝社と関わる情報も無かったけれど、予定にあって参拝出来なかった赤城神社と予定に無かったのに参拝出来た大原神社で話としての関連があったのはちょっと興味深いところではあります
何よりも、あの不思議な安心感と帰郷感はほんとしつこく書きたくなるほど素晴らしかったので参拝出来て良かったです(*´ω`*)