どうも、ひのきですm(*_ _)m
巡拝も佳境に入ってまいりました
本日はこちら、大宮神社です
こちらが正面参道なのですが大原神社から向かうのにナビの不自然さを疑い、近かった西側へ回ったら完全に境内真裏へ出てしまったのですが雰囲気的に鳥居まで行かねば、と二の鳥居まで行って改めて参拝を始めます、いやー随分長い参道ですよ
こちらが三の鳥居、やはり庚申様や青面金剛の石塔が多く並びます
暫く眺めていたのに写真を撮り忘れたようで、この左手が崖になっていて大きな石碑があり街が一望出来たのですがおそらく向かいに見えたポッコリした山は大原神社じゃないかと、そう考えるとより大きなこの山も赤城山から流れてきたのかもしれませんが、、、古墳だったりもする?
まぁいずれにしても三輪山辺りも含め縄文以降の遺跡や古墳が多く発見されているので古くから人々が住んだ地だったことは間違いなくこうした山は祭祀の場とされていたでしょう
なんて言いながら御祭神すら調べずに来てしまったけれどなんとなく今回はそのままご挨拶していこう
さぁ、こちらが主殿でございます、
最初この右奥から境内に入って来たわけですが、あぁこれはいけない鳥居から入らねばと思った理由が伝わるでしょうか、凄く穏やかでありながら物凄い御神域感なのです
そういいながら御祭神を調べようとしない矛盾おじさん
神前に立つと、広い、とても広い
あ、勿論境内のことではなく、凄く広い空間が広がっているかのように感じるのです、なんか優しく抱きしめられているような感じで胸が温かくなります
また社殿前の木がほんっとに素晴らしい、姿も良ければ放つ氣も凄く清らか、それでは神の杜を散策させていただきましょう
左手に祠や碑が並びます
千?大権現宮、そして御嶽神社、さらに箭弓稲荷大善神だ!!
金毘羅大権現、そして右のお社は御神体が無いようですが神具は残されている、装飾からも恐らくお稲荷さんでしょうか
こちらはよーく目を凝らして見えた第六天魔王
大きな石碑には金村雷神社分霊奉斎と書かれています
こちらは道祖神以外ちょっと読めない...っと、あれは利支天、ということは摩利支天でしょうか
やはりこの地域では古くから信仰心が深かったのでしょう、権現・仏教・神道の習合信仰があちらもこちらもとっても篤い事が伝わってきます
見てください、もうなんと質素ながら素晴らしく美しい社殿なんでしょう、物凄く気持ちが良いです
こちらにも沢山居まして漸く尾が撮影出来ましたムラサキツバメです、表が見えなくてもチョピンと出た尾で分かりますね(*´ω`*)←マニアにしか分からない
社殿右手側へ回ると八重塚稲荷神社
社殿前右手に二社、こちらは1250年頃創建とされる八幡神社
そして大杉神社!! こちらにもいらっしゃった!! 勿論御祭神は倭大物主櫛甕玉命です
あっ、こちらの木も素晴らしいですね(*´ω`*)
いやー、なんて素敵な境内なんでしょう、居るだけで御神氣が体内に満たされていくような気がする、っていうか大原さんも富士塚も素敵な神社ばかりてなんて素晴らしい街なんだろう
はーっ...とこの素晴らしい境内を満喫していたのですが
ふと気付く...痒い
えっ?! よく見れば社殿裏に居たメマトイが付いて来ていたのかと思ったのが蚊でした!(ㅇㅁㅇ)!!
そりゃそうか、到着後朝イチで大量プッシュしておいたイカリジンも流石にこの暑さで大量発汗し続けていたら流れ落ちるよな(>_<)
というわけで次の神社へと向かいました
再度イカリジンを浴びてから
さて、調べてみましたらなんとこちらの御祭神は天鈿女命様でございました、まぁ社名からしたらそりゃそうか! 鈿女様や猿田彦様とは一時強い御縁を頂いていたのですが不思議なものですね、状況状態が変わるとその御縁も大きく変わっていましたが参拝するとこうして優しさで包んでくださったのは本当に有難い
とあるサイトでは延喜式所載社とされると書きながらも1250年頃に創建された説を載せてらっしゃって ??? と思いましたがさらに調べるとこちらはおすわさんの兼務社でした
やはり同様に残る記録は鎌倉時代としながらも他に式内社候補も無いようでこちらを比定されているようです
御祭神は天宇受売命で大国主命、玉依姫命、少彦名命、豊受姫命が合祀されていると書かれています
また団地造成のため移転させられそうになったのを識者らによって防がれたと書かれています、北側が公園になっていますし周りは住宅地だらけ、三輪茂呂神社もそうでしたが開発の波は確実に押し寄せている、だって流山おおたかの森駅周辺なんて凄かったもの
勿論開発しなければならないのも重々承知しているし各地から人が押し寄せてくるわけでもない神社があった所で現実的に街のプラスにはならないのも理解は出来ます
ただ、これほどの御神域宿る神社をおいそれと簡単に移してしまうのは本当に良くない
まぁこう言ったところでお前は住民ではないしその代わりにどうするんだと言われれば返す言葉も無いわけですが、こういう問題は各々が暮らす地元の氏神様にも言えることですよね
近年、大規模な神社が敷地の一部をマンションなどに譲りそのお金で社殿修繕などに回すケースも多くなり、中にはビル化してその大部分を住居にする場合もあります
批判もありますが、やはり現代的になって崇敬心が薄くなってきた今の世では寺社も生き残るには試行錯誤しなければならないんですね
お寺さんの方が無くてはならないお墓があるのでまだ良いかもしれませんが、それでも機械式墓地だったり墓を持たない家庭も増えてきているようですし大変です
少し話が逸れました、そう、こちらの大杉神社は加台大杉神社として加岸社と対になる神社! だから社殿内に神輿が祀られていたんですね!!
おすわさんもそうでしたが、ほんと、調べれば調べるほどこの地域のお祭りはとっても盛り上がってそうで良いですね(*´ω`*)