※ 2023年秋に参拝し下書きで眠らせてしまっていた記事です
どうも、ひのきですm(*_ _)m
さて、続きましては見送稲荷神社を目指します
ナビに従って歩いていくと、、、あった!! けど雰囲気に違和感
鳥居に扁額は無いし社号碑も無い、なお私の視力でこの距離では社殿に下がる提灯の文字は読めない
手水鉢には、、、梅!!!
( ゚д゚)ハッ! そう、昼食の時にスマホを弄っていて水道橋付近の神社という記事と出会い、そこで金比羅宮東京分社を知ったのですが同時に櫻木神社も書かれていたのです
ただその後も参拝があるのでこの辺りをあまりあちこち歩いているわけにもいかない、立ち寄っても差し支えなさそうな範囲で 神社 検索しても出てこなかったので諦めていたのがこちら、櫻木神社でした
ちゃんとご挨拶させていただけるんだ、よかった(*´ω`*)
と、あの右奥に見えるのは確実にお稲荷様
つまり、神社検索で境内社の見送稲荷が表示されたのに櫻木神社が表示されなかった(ポイントが重なっているわけでもない)のはなんでぢゃ!!
金刀比羅宮は 神社 とついていないので検索に出てこなかったのも納得ですが、つまりこんな感じで表示されるかされないか、されなくても導かれるかどうかってことなんですよね
と、参拝しようとしたのですがどうも何かが気になる、なんだろう、と境内をぐるぐると見回して暫くした時、手水舎の向かの大きな木箱が不自然な事に気づいた(用具入れか何かかと思って全く気にしてなかった)
近付いてみると、、、くららちゃん!!! 超かわいい(*´ω`*)
名前を呼んでも餌を食べ続けておりますがw
であ、ご挨拶
御祭神は菅原道真公
1470年頃、太田道灌により京都北野天満宮より江戸城内へと勧請されたのがはじまりで徳川秀忠の頃に桜の馬場へと遷座、綱吉の代である1691年に現在地へと遷されたそうです
天神様といえば梅ですが、桜の馬場の由来からか境内には桜が植えられており櫻木神社と呼ばれるようになったんですね(*´ω`*)
そして社殿裏にお稲荷様
見送稲荷神社です
これはまた、これぞお稲荷様という雰囲気を放っています、ちょっとここまでの雰囲気とは全く違う、これは見た目だけではありません
間違いなく屋敷神系ではない
はたして 見送 が意味するところとは
佇まいを正してご挨拶。。。感じる、、、感じる、、、様々な想いを持って様々な人たちを見送っているイメージ、うん、そういうことなんですね、と心を込めてご挨拶
え? 見送 から連想されるそのままじゃないかって?www ですねw
仕方ないじゃない、そう感じたんですものw
結構前向きな見送を想像したのですが調べてみるとどうも逆だったようで、本郷三丁目のあたりにあったという橋は別れの橋と呼ばれており、そこを境に見送り坂・見返り坂と呼ばれていたそうです
江戸を追放になった者を橋の手前で見送る、追放された者は橋の向こうに居る人を見返す
そうか、このお稲荷様は見送り坂、つまり追放された人を見送った側の人達により去り行く人々への前向きな願いが込められていたのでしょう、だから悲しさとか後悔といった気持ちではなく応援する気持ちを感じたのかもしれません
まぁ何を言っても 見送 から想像出来ちゃいますけどね( '-' )←
由来を調べた後から見ると、お社の目の前に木があることが、追放された人を見送るので陰ながらって感じに見えたりもします
でね、でね、ここの神狐さん達が結構 その並びなの? っていう感じにいらっしゃったんですが、それがまたなんとも言えなくて(≧∇≦)
これが正しいのかお掃除などで間違って戻されたのかどなたかの悪戯なのかはわかりあせんが、これがまたなんとも自然な感じがしてとっても良かったんです
そして皆、イキイキしているようで(*´ω`*)
お稲荷さん正面にも参道がありました
うん、江戸の歴史を感じる素晴らしい神社さんです(*´ω`*)