※ 2023年秋に参拝し下書きで眠らせてしまっていた記事です
どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日は東京大神宮からの巡拝最後の目的地、駒込富士神社です
お、おぉ、、、想像していたよりも異世界感の漂う御神域ですね
この時はまだ本郷富士神社のご由緒を調べていなかったのでこちらの事も知らぬまま、ただ富士塚があるということだけの知識でした
鳥居を潜ってすぐ左手に素敵な標柱がありました
ずずん!! 想像していたよりもずっと広い。。。
駒込天祖神社の兼務社だというのでもっと規模が小さいと思っていたのですがとても広い、そして 鎮 の文字がぴったりなほに鎮まったご神域です
大きな水盤よりもこうして並んでいる雰囲気、結構好きです
今残る富士塚は小さな祠が祀られる塚が一般的ですがこの規模だと大きな社殿がありそうです、そして手前にはリボン型に結ばれた注連縄が
朱が美しいこちらには札がなくお社でもないようですが神事の際に使われるのでしょうか
とてもたくさんの立派な石碑が供えられています
石段を登ると鳥居と御社殿、あぁ、、、とても気持ち良いけれど若干の緊張感もあります
御祭神は木花咲耶姫命、ちょうど西陽が社殿前に射し込んでいたので凄く穏やかな気持ちでご挨拶することが出来ました
何かの記事が貼ってありました、撮っておいて後で読もう♪
と、とある文字が目に飛び込んできた
曽我兄弟?! 曽我兄弟だって!?
竹に包まれた御社殿がとても美しいですね
社殿左手には休憩が出来るような場所があり、ぐるりと一周出来る遊歩道になっていました
ぐるりと右手側まで来ると石祠がありました
先程の記事によるとこちらが1711年に曽我兄弟を演じた歌舞伎役者達によって寄進された曽我兄弟を祀る祠ですね、屋根には卍が彫られています
先日箱根神社でご挨拶したところでしたがこうしてまたご挨拶出来るとは
となりにはしっかりとした鳥居と小社ですがこちらも扁額はなし
脇に小さな神狐さんが供えられていますがそれだけで稲荷さんだとは限りません、、、と言ってもお稲荷さんのような雰囲気でもあるのでちょっとわからないですね
こちら側からも御社殿を、、、と思ったらちょうど拝殿と本殿の間へと沈む夕陽が美しい
うわっ、撮った時は眩しくてわからなかったのですがレンズ効果で赤く花びらのように広がるのはよく写るのですが中央の太陽に黄色い環がくっきりと写ったのは初めてです!!
ちなみにこの写真を見た友人複数名に翌日、翌々日に良いことがあって御利益があるそうです(*´ω`*)
私には特に何もありませんでしたがw 皆さんに笑顔が広がればそれは私にとっても良い事です(*´ω`*)
先程のお社前から富士塚を下りはじめるすぐこちら、小御嶽神社の碑、御祭神は磐長姫命です
石碑の真正面に木、そして途中ではなく登りきる少し手前という不思議な位置なのでもしかしたら鳥居のある社殿の社号碑なのかもしれないと思いつつ、社正面からは見えず向きも斜め参道向きなので別な気がします
石段を降りて見上げるとこんな感じです
正面へと回っていくと、、、あれは?
庚申の碑もありますが溶岩石で組まれた部分は木で塞がれています
内部には祠が、、、いや、無い、ということは御胎内かもしれません、今では危険だから入らないようにということでしょうか
実は正面側こそ富士溶岩や石碑が並んでいますが塚上から周りは普通に山だったので元々あった山を富士山に見立てて正面を造営したという感じですがとっても素晴らしいです
そしてやっぱり境内全体からの不思議な気はあ最初にも書いた通り鎮めるという感じがとても強く、これぞ富士信仰といった場所でした
そう、噴火を繰り返す霊峰富士をなんとか鎮める為に選ばれた神こそが水神である木花咲耶姫、そのため石碑や奉納にも見られるように火消しの神様としても崇敬を集めていました
富士塚で火消し組の奉納はよく見られますがこちらはかなりその数も多く物凄く信仰されていた塚だったことが伝わってきます
というのが参拝時の感想ですが、そう、こちらの御由緒です
1573年に霊夢を見た名主によって椿山(現東京大学構内)へと勧請され、一帯が前田家屋敷とされた時にこの場所へと遷座されたそうですが、この場所には既に創建年不詳の祠と富士塚があったとされており、さらにこの山は古墳だったそうです
元は前方後円墳とされいますので円墳だけが残されて祭祀場であったとされる方墳の部分は崩されているのでしょうか
そして山頂の現拝殿本殿が椿山から遷座されたものとすれば元から祀られていたという祠は、、、もしかして境内右手のお社がそうだったりするのでしょうか、もしくはあの朱い社殿内?(いや、でも塚上から下には下ろさないですよね)
そうかー、この日はいつになくの~んびりした気分で巡れていたので全く繋がりませんでしたが、そうですよ、古墳ですよ!
古墳上に祀られたという神社特有の雰囲気、まさにそれでした! ほんと、なぜ気付かなかったのか( ̄▽ ̄;)
そして元の椿山のふもと?と思われる地には本郷富士浅間神社が今も残り、その境内もまた凄い 鎮 の気を放つ場所でした
のほほんとしていた一日にも関わらず重厚な鎮守の力を感じとった二社、是非とも両方をご参拝ください(*´ω`*)
あとがき
ひとつだけ気になったのは
駒込富士神社、駒込天祖神社、文京区、文京区観光協会とそれぞれが「名主が駿河から椿山へ勧請し現在地へ遷座」という方向で書かれているのですが、本郷富士浅間神社に立てられている文京区教育委員会の札だけが違う説明になっているのです
私の理解力が乏しいだけかもしれませんが、まず単語が乱立していてどれとどれが同じものを指しているのかがわかりづらい、重要視したかったのか本富士町の年と経緯がバラバラに書かれているのもややこしい(私も文才乏しく人のこと言えないけどw)
もし読解が間違いではなければ、この書き方からは名主が創建した浅間神社は椿山が国に摂取されたことで前田家屋敷内へ遷座、そこから駒込富士神社へ分霊されたという書き方に思えます
ただ、この説明には駒込富士神社側でもここから勧請されたと伝承されているように書かれていますが駒込富士神社ほか区や観光協会では一致して 遷座 としています
故あって遷座されたけれど元の地でも祀り続けていてどちらが本宮なのかというケースはよく見かけますが、こちらのように区とその組織である教育委員会で相違があるというのはあまり見掛けない気がして引っかかったんですよね
そういうもんなのでしょうかね(´・ω・`)
あ、いや、文句が付けたい訳ではなくて、私的には上述のように本郷でも駒込でもそれぞれとても凄い雰囲気を感じたので本郷富士と駒込富士の関係性が知りたかっただけなんです
神社と行政で連携が取られておらず各々で参考資料が異なるケースはあるようですが行政内で分かれてはあまり見ない気がします
この札を作成した時の教育委員会トップが本富士会の人だったとかそういうのだったりして(*´ω`*)