日々是"吉"日

ゆるゆるなスピリチュアルでパワースポットやパワーストーン、原石、お香などを楽しんでいる日々の日記です。

五年目に突入しました m(*_ _)m

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

早いもので年の瀬が、、、いや、どちらかと言うと私にとってはここ一年半ほどが随分と長く長く長く長い日々でしたが、このブログを開設して最初の神社参拝記事 江島神社 を書いたのが4年前の今日、2020年の11月21日でございました

 

つまり、今日から五年目に入りました~ヾ(●´∇`●)ノ

 

昨日までの参拝記事は568、同じ神社の記事も時々ありますがそれ以上に複数社をまとめた記事があるので参拝社数はさらに多くなりますが、これほどになるとは思いもしませんでした

 

こんなごちゃごちゃした参拝記をお読みいただき本当にありがとうございますm(*_ _)m  改めまして、

 

・独特な私の参拝手順について

・これまで感じた不思議な事

・四年間に参拝した中での推し神社

 

について独りごちでいきます(*´ω`*)

 


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私の参拝手順は恐らく独特かと思いますw いろいろと調べたり感じたり実行しながら考えた上で結構早い頃から今の形になっております

 

初めて参拝する神社においては御祭神以外の情報を極力排除するよう務めます、明らかに境内が広そうな場合は参拝時間を算出する為に境内図を探し、視覚情報となってしまうような写真などは出来る限り見ないようにします

 

最近は慣れてきたので例え先入観を持ったとしても実際に感じる感覚の方を優先して上書き出来るようになりましたが、それでもやはりできる限り無の状態で参拝した方が感度が上がる気がします(*´ω`*)

 

境内での参拝順はその時の感覚次第で主殿や境内社、どちらへ先に御挨拶するかを変えています、とにかく神社選びもそうですがピンと来た方へ進む感じなのでどんなに凄い神社でも主殿へ御挨拶するまでにのんびり長い時間を使うこともあります、それは周りを固められる神々への御挨拶を優先すべきと感じる時もあれば境内を巡りつつしっかり自分を整えてから主祭神へ御挨拶するべきだ、はたまたとにかく早く来い!と境内社様に呼ばれていると感じるなど様々ですw

 

ちなみに私は特別な決まりが無い限りは、少し手前でやや軽く一礼、拝殿前まで進んで一礼、鈴緒があれば鳴らして一礼、そして住所氏名を名乗って御挨拶や感謝をお伝えし、場合によってはその後に拝詞を唱えたり時には雑談(神社の感想や昨今の出来事など様々な独り言w)もw、最後に一礼してから静かにお賽銭を入れて二拍手、一礼で退出という手順を主流にしていますが混雑期などは拝殿に並んでいるうちから距離を見計らって心の中でお伝えすべきところをお伝え、拝殿前では最短で済ませたり、さらにお伝えしたいことがあればその後に脇へ避けてそちらで心の中でお伝えしています

 

基本的には、後日そのままを記事に綴り後半で由緒などを調べながら書いていきます(冒頭から調べながら書くことは少ない)ので私的には記事を書くことが二度目の参拝という気分でしてもはやセットでいち参拝という感じになっています

 

なので記事を書く時も凄く神聖な気分で満たされますし、実際に境内に立っているのと同じ感覚になれる、そして書き終えたところで本当の意味で参拝が完了するのです

 

これだと知らずに文化財境内社を見逃してしまうことも当然ありますが、私としては全てをしっかり紹介するというよりも御縁を頂き参拝出来た神社でどのように導かれるのかという事を感じていきたいと思っているからです

 

由緒や見どころをしっかりと御紹介されている方が他にいっぱいいらっしゃいますからね(*´ω`*)


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後でも少し書きますが、基本的に私は所謂 商業スピリチュアル は完全否定していますけど神様や何かしらに宿る力というのは存在すると信じています

 

ただベースとして否定から入るのは無闇矢鱈と思い込みだけで特別な事象へと結び付けたくないという気持ちからなのですが、そんな中でもやはり否定しようにも否定が出来ない不思議な事は起こります

 

まず手首ビリビリですかね

 

パワーストーンとしての意味は無視していますが、自分が御縁を感じ身に着けたいと思う石には何かしらの意味がある、そういう気持ちで着けていれば少なくとも精神的な効果はあると思っていますし実際に石自体が力を持っていたならば自分を支えてくれることもあるだろうと思っています

 

初めて手首にビリビリを感じたのは確か代々木八幡宮の境内だったと記憶しています、最初はゴムが産毛を挟んでいるのか、それかキツ過ぎたのかなどと思ったのですが石の径に毛が届いておらず勿論キツキツでもない、そもそも痛み方がそれとは違う、え?石って本当に何かそういう力があるの?!と気付いたのがこの時ですねー

 

思い込みかというとそんなこともなくて、そもそもそんなにしょっちゅうビリビリするわけではないですし、とても思い入れのある神社へ行っても何も感じない事の方が多く油断している時の方が多いので え?今なの?! ということばかりです

 

さらに不思議なのが風、参拝列に並ぶ前の方々の時も自分の後にもずっと見ていても自分の時だけ御帳がめくれ上がる、またはそれまでと逆方向に上がるといった事があったり、特に龍土神明宮ではビル間とはいえその前後に一切吹かなかったのに参拝中だけ突然吹き付けた豪風はもう踏ん張らないと立っていられない、というか御賽銭箱に手を付いてしまうほどの凄さで思わず笑ってしまいましたw

 

それでも身近で当たり前に存在する風という現象は偶然というタイミングや思い込みがほとんどなんだろうなーとも思っていたのですが、例え複数人で並び立っていたとしても同じような風が吹いていない、つまり物が揺れない風もあると言うことを最近知ることとなりました

 

それまではたまに見かける紙垂や葉っぱが一本だけ揺れているのもきっと目に見えない風の向きや角度、抵抗等の問題なんだろうと思っていたのですが、この経験から場合によっては もしかしたら? とも思うようになりました、まぁそこまでのケースは決して多くはありませんが( ̄  ̄;)

 

 

雨は参拝の直前に降って参拝後に止む(その逆もあり)というのがよくありますが私自身が晴れ男でもありまして参拝等無関係に普段の生活でも恐ろしく雨が避けられているのでまぁそんなもんだろうとも思っているのですが、今年の白山比咩神社などのようにまるで動くタイミングが導びかれているとしか思えないような降り方だったり、現代の発達した天気予報(雨雲レーダー)と現地が違う事まである、何よりも天候といえば京都と名古屋の晴明神社が最強でしょうか

 

京都では朝からずっと好天だったのに向かうタイミングから急に雨雲が空を覆い尽くし到着と同時に激しく打ち付ける豪雨と響き渡る豪雷、それも暫く雨宿りするとピタリと止んで太陽が出てくる中での参拝、名古屋ではやはり到着直前に突然横殴りの雪が降り境内に入ると止む、一年後の大阪でこそ何事も無く普通に晴れていましたが名古屋再訪ではまたしても参拝と同時に突然の雨と強風、それもやはり境内を出ると風も止み綺麗な星空にまでなって偶然にしては凄いタイミングが続いています

 

強烈な思い出は記事になっていませんが20年近く前に宮崎の青島神社へ行った時、到着と同時に突風豪雨が吹き荒れ止む気配は無い、折角来たのだからと覚悟を決め傘を諦めてずぶ濡れになりながら島へ渡ると風は止み雨は極小雨、なんだそれ?!と振り返ると橋の上はまだ突風豪雨、そんなことある?! そのまま雨霞に包まれた神秘的な参拝を終えて杜から島周りの海岸へ出ると嘘のような快晴になっていて真冬なのに全身からリュックまでが嘘のように乾いている、なんて事もありました、あれはさすがに凄かったなぁ

 

 

次に音、これも同じようにその前後では風や物音なども無いのにご挨拶や拍手に合わせるかのようにお社の戸やガラス、屋根などが コンッ コツン 、時に ガタッ と驚くような音が鳴る、勿論凡そ家鳴りのようなものとは考えづらい音ですね

 

鷲宮神社光天之池では拍手の直後に全く同じリズムでカーン、カーンと真後ろのお社の屋根に落ちた実?の音が境内全体に響いた(その前後では境内のどこに居ても実が落ちる音は全然鳴っていない)り、出世・岩代稲荷さんでも拍手に合わせて扉のガラスがコツンコツンと風も無く音が鳴ったりしましたね

 

 

続いて感覚、小野照崎神社やサクヤ様のお背中、池尻稲荷神社などで後頭部をツンと軽く突かれたり髪の毛をファサッと持ち上げられる感覚を受ける事がかなり稀ですが起こります、勿論自分が動いた事で揺れた髪、、、だなんて可能性はゼロです、それほど髪は長くないのでw

 

当然ながら周りには誰ひとり居ませんし鳥や大きな虫が来ていれば絶対に気付く、上は何も無い空だったり普通に屋根があって何かが落ちてくるはずもない、そもそもこのパターンでは後頭部なので上から落ちてきて当たる位置でもないしどちらかというとほんと、指でツンとされたり手で髪をファッともちあげられたくらいしっかりとした感覚なんですよね、これはほんと不思議で仕方がない

 

 

さすがに視覚系はほぼ無いのですが、鷲宮神社光天之池で音がなる直前、つまり祝詞を唱えている最中に虫の反射とは思えないしっかりとした光がゆっくりと池を横切っていくのをハッキリと見た(その後の拍手で上述の音)のと、つい先日では佐倉の出世稲荷神社で肉眼の視野には何も無いのにスマホカメラの画面内にだけ黒く丸い影がサーッと動くのを見たくらいでしょうか(急だったので撮れなかったのが悔やまれますね)

 

くらいでしょうかってどっちも凄いんですけどね、4年でそれぞれ一回だけしか無い謎現象ですね

 

 

写真の不思議といえばよく神様だ龍神様だと言われる光のほとんどはタダのレンズ反射や埃で撮ろうと思えばそんなものいくらでも狙って撮れるやつじゃねーか!(口悪いw)と思っていますが、多摩小野神社で何気なく雲で真っ白な空を撮ったら虫や何かの写り込みでは再現不可能な謎のジグザグ線が写ったり、水神宮とされる払沢の滝ではいくつか伸びる光の帯の中にひとつだけ広角撮影による歪みの法則に反した方向へ曲がった線が写った、三嶋大社の神馬舎ではレンズに光源が入らない屋根の下にも関わらず太陽と違う方向から謎の光の帯が写り込んだ、とレンズを否定出来ないものがいくつかあります

 

あ、勿論、滅多にそういう機会が無くて知らずに騒いでしまう人は仕方がないと思うのですが(そりゃ喜んじゃうよね)、どう考えても普段から狙って撮影していてどうやったら撮れるか分かった上で偶然神様やオーブが写ったって言ってるよね!!という人が嫌いなだけです←ハッキリ言うwww  あ、これは最後の話題だw

 

ただつい三日前のことなのでまだ記事にしていませんが、恐らくというかまず間違いなくレンズ効果なはずなのにこれだけ写真を撮って来た中で一度も見たこともない動きその時だけ映り込み、すぐに消えてしまうともう何度再現しようとしても不可能だったという事がありました、いや、それでもレンズ効果のはずなのですが、、、ね(´・ω・`)

 

 

そして唯一体験した極めつけは 声 でしょうか、あの声は決して忘れることが出来ないほど鮮明に覚えていますしきっとこの先も生涯忘れることは無いでしょう

 

熱田神宮の清水社でのこと、しっかり巡るのは二度目だったので看板なども読まず(いつもだろ)行ったは良いけれど柄杓を手に取った所で あ?これ一回じゃなくて何回か掛けるんだっけ? と頭の中で思うと直ぐに「三回かけたら良いと思うよ」と少し無邪気で楽しそうな感じの女性の声が教えてくれた

 

そっか、三回か(*´ω`*)  ...えっ、誰っ?!∑ ( 'ロ'  )

 

池周りは周りから下がっていて誰も居ないし見えないけれど上にも全く人の気配は無い、もし居たとしても聞こえた声は上からではなく後頭部と左耳の間からやや上くらい(そんな事まで覚えているほど鮮明だった)、というか耳からというよりも脳内に響いたような感じだったし、そもそも自分の問い掛けは心の中であって口には出していなかったのです(全く自覚無く声に漏れてた可能性の否定は出来ませんがw)

 

ちょっとだけ近い事では、ある日さぁ寝ようと目を閉じた瞬間に突如 吉備真備 と全く身に覚えがないというか響きだけは知っているけれど何をした人かもわからない名前が声にあらずとも声であるかのようにハッキリ明確に浮かんで来て驚きました

 

さすがにこんなことはありえない、何か意味があるはずだと、直前に調べていた参拝予定地域の神社を調べていくと...あったんです、真備公を祀る神社が! その位置と社名には見覚えがありましたが位置的に寄りづらく御祭神までちゃんと見た覚えはないのですが、チラリと見ていたとしてもなぜその御名が鮮明に出てきたのか不思議でなりません

 

 

体力面で言えばずっと行きたくて気持ち的にも高まっていたはずの貴船さん(鞍馬山)でもキツキツで

 

途中までリフトを使った高尾山の薬王院までですらヒーハーしてしまい、というか普段の地下鉄階段ですら息を切らすようなおっさんなのに稲荷山だけは汗ダクでヒーッとは言いつつも三度登って三度ともほぼ休憩も無く歩き回れてしまう、凄いのは早朝に登ってその後も巡拝するのに影響がほぼ残らないのはいくらお稲荷様が大好きだからといってもやっぱり不思議です

 

特別に想いがあって行きたくて行きたくて鞍馬山を登って行った貴船さんでも(険しさに違いがあるかもしれませんが)登るだけでかなり疲れてしまい、下りはバスだったのにその後の巡拝にもしっかり影響が残りましたからねぇ

 

 

あと、これは巡拝初期故の不敬という言い訳なのですが...神社とは違う湯島聖堂での出来事、ほんと今考えると決して軽々しく言ってはならない失礼極まりない事なのですが、あちらこちらで徐々に "おしるし" を感じはじめ、特に名古屋晴明神社で「京都で凄かった晴明さんだから雪でも降らせてみろよー」的な感じで口走ったらホントに横殴りの雪が降ったという経験をした後だったからでしょう

 

「あーあ、何も無いなぁ...神様か仏様か(その時は由緒を知らなかった)居るんだったら何か起こしてみろよー」なんて小さく声に出して口走ったまさにその瞬間、それまでずっと静か過ぎていた事にも気付かなかった屋根上の大量の鳩が、彼らを刺激するような音も飛来物も何も無いのに一斉に飛び立って境内の真上をぐるりと一周するとまた屋根の上に戻ったことがありました

 

どれほど神様や御神徳を感じたいと思っても決して自ら願う(こんな横柄さではなくともw)事はしないようになったのはその時からですね、何は無くとも神様は見てくださっている、何かおしるしを下さるかどうか、それが必要なのかどうか、あったとしても自分がそれを感じられる状態なのかどうか、なのだと

 

 

ざっとこんな感じでしょうか、まぁ600かそれ以上かを参拝して来た中でどう考えようにもただの偶然や思い込みとは済まされないほどのケースというのはざっと5%にも届かない程度じゃないかな、ほんと滅多にありません!( ・∇・)

 

巡拝を重ねて来て何かが高まったとか開眼したかといえばそれほどでもないのですがw でも、以前はさぁ次はどこへ行こうと探していたのが今では神様に行くべき神社を選ばれると言いますか、偶然名が浮かんだ神社に何故かその時期に調べていた事が関係していたり御縁が深まり始めた神様が祀られていたり、その時は無関係に思えてもやはり謎のまま参拝するその次の神社と思いっきり絡んでいたりするんですよね

 

意識的に次の目的地を探したり悩んだりする必要が全く無くなったのでとっても楽ですw というのは軽口で、それこそ導いていただいているという感覚が強くてすごく有難いのです


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神社やパワースポットというのはほんと様々ですしその人によってというだけでなく同じ人同じ神社であってもその時の状態によって変わっていくはずなので非常に難しいのですが、折角のこういう記事ですからランキングではありませんがオススメをいくつか(*´ω`*)

 

って600以上の中から絞れるのか?!自分!!w

 

 

そうですねー、話の流れからしたら、まずはやっぱり晴明神社ですかね(*^^*)b

 

京都は一度しか行けていませんがやはりあの凄さ、さらに関連して名古屋晴明神社では2度行って2度までもとなればやはりそのお力というかおしるしは疑いようもありません、晴明公を祀る神社自体が少ないのですがご挨拶してみたいところもあるんですよねー(場所的に行きづらい)

 

山という御神域の力を特に感じたのは王道ではありますが岩木山神社二上射水神社、高岡氣多神社、日光二荒山神社、葛木御歳神社、そして白山比咩神社ですかね

 

山とはまた違った感覚で権現様としては上杉神社裏に祀られる飯縄白狐の右近左近、川越熊野神社秋葉神社、大綱金刀比羅神社は記憶にスッと出てくるほど凄かったです

 

御神域の力が凄かったのは佐久奈度神社、栃木大神神社、船形麻賀多神社、京都野宮神社、率川神社、御香宮、外宮の別宮 月夜見宮、そして駒木諏訪神社ですね

 

数多い八幡様の中では大崎八幡宮百舌鳥八幡宮が凄かった、天神様は大阪天満宮と錦天満宮が素晴らしかった、あと今宮神社の素戔嗚様はちょっと別格でした

 

大好きなお稲荷様では伏見稲荷山は当然として、川越の富士見稲荷、品川神社の阿那稲荷、穴守稲荷、出世・岩代稲荷、浅草の被官稲荷、王子稲荷と装束稲荷、宇賀福さんと佐助稲荷、そして何より元稲荷とされる京都船岡山の善照稲荷はその由緒を知らないままに参拝して小さな境内なのに稲荷山と同じ感覚だと感じ取ってしまい後から由緒を調べて仰天するほどに凄かったです、ほんとあれはびっくりした

 

あと若干テーマパーク的な部分もありますが、金蛇水神社は一見すると商業スピリチュアルテーマパークのように思えるのですがその御神威は間違いなくある、と感じましたので車で行かなければ不便な場所ですが御神徳を頂きつつオシャレにのんびり楽しめる素晴らしい所だと思います(*´ω`*)

 

なんでしょう、厳とした神社らしき神社は勿論好きなのですがガチ派ではない一般の人にはちょっと近寄り難いという雰囲気もありますよね、そういう意味では気軽に行けて楽しみながら御神域と御神威に触れられる神社って連れ立って行くには最適だと思うんですよねー(*´ω`*) ボッチ参拝にはチョット辛いんですケドネw

 

もう気持ちとしては記事に書いたほとんどの神社を推したいところですがw とにかく、近くの神社、氏神様へ気軽に行ってください(*´ω`*)

 

神社も皆さんが来やすいようにご利益を謳っていますが基本的に全ての神様は御先祖様です、もしかしたら血が繋がっているかもしれない、血が繋がっていなくてもこの国の礎を築いてくださったからこそ祀られている地域や国、国民の守護霊です

 

御先祖様のお墓参りに行って 宝くじ当たりますように! 昇進出来ますように! 結婚出来ますように! なんてお願いします?(する人も居るかもしれませんがw) それよりはどちらかというと、大事な~があるから見守っててください、といったご報告や御礼をお伝えされるのではないでしょうか

 

神社も同じでいいんです、ちょっとしたお賽銭(奮発したとしても)で何かしらの願いを叶えて貰おうとするのではなく、日頃こうして健康で居られる、幸せでいられる、辛くてもなんとか頑張っていられる、それを見守って頂いている事に感謝をお伝えする

 

そしてゆっくりと境内やお社の空気を感じてみると今までと違った景色が見えるかもしれません、何かが感じられるかもしれません

 

どんなに小さく目立たない神社であっても、特に凄い事など何も起こらなかったとしても あぁここってこんな風だったんだなぁ 何か空気感が違うんだなぁ という気付きがあるかと思います(*´ω`*)

 

そういった気付きが見つかれば、自宅では集中出来ない時に図書館で勉強するように、何か悩みや考えたい事がある時に神様へご挨拶して境内の隅やベンチ、気になる木や岩の近くで考えてみると意外と答えが出たりほぐれたりするかもしれません

 

神棚を置いたり参拝までせずとも、立ち止まるまでしなくても神社や街角の祠の前を通る時には境内や社殿・祠の方を見て心の中で こんにちは ただいま とお伝えするだけでも何かが変わると思います(*´ω`*)

 

あとはほんと、普段はそんな事ないのに何故かいくつもりになったとか不思議なご縁があった時というのはほんとに是非参拝してください、そういう時こそ何かがあったりするのできっと御利益が頂けると思います(*´ω`*)


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ちなみにやっぱり神社はパワースポットで行けば元気が貰えると思うのですがいくつか思うところがあります(いつも言っている事ですが)

 

昨今も問題になっていたのですが、御神木、御神石などに触れたりお金を置く、手を翳すといった行為ですね

(注:その神社さんが推奨されている場合は除きます)

 

とーーーっても気持ちはわかります!! 少しでもお力を感じたい、頂きたいと思う気持ち、その為に手を触れたい、翳したいという気持ち!! 御供えとしてお賽銭を置きたい気持ち

 

でも考えてください

 

基本的に古来よりの御供えは動物や食物、酒などでした、召し上がっていただく為のものですね、また通貨が存在しなかった時代にはそういったもの自体に価値があったんですね

 

やがて貨幣が価値を持ち、また置いていかれるとカラス等に荒らされる、腐敗して処分が大変になるといった理由もあってお賽銭になりました

 

私的にはお墓参りに行くと買っていったお団子を供えて手を合わせる、そしたら持ち帰って帰りの車や家で食べるのが普通でしたから、それは神道にも勿論のこと神饌として存在していますので供えて置いてくるというのが不思議でならないんですけどね

 

さて、食べ物においては捕獲収穫して供えるものですが銭となると話は違います、人々の手を渡り欲に塗れていると考えられている、だから御賽銭箱があってそこにお入れすることで直接御神域に触れて穢すことのないよう、そして 浄 の字が書かれている事が多いと思いますが箱の中で浄化されますという意味になっています

 

元々天皇しか参拝出来なかった伊勢の神宮ではお賽銭というシステム自体が存在せず、民へ参拝が解放されると皆が銭を投げるようになってしまった、大変神聖な土(石)が穢されるわけですが民の思いを無下にするわけにもいかない、かといって畏れ多くも正宮に御賽銭箱を置くわけにもいかない、というわけで御布を掛けてお賽銭が直接御神域に触れぬようしているわけです

 

つまり、神池や御神石などに御賽銭を投げ入れたり置いて来るということは神の力を持つ場所そのものを穢すことに他なりません、そんな事をしてパワーや御利益が頂けると本気で思えますでしょうか、勿論御賽銭箱に対してもポイッと御賽銭を投げ入れる方が多くいらっしゃいますが、挨拶や物を頼みに来た人が折角持参してくれた手土産を投げて寄越して来たらどう思うか、という話です

 

また、最近も問題になっていたのは御神威宿るとされる霊石に集団で手を翳す問題もなかなかに無礼だと思っています

 

いやいや、穢れたお金を置いているわけじゃないし触れているわけでもない、御力を頂こうとしているだけじゃないか!!と言われるかもしれませんが神聖な御神体に対して上から手を翳す行為をどうして無礼と思わないのか不思議でなりません

 

基本的に本殿や御神体は懸けまくも畏き存在ですから高い位置に祀られるものですが、古来よりそこにいらっしゃる巨石などは移されず低い位置にあることが多い、勿論ひれ伏せとまでは思いませんが、神の頭へ上から手を翳すと考えればどれほど無礼な事かわかりますよね

 

そんなこと、神道ではなく仏教キリスト教イスラム教、どんな宗教であっても当然のことですしそもそも宗教に限らず一般の人々の中であっても同じ事でしょう、なぜパワースポットとして崇めておきながらそんなことが出来るのか不思議でなりません

 

わざわざ触れるなとも書かれず囲いなども無ければどちらとも判断付きませんが、どうぞ触れて御神威をお感じになってください、と書かれている場合であっても畏る畏るそっと触れさせていただき有難く思うものではないでしょうか

 

石や木には御霊が宿る、と私は信じているのでそういう意味ではパワーストーンも存在するとは思っていますが所謂 スピ系 を私が嫌うのはこういうところです

 

本当に特別な力を信じて御利益が頂きたいのであればそのような行為など出来るはずもありません

 

まぁ細かい事を言えば、御神域で撮影し、許しが得られたと感じた時には拝殿内や御神石の写真を撮ってブログにしているのだって不敬だろうって話になるのですが←

(勿論撮影禁止という場所では撮りません)

 

なぜこんな事をしつこく書くのかと言えば、昨今特に、スピ系の方が神社公式には伝わっても謳っても居ない内容で人々へ伝え周り、それを聞いた方があろうことか社務所へなぜもっと告知しないのか、なぜ正式な手順を案内しないのか、なぜもっと整えて祀らないのかなどとクレームがつけられるケースが後を絶たないというからです

 

無茶苦茶ですよねw どこの誰とも知らぬ人が勝手な事を言っていてそれを信じて苦情を入れられたってそんなもん知るかって話ですよw でも、そういう方ってほんとガッツリ信じて疑わないわけですから酷いケースだと、隠しているとしか思えない、やはり真実なんだ、と飛躍されると言うのですからもう...

 

でもねー! 素晴らしい場所ではやっぱり全身全霊で御力を受け取りたいのは私も同じです!!

 

じゃぁどうすんだよ!! って話ですが、せめて起立して頭を垂れ目を閉じて全神経を集中したらいかがでしょうか(勿論、他の人の邪魔にならぬように)、もう少し、と言うのであれば翳すのではなく腕は体側のまま掌だけを御神体に向けるとか、あとは直接御神体に翳すのではなく空へ向けたらいかがでしょう(傍目にはとっても恥ずかしいと思いますがw)

 

まぁ、、、そもそも波長が合って ここ物凄い...!っていう場所ではもはや何もしなくとも立っているだけで物凄いですからね、そしてどれほど素晴らしい場所だと言われていても自分自身やその時の波長が合わなかったらほんっと何にも感じられませんから、その状態で手を翳したからって御力はいただけないと私は思うんです

 

突き詰めれば作法通りにしなければ不敬!とも言えてしまうのですが、少なくとも心を込め敬う気持ちがあって明確に無礼な態度をとりさえしなければ問題ないと思います

 

 

ちなみに御賽銭で五円が良いとされていたのは、御縁という語呂だけではなく五円玉には農業水産業工業林業を表す稲穂、波、歯車、双葉がデザインされており発行当時としては決して安くはなくどんな方でも御供えしやすい金額だったことから主流になったと言われています

 

貨幣価値の変わってしまった、さらには両替手数料が高額になってしまった現代においては気持ちはあれどあまり適しているとは言えないでしょうね(。-_-。)b

 

あとたまに聞きます、ついで参拝はダメ、直行直帰が原則!という話もありますが、それは相当の想いを持って祈願される場合に限られるでしょう、御挨拶へ行くには問題ありませんし、特に神事御祈祷などであってもその後には直会といって会食されるのが普通だったりしますのであまり堅苦しくなりすぎずとも良いと思います(*´ω`*)

 

 

というわけでズラズラと語ってしまいましたが、ここ最近で参拝させていただいた神社さんもほんっとに素晴らしく、また年末年始には今年もまた大巡拝が控えております

 

拙い文章で痒いところには全く手が届いていない記事ばかりかもしれませんが、御縁を頂いてお読み頂ける方々には心より感謝しております、また記事を通して皆さんに良き事がありますように願っておりますm(*_ _)m

 

ありがとうございます!!

 


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