どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、能生白山神社です(*´ω`*)
10月半ば、実はちょっと前から考えてはいたのですがタイミングを逃したなー、ということで諦めておりましたが、僅か数日前、急に思い立って 行ってしまえーっ!! ということで糸魚川行きを手配してしまいました(≧∇≦)
前夜、東京駅へと向かい蟹の化石にご挨拶w
夜行バスに揺られて一路日本海へ...え? いい歳こいて身体に辛い夜行バスかよ、って感じですが若い頃こそ予算削減を主目的にしておりましたが今では違う、七尾行きでもそうでしたが到着が早く早朝から動けることこそが特大メリット!!
ただし、コロナ禍以降は上越行きが無くなってしまったようで未だ復活せず、悲しいかな夜明け前に目的地を通過して行き到着したのが夜明けの富山(*´ω`*)オハヨウゴザイマス!
目的地を通り過ぎて戻らなければならないのですがそれでも時間的にかなり早く到着出来るし予算的にも安いのです(ただし身体はキツい)
富山駅から あいの風とやま鉄道 に乗って北へ
北陸は三セク移行区間がかなり多く入り乱れているので乗り換えや切符購入は事前に調べておかないと大混乱!! ですが今回は富山発なので一気に目的地まで購入(*´ω`*) 知らないと なんだこりゃ って切符ですよねw
あいトレの券売機でパッと見は買えなさそうなのですが左端の路線ボタンを押せばその先まで購入できます(*´ω`*)
泊駅で同じホームの前に停まるえちごトキめき鉄道に乗り換えます
富山方面からだとICカードでここまで来れてしまうのですがトキめき鉄道区間は対応していないので泊で一回改札を出てチケットを買い直す(車内で切符購入は出来ますがICカードの精算は出来ないかと ^^; )必要があり、乗り継ぎ接続時間が僅かだと絶対に乗り遅れますw
あぁ、もうすぐ雪の季節ですねぇ(*´ω`*)
うみを眺めながら
親知らずを通過し
やって来ました、能生!!
おぉ!! 可を付けたら可能性じゃないか!!...あ、立心偏が…
いやー、歩き始めてすぐに感じました、めっちゃ好きな街だ!! 長閑で雰囲気が物凄く良い、出生地に似ているわけではないし初めて来たのにこの帰ってきた感、そして海と山の空気がとっても美味しい!!
しかも歩いて居て数人の住民の方とすれ違ったのですがなんと全員が おはようございます(*´ω`*) と笑顔で挨拶をくださる! 確かに挨拶強化週間?的な幟がちらほらとあることに気付きましたが帰りも含めて挨拶率100%なんて地域なかなかありません
駅から20分ほど、到着しました、能生白山神社!!
うわー!! うわー!! うわー!! 物凄く素敵な雰囲気!!
とーっても静かな境内には水の音と鳥の声だけが響いている、なんて素晴らしい御神域なんだろう
おっと、向こうに鳥居が見える、ということで正面参道へ
やっぱり早朝参拝は良いですね(*´ω`*)
とても立派な水盤、あれ?心做しかお水がすごくしっとりというかトロリとしているような気がするけれど気のせいだろうか
それでは、、、いざ! って逆行で少し見づらいですが
ものすごーく可愛らしい、でも巨大な狛犬さん達が石段の上から超ウェルカムな瞳でお出迎えくださって思わず笑みが零れる
失礼かもしれないけれど、良い子にじっと座ってはいるけれど尻尾フリフリしながらハッハッハッハッて目を輝かせているイメージw
はぁーーーっ、ため息の出る美しさですね
それでは...ご挨拶!! まだ8時過ぎだけれどちょうど着いた時に扉を開けてくださっていたのでとっても助かります
境内後ろにも水が流れているのですが拝殿前にも少し流れていて短い太鼓橋を渡ります、もう何重にも結界が貼られている感じで凄いですね
薄暗く重厚感のある殿内は適度な緊張感よりも落ち着きに満ちている、手前のお賽銭箱前で一旦ご挨拶し、靴を脱いで上がらせていただき正座で心身を統一する
うん?と疑問はありましたがそこはうっすら想像がついたので頭は置いておき、その御神威に全神経を集中する
うん...うん...この雰囲気は紛れもない、お寺の雰囲気ですね、これがもうぐいぐいと吸い込まれて無心のままに暫し時を過ごす...あぁ、とっても有難い自らに向き合う事の出来る場所だ
神額だけ撮影してきました(*´ω`*)
あぁ、この藁葺の上に伸びる草、好きなんだよなぁ(*´ω`*)
と社殿右手側へ行くと、、、裏手の本殿前へ行ける!!
こちらにも手水舎が? .........?! 氣が、氣が違う?! というか濃密な感じがする
勿論、この見た目もそうですけれども、この背後の岩の隙間なんて絶対に眷属様とか妖精さんとかいらっしゃいそうでいかにもな雰囲気があるし!
いや、それどころじゃない、と見上げると...あっ
祠、水神様だ! そして手前の苔むした石が物凄く素敵だ
左手、右手、、、そして口を清め...清め...!!
注 : 御神水でも水質検査されていない場合は直飲用を避け、煮沸してから飲むようにしましょう
岩の中を通しているようだけどこの水量だと水道水かもしれないしねー...自己責任(ボソッ) ほんのチビっとだけ
...コクッ...すぅーーーっと染み渡る感覚が凄い
そして本殿、石段を上がり門前でご挨拶させて頂く
こちらが仏像が安置される本殿、ただ物凄く山の氣が強くこの地形からも山自体が御神体になっているのでしょう、凄く山に抱かれているような吸い込まれるような心地良さがあります
拝殿裏なので薄暗くはありましたが参拝中特に太陽が翳るということもなく明るかったはずなのですが空を見上げて撮った後で補正が変わらなかったのかちょっと幻想的
太陽が当たらない北側の藁葺がとっても良い感じです
いやー、この場所、めちゃめちゃヒーリングスポットだなー、と見回していたらなぜ気付かなかったのだろうっていう岩肌に祠が祀られていました
妖精さん居ないかなー(*´ω`*)
境内真ん中、四角い池には鯉や金魚が泳ぎ、松が御神木になっているのでしょうか
こちらが神楽殿ですね、その後ろには宝物殿があります
こちらは秋葉神社、ですがやっぱり御堂の感覚が凄く強い、こういう時は自らの感覚に従ってご挨拶、心落ち着きます
ゆっくり堂内を眺めていると おや? と思ったので上がらせていただいて見るとご由緒でした、江戸期に薬師如来が安置されたのが廃仏毀釈で仏像は寺へ移され秋葉神社になったんですね
いやー、糸魚川を超えてこちらの為だけに能生までやって来ましたが、ほんっと来て良かった(*´ω`*)
細い道の向かい側には民俗資料館もあるのですが資料整理のためとして2019年から閉館しているようです(ずいぶんと長いですが所謂感染予防的な感じもあったのでしょうか)
それでは調べてみましたがやはり少し難しいですね
Wikipediaには創始は崇神天皇11年(前87年)の11月初午の日(最初の午の日)だとされておりかなりの古社になりますね、元は奴奈川姫命を祀る神社として創建されたようです
この後が少し不明、元正天皇の代(720年前後)に泰澄大師が仏像を安置して白山権現とし、11世紀に白山比咩神社より分霊して旧社に合祀した、能生山泰平寺宝明院は白山権現の別堂として栄え...と急に主語が変わっていて意味が通じない( ̄▽ ̄;)
ウィキあるあるで、そもそも諸説がある中で掻い摘んで纏めてしまうとこうなるという典型例ですね(。-_-。)b まぁいつもの私の記事もそうなっているかもしれませんが...
別説を見つつなんとなくまとめると、紀元前87年に創建された奴奈川神社に加賀白山を開山した泰澄大師が仏像を奉安したことから白山権現として信仰されるようになったのでしょう、菊理媛神が御祭神とされていた時期もあるようです
別当とされた能生山泰平寺宝明院の建立が11世紀頃のようなのでその際に改めて正式に白山権現が勧請されたのでしょうか、もしくは白山権現とされていた奴奈川神社から仏像を宝明院へ移したのかもしれません
かなりの大寺院になっていたにも関わらず廃仏毀釈には勝てずに廃寺となり僧侶や宝物の一部は白山神社へと移されたそうですが当時の寺の一部が光明院として残っているようです
というわけで難しいわけですね、勧請されたのが白山比咩ではなく権現様なのでそういう意味では神社としては変わらず奴奈川姫が、もしかしたら夫神である大己貴命も創建当初から変わらず祀られていると思われますが白山権現時代にしっかり菊理媛神として祀られていたとすれば、二柱の姫神だったのかはたまたその都度入れ替えられてしまっていたのか
この辺りが神仏習合の難しいところですね、私は習合自体は全く否定しないのですが同じ神仏名であっても神様としてなのか仏様としてなのか、どちらを強く拝んでいたのかによって神仏の宿られ方が違うように感じます
神様ーーー!神様ーーー!と言いながら仏像を拝んでいたらその仏像に降りられるのは神様(もしくは儂は仏ではないぞ!と降りて来てくださらない事もあるかも)であってその逆も然りだと思うのです、あとは、神仏の御力というのは想う人々の念の集合体であって皆がどれだけ強く念じているかによって変化するものだ、という考えも少しあります(*´ω`*)
で、じゃぁお前さんは一体何を感じたんだい、と言われれば能生白山神社からは神社らしさも少し、権現様らしさも少し、でも一番強かったのが背後の尾山からでした、それが神様が坐られるということなのかもしれません
さて、まだいろいろありまして、謎なのが伊邪那岐ですね、白山権現が勧請された事で奴奈川姫が菊理媛になってしまったり、中には同じ神なのではないかという説まであったりするのですが、それは置いておいて
白山として勧請される場合はイザナギイザナミ併せ祀られるかイザナミ単神である事が多くイザナギ単神ということはあまり見掛けません、まぁそれも恐らくは元々姫神がいらっしゃったのでというような理由だと思います、意外とそんな感じだったりするというのをこれまでで学んできましたw(ちゃんとした理由があるかもしれませんが)
そして最後に、高志の国と言えば沼河比売ですね、夫となった大己貴は出雲へ帰り姫がこの国を治めており今でも大切に祀られご当地キャラにぬーなちゃんが居るくらいですからね
そんな沼河比売ですが、滾々と水の湧き出す岩井口というところが沼河比売の産所、さらに能生谷の矛が峰にたくさんの窪穴が宮跡で大国主が求婚に訪れたという、また権現岳に大国主が訪れた際に滞在する宮があったとされており、定かにはなっていませんが伝えとして能生川上流域が居住地(宮跡)だと言われているのだそうです
ちなみに産所についてのちゃんとした説明が見当たらなかったのですが恐らく沼河比売が産まれたのではなく建御名方などの御子を産まれた場所ということなのだと解釈しております
さて、延喜式に記載される奴奈川神社の論社とされる能生白山神社ですがこの事がヒントになるのかどうか、そのあたりは次の次の記事にて考えてみたいと思います(。-_-。)b
そういえば触れたことが無かったような気がするのですが、こうして今回が4度目になるでしょうか、とても好きな街のひとつである糸魚川ですが、実は糸魚川という川が無いのをご存知でしょうか
諸説ありまして最有力な説ですら謎があるという状態ですが、市内を流れる川で日本海へ流れ込む主なものは姫川、能生川、青海川、名立川くらいでしょうか
地名としては広く沼川と呼ばれ糸魚川と呼ばれる地域は一部だったようです、さらに糸魚川は元々糸井川だったと思われますが糸の様に細い川という意味からすると上にあげたような主要な川ではなく上流域の事を指すと思われる、ではなぜそれが合併によって市の名前になったのか、そしてなぜ魚の字が使われるようになったのかは全く分かっていないそうです
ぬなかわひめ には奴奈川姫がよく使われていますが、沼河比売という字も使われることからその名の川が無いのに沼川と呼ばれていたのはこの地を治める姫の名からだと想像することが出来ます、宮跡や産所とされる地域も糸の様に川が多く流れていますし糸井造が住んだ場所とされる姫川上流もやはり似たような...あれ? 待って、糸井造(いといのみやつこ)ですって?
と調べてみれば、糸井造の名が見える糸井神社があるではないか! どこどこ?! ...磯城郡...磯城郡?! 大和?!Σ(゚д゚;) 年末に奈良へ行くけれどご挨拶に行く時間はちょっと取れそうにないなぁ...いや、そうでなくて!! 磯城でなぜ糸井?!
ちょっと調べてみれば神社との関わりは不明らしいが田原本町あたりが糸井荘だったという、ならば大和か姫川へ移って糸井になったのか、はたまた逆で姫川から大和へ移って糸井荘を開いたのか、そもそも関わりがわからないのに社名に糸井が使われているのも謎ですがここでその深堀りは "沼" にはまるのでやめておきましょうw
この後少しだけ海沿いへ行ってから戻ってきて時間いっぱいまで素晴らしい境内を堪能しました(*´ω`*) 当然ですが、電車やバスの時間と経路をしっかり確認して見計りながら動かないと大変なんですよねー(*´ω`*)
それでは次の神社へ!!