どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、弁天岩厳島神社です
さぁ今回の旅は早朝巡拝を目指して夜明けに到着する夜行バスで富山からのスタートでした、富山から二時間かけても始発の新幹線で行くより1時間早く能生へ着けるのです
次の目的地へ向かうバスの時間までに移動と参拝をまとめなければならない、かと言って急いだ参拝はしたくない、ほんの数分超えただけで次の手段は1時間近くズレてしまう、というわけで流れ次第の参拝予定にしていたのがこちらでした
白山神社の参拝を終えて時計を見ると、うーん、出来ればここから近い能生事務所・生涯学習センターからバスに乗りたいけれどさすがに往復出来ても参拝時間が無い、まぁ折角だし1時間ズレるけれどちゃんと参拝して電車での移動にするかー
......ん? ちょっと待って、こっちから行けたりしない? とナビの逆方向へ少し行ってみたら...行けるじゃねーーーかよぉぉぉぉぉおお!!www おい!! ナビwww
写真左が白山神社ですね、右のカーブが地図のトイレと駐車場のところですね、普通に柵も無く普通に歩いて行けて普通に国道の下を潜って弁天岩まで行けるぢゃないか!! っていうかこの道をそのままもう少し北へ行って弁天大橋東詰の信号を渡ったって目の前ぢゃねーか!!(爆)
というわけで5分と掛からずに到着しました、わー(*´ω`*)
やっぱ海はいいねぇ、そして島はいいねぇ、赤い橋もいいねぇ
はい! 弁天岩でございます!! これぞフォッサマグナ海底火山による岩礁ですね、周りにもボコボコと岩が突き立っていて見るからに絶好の釣りスポットですね、周りにも何組かいらっしゃいました
それでは、、、島へ!! 鳥居だけでなく橋も御神域を守る場所ですから渡る前には軽いお辞儀でも良いので心得ておくと自分も気持ちが良いですよ(*´ω`*)
ちなみにこちらが弁天大橋かと思ったら国道自体が弁天大橋でこちらは曙橋だそうです( ノ∀`)タハー
優秀な?スマホの補正により肉眼ほど綺麗には撮れませんでしたが翡翠色といえるような美しい海ですねー!!
優しい潮風がとっても心地よい、気付いてみれば明け方から肌寒かったのですが駅から歩いてきていてもう汗ばみはじめていました、上着脱ごっと(*´ω`*)
それでは、登拝(というのかは?)開始!!
整備されていますが岩礁らしくちょっと不安定な階段を上がっていくとお社がありました、厳島神社です
なんと千年前から鎮座されており60年毎の本開帳と間の中開帳がありそれ以外の平時は白山神社本殿に御神体がいらっしゃるんですね、そこまで読んでいませんでしたが(いつものこと)御神体がいらっしゃらなくとも岩からの氣が凄い、海からの力がギュッと凝縮されているようでさらに屋根や岩肌には背後の朝陽に煌めく波光が反射してとっても幻想的です
折角なので上まで登りましょう(*´ω`*)
頂上からの眺め!! さいこーーー!! って今気付いた!! 狭いから広く写したらものすっごい格好悪い自分の影がっwww 世界に拡げよう笑顔と平和の輪っ!!!
あれ? こちらにも祠がある、善宝寺って書いてあるけど龍神様のようだ(由緒に書いてあったけど読んでないからね)
こちら、海だから龍神様かーと短絡的に思ったのですが東側に突き出た岩礁の間に竜宮の入口があるという伝説も伝わっていたりいなかったり(どっちやねん)するそうでその関係があるのか山形県の善宝寺から...ってなぜ山形?!
と調べてみれば鶴岡なんですね、日本海側なので納得、善宝寺は951年に開かれた龍華庵が始まりで近年に復活された龍神講があるほどの龍神信仰寺なんですねー!! 鶴岡は昔一度だけクラネタリウム目的で行った事があります(*´ω`*)
おや、西側に鳥居がありました、綺麗に鳥居を通るには島の右から登って厳島神社に参拝したらそのまま左側から登ってくると良いですね d(*´ω`*) この部分が一番ゴツゴツしていたので登りは良さそうですが下りは気をつけてくださいませ
鳥居と灯台!!今はもう役目を終えているそうですがシンボルとしてこのままずっとあって欲しいですね(*´ω`*)
橋はこちらからの方が綺麗に見えますね
あー・・・顔に見える
エ〇ァンゲリオン、発進!! 的な
もう少し詳細を調べてみようと思ったのですがこれ以上の情報が出て来ませんでした(´>∀<`)ゝ
とっても素晴らしいので皆さん行ってみてくださいねー!!
さて、意味不明な遠回りをする必要が無かったので能生白山神社へと戻り、そしてバス停へ向かいます
いやーやっぱりひとりしかすれ違いませんでしたがしっかり素敵な挨拶をしてくださってほんと気持ちの良い街です(*´ω`*)
と、、、ぎゅぅぅ、、、えっ?! 今?
それがこの石碑の横を通り過ぎようとしたその時でした
特に何も感じなかったしなぁ、と見てみればお寺さんの碑のようですね、左手には確かに大きな金剛院さんがある、でもご挨拶する時間は無い(´・ω・`) とお辞儀だけして先へ進みました
調べてみると寺名からそんな気がした通り真言宗である事以外の情報が無い、、、っと、その少しズレた裏手に光明院がある! 光明院も真言宗なんですね、さらに越後八十八ヶ所霊場の一番札所なんだ!!
その道向かいには実相院というのがあって二番札所なんですね、そして詳しく調べてらっしゃる方がいらっしゃいました、別の情報でザックリ廃仏毀釈と書かれていた情報とは異なり、大勢を誇っていた光明院や実相院を潰した張本人はなんと堀秀治だったようです
神仏崇敬に篤かった上杉家が会津へ去り、新たに春日山城主となった堀秀治は領内整備として寺社領を広く召し上げ、と言っても許される範囲内という手を駆使して、それによって多くの寺が潰れてしまったようです、寺が無くなって神社が残ったと言えば確かに明治のせいだろうと思ってしまいますよね、意外でした
まぁ一説ではありますが、上杉家は残された民のため、そして移るとはいえ安易に出ていくことはせず謙信公の墓はそのまま、菩提寺など主要な寺もそのまま残していくことで領民の上杉魂を大切にしつつも新領主の思うままにさせないようにした、その結果領内はなかなか治まらず一揆も起こる、堀秀治が早世したのもその心労があったのかなかったのか...?
いやー、なぜ南無阿弥陀仏と掘られた碑のところで急にビリビリが来たのかと不思議だったのですが、あれが無ければこれを調べることは無かったでしょう
何気に私は前田慶次と上杉家が好きなので去った後の越後についてというとても興味深い情報に繋がるとは思ってもいませんでした、ありがたやありがたや(-人-)
さて、それではバスに乗りまして次の目的地へ向かいますよー!