どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日からは館山巡拝でございます( *・ω・)ノ
(注:御祭神名について、この後の記事も含め 刀 と 乃 が混在しますがこれは伝承自体が混在しており正しいのがどちらかという確定がなされていない為です)
まず最初は洲崎神社です
いやー綺麗ですねー、びっくりしましたねー
この日の天気予報は朝が雨、昼に一旦止むけれどまた降るというものでしかも前日が夜遅くまで仕事、さらに残業となったので寝る直前まで少し悩んでいたのですが、雨でも行く! と決めたのでした
バビューン! と今回は高速バスでございます(*´ω`*) いやー、天気予報嘘でしょ?ってくらい都心は晴れていましたが千葉方面はどっぷり雲がありますね、やはり予報通りか、まぁ覚悟はしてきたから(*´ω`*)
館山から路線バスに乗ってチーバくんの靴先までやって来ました、洲崎神社です!! ...い、いや、これは凄いぞ
実は安房神社を先に参拝してから歩いて(調度良い時間のバスが無い)こちらへと思っていたのですがフラワーラインの二時間雨中徒歩を敢行するのは辛い、というわけでこちらから巡拝することにしたのです
まぁいつものように境内図と表示されてしまった若干の写真しか見てきていなかったのですが、、、この時点で想像を大きく超えている、というか早くも手首のビリビリが始まっている、嘘でしょ Σ(゚д゚;)
一旦浜まで降りていくと一の鳥居があります、いやー壮観! そして見えますかね、こんな天気ですが鳥居のど真ん中に薄らと富士山のシルエットが!!
いやー天気さえ良ければ物凄く美しい富士が見られたんですね! ってそんな贅沢を言っちゃぁいけない、そもそも今もまだこの辺りは雨が降ってる予報なんだから
海沿いまで降りてきた理由はこちら、御神石!!
そこまでしなくても、と思ったけれど一応境内図を見てきて良かった、でなければ気付かなかったかもしれません(いや、さすさに海は見に来たかなw)
海、御神石、そして社殿が見渡せますね、なんて美しいんだろう
そういえば...全部西を向いている?!
いやー、それにしても凄い巨石ですね、由緒はちょっと読みづらいのでいつものように最後に解読します
この辺りは凄い岩盤なのですが御神石のような箇所はどこにも無くほんとに一体どこから来たのだろうかという存在感ですね
トンビが間近に挨拶しに来てくれたので手を振って参拝に向かう
車は通らないように、という鎖で脇から入れそうでしたが一応潜らずに横で一礼して向かいます
物凄く立派な社号碑ですね、そして境内が広い、まるで浜から丘、そして山までもが全部神社のように思えます、というのもバスを降りてから浜へ向かう、そして戻ってくる参道でも断続的に手首がぎゅっぎゅっと締められる、こんなのは初めてかもしれない
勿論、寝不足と車中での寝起きだから浮腫んでるのだろうかとも思ったのですがブレスレットに触れても特にキツイわけでもない
うーん、こんなに登るとは思ってなかった、鳥居の中の下から上まで石段が見えるんですけど( ̄▽ ̄; 早々に覚悟を決める
由緒碑も撮影だけして後で読みます、手水舎は撮影を忘れてしまったようです
いやー立派な隋身門ですね!! それでは、いざ!!
...おふっ...り、立派な石段で...すね...( ̄▽ ̄;)
すー...はぁー...これは一気に行くべし! と止まらずに登っていく、あれ? 意外とサクサク上がれる? え? と思えたのも3分の1までで一気にぐぁぁぁっとやられる、ただ止まるわけにはいかなぃぃとなんとか登りきりました
寝不足の朝イチからきちぃぃぃ、と思ったところですぐにこの御神氣に包まれてふわぁぁぁっとなりました、見た目が特に凄いわけではないのですが、、、まぁ立てばきっとわかります、凄いです
御神木だったのでしょうか
それでは...ご挨拶!! 御祭神は天比理乃咩命、相殿に天太玉命と天富命が祀られます
この御神域そのものですね、海、岩、土、木々、そして空、その全てに抱きしめられているようなとっても広いお心でとにかく広くて大きい!! この凄い御神氣は一の鳥居から内側、特に何も見えていないような参道も含め満ちていてとにかく凄い
到着して10分程度でもう 来て良かった と心から思えるほどです、本当に来てよかった...あれ、安房国一宮?
左手にお稲荷様が見えたのですが、こっちへ来いと呼ばれている気がして社殿右手へ
こちらには長宮と書かれており、祠?磐座?が三座なので豊玉彦命、大山津見命、建速須佐之男命が祀られているでしょう
こちらの石祠には名がありませんでしたが後でパンフレットを見たら御祭神名は無しで 石宮 と書かれていました
そうだよ、そもそも大物主様によって宇都宮から流山、あんばさま、麻賀多神社とお導きいただいている、今回はそうではなかったけれどやっぱりいらっしゃる、そうかそうだったのか、と勝手に深く納得
質素な社殿ですが獅彫りの目に銀がさされていますね、こうして目の入った獅子はやっぱり魂が強く宿っているような気がしてとっても好きです
こちらから美しい拝殿と本殿が見えます、って晴れて来てる?!
お近くへ行かせていただくと、わぁ、日陰のせいもあってまるで翡翠のように美しい彫刻ですね、后神の御本殿にとっても相応しい美しさです
境内左手に鎮座されるのがお稲荷様
やはりこちらだけ少し空気感が違う、厳しいほどではありませんがピリッとしていますね、とても良いお稲荷様です(*´ω`*)
勝手に眷属様が住まれている、と感じるのはこういった木の根元ですよね、って思ったら根元に石が積まれているからそう感じたのかな?
いやぁー...晴れたなぁ...w 気象的にはこれだけ雲があったら曇りなのですが、そもそも雨を覚悟していたので思わず笑ってしまいます
海が見える境内、最高ですね(*´ω`*)
こういった穴も大好物です
立て札に従ってお稲荷様の脇の坂を降りていくと富士見鳥居
うわー良い眺め(*´ω`*) 富士山が見えないのが残念ですが
...ん? んん? 頭だけが少し見える!!w
そしてそのまま降りていくと隣のお寺、恐らく別当だったでしょう、へと降りていきましてこちら
境内図で役行者の岩屋と書かれていたので折角ならばと思ってはいたので忘れずにご挨拶出来てよかった(*´ω`*)
実は何気無く気になりつつも謎の存在だった役小角、最近になって葛城賀茂氏だと知り、これまた御縁あってたまたま奈良に縁の地がある事をしって年末の巡拝コースにも入れています
いやぁ、凄い、深さはありませんが凄い厚の岩室ですね
このままお寺側から出ようと思ったのですが幼稚園になっているからか門が閉められており、恐らく手で開けて出れば良いとは思ったのですが見知らぬオッサンが園児たちの方へ行くというのもはばかられたので、うし、、、と降りてきた道を再度登って行くことにw
いやー、、、しっかし、、、晴れたなぁ(*´ω`*)
石段を降りてくると気づいていませんでした、右手の走に 厄祓坂 と石碑が!! なぜか立ち止まるを良しとせず無理やり一気に登ったのは正解だったのかもしれない!w
うーん、壮観
曇天や雨天でもそれはそれで逆に気持ちが入ったり雰囲気が出たりしますが見た目だとやっぱり青空が良いですね(*´ω`*) そう考えるとこうして二通りの景色が楽しめるのは贅沢ですね~
バスの時間いっぱいまで堪能し、さぁバス停へ向かおうとしたその時、虹の一種でもある彩雲が!!
実はこの日、家を出る夜明け前にもカードを引いたんですがまた虹龍だったんですよ、思わず「いやいやさすがにw 今日は雨なんだよー」なんて言ってきたのでビックリです
とはいえ実際は太陽に流れてきた雲が重なれば日常でも比較的発生しやすいものなので貴重だなんてこともないわけですが、この日の天気予報は一日ずっと曇りでこの時間はさらに雨のはずですからね!!w
さて、バス停到着、向かい側の館山方面ですがこういう雰囲気、好きです(*´ω`*)
バス遅いなー...と何気に空を撮影したら、、、え、待って、役小角が開祖?! え?!Σ(゚д゚;)
そしてバスで先へ進むのですが洲崎神社を離れると手首の圧迫感は無くなりました、いつも言っていることですが何かあって欲しい、ここは凄い! と思い入れがあればあるほど逆になーんにも感じない事がほとんどなんですが、これだけずっと感じ続けたのは本当に不思議です
ただ、なぜこの日でなければダメだったのか、という答えになるような出来事は無く、この先に何かあるのかなぁ...
さて、調べてみましょう!!
まず御祭神についてですが、実は神社案内では天比理乃咩命とされていますがそれには諸説あり、古い資料には天比理刀咩命と書かれていることから刀が乃と間違って書かれて変化してしまったのではないかと言われています
にも関わらず神社が公式に 乃 を採用している理由は延喜式神名帳の神名に則っているのだと思われます
創建についてですが神武天皇より阿波開拓を命じられた天富命がさらに房総半島へ移り開拓した際に創建したとされており、神名帳では式内大社后神天比理刀咩命神社とあり、元の名は洲ノ神と称されていたと書かれています
あれ、神名帳から 乃 とされていると他の資料にはあるのですが公式パンフレットの中で混在してしまっていますね( ̄▽ ̄;) 何か隠された意図があったりなかったり...?
また別の資料によれば御神体とされたのは祖母神である天比理刀咩命の形見である御心鏡だとされます
また石橋山で敗れた頼朝が逃れて来た際に参拝し政子の安産祈願をしたことから広大な神田が寄進された、また太田道灌が鎮守として勧請したおんが現神田明神摂社のやうも神社だとされているそうです
御神石については717年、大地変が起こった際に役小角が祈祷を行い二石を祀ったとされていますが龍宮から奉納された一対の御神石だという説もあるそうですが、そのもう一石が対岸である横須賀の神社 安房口神社 に祀られているそうです
あぁ、、、次は横須賀に行かなければ...(地味に遠いぃぃぃ)
さて気になったのが一宮ですね、どうもこちらは頼朝再興に始まり多くの崇敬を受け国の歴史に関わる大きな御利益を授けたとされ江戸期に一宮として慕われており特に老中松平定信が一宮と入った扁額を奉納した事が大きかった様子で正規の一宮では無いという見方が強いかと
ただ一宮だから凄い、でなければ凄くないということではなく制度が無くなっている時代において一宮と称えられるほどの御神徳があったと見る方が良いでしょう(*´ω`*)
ちなみにやっぱり養老寺は洲崎神社の別当だったようです、そして真言宗智山派...またかっ!Σ(゚д゚;) ちなみに久々に映画が上映され話題の南総里見八犬伝では役小角が伏姫に数珠を授けた岩窟がここだとされているそうです
え、ちょっと待って、智山派の寺院ってひのきも歩けば智山派に当たるってほどに多いんですか?! まぁ最近は豊山派にもチラホラと出会っていますが...
そして最後に、安房神社は移り住み開拓した氏族の故郷 安房 に因んでいるというのは分かっていましたので社殿が西向きなのも阿波の方を...と思い気付きました、違う、一の鳥居の真正面が富士山だ! でも社殿と厄祓坂はそれよりやや南でその先には...うーん、特にこれといった場所があるわけではない
地図で見る限りは奈良、小豆島の方を向いていて対岸の安房口神社でもなければ阿波国でも無いようだ、うーん、たまたまなのかなぁ
さて、調べることも終わったのになにか判然としないのはなぜだろう、、、ともう少し色々調べていたらなんと品川神社はこちらからの勧請だというのです!!
そういえば天太玉命の后神など知らなかったはずなのに天比理乃咩命の御名にはなぜか見覚えが...と思っていたら!!
なぜわざわざこちらから、といえば恐らく海上安全の神としてでしょう、他にも海難事故防止として館山の海中に海底神社として分霊が祀られているそうです
さぁ、次は安房神社です!!
~後述~
そもそも館山巡拝自体が謎でした
後輩とどこか出掛けるか、という話になって近からず遠からずな場所を探していたのですが白羽の矢が立ったのは館山でした、じゃぁついでに寄れそうな神社はあるかな?と調べたら安房神社がある、御祭神は...ぬ!? 天太玉命!!
もう一社くらい寄れるところ無いかな、と思ったら后神を祀る洲崎神社を発見、後輩は神社に興味無いから付き合わせたとしてもこの二社だけだな(*´ω`*) と思っておりました
ホツマツタヱの読み解きが少し止まっているのでちゃんとは見られていませんが、たぶん天太玉命は天児屋根命と共にニニキネの元で活躍されていたはず、大物主と共に当時の政治開拓の中心も中心だったと思われる神々です
なんかほんと、流れに身を任せているだけで自分から探しているわけではないのですが大物主、鹿島、香取、春日と繋がって来てはいましたが今回もとしたずに一連の流れが出来ていることに驚きます
予定を擦り合わせているところで有力候補だった日が微妙になり、そこでなぜか糸魚川へ行ってしまえという気になって突如決行w、館山行きは少しズラした二週間後に決定された...のですが、そこで後輩が他にズラすことの出来ない予定が出来てしまい、じゃぁ延期か、と思ったのですが、ここでなぜかその日に行かなければならないという謎の使命感が...なぜだ
確かに吉日ではありましたがその日でなければならない理由が皆目わからない、しかもその日は前日が夜遅くまで後が忙しく翌日も朝から忙しいという最悪のタイミングw
体力圧迫睡眠不足での巡拝になる事が確定しているのになぜわざわざその日に行かなければならないのか、でも私はこの感覚を大切にしている
ただし、上述のように天気予報では日にちを確定させた二週間前から二転三転しておりまして当初雨だったのが晴れに、再度雨に、また曇りに、そして二日前からはもう曇り時々雨で時間予報でも参拝時間が雨という感じになりました
いやぁ、さすがに宿泊もあってズラせなかった日光とは違い、何も予約しておらず行こうと思えばいつでも行ける館山を雨天覚悟でしかも最も厳しい体調になってしまう日に無理をしなければならない理由は無い
...と思うじゃないですか、でもそれ以上にこの日じゃなければならない勘が凄かったんです
予定は二社、とりあえず一社目は天気予報を覆した素晴らしい参拝となりました、さぁ次は?!