どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、安房口神社です
終日曇り予報、品川駅でのどす黒い雲もどこ吹く風、大津へ到着してから一気に雲が割れ青空覗く好天、早朝から最高のおすわさま参拝を経てゴキゲンで安房口神社を目指す
...と、うわー綺麗だなー(*´ω`*) ......まさか?
そのまさかであった
ゆっくりと昇る太陽は流れてくる雲の中へ
そして...彩雲 キタ━(゚∀゚)━! しかも虹を背に舞うは鳶か鴉か、なんと優雅な事か...なんだなんだなんだ、今日凄いぞ...
さて、ここからである
半島らしい起伏を進み、住宅地の中のこんな道を登り
そういえば諏訪神社ではタイワンリスが中で巣作りをするからと賽銭箱に蓋がされていたので歩きながら周囲を見ていたけれど残念ながらリスには会えず(そういえば佐助稲荷・宇賀福弁財天の裏山では野生のリスが普通に居たなぁ)
わーいい眺めー、と楽しんだのもつかの間
むむむ、ナビが指定する緑道とやらが存在しないのだ、これはどうしたことか、そもそもマップ上では山の真ん中っぽいところに神社はある、だがそこへ向かうナビの道はどう見ても無いのだ
と、地図上に発見したお稲荷様へ向かうことにした、もしかしたら境内か参道かもしれない、それがこちら、香之谷戸稲荷
残念ながら参道があるわけではありませんでしたが、想像を超える重厚な氣に包まれていて驚きました
勿論、鬱蒼としているのとは話が違います、ナビ通りだったらお会い出来なかったお稲荷様、ずっとこの山を守られていらっしゃるのかもしれない、出会いに感謝
その少し脇には庚申塔が並んでいました...ぇ?
ぇぇぇぇえええ?! これ、さすがに穴に植えたわけではなかろう、かといって後から埋めたとも思えないしコンクリを削り割って出てきたとも思えない、どうしてこうなった...
さて、まぁ朝イチで元気だし、このままぐるーっと山を一周でもすりゃ参道も見つかるだろ(*´ω`*)
と南周りで歩き始めるとすぐに鳥居が見えました、あったー♪
という ♪ は私の頭の上からすぐに消えた、小高く小さな山、この鳥居の向こうには物凄く重厚な氣で満たされている...マジか
実は当然ながら洲崎神社は物凄く素晴らしかったし海沿いの御神石もとっても素晴らしかったけれどこんなに重厚な御神威や手首が...あっ
こうして記事を書いていて思い出しました、そう、波を背に神社が鎮まる御手洗山を望む御神石はその立地の通り、物凄く雄大で心安らかに天地に包まれるが如き御神域でしたが、その手前のなんでもない参道で驚くほどの氣と手首に強い圧迫感を感じた事を
それを強く感じたのは御神石の前の参道だけで、神社境内ではそれほどではなかったし帰る前にもう一度往復した時も最初よりはかなり和らいでいた(慣れたのかもしれない)ので完全に忘れていたけれど、これはまさにあの時のそれと同じだ
当日、安房口神社では全く思い出さなかった!
鳥居の前で暫し過ごして心身を整えてから進む、素晴らしい、勿論素晴らしいけれど特筆するほどではない綺麗に整備された普通の山の参道、というか山道である、このギュッと凝縮されたような空気はこの場に居なければ伝わらない
少しの距離をゆっくりと進むと二の鳥居と社号標、その先に三の鳥居が見えますが重厚な氣と手首の圧迫は少しづつ増している
最近はお呼ばれして参拝する事が主になっており、今回はお呼ばれしたわけでなく情報を知った上で参拝しているので特別何かを感じるとは全く思っていなかったので大津諏訪さんから道中、そしてこの凄さにかなり驚きました
写真では伝わらないですねー、特に珍しくもないのですが、目の前でゆらーゆらーと揺れている枝葉は蜘蛛の糸に引っ掛かってぶら下がっているだけ、それが分かっているけれど枝葉の大きさからすれば太いはずの糸は近付いてもほとんど見えない
また一層濃縮された氣が包む石塔の間を進む
三の鳥居を過ぎたところの狛犬がこの氣にそぐわぬ、いや、逆にピッタリと言うべきか、見様によっては愛くるしいけれど よう来たな という不敵な笑みにも見える(勿論境内全体、怖さや妖しさは微塵もありません、ただ神聖過ぎるのです)
洲崎さんでこちらを知った時に由来を少し読んでいたので今回は読んでしまいます
御祭神は対岸(といっても大分南にズレますが)と同じ天太玉命、御神石を御神体として社殿は無く三浦半島最古とも言われている
御神石は初め竜宮から洲崎神社に二石が献上され、やがてそのうち一石がこちらへ飛んで来たとされており、日本武尊が東征成就を願ったとされているほか、源頼朝や北条義時(小栗さん!)、さらに北条政子(小池さん!)も参拝したと伝えられているそうです
この辺りについては後述にしましょう
周りの木々が風を遮っていますが葉のざわめきだけが響くなんとも荘厳な雰囲気に包まれた境内、周囲はガッチリ住宅地として開発された中、少なくとも延喜式に記載されるほど昔から長きに渡り篤い崇敬を受けて来たにも関わらず社殿も無く昔ながらの祭祀を崩さず守られ続けているのがどれほど凄いことか
そして不思議な事に、密な御神氣に変わりは無いのに正面に立ったところから重さがスっと軽くなった気がします、こちらの狛犬さんはグッと鋭い目付きのように見えて実は物凄く愛くるしい眼をしています(*´ω`*)
いやー、凄いな、少し離れてここに立っているだけで物凄く心地が良い、いつの間にかそれまでの緊張感は僅かを残してほぼ解け、安らかさに満たされていた
これも、この時は全く気付いていなかったけれど洲崎神社での感覚と同じだ、違うのは雄大な景色か木々の中かだけである(そういえば予報も道中も曇天だったのに着いたら晴れたところまで同じだ)
なんとなく、左右の祠(石塔?)へ先に御挨拶すべきだと感じたので今回のお導きに感謝
そして心を込めてご挨拶と感謝をお伝えする
こちらが御神石、保護から社型の檻が建てられていますが、中にも狛犬さんがいらっしゃいます、見たところ何か悪質な悪戯のような気配もありませんし周囲はとても雰囲気の良い住宅地なのでもしかしたらお子さん達が悪気なく登ってしまうとかがあったのかもしれませんね
ふと見れば安産祈願石、一石を持ち帰り出産後には丸石を添えてお返しするものですね
洲崎神社とは石質が異なっており、正面上部には丸い窪みがあるような、そして恐らく人の手で掘られた中に小社が祀られています、納められている神札は洲崎神社のものでしょうか
気が付けばそれまでの重さとは真逆で少し軽いような不思議な感覚になっていました、もう語彙力崩壊でなんと言ってよいのかわかりませんが、物凄く素晴らしい場所です
左手側が階段になっていたので進みますと石塔が並んでいます
小さな手水鉢でしょうか、そして何故か招き猫、牛宮牛頭天王と石塔
小御岳・石尊大権現、その三十三度登山大願成就碑、そして日月が彫られた物も修行の碑でしょうか
そのままお背中に回ると、うわーーー朝陽が、これはヤバい
眩しくて御神石は見づらいのですが物凄く心地好くてすーっと浮いてしまいそうだ(*´ω`*)
少し近付くと、、、!?!?!
いや、レンズ効果なのは分かっています、分かっていますけどこんなの今まで見たこともない!! 眩い虹色の輝きが画面上部をキラキラキラキラキラキラと左右に行ったり来たり
分かってます分かってます、正面に太陽があってスマホやカメラを向ければ上の写真のようにカーブや鏃のような、そしてこういう光が出るんです、左右にユラユラユラユラするのも恐らく風で気が揺れているから!! でも、だとしてもこんな出方するの見た事ない!
はっ、動画に取らなきゃ、と思った時にはもう出ない、どれだけ位置や角度を調整しても全く出なくなりました、立っている位置変えていないのに、いや変えてどれだけ探しても出るのはいつも通り普通のレンズ効果だけでした
...なぜ
こうして見るとあちらこちらに丸い穴、あまりに綺麗な丸なので人の手によるものかと思いましたが丸石がはまっているところもある、侵食でしょうか
巨石ですが海石なのかもしれませんね、とすればそんな昔からこの山の上にあったとはほんと不思議です
あ、裏手の奥に鳥居が見える!
進んでみると、わぁ!! 海が見える!! 横浜方面ですね、護衛艦も見えます
ってことは猿島ですね、以前一度だけ行ったことがありますがジブリの世界みたいでとても良かったです(*´ω`*)
どうもこの近くを歩いたようなのですがナビと違っていたのでこの階段に気付かなかったかこの前を通らなかったんですね、そのお陰で正面参道から参拝出来たわけですが、いつもは表裏気にしませんがこちらでは表からの参拝で良かった
こちらにも御由緒が、この山は明神山と呼ばれているんですね
いやー...凄かった、ほんっとに凄かった
っていうかなんだこりゃ!! 海沿いだし寒くなる前に行っとこ~っていう気分で来たけれど天気も彩雲も諏訪さんも御神石も凄すぎるんだけど!!とかなり仰天しました
まぁまだ早朝ですし、この後はのんびりとお散拝しながら海を眺めて昼過ぎには帰りますよ~っと(*´ω`*)
さて、後述でございます
いやいやさすがに噴火する場所でもないのに対岸、しかも館山はさらに南ですからそこから巨石が飛んで来るだなんて、って思ったりしますよねー、それに洲崎神社では周囲の岩と全く違い石質でしたが、こちらは質が全く違う
それに海沿いに異質な巨石があるのは不思議ですが山にそれほど異質には見えない巨石があるのって当たり前過ぎませんか?
なのにそれが最低でも千年以上も大切に受け継がれ守られている
そして何より、上でも書きましたが、この場所の対岸は富津、佐貫、上総湊、竹岡です、確かに南へ行けば対岸ではありますが館山までは直線距離で30kmほど離れています
マーキングのうち浦賀の左上が安房口神社、チーバくんのつま先が洲崎神社ですので東京湾の口とするならば先端と先端を結ぶ対岸は三浦半島の剱崎、なのになぜ浦賀なのか
単純に考えれば似たような巨石が他に無かったからかもしれませんし南房から渡って開拓した時に富津辺りから渡った場所が浦賀だったからかもしれません
でも本当に飛んで来たのだとしたら、落ちた地がそこだった、ということになりますから立地なんて関係無いことになります
裏参道の御由緒にも書かれていましたが、わざわざ人の手で運んだとするとなぜこの山だったのかという疑問も残りますがそもそものこの地について調べてみました
もしかして、と思ったらやはり三浦一族は桓武平氏を祖先に持ち三浦半島だけでなく安房も勢力下に治めていました(というか頼朝を助けた坂東武士の多くが桓武平氏の子孫?!)
ただし御神石の伝承は正式な記録の中だと延喜式の時代には既に確立されていたようですから日本武尊の伝承も事実かもしれない、ということはやはり忌部ですよね、そう、相模国も忌部が治めていたんです
桓武平氏にもいろいろあるようですが、三浦一族も平将門も北条氏もみな桓武平氏であり天太玉命に繋がっていました
安房から移り開拓した地に祖神や大物主を祀り、そして地名にも故郷に因んだ名前を付けた
祭祀を司った忌部の中で大切に祀られて来た御神石だからこそ古来の形式が崩されることなく受け継がれているのでしょう
各地において〇〇も参拝したという話は数多くそのほとんどに確実な証拠があるわけではないのですがこういった話の真偽を突き詰めるのは無粋ってなもんです、ただ、実際に参拝して感じた御神威からはそれだけの事があったとしても不思議ではないと感じさせるほどの力を感じました
こういうのもまた不思議なものです、先入観が現実に影響を及ぼすのを避けているくせにこうして事前情報を知った上で思いっきり油断していて ぇーーー?! ってなることもあるんですからね(´・ω・`)
さぁ、続きましてはちょっと歩いたところにある二社併せて参拝する神社さんへ向かいますよ!\(^o^)/