どうも、ひのきですm(*_ _)m
さて、じわじわと進めておりましたホツマツタヱの読み解きですが現在40あるうちの17アヤ(章)までしか進んでい状況でございまして、一気に進めていた所から急な巡拝続きでピタリと停まっておりましてw 18アヤ以降の読み解き再開は恐らく年末年始記事を書き終えた頃...
記事としてはひとアヤでひと記事だったりいくつかをまとめていたりとマチマチですがずっとそのままというのも参拝の考察(主に後述)とズレも出てきてしまうのでそろそろアップしていこうかな~と思います
過去に書いたこととも被りますが全体的に共通する部分を予めまとめておこうと思った次第であります ∠( ̄^ ̄)
人様のお知恵を勝手に拝借しながらの読み解きではありますがそれでも以下に記します内容を知らずに読むと「ナイニッテンダコイツ」状態になられるでしょうw 途中からは慣れ&諦めによりザックリと解読していくようになりましたが初期はしっかり把握しようとしてかなり難しかったので特に読みづらいかと思いますm(*_ _)m
やや長くはなりますがホツマの知識が無いままにこの先の読み解きをご覧いただく場合は軽く当記事を御一読頂ければ、あぁここはたぶんそういうことなんだな、とご理解頂けるかと思いますm(*_ _)m
さて、ホツマツタヱは神代文字を用いて書かれていたらしく、それは記号のようなものですから解読が必要となります
が、自分で解読するのはとてもアレなのでズルをさせていただきまして複数の方が翻訳されてらっしゃるものを掛け合わせつつさらに独自解釈を加えた形で読み解いておりますが、それでも数多くの問題が発生します
まず、当然ながら写本しか存在していないのですがその写本によって原文の所々に違いが発生していますのでひと文字変われば意味も変わるということで解釈にも大きな違いが生まれます
言語系を齧ったことの無い方にはピンと来ないかもしれませんがこれがなかなかの大問題でして、まず記号のような神代文字を現代カナに置き換える(私がズルをしているところですがここが間違っているとその後は全て間違う事になる)、そして全てが古いカタカナ言葉になったところでそれを現代語の意味へ置き換える、という作業になるのですがざっくりとで以下のような問題点が存在します
・全文が五七調にまとめられているので所により文字数を合わせるために音が変えられていたり略されていたり余計な修飾文字が入っている
・カナのみの五七調で句読点も無いので内容がどこでどう切られてどう繋がっているのか前後の意味から推測するしかない、ただし話がガラッと変わるわけではないので名前などは前に掛けるか後ろに掛けるかで意味が全く違う変わってしまう
・主語が省略されている、突然呼び名が変わっている、その名前が誰の別称なのかは後に出てくる(その時に言ってくれ!w)場合もあるが全体の意味や親族、繋がりなどで想像するしかない
・それが役職名である場合のほとんどは〇代目等の分かりやすい書き方などされていないのでやはり時代や他の登場人物から推し測るしか無いが、その説の主語人が過去の〇〇の話を引用している場合も多発しており上述のように「」や句読点が無いので急にはじまりどこで終わっているかわからない
などなど挙げればキリが無いほど、これがもう大変な作業なのでそれぞれの訳者さんでも丸っきり意味が違っている箇所が少なくはない、勿論、正解はわかりません!!w
例えば簡単なところでは天照大御神だけでも オオンカミ オホミカミ アマテル アマテラス アマキミ キミ 、など様々な呼び名が出てきますし(他にもある)、特に オオンカミ や キミ はその時代その時代によって対象者が変わりますから厄介です
例えばこれは私の創作例文ですがこのような文があったとします
ミコトノリ クニオタスミチ オオンカミ トミタミキヰテ クニヒラク
これを直訳すれば「勅 国治める道 大御神 臣民聞いて 国拓く」となりますがここで既に人によって解釈が変わるでしょう、恐らく読み解き初期の私であれば「アマテルが国を治める勅を出し、臣民はその通りにして国を開拓していった」と解釈したでしょうが今の私は「タカミムスビに教わった 国を治める道 を守り、アマテルは臣民の意見をよく聞いて国を豊かにしていった」という意味が先に浮かんでしまいます
なんでそうなる?!と初期の私でも思ったはずですが、こうした語法で語られる、そうでなければ前後の文脈的にも全く意味が通らないというパターンが頻繁に出て、さらにそれが連続したり複雑に織り交ざってくる
一般的な書物は(伏線を除き)、読み重ねる事で意味が理解出来るようになっていますがホツマの場合はいくつか後のアヤにその解説が出てくるので先を読まなければ全く意味がわからない、なんなら後の解説を期待していたらそもそも解説自体が無く、ホツマの中では解説するまでもない常識なのか?ということさえありますw
特に記紀などと同じように突然ミュージカルばりの歌が挿入されてそこにも〝〟や句読点は無く五七調も全く同じままなので解読していて ここなんかおかしいぞ! と思えば歌や故事、格言だったりするわけです
こうした理由から博識な訳者さんでさえ人によって全く意味が変わっている、そこへさらに知見の狭い私が感覚だけで訳しているので私の読み時は正しくない可能性が高いw ということをご理解頂きたいと思いますm(*_ _)m
そして重大なのが現代と当時では常識や価値観に重大な違いがあるということ、特にその根幹となるのが陰陽道です
陰陽道って中国発祥だと思っていませんか???
私は...思っていました!!!(ノ∀`)
実は最近の研究によって日本発祥だったと分かってきたんだそうです、というか都市伝説的な 日本起源説 はたくさんありますが実際に近年進んだ発掘やDNA検査、炭素年代測定などでそれが本当だったと判明するものがどんどん増えていて驚愕ですよね、興味がある方は調べて見てください、単なる噂でもあくまでも都市伝説として楽しんでいるのにそこへ証拠がくっついてきてしまうと マジかーーーっ!? ってなりますよ(^。^)
(但しこんな時代ですから捏造曲解等の情報には注意しなければなりません)
というわけで、陰陽道もまた日本起源らしいと言われていますが調べてみると天武天皇の代の675年に設置された陰陽寮が初めだとされています、つまりはここから始まったと考えるよりは公的機関が作られるほど重要になっていたということ、拡大解釈すればそれまではわざわざ機関を作るまでもなく当たり前のことであった可能性も考えられますよね、で、ホツマツタヱの根幹も陰陽道が基本とされていますので陰陽道を勉強しないまま(私です)だと解釈がとても難しい
例えば 夫婦 ってなんて読みます? メオトと読んだ方、そうなんです、フウフと読む方が一般的ですが今でも夫婦岩、夫婦茶碗などメオトと読みますよね、でもなんでこの文字でメオトと読めるのか? でもホツマツタヱで陰陽の考えがわかると目からウロコだったりします
陰と陽はメとヲ、だから女はメで男はヲ(ヲト)なんです、後に使われるようになった漢字では女男と書いてメヲト、つまり夫婦はそのまま読めばオトフなのにそのままメオトと読まれているということになりますね
ホツマ本文中にはこのメとヲが大量に出てくるのですがそもそも陰陽がメとヲですから、読めば読むほど意識的には一体として捉えられるのですがさて言葉として訳そうとするとここはどっちで書けば良いのか迷いっぱなしですw
ちなみにこれも 一説 であってこれが正解という事は出来ませんけどね(。-_-。)b
さて、そんなこんなで訳していますから冒頭の方は一生懸命訳してからその意味合いを考え直す形となっており、途中あたりで慣れてくると最初から意訳を書くように変化しています
戻って書き直そうかとも思ったのですが上述のように既に先まで進んでしまっている状態でまた最初から読み返すと修正どころではなく膨大な書き直しになってしまいますw
さすがにやるかどうかわかりませんが、40アヤまでを終えた上で再度、全体か抜き出しかで全体的な意訳を書いてみたいとは思っていますのでもし実現すれば...ということで(。-_-。)b ←可能性はやや低めw
やはりこうして読んでいくと日本の歴史がちゃんと分かってくる、ではなぜ記紀ではああも変わってしまったのか、そしてもしこれが偽書だったとしたらなぜここまで実際の地理神社祭神などに整合性を持たせることが出来たのか
それは、もしホツマが偽書であったとしてもそれはそれで現在主流になっている話の中で何が不自然で何がどう繋がっている可能性があるのか、または間違っている可能性があるのかという"見方"が備わっていく気がしています
陰陽思想が基本になっているのでやはり後世に創作されたものかも知れないと思ったのですが実は古来より根付いていたものであれば本当に景行天皇の代に編纂されたものかもしれない
では陰陽寮設立まで700年(二倍暦説でも350年前後)以上も要したのはなぜか、またはそれだけ長く受け継がれていた思想をなぜ公的機関にする必要性が生まれたのだろうか
勝手ながら陰陽道は大陸から入ってきて飛鳥時代に重視され奈良時代を経て安倍晴明の平安時代が全盛期だったと認識していたのですが、実は明治時代の天社禁止令で陰陽師自体が禁止されるまで名前は変わりながらも陰陽寮が残っていたそうなのです、、、そう、つい最近ですよ!?
確かに、戦国をモデルにした映画や小説、ゲームなどにも陰陽師のような人物が出て来ますがてっきり隠れ陰陽師的なアレなのかと思っていました( ̄▽ ̄;)
勿論、陰陽道を押しあげようとする人物や勢力によって創作された書物である可能性もありますが、もしそれだけの熱意がこもっていたとすればそれこそ簡単に偽書として捨てられてしまっては意味が無い、徹底的に各地の伝承や残る事実を調べて纏め上げるでしょう
もしかしたらコヤネやタネコの子孫が復権を賭けて作成したものかもしれない、だとすれば尚のこと、家伝の古代文献などを利用したはずである程度の改変があったとしても大筋に実際の歴史が含まれている可能性は排除出来ないと思うのです
さて、ホツマからはより濃く感じますが記紀にも通じていて思うことがいくつかあります
君は絶対的君主ではなく教育者であり、臣民を教え導くのが役割であってもし自分の知らぬ事があれば立場に関係無くしっかりと聞く、そして例え結論が決まっていたとしても必ず臣下を集めて意見を聞く
その上で良い案であればそのまま採用するし多少の間違いがあれば諭しながら皆を納得させた上で決定する、さらにひとりへ指示を出すにも皆を同席させることで全体的な理解度を上げる
古来より民は宝として扱われてきた、民が安心安全に暮らす国造りが君臣の務めであり、また民が過ちを犯さぬよう導くのが所謂役人の勤めであるとされているのです
倭国は古代より絶対的な民主国家だった!!
だからこそ、この国には一時の身分制度はあったものの奴隷制度は無く、許しを請えば赦し属領としても召し上げることはしなかった、より大きな力が周りを取り込むけれど良いものは残し、そして広げることでこんな小さな島国が豊かで強くなれた、これこそが日本人の強さ
そういった部分が再確認出来てとっても興味深いので、私のこれからの読み解きが拙く読みづらかったとしても、真偽に関わらずひとつの説として是非ホツマツタヱを読んでみると面白いと思います(*´ω`*)
識者でもない私が感覚で訳したものを世間様の目に晒す必要があるのか?とも思いましたが、こうしたものは限定された固定目線よりもそれぞれに持つ知識の強さを集めに集めてこそ新たな見方が出来る、研ぎ澄ますことが出来る、そしたらより正確な解読に繋がっていくのではないかと思ったからです
現状で8記事の用意出来ていますので参拝記事の合間を縫ってアップしていきますが冒頭にも書きましたようになかなか読み解きに集中する時間が取れなければ、もしかしたら途中で暫くストップしてしまうこともあるかもしれませんが
こうして手始めとして序をアップし、8記事を掲載していくことで手が空いたら放置せずちゃんとやり遂げるんだぞ、という自分への約束みたいなものでもありますのでw 暖かい目で見守って頂けると幸いですm(*_ _)m