どうも、ひのきですm(*_ _)m
さぁやって参りました、玉﨑神社!!
急な加速に加速を重ねもはや突発の連続となった行動力が我ながら怖い...w
さて、海沿いの大鳥居を海津見神社の記事の方へ含めてしまってこちらの記事を書き始めましたがその判断が間違って居なかったことに気付きましたよ
地図で見るとこのちらの鳥居が一の鳥居、境内前の鳥居が二の鳥居と書かれているんです、つまり海沿いの大鳥居は玉﨑神社のものではない可能性がこちらからも出てきた!!
まぁそれは良いとして鳥居が建物に当たってない?と思われた方、安心してください!! 当たってませんよ!!
ちなみにこの手前が駐車場だったのですが不自然にふたつ残るこの石はやはり神社にまつわる何かなのではないか、と感じざるをえませんが偶然だったらすみませんw
さぁ、こちらは下総国二宮ですからそれ相応の規模を想定しておりましたが結構な広さがありそうです
二の鳥居は鮮やかな朱色
鳥居を潜るとすぐ左手に黄金の輝きが?!
玉﨑の姫龍に椿がとっても良く似合う(*´ω`*)
こうなると宝珠を撫でたくなるのが人の性(苦笑)
って、ちょっと待って!?
重なってるだけかと思ったら口の中から枝が出てる!? 誰かが挿したのかと思ったのですが高さもあるし枝も結構大きい、それに青々としているということは、、、生えた?!
参拝を終える頃には太陽がしっかり当たって(*´ω`*) もう少し待てば椿まで陽向になったのですがちょっとそれ以上の時間はありませんでした(*´ω`*)
こちらが手水舎
そして境内案内図
境内には全く人気が無いのですが右手が幼稚園になっていて子供たちの元気な声が聞こえて来ます、物凄く穏やかな氣に包まれて物凄く居心地が良い、でもしっかりと静かで優しい御神氣に満ちている!!
連理木なのか裂けてしまったのか、片方は枯れてしまっているように見えますがしっかりと伸びています、素敵な木(*´ω`*)
うーん、とっても気持ち良い!! それではご挨拶!!
公式HPの由緒によると景行天皇12年(西暦82年)に東征で玉之浦に上陸した日本武尊が入水した妃 弟橘媛を想い海神である玉依姫を祀ったとされており後に日本武尊も合祀されています、私の勝手な考察ではここから阿久留王の討伐に西へ向かい、豊玉姫と玉依姫を祀ったのが南宮神社と玉前神社だと考えています(当然、真偽は不明、また創建年やこの時代の西暦対照は諸説あります)
やがて中世になると玉ケ崎(玉之浦の突端でしょうか)は海神を竜宮の神に付会し竜王が鎮まる﨑として竜王﨑と呼ばれるようになり、神社は下総國二之宮玉の浦総社と呼ばれていたそうですが岬は削れていき1533年に戦火で社殿が焼失したことで現在地へと遷座されたそうです
さて、中世と言われると実は欧州での考え方で日本史に当てはめてしまうとなかなか長い期間となってしまってなかなか掴みづらいのですが平安から戦国だと言われています、海津見神社が平安のひとつ前である奈良時代の創建ですから、玉の浦を竜神坐す﨑としたのは渡来した海人族ではないでしょうか
現在の大鳥居が元の場所のままだとすれば、元の玉﨑神社がその背後に、そして海人族がさらにその先にある山裾へ姉神である豊玉姫を祀るという一直線上だった可能性もあるかもしれませんね
さて、屋根の紋は...丸に下がり藤?! 藤原氏が有名ですが再建された時などの影響でしょうか
素晴らしいですね(*´ω`*)
実はおみくじを頂こうと思っていたのですが社務所は開いておらず、社務所から本殿への長い渡り廊下の間を通り裏手へ、素晴らしい本殿です、塀が美しい彫りのように見えたのですが反射でしたw
主殿を囲んでいるのも気になっていた塀で立札に書かれていて助かりました、飯岡の寄石を使ったものなんですね
本殿背後には夫婦木があったそうですが今はその姿無く平田篤胤の歌碑が建っています
さて、ここからが広い、石塁の途中から裏手にも出ることが出来るのですがそのまま右手へ、大きな石碑と鳥居、右手の石碑前にはなぜか大きな玉石があるな?と思ったら飯岡助五郎の碑でこの力石を持ち上げられるかどうかが雇用条件だったそうです、侠客だった座頭市も持ち上げたのでしょうか
鳥居の先に祀られる小さな祠は金比羅神社
ここから本殿裏(石塁裏)へと回るとまた大きな石碑が並びます、先生の碑などのようで沢山の碑がしっかり整えられていることからも多くの偉人から崇敬されていた神社だということが伝わってきます
そしてこちらに祀られているのが飯岡助五郎が崇敬していたとされる助五郎稲荷
少し回り込むように登る参道なので上は見えず鳥居が無いのかと思いましたが(角度的に背後と同化して見えた)、正面の木が凄い...と思いちゃんと一礼してから根を跨ぐとハッキリ分かるほど氣が変わったように感じます
こうして見れば鳥居はあるのですが、私的には鳥居よりもこの木根の方が強い決壊を張っているんじゃないかと(勝手な思い込みです)
膝を付かずして挨拶出来ようか、というほどに覇気の強い、でも決して畏れを感じさせることのない威厳に満ちていました
本殿左後方になります、こちらが厳島神社
こちらもピシッとした氣に満ちているのですがなんと鳥居の先には倒れ掛かった木がさらに鳥居のようになっています、下からも外側からもよーく見たのですが一体どこが引っかかっているのか、でも寄りかからずして残れる角度では無いですよね(多分あの辺だろうか、、、)
こちらにお水はありませんが本殿左脇でも聞こえていた水の音がお社後方から響いています
そちらへ向かってみると小祠に竜子辨才天と書かれています
池は想像と違って整備された噴水公園になっていました
社殿右手側へ戻りましてこちらの標柱は読めなかったのですが境内図からすると招魂社と彫られているようです、正面が幼稚園ですね、反対側の静寂とかわり長閑な雰囲気に包まれます
こんな素晴らしい神社と神々、そして地域の英霊に見守られて育つ子供達に幸あれ(*´ω`*)
幼稚園を見守るかのような銀杏の大木にはしっかりとした乳、いやーほんと素晴らしいね、ってこの写真を撮っていたら 何撮ってるんだろう、木かー とぞろぞろ園児たちが出て来たので不審者な余所者おぢさんwは残る境内社の方へ
と、、、天の岩笛!!! 実物があるとは!!
なるほど、侵食により出来た空洞に風が吹き込むと音が鳴るから岩笛!! その音色によって漁の結果を占っていたんですね
と読んでいたら背後から こんにちわ~ という声、自分だと思わず一拍空いて誰も返事しないので振り返ってみたら恐らく子供達を引率してらっしゃった先生が参拝客である私に声を掛けてくださったようだけど距離もあって気付かなかったかと作業を続けてらっしゃった(ひぃ申し訳ない(>_<) )
いやー子供達が楽しそうにみんなで銀杏の葉をお掃除しているんです、もーやっぱりなんとも素晴らしい子供達じゃないですか(>_<)
こちらは豊漁稲荷神社、とても素晴らしいです
こちらは三峯神社
そしてこちらが八重垣神社
恐らく素戔嗚尊と奇稲田姫命が祀られているかと思うのですがもしかして奇稲田姫命だけだったりして?と何故か思ってしまったり
八重垣の、八重八重垣の 八重の垣、八重八重垣に...違う、なんだっけ...(余りに酷い)
(正解:八雲立つ 出雲八重垣 妻込めに 八重垣造る その八重垣を)
いやーーー素晴らしかった!!
もう時間など気にせず心のままに参拝をしたのですが随分ゆっくりした気がするのに手鳥居からで40分弱しか経っていなかったんですよね
それでもやっぱり海津見神社を回ったり海を眺めたりしていたのもあってまさにピッタリの時間!?
そう、ここから最寄り駅までは1時間以上掛かるのである...え?バス? 無いんですよ、早朝と昼と午後の真ん中に夕方しかw
まぁ想定済みでしたが、地図の途中に表示のあった神社は申し訳無いけれど通過していかないと電車を逃してしまう、勿論ほぼ一時間後である
というわけで飯岡駅を目指すのであった
さて、後述です
勿論こういう流れが続く昨今を考えると間違い無いとは思っていましたが、それでもやっぱり無理してそこまで行ってほんとなーんにも感じなくてなーんも無かったらどうしよう、っていう気持ちもあるにはあるんです
実はいろいろあって以降、色々な変化が現れていまして...
まず、まぁ私自信のテンションの問題もあるのですが(お陰様で駒木諏訪さんからどんどん上がってきた
まず折角出来てきた右手親指の佛眼相が一箇所割れ始めて指の角度により完全に離れてしまう部分が出来てしまった...いや、まぁ手相ってそれほど詳しくもないのですがでも巡拝を重ねて様々な事を経験していくうちに繋がっていったから結構嬉しかったんですよね
そして他にも沢山、おしるし を感じる事が思いっきり減ってしまった、素晴らしい神社を参拝した後には眠る時に目を閉じるとキラキラと眩い、でも優しい光が見えたりしていたのも無くなってしまった
そして運の周りもびっくりするほど良かったのがガクンと落ちてしまった、それでも時々ある方だとは思うのですがその前が余りにずっと凄すぎたのでね
と、まぁその 運 についてはまぁ置いておき、凄い上乗せ期が終わってしまったことで元から持ち合わせていたであろう部分だけが残っている状態なので物凄く後退してしまった感を持ってしまっています
勿論、それでも過去に比べたらかなり磨かれているとは思っていますし、こうして素晴らしい神社へと導かれその都度素晴らしい天気に恵まれ、何よりも枯れている器に氣を満たしていただいているのは本当に感謝しかない
今年はのんびりとした師走を、、、と思っていたけれど気付けば12月前半まで巡拝しまくったので出来れば間を空けず年のうちに今回の巡拝記事を書き終えたい!! そして年明けは年末年始巡拝の記事に集中したい!!
けれど残り少ない休日にはいろいろやる事もあるし記事もひとつ書くのに数時間は掛かるので嬉しい悲鳴状態です(ノ∀`)タハ-
そしてこの記事がアップされている頃には年末年始巡拝の記事を必死に書いていることでしょうw