日々是"吉"日

ゆるゆるなスピリチュアルでパワースポットやパワーストーン、原石、お香などを楽しんでいる日々の日記です。

ホツマツタヱを読む 拾陸 26のアヤ

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

話の流れがバーラバラなホツマツタヱですがタイトルからすると今回は繋がってそうですね!

 

これ、内容は買えず上手に組み替えたらもっと意味が分かりやすくなると思うんですけどねぇ...

 

え? 私? 無理です(≧∇≦)  いっつも「そういえばこの元の話ってどこだっけ、、、ダメだ、見つからん...」ってなってますからw

 

 

 

26 ー ウカヤアオイカツラノアヤ ー

 

三十六鈴三十四枝三十八 三月十五日 ワケイカツチの天君(ニニキネですね)が諸臣を召され「昔ニハリ宮を建てたが田水の為にハラミ宮へ移って三十万の民を治めるようになってついに地が調いその日月を受け継いだ、ワケイカツチ尊となった私も三十一万年治めて齢も老いたので地の日月を今ウツキネに譲ろうと思う」とおっしゃった

 

天君から使者が着くと三十二守は「御勅命とあらば万歳を祝いましょう、また御幸で戻ってらしてください」と慕い惜しんだ

 

シガ守が船はどうしようと言えばワニ守は「大亀ならば月を超え鴨ならばひと月、大鰐は早々に」と、ウツキネは「父が呼ぶ時は危急である、我は大鰐船に乗り姫は鴨で後から来て貰おう」と大鰐船をシガ浦より綱を解き直ちに北の都へ着きイササワケからミヅホへ帰ると天君も臣も喜んだ

 

実はこの時后は臨月を迎えていたので鴨船で後発して北都へ向かったのである、「私の為に産屋を建てておいてくださいませ」とお願いしてあったが松原には産屋が葺かれたが棟は間に合っておらず、その内に到着されて御子を出産なされた

 

カツテ(葛城ヤスヒコ)が献上した椅子と御湯は産が屋の湯と呼ばれ木花のような湯の華が咲く白濁りの硫黄泉だった、またアマカツ(子の無事を願うヒトガタ)今御子の膿を吐いたので腹に虫が居るとわかるとスセリ宮より御湯が送られマクリ(薬草)と共に飲ませて治癒出来た、これによって子は永らえて十四鈴の齢を数えウカワ宮により白髭神の名を賜った

 

かねてカツテが言った「夫は産宮を覗いてはなりません、四月十五日より七十五日の間は日毎に産屋の産湯を上げるしきたりです」

 

ハラ法に従い、ホタカミは臍の緒を切り、モノヌシは桑弓をハハ矢で打ち鳴らし邪を祓う、コヤネ尊はカモヒトという諱を考え、母からはナキサタケウガヤフキアワセズの名を賜った

 

その名の由来は、鴨船が座礁して姫もタケスミもホタカミも渚へ落ちて溺れそうになったが猛き心にてお泳ぎになられ龍や蛟の力を得て無事に磯へ辿り着かれた、そこから釣り船でミホサキへ行きワニ船に乗り換えここまで辿り着けたのは御胤(天君の子)であるとして渚猛と付けられた母の御心が表れているのです

(なるほど、てっきり九州から瀬戸内海を進み大阪から滋賀へ至ったのかと思ったのですが日本海側へ回って南下したんですね)

 

(姫と子の到着を知った)君は松原へ急ぎ産屋を覗くと姫は裸で腹這いになっており扉が閉まる音で目が覚めたので「恥ずかしや」と、弟タケスミと六月の禊を済ませると産屋を出てヲニフに至ると御子を抱いて顔手を撫でて「母は今恥をかいたので去りますがまた会えますように」と御子を捨てて朽木川をのぼり山を越えて三日ほど、ワケツチの北のミヅハメの社で休んだ

 

これがミヅホに伝わると驚きホタカミを向かわせた、ヲニフの使者が大急ぎで向かわせ自分達は朽木谷の西から南の山を越えてミツハメ宮に着くと戻るようお願いするも受け入れられず、タケスミを残してホタカミは急ぎ戻って事を告げると共にツクシへの使者を飛ばした、ハテスミとオトタマ姫はワニで西宮から山城へ向かって説得するも姫は宮を降りたのでもう上がりません、オトタマを捧げてくださいと言うので父娘は宮へ上がり后となった

 

ニニキネは天日月を若宮へ譲られて太上君となられてシノ宮に住まわれた、ミツホ宮ではニハリのようにユキスキ御祭の大嘗祭が行われ三種神宝を授かって天の神へ民が安らかならんことを願って八幡花を飾り、翌日より多くの民に拝観させた

 

その後もしばしば呼び掛けるもトヨタマはミツ屋を出てくれなかったのでニニキネはワケツチの葵桂を袖に掛けて迎えに行くと姫が出迎えた、手に葉を持ち「これはなんだろう」と聞けば「葵葉でしょう」とトヨタマが答える、また「これはなんだろう」と聞けば「桂葉でしょう」と答える、「どちらが欠けたかな」「欠けておりませぬ」「君は世を捨てて(妹背)道を欠くか?」姫は畏れながら「欠きませんが渚を泳いだ嘲りに腹這いの恥を重ねた身は宮に相応しくありません」「それは恥に似て恥ならず、よく聞きなさい、子を産んだ後暫くは因み(交わり)を断ち75日の養生をする、それを慎まずカツテ尊が予て申した回復を待たなかった、覗く恥はお前ではない、私の方だ」

 

「龍の子は千年海に住み陰を知り千年山に住んで陽を知る、そして千年里に住めば陰陽を結ぶ、三つを生き悟って君となる。お前は渚に落ちる御胤の事を想って猛心で泳ぎ生き延びてくれた、これは地を生きた事である、宮に上がって嘲り逃れれば天を生きたことになる、そして葵桂の妹背を得れば人生きを得る、三つを知ればこそ龍君が如き神となるのだ」

 

「龍君とはどのような?」「龍は領巾のような姿をして水を自在に操るので鱗君とも言う、その上に立ったお前が三つを知れば人は神となるのだ」姫は恥じて何も言えなくなったので御幸に同行していたミホツ姫に助けを求めると喜び頷いて言う「太上君(ニニキネ)は心を痛めてらっしゃるのよ、君と姫は日と月のように睦まじくあるでしょう」

 

ニニキネは微笑んでトヨタマの助けとして川合国を授け、谷を出て室津から迎えの亀船に乗った、見送りに来たホオテミに「空に日月輝くが人も草も蔭になれば冷えてしまう、地の君も蔭を作れば民は枯れてしまう、政はコヤネとモノヌシと共に治めよ、宮内の事はミホ姫に任せるのだ」と亀船でカコシマへ向かった

 

ソヲ国高千穂で夕陽に向かい朝は浅間の陽に向かう日向国とホツマ国、姫はアサマに隠れる月、この高千穂に入って神となられた浅間神や子安神と兼ね合う陽の逸の尊は高千穂峰の神となられた、鳴神を分けて土を活かすワケイカツチの皇神である

 

崩御を聞いたホホテミは喪に入り伊勢大御神に告げると「陰陽の数で喪を脱ぎ政に戻りなさい、毎年命日には一日の喪に服して御魂を祀るのだ」と勅を受け、喪が明けると伊勢へ御幸したので天照大御神は喜び、御祖仕天君の名を賜った

 

トヨタマはワケツチ山で48日の喪に服して毎年の命日も御饗をなした、天君が姫の様子を聞くとコヤネが「例があります」ミホツが「歌をお贈りなされては」と言うので歌を詠みそれをミホツの孫イソヨリに預け、迎えた姫に立って詠み上げた

 

オキツトリ カモツクシマニ ワガイネシ

イモハワスラジ ヨノコトコトモ

(我が愛しの姫と共には居られないが夜も夜も妻の事を想っているよ)

 

この歌を聞き「ミホツ姫はなんと?」と聞くとイソヨリは

 

イミトイヒ ケカレオタツル ヒノモトノ

カミノココロオ シルヒトゾカミ

(しっかりと穢れを絶たれて日の本(調和)を知られた方こそ神ですよ)

 

すると姫は葵と桂を包んで水引で結び文箱へ収めた返し歌を贈られた、君は自ら結びを解いてその歌を読んだ

 

オキツトリ カモオヲサムル キミナラテ

ヨノコトコトオ エヤハフセカン

(これは鴨に居る自分の事を思ってくださって私も毎晩想っています、という意味でもあり、オキツトリは天地を治めなければ世の穢れを祓う事は出来ません、という意味でもあり、つまり戻る事を受け入れたのでしょう)

 

ホホテミはこの歌を三度も読み落ちた涙は膝の葵葉を濡らし衣に模様を写した、迎えの輿にトヨタマ姫が乗って天宮へ入られたのを喜び織らせた錦には小葵と散り菊の紋を写した御衣は山鳩色の水の紋は君が着られる御衣裳となった

 



 

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はい、長さはそれほどでも無かったのですが内容的にとてもボリューミーでしたね! そしてなかなかドラマティックだったので台詞として砕いて訳してしまいましたw

 

でも解釈が難しくて先達方もなかなか振り幅の広い訳になっていたので勝手にドラマ調に寄せていますm(*_ _)m

 

まず、ウガヤフキアエズの誕生という壮大な話でいきなり美保関を経て北都(敦賀だと想定されている)で産んだのだろうか、九州じゃなかったのか?!と驚く間も無く子の事は冒頭で終わって海幸と豊玉姫のラブストーリーが展開、さらにニニキネの崩御だったり三穂津姫まで登場、そしてトヨタマが籠った山城のミツハメ宮ってどう考えても貴船さんの事ですよね?!

 

もう頭の中がワニワニパニック(°ω。)←言いたかっただけ

 

でも面白かったので時間は掛かりつつも一気に読み終える事が出来ました、きっとウガヤさんはこの後に書かれるのでしょう

 

さて、もう色々アレなのですが鴨は基本的に船ですが賀茂となれば話は違う、やはり賀茂別雷はニニキネというヒントがバシバシと入って来るのですが豊玉姫の居る島がカモとされている、そこへ三穂津姫も同行されていることからも葛城から山城とかなり広範囲が賀茂の地であったということが示唆されているように私には読み取れました(まぁ賀茂も子孫が書き残していますからね)

 

さらにタケスミが賀茂建角身とする説もありまして賀茂オンパレードの特大フィーバー回でございました

 

さて、謎がいっぱい過ぎて全部は触れられませんが一番は貴船さんですよ貴船さん、高龗闇龗神は罔象女神ともされていますが確かに貴船さんって本宮と奥宮どちらも高龗神が御祭神とされていて不思議だったんです

 

といっても元は禁足地だったとも言われているので手前の本宮は所謂拝殿ということで理解していたのですが一説では玉依姫が祀られているという話もある、さらに謎だったのが真ん中の結社に祀られる磐長姫ですよね、なぜイワナガヒメ?!と思っていました

 

といっても豊玉姫が祀られているわけではありませんが、豊玉姫玉依姫に変わった可能性もある、または玉依姫の伝承から豊玉姫が籠られたという創作がされた可能性もありますね

 

そして最終的に豊玉姫は戻られたんですね!! それもビックリ!! 一般的な伝承ではワニ姿を見られて竜宮へ去ったという話になっていますが、ホツマでは出産後の75日を破られた穢れが理由となっていました

 

ちょっとアレな話にしてしまいますが、回復を待つ75日は後に 因む という言葉や回復の時間という言葉が使われて、つまりほぼ直接的に産後直ぐに交わってしまうと母体を傷付けるからダメですよ!!という妻を守るルールがあったのに嬉しさと愛しさの余りに営みがしたくて飛び込んでしまった、でも裸で這って居た、それはつまり産後処置であられもない姿だったところを見られてしまったという事なのでしょう、あぁなんて人間臭いんだ!!(そういうところ大好き)

 

神話においては世界的にも何かしらの話が参考されて似た話が作られたとされる事が多く(私も時々そう考えます)、この話もまたイザナギイザナミの話とも似てますよね、でもこれは参照されたという感じはしないんですよね

 

黄泉での話は愛す人を喪ったからといって執着してはならない、こちらはルールには理由があるのだから守りなさいよ、という事でどちらも流れとしては似ていますが全く状況が違いますもんね

 

さて、オトタマ姫として登場したのが玉依姫! そうか、そういう理由で後后となって鵜葺草葺不合を育てたという事なんですね、もうタマヒメが多くて混乱するのですがまだホツマでは固有名詞が出てきますから整理しやすい

 

真実がホツマ寄りだったとしたら、場所も時代も違うのにタマヨリヒメでくくられてしまい、〇玉依姫だったとしても〇が省略されたらそりゃわけわからなくなるわ!! ってなもんです

 

個人的には出雲巡拝の後ですから美保関からワニ船ってところなんかちょっとワクワクしましたし、白兎伝説も和珥氏を騙して鰐船(ワニの背)を渡ったと、まぁそれほど広がりはしませんが意味が分かるようになってきますね

 

もうちょっと戻ってまだアップしていない巡拝記事や最後のまとめ記事を追記修正したい気もするのですがそれをし始めると収集が付かなくなるのでやめておきますw

 

 

さて次はどうなるのかと思えばビックリ、今までに無い感じでそのまま続くようなスタートっぽい!!

 

頑張って訳します!!∠( ̄^ ̄)

 


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