どうも、ひのきですm(*_ _)m
遂にやって参りました、上賀茂神社!!
う、うぉぁぁぁ、、、き、規模が、、、そして賀茂大社の碑
そう、無知な上に下調べをしない(しなさ過ぎる)私は、うんうん上賀茂さん下鴨さんは有名だよね~、っていう程度の知識のみでここまでやって来ました
この参拝時点でわかっていたのは正式社名が賀茂別雷神社であること、御祭神が賀茂別大神であること、以上!!
っと、、、ここは、、、やばい、やばいぞ
高鴨神社くらい広いんだろうなぁ、と思っていたのですが、、、
とんでもない広さな気がしてきた...
こちらの綺麗な建物は能殿かと思ったら馬場殿だそうです
こちらが二の鳥居
そうなんです、この規模の神社なのに人が少ない!?
やっべぇ、、、想像していたよりもめちゃ広い、、、
お賽銭は巡拝を控えてたーーーんまりと10円50円100円を集め持参しているので全然余裕なのですがこれだけ広いと次の下鴨さんの時間もちょっとだけ心配になる、それほどの広さですね
おぉぉ、これは私でも知ってる有名な立て砂、こちらは細殿
ただ全然由来を分かっていませんでした、こちらは大神が降臨されたという神山を象ったもので写真だとよく見ないとわかりませんが山の頂上に二本、三本の松葉が立てられ陰陽一対になっているのだそうです
そして辰年に向けて奉納されたのか昇り龍降り龍が御祭神に合わせて雷龍で描かれています、凄く格好良い!!
華やかな手水舎です
ここからは結構人がいらっしゃる、それもそのはず駐車場側からの順路もあったようです
こちらは衣通姫命を祀る橋本神社
ソトオリヒメは木花咲耶姫命、光明皇后、小野小町と並び称される美女であり、また住吉神、柿本人麻呂と共に和歌三神とされる玉津島明神と同神だとされています
渡ることは出来ませんがとても美しい玉橋
そして美しく立派な楼門!!
ちなみに高鴨神社の件があったので参拝前にたこ焼きを食べながら調べておきました、検索すると撮影NGだと書いている人を見かけますが実際のところ、上賀茂神社も下鴨神社も写真撮影はOKで多くの神社と同じく禁止されているのは無許可でのプロカメラマンや商業目的による撮影だけでした
楼門を潜ると巨大な矢!!
矢といえば多くの神社で授与品として破魔矢・守護矢が授与されていますが上賀茂神社にはとても縁のある矢となります
神代、雷鳴轟き天から降ってきた一本の丹塗矢が川を流れてきたところを賀茂一族の姫 賀茂玉依姫命が見つけ持ち帰り祀っていると身ごもり男子を出産します
御子が元服の祝宴にて祖父である賀茂建角身が「父だと思う神に盃をすすめよ」と問うと御子は「我が父は天津神なり!」と盃を天に向け投げると甍(茅葺)を突き破り、御子は雷鳴と共に天へ昇ってしまったという
突然御子を失った祖父と母が再会を願っているとある夜、玉依姫の夢枕に御子が現れ神託を告げたのでその通りに神迎祭をおこなうと立派な成人の姿となった御子 賀茂別雷大神 が降臨されたという
社伝によると降臨御鎮座が神武天皇の御代(紀元前)、欽明天皇の代(550年頃)に賀茂祭が始まり677年に賀茂神宮が造営とされています
こちらの矢の先、というか後ろというか、に鎮座されているのは櫛石窓神と豊石窓神を祀る棚尾神社です
そして本殿へ参拝する中門には注連縄で作られた宝船御飾!!
五本の当たり矢が刺さった宝船の下を通ると良い一年になると言われているそうです(*´ω`*)
神前に立つと御幕の先は薄暗く、でもはっきりとした御神威を感じる厳かさに包まれ、私の真横、というより前にまでお子様が駆け寄り後ろから親御さんの声が響くというなかなか賑やかな中だったにも関わらず一瞬時が止まったかのように音がスッと消えた気がしました
こういった参拝者が列をなしている場合、私はいつも近くなってきたところから心の中で名乗りとご挨拶を進めてしまい、自分の番になると感謝をお伝えするだけというスムーズな参拝にしているのですが、そんな短い間でも時が止まったかのように感じる事は滅多にありません
なんだろう、このご挨拶した後のスッキリした爽快感(*´ω`*)
って結構陽が傾いてる!? サクサクッと回らないとほんとに時間無くなってしまうw
と思いつつも全然急ぐことなくのんびりと参拝してしまう、そういった何か不思議な居心地の良さがここにはある
お姿は見えませんがこちらには本殿権殿だけでなく若宮神を祀る若宮神社、建玉依比古神を祀る土師尾神社、杉尾神を祀る杉尾神社が祀られています
こちらは罔象女神を祀る川尾神社、社殿の脇から後ろの川へと降りられる御手洗場のようになっていますが、この川にはその先にも何ヶ所かそういった場所が作られています
もう少し苔むした方が好きですが、いやぁ、檜皮葺って良いですね
そして今境内図を見ていて気付きました、境内を流れる川がY字形になっていて賀茂川と高野川、丁度上賀茂社下鴨社の鎮座する扇状地の位置に本殿が祀られているんですね!!
そして伊勢神宮遥拝所がありました
本殿右手、門の所からの参拝になりますがこの奥には二社
右手、新宮神社は明治期まで賀茂別雷神社の第二摂社だった貴船神社の高龗神が祀られ、雪深い冬場でもこちらで参拝出来るよう1628年に分霊が祀られたそうで、その左手には大山津見神を祀る山尾社が鎮座しています
川を渡ると賀茂県主族の祭祀王だった玉依姫命を祀る片山御子神社が鎮座されています(何故だか社殿の撮影を忘れてしまったようです)
石段の上には阿須波神、波比祇神、生井神、福井神、綱長井神を祀る須波神社
一説によると大年神の御子神と宮中守護として祀られていた井戸の神とされています
石段を降りてくると目が吸い寄せられたのがこちらの岩
な、な、なんだここは、、、御神木?よりも岩が凄いんだけれども、と写真だけ撮っておいたのですが今読んでみるとなんと返祝詞をあげられていた古代祭祀の霊所で氣が集中する場所とある、どうりで物凄く引っ張られたわけだ...暫し目が離せなかったもの
本殿西側と東側、川尾社の裏の奥より流れる川は結構な水量で境内を長く流れていて御神域全体を素晴らしい氣で包み込んでいるのでどこに居ても居心地の良さがハンパない
時間のことなど忘れてついつい川のほとりでの~んびりしてしまうのであります
あ、そうですw 実は主殿参拝後に授与所を覗いた時、どうもやっぱり八咫烏さんがこっちを見ているのでおみくじを頂戴し、我が家の神棚にお座りいただくことにしたのです
そして高鴨さんで御札を頂いていたのでもうお受けするつもりはなかったのですがどうも金色の輝きに引っ張っていかれたのが金ではなく黄色い厄除御守護神札でした、我が家の神棚にいらっしゃって中央でお守り頂いています
ならの小川のほとり、岩の上に鎮座される陰にあって凄い存在感のあるこちらのお社
凄いですね、ほんとに岩の上に鎮座されています、こちらは底筒男神・中筒男神・表筒男神を祀る岩本社
そのまま川を下っていくと鎮座されていたのが賀茂山口神社
御歳神が祀られており、細い川に石が渡されこの背側には拝殿がありました
あれっ、入っちゃいけないところに踏み込んでしまったのか?!と一瞬慌てましたが、この先には「日時によりこちら側へはお入り頂けませんと書いてある柵があり開いていたのでひと安心
ただ、後に書きますが私と同じルートで参拝される方はこちらより先に行くべきところがありますのでご注意ください
さらに先へ進むとならの小川の支流に石橋が架かり、山上へと朱鳥居が並ぶ二葉姫稲荷神社がありますが記事を次に分けます
二葉姫稲荷からそのまま先へ進むと境内外へと出てしまったので再び正面へ、駐車場側から来たのでならの小川の方から境内へ
砂利の正面参道に人が全然居なかったのは皆さん車で来てこちら側からいらっしゃるんですね~
川沿いに並ぶ末社、こちらは梶田神社で御祭神は、、、瀬織津姫神!
東手、高野川に当たる小川の上流に罔象女神、そして合流した下流に瀬織津姫が祀られているんですね、素敵(*´ω`*)
続きまして山森神社には素戔嗚神、稲田姫神、田心姫神と夫婦御子神が祀られています
このもうひとつ上流に奈良刀自神を祀る奈良神社もあったようですが図を見ると真横を通っていたにも関わらず気づかなかったようです(´・ω・`)
ナラトジノカミはならの小川の女神とされており、神饌を清める女官だとされているそうです
ここからは渉渓園という庭園になっており、この先に鎮座されているのが先程の御歳神が祀られる賀茂山口神社になります
こちらは睦の木とされているスダジイという椎の仲間でひとつの根から何本もの幹が伸びていることから仲睦まじい家族の絆を守る木とされているそうです
うーん、ほんとだ、家族の傘のように温かい(*´ω`*)
そして問題はこの先です
こちら、陰陽石
瀧尾神社の陰陽石は男根女陰を表す二石でしたがこちらは陰陽が極まり融合した石とされており、古く龍が棲むとされていた池の底から出現した石だそうです
確かによく見ると真ん中に割れ目はありますが左右はしっかりと繋がっており、そして左と右では若干石質が異なるように見えます
両手で触れてそのお力を、とあるので割れ目の左右に手を置いてみました、、、まぁビリビリするでもなく温かいでも冷たいでもない不思議な感じでしたが、なんだかとても落ち着きました(*´ω`*)
問題は説明板の最後、「両手で触れてそのお力を頂いてから賀茂山口神社にお参り下さい」と書いてある
つまり、こちらから来て拝殿からご挨拶しなさいということだったんです! 勿論、仕切られてはいなかったので拝殿脇からご本殿へ石橋を渡ってご挨拶しても大丈夫です!!(本殿自体に賽銭箱がありましたしね)
いやー、、、素晴らしかった、賀茂大社の石碑通り御神威に満ち満ちた御神域でした、さすが京都最古とされる上賀茂さんですね
ずっと御神氣と御水氣を受けていたからか物凄く清々しい気持ちで身体も全然元気、とても未明から稲荷山を登ってきたとは思えないほど充実していました
と、いうわけで、、、特に急ぎもしませんで、というか少しのんびりもしつつの参拝でちょうど1時間ほど、実はここから東に境外末社が鎮座されているのは知っていたのですがさすがにそちらは諦めました
何故って、、、上賀茂さんから下鴨さんってマップでは徒歩45分なんですよw これまでの経験上、私の足でサクサク歩いても40分は掛かる、軽く日没との闘いになってきたのですw
勿論バス移動もあるのですが調べてみると余り変わらない、であれば賀茂川を長ながら歩く方を選ぶのが私(*´ω`*)
と、カラス様
じーっと眺めていると翔んだ!! 足は二本!残念!!(アタリマエダ)
でもあれですね、八咫烏の神社へご挨拶した後に会うカラスさんはやっぱり格別ですね(*´ω`*)
いやー、良い眺めだけれどやっぱ45分は長いですね、と思っていると彩雲登場!!
さらに!
さらに!!
次々と現れる彩雲が飽きさせず歩かせてくれました(*´ω`*)
では御祭神について
神山の御阿礼所への御鎮座を創建とすると創始は紀元前ということになりますが祭りの始まりや神宮造営までかなり時があくのが少し気になります(大きな祭りほどではなく祭祀自体は続いていたのかもしれませんが)
一説には賀茂別雷大神がアジスキタカヒコネと同一視される説もあるようですがさすがにそれは時系列から言っても難しいかと、それよりも賀茂別雷大神が御降臨された後について資料が見当たらないのです
父である天津神については火雷神である、大山咋神であるなど諸説あるようですが、矢・川・解任・天津神というキーワードが酷似する話があることが注目されています
個人的には、、、神憑りや降臨にしては実際に祖父や母の御名まで出てこうして現代まで祀られ続けているのでただの創作神話だとも思えず、もしかしたら流産や早世などに遭ってしまった御子だったりするかもしれない、と考えてみたり
でなければ、賀茂別雷の降臨と時を同じくして賀茂一族若しくは諸説にある松尾大神、つまり秦氏系に大神クラスの人物(神)が突如現れていれば、、、という可能性もあります
記紀においてはその都度異なる名前や職位名で書かれるので同じ神が別人のように、またその逆で同じような役職名で別の神が同一のように書かれたりします
いずれにしても、検索してみてもちょっとその論拠には、、、という説or深すぎて理解が追いつかないものしか見当たらない感じなのでこれは難題ですね
ちなみに先日、風邪で微熱を出していた時に見た謎の夢で最後歩いていた道にかかっていた看板には 神山 という文字が書かれていました
まだこの記事を書く前で賀茂別雷大神が降臨されたのが神山だということを知らない時です
何故か感覚で北西すぐ近くに海がある場所(夢の中では海など見えていない)というイメージを持っていたのですが、さすがにそんなことは無いだろうとGoogleで検索すると出てきたのは北陸のとある場所、旧神山村
ただそこは既に合併で名称が変わっており、そしてすとりーとびゅーで見ても全然雰囲気が似てはいない、まぁ夢だからな、てことでやり過ごしていたのですが
もしかして八咫烏というキーワードが出てくる夢だったから葛城か山城に神山が?と調べて賀茂別雷大神が神山に降臨されていたことを知ったのでした
その上賀茂神山の北西には海ではなく賀茂川、そしてストリートビューでサラッと確認したところ、さすがに神山という看板は見当たらなかったのですが緩やかな坂と建物の雰囲気が夢と似ている?!
いや、勿論全ての道を見たわけではないし似ていると思えば似ているだけで建物など夢そのものだというほどの場所は見当たらなかったのですが、、、まぁ、偶然ですかね
でもいつか、行ってみたいですね
神聖な山ではあるのですが禁足地にはなっていないようで、ただし登るにはなかなか大変だというのであまり現実的ではない気がしますが( ̄▽ ̄;)
さぁ、次はいよいよ、葛城・山城鴨族五社の最後、下鴨社です!