日々是"吉"日

ゆるゆるなスピリチュアルでパワースポットやパワーストーン、原石、お香などを楽しんでいる日々の日記です。

麗しき流山富士 浅間神社

 

 

なんかもう凄く巡ってきている気がするのですがまだ午前中です、さすが始発の力

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

本日はこちら、浅間神社です
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珍しいですね、若干の下り参道になっていますがこれはきっと土手堤防工事で周りが嵩上げされたけれど古く鎮座されていた神社はそのままになっているのかもしれません

 

さらに西向きなのは川へ向いているのかと思ったのですが、、、違う! 富士山の方向だ!!

 

境内入ってすぐ左手にお動が、石柱の文字が読めない...堂内を覗くとお不動様がいらっしゃいました、こちら調べてみると成田山だそうです(下二文字はやっぱり読めない)
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左手に並ぶお不動様も成田山に関するものでしょうか、その奥の石塔は庚申様のようです
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鳥居は少し進んだところにありますね
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そして富士塚...富士塚っ?!
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咲耶様にはご挨拶したいと巡拝先に入れましたが富士塚があるとはとっても嬉しい誤算です!!

 

右手に道真好を祀る天満宮
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そして後社殿、勿論御祭神は木花開耶姫命
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地味なことではありますが、手前の下り参道も社殿前もちょっとした石段に手摺が設置されているのは氏子様に年配の方が多くいらっしゃるのか、小さな心遣いがとても気持ち良いですね

 

心を込めてご挨拶...あっ、優しくヒヤッとした風が

 

ふー、とっても素敵です(*´ω`*)

 

社殿右手には伏見稲荷社が祀られています、そして富士塚が!
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いやーーーーーっ、お手本のような美しい富士塚っ(≧∇≦ )
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九合目辺りで富士山が見えるスポットがあるのだそうです
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はーーーっ、美しい、とっても美しい! ではいざ、登拝!!
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富士塚はいくつか登って来ていますがこちらはコンパクトに高く積まれているのでなかなか足場も細く、注意書きがあったようになかなか気を付けて登らなければ危ないですが一歩一歩が凄く気持ち良くて登頂の喜びが感じられます
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富士山は西の雲で見えないけれどとても美しい境内が見下ろせてめちゃめちゃ最高でございます(*´ω`*)
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うぉぉぉぉぉお! 天気予報どこいったぁぁあ!  最高だ!!!
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暫く空と景色を眺めながら優しい風を感じる、、、富士塚って当然だけれど雨風による侵食もあれば草木の管理も必要だし、なんなら子供や軽い気持ちで登る方が怪我をしていくと危険だとして解体されてしまう

 

こうして残されている富士塚は本当に貴重で今でもその有難みが伝わってくるのだから富士信仰の最盛期にはそれはそれは素晴らしい場所だったでしょう

 

ダンプも重機も無いのに富士山から溶岩運んでこれだけの塚を作るって凄い想いが詰まってますよね(*´ω`*)

 

下山すると鳥居と石祠が
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よーく見ると 水神宮 と読めました、罔象女神でしょうか
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富士塚なので数多くの石碑で神々が祀られています
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社殿左手、一生懸命読み取ろうとしたけれど大神しか見えず、調べてみても分からず、石動大神、、、いや、動じゃないか、うーんわからないっ
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いやーーー、もう思った以上に素晴らしい浅間神社でした、もし雨が降っていたらさすがに富士塚も登らなかったし、晴れ男バンザイ!!(早朝とは物凄い変わり様w)

 

さて、調べてみましたがやっぱり情報は少ない

 

Wikiによると、醬油醸造家の初代当主が邸内社として鬼門に祀り、逝去された1644年に神社として創建され1716年に庚申塚が築かれた辺りから地域の神社になっていったと書かれています

 

また対となる裏鬼門に箭弓稲荷が祀られており浅間神社は本家へ向いていると書かれているのですが調べてみてもそのあたりの情報は見当たりませんでした

 

富士塚1886年から1889年に造成されたようで高さは約6m、流山市有形文化財に指定されています

 

情報の中に、創建者浅見家は後の野田醤油、キッコーマンとなったというものがあって えぇぇぇええ?! と調べてみたらちょっと違うようで、野田市醸造家が集まって作ったのが野田醤油で浅見家は一部暖簾分け?のようは形で協力したような感じらしい

 

醤油といえば千葉! 特に野田と銚子ですよね!! で、流山はどちらかというと味醂だったようで、というか千葉全体的に味噌醤油味醂醸造地域だったんですねぇ

 

また江戸川沿いにひっそりと地図にも載らない石祠があるようでそちらが裏鬼門の稲荷だという方もいらっしゃいました

 

なんか素晴らしい富士塚だけじゃなく地域についても知識が得られる参拝になりました(*´ω`*)

 

 

さぁ!! さぁさぁ!!!

 

飯テロこーーーーーなぁぁぁぁぁぁあ!!

 

場所的にあまり無いかなぁ、と思いつつ大杉神社の藤棚で涼みながら地図で 食事 と検索すると意外といくつかありまして、その中で目に留まったのはお蕎麦

 

もうね、暑くて暑くて自販機で冷たい飲み物を書い少し飲みつつ首や脇の動脈を冷やしてはいたのですがさすがに飯を食わにゃぁ無理! そして食うなら冷やし蕎麦がいい!!

 

というわけで選んだお店ですが、いやー、びっくりですよね、創業190年ですって!! アド街にも出たんですって!!

 

浅間神社の参拝を終えて向かうと並ぶ人が見える、えっ並んでる!  と、まさに開店してお客さんが店内へ入って行くところでどうなるかと思ったらギリギリで即着席出来ました(*´ω`*) 直後の人から待ちになっていた、、、凄い人気だ

 

というわけでこちら!! 小西屋さんの冷やしむじな蕎麦!!
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むじな? むじな??? むじな????? ...貉ってアナグマの事だよなぁ、、、タヌキと同じ穴のムジナ、、、あっ、もしかしてたぬきときつねのダブルトッピングか?! と注文してみたら大正解でした(*´ω`*)

 

っていうか伝わりづらいですよね、お蕎麦が見えないほどにびっしり敷き詰められた具材達、さらにこのお皿、よく影を見れば分かるように中央が下げ底になっていて見た目以上に麺がある!

 

食べかけですみませんね、これで半分以上食べた状態です!w
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体感的には通常のお蕎麦屋さんで大盛りを頼むよりも多い、というか2玉よりもちょっと多いんじゃないだろうか、そして珍しいお蕎麦は7割五分という割合ですがこれがまたしっかりと蕎麦の香りを楽しめつつコシがしっかり、冷やしとはいえ細麺なのに食べ終わりまで伸びない!(暖かい蕎麦だと伸びるらしい)

 

つゆも出汁が聞いてちょっとだけ濃いめだけれど細麺がつゆを吸って丁度良い、この量なのに濃すぎる事なく最後まで美味しく食べられる、これで700円とか嘘だろ?! っていう脅威的破壊的コスパです

 

この美味しさでこの量なら土地柄を差し引いても1000円超えてて全然不満無いレベルですよ奥さん!! こんなお店近所に欲しいよ!!

 

因みに滅多に聞かない4割蕎麦(C級らしい)なんかはもり蕎麦で350円、冷やしたぬき(きつね)で500円ってんだから凄いですね

 

あと大盛りは100円増しのようで頼んでいる方のを見たら完全な富士塚盛り!!  あれ、高さ15cmくらいあるんじゃない?! しかも同じ下げ底ですから普通盛りでお腹パンパンになっている私にはどう頑張っても絶対に無理だw

 

 

ちなみに余談ですが、朝家を出る際に自然と扇子ホルダーを手に取ったのです、あれ?今日は悪天でなんなら雷雨にもなろうかというのになんで扇子を手に取ったんだろう、戻そうと思ったのですが何故か手がそのまま腰に装着させようとする

 

まぁこれくらい持って行っても、、、いや待て、シトシト雨ではなく降るならばドザーッと降る可能性が高く濡れてしまったらそれこそ残念なことになる、やっぱり置いて行こう、と外して来たのでした

 

もうね、後から考えたらあれ、いつもの謎のお告げだったんだろうなぁ、、、暑くなるから持っていけっていう、、、素直に従えば良かった、と凄く後悔しましたが小西屋さんが涼しくて冷たい麦茶も細かく継ぎ足してくださってお蕎麦も冷たく美味しかったからほんっと救われました

 

その後全ての巡拝を(しかも一社追加したし)終えられたのは小西屋さんのお陰です(*´ω`*)

 

というわけで、お腹ぽんぽこりんで次の神社へ( ´ω` )/

 

あんばさま御分霊 加岸大杉神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

いやー、想定外のど晴天になりまして茂呂神社で復活してその後に冷たい飲み物を購入したのでなんとか元気に歩いてこれました

 

続きましては大杉神社です
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実は参道がナビとも読みとも違いましてぐるりと区画を回ってよやく見つけましたw

 

ナビさん、何にもないところに案内しないでよ(・ε・` )

 

当然のように社名だけで決めて何も調べておりませんがやはり創建由緒不明と書かれています、そして御祭神は倭大物主櫛甕玉命の表記ですね
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注連縄も個性的でございます
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参道を進むと庚申塔や仏像?が並びます
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そして左手に社殿が...と、住宅地の区画のど真ん中にこれほど広く境内があるとは!?
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いやー、素晴らしいですね、少しだけお寺さんのような雰囲気を感じますが
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それではご挨拶!!  おや? 暑さのせいだろうか、どこか懐かしいようなでもなんだろう...気持ちは良いけれど想像していたのとは少し違うような

 

こちらも棒状の注連縄ですね、あれ? 御賽銭箱の社紋は...?
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とりあえず暑さもあってここで深く考えることも出来ないので記事を書く時に調べれば良し、ということで、、、でもなんか気になる、とガラスから中を覗いてみるとあーんなところに由緒書きが、と読めないのでアップにして撮影
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この加岸の里は江戸中期から明治に栄え、文化の頃に創建されたと推定されるという、ふむふむ

 

例のようにお背中へ、うん、素敵だ(*´ω`*)
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社殿右手側に境内社があるようです
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罔象女神を祀る水神社ですね、江戸川の畔ですから(*´ω`*)
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っと、、、おぉぉおお?! 真榊!!
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ホツマによれば皇位継承に必要不可欠だったという、ちなみに葉が小ぶりでギザギザしているものはヒサカキだそうです

 

こちらは...?! 大宮神社遥拝所?!
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特に何がというわけでもなく、というか何も知らないままこの後の巡拝先にある大宮神社の事だろうか、地図で見ると若干ズレてはいるけれどその方角を向いている

 

遥拝所が設けられるほどの何かがあるのだろうか

 

こちら側から見ても美しい社殿ですね! 本殿もあるのだけれどやっぱりちょっとだけお寺っぽい
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ふぇ~っ、藤棚助かるぅ(*´ω`*)  なんでだろう、こうして休んでいても神社神社していないというか、やっぱり寺社の中間的な雰囲気なのはなんでだろう
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ここで先のルートとそろそろお昼なのでちょっと昼食先を調べたりして休ませていただく

 

いやー、状態も状態だったし昼食べる元気なんか無いかもってほんとなーんにも調べていなかったもんで(´>∀<`)ゝ

 

では、調べてみました

 

なんとこちらもい茨城県稲敷のあんばさま(御田植と書いてあんばと読むんですね)からの御分霊だそうで1866年には既にあったことが確認されているという、ちなみに由緒書きにあった文化は1804~1818年ですのでその頃の創建のようです

 

そしてこちらは加岸、大宮公園に鎮座される大杉神社が加台とされているそうで...あ! 記事はまだ先ですが大宮神社の境内にも大杉神社がありました!!(大宮神社の記事冒頭ではこの事を知らない参拝時の状態で書きますw)

 

そうかぁ、この辺りの大杉神社はだいたいあんばさまから分霊されているんですね、それほど崇敬が篤かったんですね

 

そして社紋、これをテクノロジーを駆使してGoogleレンズさんに頼ってみると逆に泥沼にハマったところで当たり前の事に気付いてあんばさまのHPを見たらなんのことは無い、あんばさまの社紋でした(爆)

 

ではなぜか?  767年、大和国より日光二荒山へ向かう途中の勝道上人が(そこが繋がるんかぃ!?)大杉神社へ着くと病苦に苦しむ民衆がおり大杉に祈念すると三輪明神が降臨し病魔を祓ったという、そして天狗が眷属とされたので社紋が変わり羽団扇なんですね

 

この記述からは元から大杉神社が鎮座されていたのか、現大杉神社の地へという意味なのかが把握出来ないのですが、あぁ!? なにかよくわからぬ圧にも関わらず居心地は良くなんとなくの懐かしさとお寺にも似た雰囲気、つまり天狗を眷属とする権現様の特徴だ!!!

 

二荒山は味耜高彦根命だと思っていたのでここでそう繋がるとは思いもしませんでしたが、伝えの通りとすれば767年の時点で既にこの地は栄えており大和国から来た勝道上人がわざわざ寄るほど大和との繋がりがある地であったと考えられます(教えを広げるためならば繋がりが無くても足を運んだかもしれませんが)

 

そしてそういうことか、大和国から来た勝道上人だからこそ、祭神名を大物主ではなく倭大物主櫛甕玉命としたのかもしれませんね

 

としつこく言っておきながら大和の大神神社では大物主大神とされているんですけどね、わざわざ倭と付けるのは大和から離れているからって考えていたりするのと、櫛甕玉というのも意味があるんじゃないかと思っていたりしますがどうなんでしょう

 

いやー、思いもしなかった繋がりがまた出て来てびっくりですが、さぁ次の神社はどうなるでしょう(*´ω`*)

 

景行天皇御代の創建?! 三輪茂呂神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

本日はこちら三輪茂呂神社です

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いやー・・・天気予報どうした?!って思わず再確認しちゃいましたよね、それでも曇雷マークのままでしたが諏訪さんでご挨拶している間に晴れた空はさらに雲を減らしていきガンガンの直射日光に照らされながら40分歩きました

 

途中、午前中にも関わらず早くも流山市熱中症警戒アラートが流れ、更には到着直前に道路拡張工事のせいで表示も無く突然歩道が消える事態に遭遇して道を戻ったりもして結構限界に近い状態での到着でしたw

 

そのせいもあったかもしれませんが、、、いや、そんなことはない、こうして見てもそう見える!! 信号を待っている間、玉垣の向こうにこんな暑い中でじーっと座っているおばあちゃん?が見えたんです
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わかります?  いやいや、この暑さで直射日光下、ばーちゃん〇んじゃうって!! なんなら今のおいらがそこに暫く座ってたら倒れる自信がある!!

 

こりゃいかん、信号渡ったら様子を伺ってアレそうなら声を掛けよう、でもあれだ、水分持ってない! 自販機がありそうなところはさらに信号渡ってどこにあるか探さにゃならんな...と境内に入ってみると...普通に声が出た

 

あんたかーーーーーいっ!!!(大黒様に失礼)
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なんでだろ、なんでベンチに座ってるおばあちゃんに見えたんだろう??? ともう一度外から見てみたけど...うん、見えるわ(色がすっげー石だけどワイの視力が…な)
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というわけで安心して、いざ参拝!!

 

大黒様脇の板はもしかしたら由緒が書かれていたかもしれないけれど見た目はちょっと汚れたまっさらの板、実はこちらは大物主命について調べて知った神社でここを目指したのが今回の巡拝だったのですが情報が少ないので境内の由緒書きを求めていたのですがそれは叶わず

 

代わりにヂンガラ餅行事の看板はありました
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そう、こちらは式内社とされており、県内にほか二社の茂呂神社があるのですが当社が最もそれらしいとされておりますが実は延喜式神明帳に記載があること以外は由緒がほとんど分かっていません

 

社名に三輪と付くのはこちらが三輪山と呼ばれているから、周りが流山開発の波が押し寄せていますが杜はこうしてしっかりと守られています、このまま末永く残りますように
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産道が思いのほか長く、地図に表示され唯一しっていたこの両部鳥居までも少し距離があったので間違えたのかと思うほどでした
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建て直しなのか塗り直しなのか、いずれにしてもそれほど古くはないとおもいますが不思議な事にこれだけ綺麗に光っているのに物凄く古いものに感じました、それほどにこの杜には力があるということでしょうか
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背後は都市軸道路、左は松戸野田線と大通りに挟まれながらも全くそんな気配を感じないくらいに神聖な杜、木々が直射日光を遮ってくれるお陰でその素晴らしい御神氣がしっかりと感じられます

 

参道に一社鎮座されていましたが真っ直ぐ主殿へと向かいます

 

普通の水道蛇口が付いた小さな手水舎ですが脇の切り株が凄い! なんの木だったのかわかりませんが、思わず杉の下に湧き出る泉を連想してしまいました

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手口を清め...神様、ごめんなさい、お行儀悪いのは重々承知しておりますが倒れる訳にはいかない、清めさせてください!!

 

蛇口から出る冷たい水を掌に貯めて水盤へ飛ばぬよう左の肩から腕、手に掛ける...はぁぁぁぁぁぁ♪  そして右腕、さらに首、いや、もう、頭ぁぁぁぁぁぁ!!

 

いーーーきーーーかーーーえーーーるぅぅぅぅぅぅぅぅ!!

 

ほんと、ごめんなさい、と本気で謝りながらも凄く清々しい笑顔になっていた自分をハッキリと覚えています、そして水盤には水が溜まっていたのに水を流し身を清め始めたら気持ち良さそうに飛んで来た二匹の蜂さん達に あっついもんなぁ! と話し掛けていたことも

 

手水舎から離れ、髪から滴る水をパッパッと切り手を拭き身を整え社殿前だけ開けた空を見上げる...あぁ、最高だ、なんて素晴らしいんだ
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予報は雷、その実は警戒レベルの快晴、そりゃぁ誰も来ませんからそれはそれは静寂な中を贅沢にも独り占めで御神氣を頂ける、なんと贅沢な事か!!

 

そういえばここまでもこの後も、自分が参拝している間に他の人が来る事はほとんどなく、あっても一人か二人で自分の挨拶には全く差し障り無かったなぁ(*´ω`*)

 

心身を整えて、、、それでは、ご挨拶!!
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御祭神は大物主神、静かな神前に立ち、蝉などの虫の声を聴きながら気持ちを伝える

 

宇都宮からの流れでこちらを知りました、まだまだ急がずに時期を見てご挨拶しようと思っていました、でも早く来いと呼ばれたような気がして参りました、お陰様でまだまだ途中ですが本当に救われた素晴らしい巡拝が出来ています、本当にありがとうございます

 

驚きますよね、こんなに暑い日なのに日陰の森側ではなく、そして道のある真後ろではなく左やや後方からサーッと冷たい風が来たんです、肌を濡らしたからではなく、それ自体が冷たい風が

 

最後に、ほんとごめんなさい、大物主様の目の前、御神域で無礼にも首や頭に水なんて掛けて、でもほんと(身体が)助かりました、ともう一度謝る

 

今思えば、おすわさんで整った心身がここで完全に仕上がりました

 

では、、、杜を感じつつ社殿を一周(*´ω`*)
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素晴らしいお背中です
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そして右手側へ回ったところでヒラヒラっと舞うもの

 

あっ、あああっっっ!!

 

暫く頑張ったけれど、失礼します!! と少しだけ杜に入らせていただく、厚く積み重なった枝葉のなんと柔らかなことか、そしてちゃんと撮れたのがこの一枚だけ(*´ω`*)
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この姿だけで何か分かる人は相当な蝶マニアです、私は羽ばたく時の羽根表が見えなければ分からなかったかもしれません、表側は黒字に目の覚めるような青が美しいムラサキツバメです

 

いやぁ、、、久しぶりに会えたなぁ、凄く嬉しい(*´ω`*)

 

なんとか表を撮影出来るまで粘りたかったのですがさすがに日陰では留まったまま羽根を開くことは無いだろうし、そんなに長くメマトイには耐えられない( `-´ )  地主さんよりは少なかったケドね

 

いやぁ...来て良かった、本当に、来て良かった

 

いつ誰が建てたのかわからないけれど、ただ自然があるだけではない、物凄く御神域の宿る杜であることを確信しました

 

参道途中に祀られていたお社は三峰神社でした、比較的新しそうですが最近建てられた(移された)のか建て直しでしょうか
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三峰さん、ほんと巡拝初期に知りいつかいつかのまま参拝出来ていませんが、これまでのようにきっと、ご挨拶すべき時が来たら自然と呼んでいいたけると信じています

 

呼ばれなかったら、、、まぁそれはそれで、参拝すべき特別な御縁や理由は他にあるんだということで(*´ω`*)

 

というわけで、随分ありましたが始発から行ったお陰でまだまだ午前中です(なのにこの暑さかよっ?!)、もうほんと、丸一日巡拝したかのような充実感ですが、まだまだ先があります

 

暑さが怖いけれど...でも夕方までは掛からないのできっと大丈夫でしょう(*´ω`*)

 

さて、上にも書きましたが事前に軽く調べた中でも由緒がほとんど見当たらず

 

観光協会によると、社名を名付けたのは豊城入彦命で860年に三輪神社となり、1919年に茂呂神社に改称されたとある(ちょっと誤植?もあるようで意味がわからない)

 

創建が三輪神社としての860年なのか、それともさらに500年ほど前に豊城入彦命によって茂呂神社として建てられ後に三輪神社となり1919年に元の名称へ戻されたということなのかもしれません

 

延喜式がまとめられたのは927年ですから、860年創建としても60余年あれば記載されるほどであっても不思議はありませんがもしかしたら、本当に豊城入彦命がこの地に勧請されたのかもしれませんね

 

ヂンガラ神事もいつからどういう由来で行われているか不明だというのでもはやヒントとなるようなものは無い...ただ、こちらの境内は周りが大きく開発される中で三輪山として残っていることからも浪漫を求め、創建1800年弱という古社であると思いたいですね

 

凄くどうでも良いのですが、モロというと私はスペースチャンネル5を思い出します(ほんとどうでもいい)

 

独特の世界観が可愛くて楽しいリズムゲーム(古い)なんですが、そこに出て来るのがモロ星人でしてそのデザイナーさんが茂呂さんだからネーミングされたというの社名を見て思い出しました

 

ん...? 茂呂さん? と調べてみると中臣鎌足天智天皇より賜った事に始まり下総国結城郡茂呂村がルーツだといい、三河にも見られる名前だという、、、ありゃ、また中臣に三河と北関東が繋がった?

 

いや、さすがに偶然か、そもそも日本全国、前を辿れば多くは繋がっていくものですからね(でももしかしたら?)

 

ここでふと、そういえばここまでの無人社は駒木諏訪神社兼務社になっていたな、と調べてみるとありました!!

 

そちらの説明では、諸説あるとしながらも周辺の発掘状況などからも当社が式内社である可能性が高いとし、さらにここから南へ1kmの場所で発掘された祭祀遺跡は当社の拝所だった可能性もあるという、拝所が設けられるほどの神社であるとは?!いや、境内の御神威を考えればその可能性は十分にある

 

さらに、景行天皇の御代に豊城入彦の三世孫である御諸別王の子孫が当地へ住み三輪山に似たこの地へ大物主命を祀ったという伝えがあるという、もうまさにじゃないですか!!

 

いや、私はそれ、信じます

 

その説であれば宇都宮二荒山神社と同時期である350年頃というかなりの古社になりますが、時代的にも流れ的にも地理的にも整合性があるし何より、茂呂神社を知ったのはいろいろ調べてみたからではありますが同じように急ぎ呼ばれて感じた御神威はそれだけの凄さがありました

 

大物主を中心に記紀ホツマツタヱを読み解きましたが、実は暫く巡拝をしないつもりだったのでそのままホツマツタヱ全文の読み解きを始めたところでした

 

この巡拝で一旦ストップしていますが、なんか全体的に凄く繋がっていて本当に凄い

 

この繋がりが向かう先が...まだ何も始まらぬうちから早々に決めた年末の巡拝だとするならば、、、この先に何が待っているんだろう

 

(特に何も無かったとしてもこの過程は全て私の大きな経験となるので問題なし♪)

 

深く感謝して境内を出る、そして再度、境外から大黒様を見て やっぱおばあちゃんに見えるわw とひとりで笑い、次の巡拝地へと向かいます

 

駒木のおすわさま 諏訪神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

高田熊野神社から徒歩30分、流山市へ入りました巡拝五社目

 

駒木諏訪神社です
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神社まで10分弱というところから提灯がずーっと並んでいる、どうやら二日後がお祭りのようだ、これほど長い距離をずっと提灯が並び間々にはしっかり紙垂も下がっている、どんな凄い神社さんなんだろう?!と驚きました
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文字通り固まりました、この位置からでも分かるほど鳥居の先の異世界感が強い

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右手には文字の刻まれた巨石、寿?だろうか
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参道手前にいらっしゃるのは珍しい御神馬さんは"八幡太郎"義家公が奥州仕置を終え戦勝祈願を行った当社へお礼に奉納した馬を社殿の屋根を葺き替えた銅板で鋳造したものだそうです
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それでは、失礼します!!
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お、思っていたよりも広い!? 第一~第二鳥居の間の杜が素晴らしく惹き込まれていたようであんなに美しく脳裏に残っているのに写真すら撮り忘れてしまったようです
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一歩一歩を大切に歩き、こちらが第二鳥居
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こちらも素晴らしい神橋
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左手の巨石がまた素晴らしい
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ほんと、この参道を歩いているだけで御利益があるんじゃないかってくらい凄い

 

そして諏訪梶の葉の神幕が掛けられた素晴らしい隋神門、第一鳥居の狛犬さんも素晴らしかったけれどこちらの狛犬さんも素敵

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美しい奉納隋神像は参詣者を迎えるよう中央へ向き合っています
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迫力ある格好良い狛犬さんの手元には亀!?
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物凄く凝視してますがどういう状況なんだろう、でも凄く惹き込まれる、と撮影したのですがアップにして見るとちょうど視線の先には五円玉が置かれている(個人的には社が推奨されていないところにお金を置くのは大反対です)

 

そして第三鳥...居?! の先にも?!
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鳥居、鳥居、隋神門、鳥居、神門、、、参道はじめの境内図をまともに見ていなくて広いなー程度に思っていたのですがこれほどの規模とは!
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手水舎で改めて心身を清めます、杉が水盤の中や水受け敷かれているの大好きなんですよね(*´ω`*)
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それではご挨拶
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ピシッとした締まりがありつつもなんと大らかな御神氣であることか、程よい緊張感の中に凄い安心感がある、神前に立っていられることへの感謝に包まれ無心になる
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今気づきました、右手の石柱に遥拝所の文字が見えますがアップにしても画質が追いついておらず読み取れない...方向的には北北東のような感じだけどどこだったのだろう、調べてもわかりませんでした

 

しかしこれは...凄いな、軽い気持ちで巡拝社に加えていたけれどとんでもないところだ

 

ほんとこちらの狛犬さんたちは個性豊かで拝殿前の子達は方や狼かと思うほどスラリとして威厳を放ち
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方や、威嚇しているのかと思ったらおどけているようにも見えるし、でもよーく見るとまたなんとも表現し難い深い表情でもある
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こちらに説明書がありました
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おや? こちらは...御神水!?
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キョロキョロ...あっ、社殿左手に御神水がありました
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井戸から竹筒に流れる御神水、お水を救う女性の石像
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ひょうたん型のボトル(ビンと書いてありますがプラスチックなので軽くて割れず安心)に頂戴します、流れる量が少ないのでなかなか時間が掛かりますがその時間の分だけ心が鎮まっていくように感じました

 

そうだ、水質検査証もあって極めて良質と書かれており、よくある飲用は煮沸という表示も無い、とその場で手にすくって飲んでみると身体の、いや、心の隅々まで染み渡ります

 ※ 社務所へ確認したわけではないので自己責任です

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その気持ちを込めてこの写真を撮影したのですがよく見ると手の中に一円玉が...もう、折角良いところだったのに

 

ちなみに銭というのは大切なものでありながらも多くの人々手を渡り欲望も絡んでいるもの、清浄なる神の元へ直に置くのは無礼千万、だからお賽銭箱には 浄財 と書かれこの箱に納めれば浄化され神域を穢すことの無いようにされているわけです

 

社殿右手側に境内社が多く祀られていました、狛犬さんが守られる先には姫宮神社の名が見えます

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進むと二社祀られていました、正面が姫宮神社
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妃神である八坂刀売命は本殿近くに祀られていますが元は諏訪大社に倣いここから200mほど離れた地に祀られていたといい、今でもその場所は字姫宮という地名になっているそうです

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別雷神社は賀茂別雷命で創建年は不詳だそうですがやはり上賀茂神社からの勧請のようです、近隣にも多く祀られていますがこちらにもいらっしゃったとは
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鳥居がありさらに境内社が並びます
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こちらは靖国の神霊を顕彰鎮斎されている招魂社、こうして生きていられることに感謝しつつ、尊い犠牲の未来にあたる今を無駄にしてはいけないと改めて思いました

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由緒は不明ですがこちらは日本武尊と弟橘比賣命を祀る大鳥神社
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恵比寿神社は1985年と新しく創建されたようで水蛭子神を祀ります
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こちらは屋根下に二社並び祀られており
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右手は祓戸大神が祀られていますがこちらについてはHPにも詳細が書かれておらず不明ですが水蛭子の慰霊安鎮と共に並び祀られているのでしょうか
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国魂神社は明治期に出土した板碑から道灌様として祀宇が建立され地域の遠祖を祀ります
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1462年創建の天神社は1985年にこちらへ遷座されたそうです
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お気づきになられましたでしょうか

 

前の木が気になって一旦離れ、そして天神社へご挨拶しようとしたその時にヒラヒラと舞ってきた蝶がまっすぐ屋根に留まりました、あらあらあらあら(*´ω`*)
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最近多く見掛ける外来蝶アカボシゴマダラですがこういうタイミングで来てくれるとなんか嬉しくなりますよね(*´ω`*)

 

そしてちょっと集中してご挨拶したからか写真を撮っていなかった最後の境内社は稲荷神社、創始は不明とのことですが元は石祠の状態から祀られていたそうです

 

いやー...とにかく境内の隅々まで御神氣がいき渡っていてどこに居ても歩いていてもずっと神の国に居るかのように心地よい、なんかほんの少しだけ浮いたまま歩いてるような感じです

 

本殿前へ戻り、空を見上げ深呼吸...うん、これはお言葉を頂くべきだろう、と拝殿へ向かいお願いをする

 

建御名方様、今日はこんな状態にも関わらずお迎えいただき、そして素晴らしいご挨拶をさせて頂いてありがとうございました、前を向いて行かねばならぬのにウジウジしている私に出来る限り、どうぞこれでもかと言うくらい厳しいお言葉をください!お叱りをください!!

 

 

そして頂いた梶の葉みくじを開いてみると...


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大吉...

 

私の体感的には大吉を引く率が6~7割はありまして(若干盛られて感じてるかもしれませんが)、勿論大吉は嬉しいし時に これほんとに大吉?! ってなくらい辛辣な言葉が並んでいることもありますが、今回のお言葉は過去に無いくらい全般的に大絶賛、しかも今の状態が最高潮に素晴らしいと書かれていたのです

 

ちょ、ちょ、ちょっと待って、真逆、真逆です!! あまりにも真逆です!!www

 

少ないながら参拝者がいらっしゃったので小声ではありますが思わず口に出して突っ込み、笑っちゃいました

 

そうなんですよね、大吉ってそれより上の無い最高の状態じゃないですか、だから努力しないと後は落ちるしか無くて厳しい内容の場合もあるのですが、実際がどん底なのに最高だと言われるとさすがにそれはないでしょう、、、今が最高ならこの後どこまで下がるんですか、って感じじゃないですか

 

まぁ占いみたいなもんで当たるも当たらぬも八卦、そんなもんでしょって言ってしまえばそれまでなのですが

 

これは敢えて真逆の言葉を与えることによってより打ちのめし後は上がるだけの状態にしてやろうということなのだろうか、と思って笑ってしまったのですが神門から拝殿を眺めていて思い直しました

 

違うんだ、きっと本当は、今の私は凄く良い状態にあるべきなのに自分自身で地の底に押し込めているだけだということか、確かにそれは自分でも自覚していた、背負う自身の御魂そのものが悪霊となり自らを喰らっている、お祓いも何も自分自身を祓うしかなくて、そんなのわかっちゃいるんだけど一番難しくて...そうか、そうですよね、、、ありがとうございました!

 

深く、深く、礼をして、全ての鳥居と橋でも深く感謝をしながら神社を後にしました

 

ふー...あっ、全然ちゃんと見てなかった、見逃した場所は無いかなと境内図を見ると駐車場の端に壽石と書かれている、行ってみると第一鳥居前にあったものと似た文字が彫られている、やっぱり寿だったんだ
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こちらは北村西望という方が奉納された書の一字をとって筑波石に彫られたものだという、調べてみると日本彫刻会展覧会における最優秀賞が西望賞とされるほどの彫刻家で長崎平和祈念像なども造られた方なんですね

 

さて、、、あれ?  境内は木々に囲まれていて気付かなかったけれどいつの間にやら雲と青空の比率が逆転していらっしゃる

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さぁ、次こそ今日目指した神社、40分もあるけど元気に行くぞ!

 

。。。...あぶなっ、忘れるところだった!! 由緒について何も調べず終わろうとしてました( ̄▽ ̄;)

 

社伝によると、大和国より高市皇子(天武天皇御子)の子孫が駒木へ移り住み、東漸の途次に深い御縁のある諏訪大社より御神額を頂き当地に祀ったのが創始で807年のことだと書かれています

 

さぁいろいろ難しいぞ(^ω^)

 

まず、サラッと調べてみたのですが高市皇子諏訪大社との繋がりがまず見えない、大和国高市出身らしい、母方の御縁に宗像神社らしい、、、うーん、弱い

 

御雷に追われた建御名方が同族であった物部守谷を頼って諏訪へ向かったという説もあったり諏訪大社は古来蛇信仰と持ち込まれた三輪信仰が融合されたものだという説もあり、御射山には三輪社があって大物主が、そして諏訪大社下社には夫婦神と共に八重事代主神も祀られている

 

話が広がり過ぎないようまとめると、大和から駒木へ真っ直ぐ来たのであれば他の地域と同じように三輪大神を祀るであろうにそうではない、いつの段階かは分かりませんが、縁のある諏訪へ移住し婚姻などで諏訪信仰が主となってから更に東へ移り住んだとしたら諏訪様を祀るでしょう

 

特に高市皇子三輪山の関連はわかりませんが、それこそ移り住んだ地で家族を迎え暮らしていたとすれば諏訪信仰となり、その子孫が移り住むとすれば諏訪さんをお連れするでしょう、まっ、勝手な想像ですけどねっ!

 

ただ、これで大和・美濃・尾張信濃、そして関東という繋がりが見えてきました(*´ω`*)

 

さぁ、次が今巡拝の中心でございます

 

 

 

では、まだ巡拝の途中ですが、最後の晒話記です

 

改めまして、この日の巡拝はこの次に参拝した大物主様が起点でして、地図を見て諏訪神社があるのに気付き、もしかして今考えているホツマツタヱの内容に関係性が見られないかと追加した神社ですが、さらに南柏の豊受稲荷神社に気付いて追加しました

 

豊受→諏訪→メインの間はそれぞれ結構離れているのでスタートにするよりもゴールにしてしまった方が天候や精神状態が悪化した場合にも距離を理由に切り上げやすい、ということで鰭ケ崎駅から巡拝を始める予定だったのです

 

が、当日朝の電車内で急遽豊受さんは朝イチで行かなければならないという謎の使命感を受け逆周りに変更、さらになぜか地主・熊野さんを追加してしまうという主副逆転状態になってしまったという流れでした

 

結果、長時間歩いた事で精神状態が暴発し、どうなることかと思ったところで地主さんにて少し落ち着いたものの熊野さんから諏訪さんまでの間もまだまだ不安定な状態で歩いておりました

 

諏訪さんの前まで来てもまだ心騒がしかったのですが鳥居の向こうが想像を遥かに超える素晴らしい御神域、まさに異世界...このまま入るわけにはいかない、と少しうろうろして心を落ち着けようと努めるもそう簡単には行きません

 

うむ、そんな自分こそが実際だ、と諦め すみませんこんな状態で来てしまったけれど入らせて頂きます と鳥居を潜る

 

するとどうでしょう、あまりに静謐な杜の力か外界の考えなど浮かばなくなり、ただ、ただ、素晴らしい境内を順に巡っている間もほとんど負の感情を抱くことはない、それどころかすっと浮かんでしまってもすっと流すことが出来ている

 

思いのほか広い境内を全てまわったところでそんな自分が居ることに気付く、え?どうした?何が起こった?

 

上でも書いたように諏訪の四宮は巡りましたが建御名方命に特別な御縁を感じていたわけでは無いのでまさかこれほどの変化を受けるとは?!

 

そして頂いた神様のお言葉に思わず笑い、突っ込んでしまいましたがそれこそが決定打だった気がします

 

以降、何が頭に浮かんでも負の感情は抱くこと無く、いや、そもそも悲しい感情すら浮かぶことなくしっかりとした巡拝を続け、雲と雷の天気予報は変わらぬままなのに雲よりも青空多く陽は照り続け、次の神社へ着く前に熱中症警戒アラートの放送が流れるほどになり帰宅までしっかりと肌を焼かれることになった

 

最寄り駅から家へ歩いている時、さすがに何がどうなって精神状態が180度変わったのかわからず、それは記事を書いている今でもわかりませんが、このまま帰宅して全てを終えた後に再びどん底に落ちたらやりきれない...

 

気持ちの良い参拝によって一時的に紛れているだけでやがて元通りになってしまうくらいなら早い方が良い、と謎の覚悟を決め、歩きながら一瞬浮かんだだけで致命傷を与えて来たワードを心の中で声を大にして真っ直ぐ投げつける

 

...あれ? 全く堪えない

 

別のワードを投げつける...あれれれれ?

 

いや、さすがにそんなはずは...

 

今度は思いつく限りの致命傷ワードをランボージョン・マクレーンかというくらい連続で撃ち込む!!!

 

本来ならそれらのワードの1~2文字の時点で胃が捻れ涙ぐむくらい痛恨の一撃となるはずが何発撃ち込んでもかすり傷ひとつ付かない

 

...そ、そ、そ、そんなことあるぅ????? はぁぁぁぁぁあ??

 

ほんとに意味不明です、逃げたりスルーしているのではなく、ちゃんと真正面から受け止めた上でその全てをしっかり消化出来ている

 

勿論、普通に生活をしているだけでもあちこちからそのワードは目に耳に入って来るのですが、それどころかちゃんと心から笑い、些細なものでも美味しく食べ、飲み、生きている事に心から感謝出来るようになっている

 

これまでの人生を振り返ってもありえないほどの短期的変貌です

 

さすがに数日程度で剥がれてしまうのかもしれなと思ったのですが、とりあえず一週間を超えた今でもまだほんと何事も無かったかのような健全な生活が、といっても時折自責ワードは出ますがそれもその都度ちゃんと前向きに飲み込む事が出来ており、修正することなくこの記事があがっているという事はそれよりさらに先まで効果が継続しているということになります

 

さぁ、いったい何が起きたのだろう

 

参拝中にお告げやおしるしがあったでもなく願い事をしたでもなく、かといって自分の中でも特に何かを決めたり覚悟を決めたりしたわけでもなく、なぜあれほど急激な変化があったのか

 

当初は、おすわさんすげぇ!と諏訪さんの御神威に驚愕していましたが、ここまで書いてきた通り、よくよく順序だてて考えてみると豊受さんが器の中の泥を取り除くキッカケをくださり、地主さんと熊野さんが傷跡を塞いでくれて諏訪さんが枯れた器に氣を満たしてくださったんじゃないだろうか

 

もうほんと、ただ情けない話をまとまりもなくグダグダと書くのもどうかと思ったのですが、そして伝わりづらくしか書けなかったのですが、こうして何度も思い返しながら書いていても全く意味がわからないんです

 

神社参拝って神様へのお礼と御神氣を頂くものだと思っていて確かに素晴らしい神社へ行くととっても心地好くて、なんだかそれだけで凄く良い氣に包まれるとは思っていましたが、実際に僅か2時間でどん底から超前向き

 

記事を書いていて思いましたが、やっぱり自分で自分を穢れさせていたのだろう、自分が自分に悪霊となって取り憑いていたんだろう

 

だって堕ちに堕ちている間、ちょっと本気で自分の荒御魂を祀ろうかなんて考えていましたもの...自分が自分で無い、乗っ取られている程酷い、と考えながらもお祓いを受けるでもなく自らを祓おうという考えの方が先に出るということはつまりそういうことなのかもしれません

 

胎内にまで巣食う自らの念を神々が引き摺りだし、それでもまだしがみつく怨霊を諏訪さん鳥居と橋が引き剥がしてくださった、そして氣枯れた肉体に杜や御神水、そして御神氣が溢れるほどに満たされた

 

そう思わなければ、突然高調子へ急転しその状態がその後もずっと継続している理由がわからないのです

 

正直、日が経てば経つほど、思い出すというか頭に浮かぶ頻度は上がって(戻って)きました、でもそれで自責地獄に落ち込むことはなく、冷静に受け止めることが出来ている

 

実はちょっとだけ いつまた闇に落ちるか とドキドキしている部分もあるのですが(苦笑)

 

今回頂いた御神威を無駄にせぬようちゃんと前を向いて歩き続けられるよう頑張ります(*^^*)

 

境内にあんばさま分霊祀る 高田熊野神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

巡拝三社目はこちら、高田熊野神社です
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凄くないですか? 境内だけがぽっこりと小さな丘になっているように見えますが左手は住宅地、右が道路で削られているからそう見えるだけのようです

 

枝に隠れつつ縦長の由緒板がありました
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江戸期にはしっかりと境内が囲われていたのでそれ以前の創建としかわからず、御祭神は素戔嗚尊伊弉諾命、伊弉冉命の三柱と書かれています

 

参拝には少々辛いですがやっぱり神社はこうして石段を登る参道だと凄く御神域感を感じますよね
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そしてこちらが御社殿

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失礼ですがポツンと残る神社なのでもうちょっと質素というか寂しい感じを予想していたのですがしっかりと祀られて御神域感も凄く引き締まっています

 

そして境内社、石段を上がったすぐ左手ですが社号標の社名が目に入って驚いておりました

 

大杉神社、勿論御祭神は倭大物主櫛甕玉命でこちらは大国主命少彦名命も合祀されているようでこちらは茨城のあんばさま?!から分霊されているようです

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なぜそんな遠回りをしてまで追加したのかわからない二社、どちらにも倭大物主櫛甕玉命が祀られている

 

この日の巡拝ルートの基準に定めた神社の御祭神は大物主命です、そして大物主について調べている時にいずれ参拝しなければと思った神社のひとつが "あんばさま" だったのでまさかこちらでご挨拶出来るとは

 

凄いな、偶然偶々がちゃんと意味を持ちしっかりと結ばれていく

 

写真は撮り忘れたようですが振り返ると街が見渡せる素晴らし場所ですね

 

社殿をぐるりと回らせていただく、歩けそうであれば出来る限りお背中からもご挨拶させて頂いています

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本殿右手側へ来ると石碑が並んでいました
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天神宮、香取神社日枝大神六所神社、月御前?、〇〇〇明神(読み取れず)、梵字?仏様?、山神、山神宮

 

天神宮は道真公かとも思ったのですが調べてみると少彦名命が祀られる神社である可能性が高いでしょうか、経津主命大山咋命、六所以降は不明で山神は大山祇命でしょうか

 

うん、とても涼やかで厳かさもある素敵な神社さんでした(*´ω`*)

 

私、勘違いしていたんですよね、熊野神社御祭神などで検索すると諾冉ふた柱が出てくるし実際の神社でもそうだったり十二所権現とされている事も多いし八咫烏とされている場合も非常に多いし、となかなか複雑

 

つまりは熊野さんこそ様々な習合によって複雑化していて実態が掴めない神社の代表格と言っても過言では無い!!

 

と思っていましたがホツマツタヱによるスサノオの素行の悪さに責任を感じた母イザナミが創建したのが熊野宮がとすると主祭神スサノオになるわけでイザナギイザナミは配祀ということになるわけで実際にそのように祀られる神社があるわけです

 

こちらの由緒にもしっかりと本宮大社の家津御子之大神=スサノオ主祭神として速玉大社の速玉大神イザナギ那智大社の夫須美之大神イザナミを併せ祀ると書かれています

 

また混合なのか名前の多さなのか議論もありますが、熊野神社の御祭神が櫛御食野命とされていることもありますが家津神子と同じくスサノオの名だと言われており、さらには〇〇大神として複数神を纏める場合にも組み合わせが違う事がより混乱を招きます

 

あぁ、熊野さんに関わらず私もきっと一般的な御祭神として記事を書いたけど社伝とは違うケースが多くあるんだろうなぁ...

 

前の記事でも書きましたが、社伝、兼務管理社、管轄神社庁、市区町村の役場と観光協会などで由緒などが統一されていない事も多いのでなかなか難しいですね

 

そして驚いたのはあんばさまから分霊が祀られていることですが由緒書きによれば江戸初期に関東一円と東北に広まったとされていますがこれまで都内を巡った中には記憶に残るような大杉神社は無く、当ブログ内のワード検索で表示されたのは栃木市大神神社二上射水神社だけでした

 

二上射水さんの大杉神社は社殿前に杉の木が囲われておりその杉の神に宿る神を祀っていると思っているのですが詳細はわかりません

 

やはり東関東~東北に多いとすればそれは...

 

そして色々調べてみると創建には1578年平氏子孫による(ただし父を祀ったという)というものから周囲の発掘状況から奈良時代に創建された可能性もあるということで前者であれば父からなぜ熊野さんになったのか謎ですが兼務管理社は平安初期には祀られていたのではないかという説を採用しているようです

 

それでは、急遽追加ルートから元の巡拝予定へと戻り参拝を続けていきます!!

 

 

 

 

というわけで晒気記コーナーです

 

地主神社でだいぶ楽になっていたとはいえまだまだグジグジ感の抜けぬ状態ではありましたがそこから僅か10分弱の距離だったこともありこちらでも少し落ち着いた状態で参拝出来た気がします

 

次の神社までは徒歩30分とそこそこあるので若干不安だったのですが、地主さんの前ほどぐぢゃぐぢゃになる事は無く、それでもやっぱり自責念に脳を支配されながらの移動となりました

 

ここまでの時点でだいぶ整っていたのかもしれません、全肯定を終えている今思えば、やっぱり急遽ルートを変更しさらによく分からぬまま遠回りの二社を追加した事には大きな意味があったとしか思えません

 

そしてこの二社に共通するのが倭大物主櫛甕玉命であることちょっと偶然とは思えない、いや、思いたくないだけかもしれませんが

 

そして面白いものですね、天気予報通り早朝こそ晴れ間も僅かに見えていたけど分厚く黒い雲がどんどん空を覆いはじめていたはずなのに地主さん辺りから雲間の青空が増えていって次の神社に着く頃にはもう東の空が晴れていました

 

これこそ偶然でしょうけれど、こうして記事を書いていると天気とその時の精神状態が全く一致していた事に気が付きました

 

ちなみに天気予報はずっと雷曇のままでした、最近の天気予報って結構正確なはずなんだけどな(。・_・)ハテ?

 

静謐の森 篠籠田 地主神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

柏流山巡拝三社目はこちら、地主神社です
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この日一番のどん底状態に落ちつつそれでも歩いて行くと正面に地主神社が見えましたがその手前に謎の小社が
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覗き込むと観音様だろうか、どことなく落ち着く感じがして一礼して先へ進む、調べてみると弁財天様だったようです

 

さて、実はこちら、地図に表示されたので見てみたら大国主(大己貴)が祀られているという、なぜこの場所で地主の名で?、というだけで急遽追加したのですが歩き始めると表示された所用時間にびっくり、なぜそんな回り道をしてまで追加したのだろうと不思議に思いながら歩き始めましたが神社前まで来るとこれは来るべくして来た所だと察し、ちょうど目の前にあった自販機で飲み物を買って心を落ち着けてから境内へ

 

お分かりいただけますでしょうか、薄暗いとはいえ物凄く御神威に満ちて荘厳な境内は灯篭に明かりも灯っていてまさに神の国

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先程までの不安定さは鳥居で締め出しを食らったように消え、まるで異世界へ迷い込んだ人間のように周囲を見回しながら一歩一歩ゆっくりと境内を巡っていく

 

大きな石碑に由緒が書かれていました、難しい書き方ですが創始はこの地域が大きく栄えていた奈良時代には既に祀られていたのではないかという、つまりよく分かっていないということですね

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いつもほどではありませんが、こんな素敵な両部鳥居に迎えられたら心も安らぎます、そして決して見た目と雰囲気だけではありませんがこの境内からはかなりの古社であっても不思議ではない、それだけの鎮まりを感じます
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ここではそうするべきだ、と感じ真っ直ぐ主殿へ、実際には見た目に凄い神社に居る感覚です
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改装新しい社殿になぜこんなに青々としているのかというくらい新しい?注連縄の香りに包まれ、まるで襟元を掴まれひょいと持ち上げて御祖の前へちょこんと置かれたように全てが大きく感じます
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そしてひんやりとした風が流れてくる、、、空はどんより曇っているとはいえ徐々に上がり始めた気温と高めの湿度からは流れて来ないであろう冷たさが心地よい、でもそれは神様からのおしるしというよりも木々がくれた風のようにとても優しさを感じた

 

社殿左手を覗くと杜はかなり広く境内社が見えた
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こちらは疱瘡神
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本殿が美しいですね、この規模の新しい再建にも関わらず無闇に煌びやかにすることなく祀られているところにこの神社と歴史、氏子様方の心が伝わってきます
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三峯神社
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雷神社、雷神を祀る神社は地図でも他地域に比べかなり多く見られましたのでそういった信仰が根付いていたのか、建御雷命や賀茂別雷命の影響もあったのかもしれません

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住吉神社
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伊勢神社
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振り返ってもやはりとっても美しく素晴らしい社殿ですね
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社殿右手側へ回って山神社
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この辺りからメマトイと呼ばれる涙のタンパク質を舐めようとする虫の大群に取り囲まれかなり不快になるw この数に囲まれたのは初めてじゃないかというくらい多く、羽音もかなり不快である

 

曇り乃至雨で気温も上がらぬとすれば大量の蚊に食われる可能性も高くしっかりとイカリジンの虫除けを噴いて来ていたので一匹も寄って来なかったがメマトイには何の効果も無いようだ

 

そして唯一、長い参道で丘の上に祀られているのが浅間神社
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産土神様のひと柱であり菊理媛様と共に昔から思い入れのある木花咲耶姫様、このような素晴らしい場所でご挨拶出来るのはとても嬉しい
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仙 元宮? 上が割れてしまっているのだろうか、にしてもなんと優しい空間だろうか、そういえばこの参道でもずっと付きまとっていたメマトイも石碑の前ではほとんど来なかった(ご挨拶を終え下り始めると再び大群に囲まれた)

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若干の丘とはいえ主殿がこのように見下ろせる位置に祀られる咲耶様はやっぱり富士の花ですね
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メマトイ...音と目を狙うのが心底鬱陶しいけれど別に噛んだり刺したりしないところだけは許せる...うん、でも鬱陶しい

 

そして最後の境内社は主殿前の参道に祀られている大杉神社

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栃木市大神神社境内に祀られていた大杉神社は大山祇命でしたがこちらの御祭神は倭大物主櫛甕玉命です
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こちらにもいらっしゃったんですね、この辺りでは大物主を祀る大杉神社が多く、今回の巡拝はその為に流山へ行くものでしたが急遽追加した柏でもこうしてご挨拶出来るとは

 

いやはや、、、凄かった

 

メマトイが

 

と冗談はさておき、本当に凄い御神域でした、僅か2時間前に急遽追加したルートで50分も歩いて来たかいがありました

 

ホツマツタヱを読み解いた事でこの地域には大物主の影響が強く残り三輪山賀茂氏に繋がる御祭神が多く祀られているのではないかと思っています、だから御祭神名も大物主命ではなく倭大物主櫛甕玉命とされているのではないでしょうか

 

結局地主神社については調べても情報が得られませんでしたが、恐らく、かなり古来より祀られており子孫などによって創建されているのではないかと妄想しています(^^)

 

...!?

 

豊受稲荷神社の記事でHPのコラムに本来の稲荷信仰における三輪山の杉について書かれていると触れましたがどうして気づかなかったんだろう、私は毎年末に伏見稲荷を参拝して必ずしるしの杉を頂いています

 

実は巡拝からの帰省と帰京中にずっと手持ちで居る訳にもいかず、無事には家へお連れ出来るとはいえリュックの中で少し枝を曲げさらにペチャッと潰されてしまうのが申し訳なくて二度目以降は無しにしようかとも思ったのですが何故かお連れ出来るのにそうしないわけにはいかないという気持ちがあり毎年お迎えしています

 

そのしるしの杉の由来は平安時代に熊野詣から無事に帰ってきたという印として杉の小枝を身に付けたという習慣にはじまると説明されており本来は初午の時期だけの領布だったそうですがコロナ禍の影響からか年末から頂けるようになっています

 

現代では通常の縁起物として人気のようですが熊野さんへ行ってもいない私が伏見参拝の印として頂くのはなんか違っているような気がしたのも初回だけでやめようかと思った理由でしたが、豊受稲荷本宮のコラムによれば杉の由来は三輪山の御神木という

 

・・・ご、強引かもしれないけれど繋がった!?

 

いや、そりゃ神代ですから突き詰めていけばいろいろ繋がるのは当然ですが、感じる御縁がお稲荷様に始まり急に八咫烏になり、味耜高彦根になり、賀茂氏になり、そして大物主になり、その時々は関連がわからないのに深く調べていくとその全てが繋がっている

 

日本には杉がかなり多く特別だというわけではないにも関わらずなぜしるしの杉なんだろう、大杉神社なんだろう、と思っていたのですが御諸山の御神木、つまり杉=三輪神=大物主という考えからすると非常にスムーズな理解が出来る

 

神名には様々ありますし必ずしもではありませんが、倭大物主櫛甕玉命として祀られている場合は深く三輪山に関わる場合に多い気がします

 

今回の巡拝はそれもあって流山へ行くことにしたもので、まさか直前に追加した神社にも祀られているとは...

 

そういえば地主神社での不思議な御神域感は栃木市大神神社にとても似ていたような...(さすがに思い込みかもしれませんねw)

 

というわけで次も急遽追加した神社になります(^^)

 

 

 

さて、今回は短めの晒話記コーナーです(略すな)

 

50分も歩いている間に、よく考えたらバスを使えば良かったんじゃなかろうかと思いましたが、恐らく、こうして自分と向き合いながら感情を垂れ流し歩いた事に意味があったのだろうと思います

 

その時はそんな事を考える余裕などありませんでしたが、一旦ボロボロになった事で頭がからっぽになってあの素晴らしい御神域に無心で浸ることが出来たのだと思います

 

だとすればそのキッカケを下さったのは豊受稲荷本宮、特にあの白蛇様だったのかもしれない

 

果たして当初の予定通り逆ルートで回っていたらこのような結果にはならなかったんじゃないかと、タラレバではありますが、思います

 

穢れ とは 氣枯れ とも言う、氣が枯れてしまった状態が穢れでありその状態に陥ると何をしても上手く行かず、何を考えても負に向かってしまう

 

禊とは、氣枯れて虚になった空間へと入り込んだ邪気を取り祓い、新たな氣が入ることの出来るスペースを作り出すことなんじゃなかろうか

 

地主神社前までの自分はもうそれはそれは酷い状態でした、まるで何者かに取り憑かれていたかのように腹や脳が支配され闇の中へ引き摺り込まれていた、なんとか上を向こうと投げ掛ける前向きな言葉あ楽しい事さえも全てが鋭い棘を出し腹を抉ってさらに深い闇へと沈ませる

 

まさか、本当に何か憑いていたのかな...だとしたら、憑き物が取れたのは地主神社...で?

 

 

ただここで一気に回復したわけではなく、この後もまだグジグジながら次の神社へ向かったのでありました

 

神仏習合のお稲荷さん 豊受稲荷神宮

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

柏流山巡拝二社目でございます

 

別雷・稲荷神社から10分弱、豊受稲荷本宮です

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こちら、気になって先に由来を見たのですがどうも不思議な神社さんでございます

 

神仏習合のお稲荷さん とおっしゃっていて不思議な事も起こるパワースポットとしても人気があるそうなのです

 

あぁこれはそういうところだな、とすぐにピンとは来たのですが写真からは禍々しさを感じないしどちらかと言うと行かなければならない気がしました

 

元は巡拝の最後に予定していたのですが、来る途中の車内で急遽順番を真逆にしたのは早朝に来るべきだと考えたからです

 

時刻はちょうど7時、静かな境内へ
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優しくお水が滴る手水舎は綺麗にされています
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神仏習合のお稲荷さんとはどういうことか、と思っていたのですが手書きの境内図を見ると裏に観音堂があるからでしょうか、そして豊受と書いて ゆたか と読むと書かれています

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こちらにまず惹かれた理由は豊受稲荷とされているところ、そしてHPを見てみると妙に気になるコラムがあったからです(それは後述にて)

 

もしかして独特な思想の...という杞憂も若干はあったのですがその心配は全く無さそうだ、という感じをこの境内図から受けました

 

やや狭い参道、右手には石碑が並び正面に主殿が見えます
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かしわ七福神の福禄寿様、とっても優しい笑顔をしてらっしゃる
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そして綺麗に並ぶ石碑群と白蛇様
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前列右手から白蛇辨財天、金神大明神、諏訪神社、水神大神、中列が稲心坊稲荷大明神、分高谷稲荷大明神、愛染坊稲荷大明神三峰神社、後列に御嶽大神宮、猿田彦大明神、石清水八幡宮
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そして白蛇様とその後ろにも稲荷石碑、中央には女化稲荷大善神とあります
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なんだろう、なぜだかわからないけれどここに居ると騒ぐ心が落ち着く気がする

 

そしてこちらが拝殿、いやー・・・この時も気付いてなかったなーこんなに目立つのに、というのもやっぱり私の崇敬するお稲荷様ですから神仏習合が何を指しているのか、どのように感じるのか、そして何よりこのような状態でご挨拶に来てしまったけれど是非厳しく見ていただきたいという思いが左右の神狐様と共に拝殿へ意識を集中させていました
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実は事前に見た情報では正一位豊受稲荷大神として稲蒼魂命、大己貴命、太田命、大宮姫命、保食神(HPまま)を祀るとされています

 

はて、蒼というのは誤植なのか正しいのか、大己貴命?! このあたりがオリジナルで神仏習合なのだろうか

 

ウカ様とダキニ様を祀ってたりしないかと思ったのですが表記的には全てが神道の神、では実際に参拝して何を感じるのか

 

これが驚くことに伏見さんと同じ空気感だったのである

 

なんとも表現しづらいのですが一般的な神社とお寺の間のような感じで凄く見られているというか自分の化けの皮を全て剥がされるというか裸にされるというか

 

凄く神聖であり御神威を感じる、でも風も無ければ音も無い、ただそこには神の前に立つ自分自身が居る
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社殿脇から裏手へ行くと狐塚と観音堂がありました、朝早いからか観音堂は開いておらず
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お狐様達は凄く良い氣でいらっしゃったような気がします、ただこの時の私にはお近くに居られるような気分ではなく

 

本殿お背中が休憩処になっているのはとっても贅沢ですね
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ひと通り参拝を終え、素晴らしい氣であるにも関わらずそれを受け取れる状態ではない事に申し訳無く思いつつ、後ろ髪を引かれなから境内を後に

 

しようとしたのですが、どうにも心残りを感じて白蛇様の前へしゃがみ込む、どうやら今の私にはここが凄く居心地が良いようだ
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決して自虐にはならぬように、でも自分自身を冷静に俯瞰し、今を想う

 

今思えば、これがキッカケだったのかもしれません

 

 

さてこちら、調べてみると昭和40年の創建だという、恐らく境内図に書かれていた初代管長石井善祥という方開かれた神社なのでしょう

 

固有の神社となると怪しい感じもしますが稲荷、白蛇、弁財天系では個人の方が開かれ祀られることも珍しくはなく怪しいわけでもない事はよくあります

 

それこそ昭和40年とかなり新しい部類に入りますが、私の思い込みでなければこちらで感じた御神威はしっかりとしたものでだからこそ人気もあるのでしょう

 

不思議なのは神仏混淆に拘られたとされていますが表記通りであれば裏手に観音堂があるだけで主殿は神道の神々であること

 

これは一体どういうことなのだろう

 

そこで冒頭で触れましたHP内のコラムです

 

伏見稲荷の御札と題し、蛇と狐の関係性について綴られています

 

稲荷五社大明神は古来より土地によりまちまちなものであり、伏見は明治維新により愛染寺が壊され祭神を指示されたものだと書かれています

 

愛染寺を調べてみると伏見稲荷本願所だったとある

 

応仁の乱により消失した伏見再建に尽力された十穀聖という僧侶が稲荷信仰を広め1655年に本堂として愛染寺を建立、荼枳尼天辯才天歓喜天を三大和合尊として伏見とは対立したという

 

また伏見祠官の秦親臣が御絵札について記したものとして(抜粋)、本社三柱大明神はウカノミタマ、サルタヒコ、オオミヤメであり、鍵は堅く閉じ塞ぐものでよく導き開く田中之神の神徳、杉は三輪の御神木で四之神は三輪神と同体となることを示す、俵は主神三柱の恩来を表し、蚕もしくは蛇においては神徳、雌雄命婦は当社付属の霊獣だという

 

写真はありませんが、確かに伏見の御絵札と検索し出てくるものはこの説明に合っている(現代のものだからか蚕ではなく完全に蛇ですが)

 

さらに、サルダヒコとアメノウズメの恋物語(稿を改めて触れると書かれているが更新は無い、是非書いて貰いたいのだが)により生まれたウカノミタマは稲荷信仰の根幹となる父と母と聖霊という三柱の神霊構造でありそれこそが秦氏による信仰の中核であり草創より平安までどの資料においても三柱だけであると書かれている

 

ただし、日本古来の神の名前を用いて三神構造を築いたというような感じで書かれているので猿田彦命天鈿女命の子が宇迦之御魂神というのが真実であるとは書かれていない事が、これは何気にただの個人思想と切り捨てるような感じではない気がする

 

また、ウカとは白蛇のことで元来は俵に白蛇が乗る宇賀神が稲荷社の目印で陰陽五行説により狐に変わったとも書かれている

 

そう、この記述があったからこそ実際にこの神社へ来てみたかったのです

 

崇敬するとはいえ稲荷神の歴史というか背景についてはやはり謎が多く、もしかしたらこの一説が今後の考えに大きなヒントになるかもしれない

 

結局のところ、神仏混淆の意味するところを正しく掴むことは出来なかったけれど、この参拝はこの後の私に大きな影響を与えることになる

 

 

やっぱり順番を入れ替えて朝イチで来てよかった、多分最後にしていたらまた違ったものになっていただろう

 

そう思いながら歩き始めると目が合って思わず あら龍神様 と声に出た
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どう思われるだろうか

 

この時の私には見た瞬間からずっと龍神様にしか見えなかったのだが、脇を過ぎ暫く行ったところで気付いた、待って、マンホールに龍神様の意味がわからない?!

 

戻って行って見てみると何のことはない、カシワ・オナガカタクリの図柄である...エッ  今みると逆さまでもそうは見えないんだけれどこの時は龍神様にしか見えなかったのです
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では、こんなところで晒すべきではない話なのに記しておかなければならない気がするコーナーです(どんなや)

 

豊受稲荷本宮で荘厳な氣に包まれるも白蛇様の前で巣の自分を吐露したことが引き金となったのか、はたまた往路で急遽巡拝先を追加したことでいきなり50分近くただただ歩くことになったのが原因か(距離とか考えずただ追加してしまっていた)

 

やはり考えないようにしても常に考えてしまう、見知らぬ街を眺め歩くのは楽しく周りを見回しながら歩くけれどふと浮かぶワードが鋭い矢となり胸を抉る、苦しくて下を向いて歩く、何気ない言葉達が次々と姿を変え胸や脳、腹に深く突き刺さっていく

 

そして時は来た、溢れる涙が止められなくなる、一度は抑えるものの暫く歩きまた人が居なくなるとボロボロと嗚咽まで溢れさせてしまった(安心してください、誰にも見られず恐怖は与えていないはずですからw)

 

はーーーやっぱダメだ、誤魔化しきれない、いや、誤魔化そうとして来たわけではないし多少は予想もしていたけれど早くもこうなってしまうとは...幸いだったのは驚くほど人が居なかったこと

 

こんな状態で続けていいのだろうか、と思ってもこの位置からじゃどの駅も遠くこのまま続けるしかない、そして三社目へ到着する