日々是"吉"日

ゆるゆるなスピリチュアルでパワースポットやパワーストーン、原石、お香などを楽しんでいる日々の日記です。

神宮寺の鎮守 二葉姫稲荷神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

本日はこちら、賀茂別雷神社の南東に鎮座される二葉姫稲荷神社
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こちらも文化遺産なのかと思いきや本殿・権殿の重要文化財看板でした、なぜここに( ´ 〜 `)?

 

さすがお稲荷様とも言うべきか、参道を登りきると急に空気感が変わります、そしてこちらは、、、八嶋龍神?!
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祭神御由緒がありました、とても助かります
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廃寺となってしまった神宮寺境内の辨天嶋に鎮座されていた龍神様をこの神宮寺山に祀ったのだそうですが、ここよりさらに南150mほどまでも元は賀茂別雷神社の境内だったんですね

 

廃寺となり池が埋められてしまうと多くの村人たちの夢に龍神が現れたことからこちらへ辨天嶋の岩を遷し磐座としたそうです

 

そしてさらに社殿が並びます、手前は天之斑駒神社
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他に 駒 と付く稲荷神社もあるのですがなぜかこの時に御馬様の御姿が頭に浮かんだのですが、、、調べてみるとまさかの、スサノオが皮を剥ぎ投げ込んだ馬のお名前でした

 

そのお馬がなぜここに?! ここでふと思ったのですが、、、っと、これは後述にしましょう

 

中央はなんと凄い威を放つ金毘羅大権現、そして脇には不動明王がいらっしゃいます、あまりの覇気に撮影を忘れてしまうほどでしたが、中央に座されている事から元よりこの山に祀られて(安置されて)いたのではないでしょうか

 

そして右手がお稲荷様ですね
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日陰になり静かで暗い雰囲気ではありますがとても華やかで見た目ほど暗い感じはありません、いや、実際に暗いんですが、受ける感覚がという意味です
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ただやっぱり、この四社はどちらもとても重厚な氣を放たれていてその大元はこの背後の山のように感じました

 

参道は反対側へと続いています、これは、、、という感覚がありながらも降りていくことにしました
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光善稲荷大明神の磐座、勿論御由緒等はわかりませんでした
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はい、予感は的中!!  どうやらあの小川を渡ったところから境外だったようですが、それなら何故小川の先に重要文化財看板が立っていたのかw

 

思いっきり住宅地の中へと出てしまい苦笑いしつつ、戻るよりも表から入り直すことにしましたw

 

 

さて、調べてみると残念なことに二葉姫稲荷は怪しげだとか心霊スポットだとかいうコメントが散見されますが、私にはそういった氣は感じませんでした、寧ろお社にも小山自体にも宿られている神聖な場所です

 

 

だからこそ、"そういった"気持ちで参拝すると"そういう"印象"を受けてしまうのではないでしょうか

 

二葉姫稲荷神社は片山御子社の神宮寺鎮守として創建されたとあります、その神宮寺は820年に勅令で建てられたとありますその鎮守なので同じ頃ではないかと思われます

 

二葉は上賀茂神社の社紋 双葉葵 であるとも思えますがこちらは摂社にはなっておらず、ただ境内を接していることから神宮寺が廃寺になったので正式な摂社とはしていないけれど関係は継続されている感じでしょうか

 

ただ場所により付いたり付いてなかったりする 姫 の由来についてはやっぱり謎で、その辺りが御神域の雰囲気ともあわさって様々な憶測を呼びやすいのかなぁ、なんて思ってみたり

 

まぁ私は見えたり聞こえたり出来ませんのでわかりませんが、それでもやっぱり凄い場所には凄い来があってその種類も様々

 

同じ神聖でも穏やかな所もあれば厳格なところもあるわけで、特に神山やお稲荷様には厳格な性質を持ってらっしゃるところが多い

 

幸いというか、まだこれまで一度も拒絶ほどの圧を感じたことは無く、またご挨拶をすると空気感が変わることも多々あります(勿論、ご挨拶をしても厳しいままのところもあります)

 

つまりは、しっかりとしたご挨拶もせず"そういった"気持ちでズカズカと御神域に踏み入っていけば圧を感じるのも当然であり、もしかしたら、そういうので追い払われる事もあるのかもしれませんね

 

このお山は片岡山とも呼ばれるそうで、神宮寺が廃寺になってから呼ばれ方が変わったのかもしれません

 

 

そして天之斑駒について

 

勝手に記紀考察でも書きましたが、いくら横暴粗野なスサノオでも生きたまま馬の皮を剥いで姉の部屋へ天井から投げ込むなんてことをするでしょうか、いや、さすがに有り得ないのです

 

つまりは何かの比喩であることは明らかでそう書かれてしまうほどの度を超えた行為があったのだと思っていたのですが、ここで今宮神社を参拝したことがキッカケで思いついたのがこれです

 

スサノオ牛頭天王であり厄神として恐れられていました、これがキーポイント!!

 

生き馬が皮を剥かれ、巫女は驚きでホトを負傷しなくなる、そいて天照大御神は隠れられた

 

つまり、何らかの疫病により天照大御神崩御されたことを厄神スサノオと馬で表し、巫女が亡くなったということにしているのではないか

 

もっと言えば、天照大御神という神と人を繋ぐ祭祀王、つまり巫女が疫病で亡くなった為に神降ろしが出来なくなり、さらに疫病が蔓延していったという読み解きが出来ます

 

であれば、皇祖神(祭祀王)にまで及ぶほどに蔓延した疫病を鎮めるため八百万の神々が新たな巫女を探すも厄災を抑えることが出来るほどの巫女が見つからず、漸くその力を持つ巫女が現れた、それが天鈿女命だった

 

つまり、岩戸開き以降(もしかしたらそれ以前も)に天照大御神が出されていた指示というのは全て、祭祀王が神降ろしによって受けていた託宣だったのではないでしょうか

 

後の神功皇后もまた皇后であり祭祀王でもあったと私は考えており、実際に(と言っても良いかと思いますが)託宣により数々の大業をなされています

 

なんと上賀茂さんの参拝でこの解釈が生まれるとは思いもしませんでした(*´ω`*)

 

さて、ここで突然のメシ、、、いや、菓子テロ、じゃん!
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京賀茂名物 やきもち!

 

要は表面が少し焼かれたあんころ餅なわけですが、私のファン(居ない居ない)ならばご存知、安永餅やなが餅など表面を軽く焼いたあんこ餅の類が大好きなんですよね(*´▽`)

 

これ、めっちゃ美味いです! 甘さも丁度よく餅感もとても良い、そして薄ら香ばしさがまた良い(*´▽`)

 

オススメです!!

 

山城国一之宮 上賀茂 賀茂別雷神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

遂にやって参りました、上賀茂神社!!

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う、うぉぁぁぁ、、、き、規模が、、、そして賀茂大社の碑
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そう、無知な上に下調べをしない(しなさ過ぎる)私は、うんうん上賀茂さん下鴨さんは有名だよね~、っていう程度の知識のみでここまでやって来ました

 

この参拝時点でわかっていたのは正式社名が賀茂別雷神社であること、御祭神が賀茂別大神であること、以上!!

 

っと、、、ここは、、、やばい、やばいぞ
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高鴨神社くらい広いんだろうなぁ、と思っていたのですが、、、
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とんでもない広さな気がしてきた...
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こちらの綺麗な建物は能殿かと思ったら馬場殿だそうです
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こちらが二の鳥居

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そうなんです、この規模の神社なのに人が少ない!? 

 

やっべぇ、、、想像していたよりもめちゃ広い、、、
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お賽銭は巡拝を控えてたーーーんまりと10円50円100円を集め持参しているので全然余裕なのですがこれだけ広いと次の下鴨さんの時間もちょっとだけ心配になる、それほどの広さですね

 

おぉぉ、これは私でも知ってる有名な立て砂、こちらは細殿
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ただ全然由来を分かっていませんでした、こちらは大神が降臨されたという神山を象ったもので写真だとよく見ないとわかりませんが山の頂上に二本、三本の松葉が立てられ陰陽一対になっているのだそうです

 

そして辰年に向けて奉納されたのか昇り龍降り龍が御祭神に合わせて雷龍で描かれています、凄く格好良い!!

 

華やかな手水舎です
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ここからは結構人がいらっしゃる、それもそのはず駐車場側からの順路もあったようです
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こちらは衣通姫命を祀る橋本神社
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ソトオリヒメは木花咲耶姫命光明皇后小野小町と並び称される美女であり、また住吉神、柿本人麻呂と共に和歌三神とされる玉津島明神と同神だとされています

 

渡ることは出来ませんがとても美しい玉橋
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そして美しく立派な楼門!!
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ちなみに高鴨神社の件があったので参拝前にたこ焼きを食べながら調べておきました、検索すると撮影NGだと書いている人を見かけますが実際のところ、上賀茂神社下鴨神社も写真撮影はOKで多くの神社と同じく禁止されているのは無許可でのプロカメラマンや商業目的による撮影だけでした

 

楼門を潜ると巨大な矢!!
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矢といえば多くの神社で授与品として破魔矢・守護矢が授与されていますが上賀茂神社にはとても縁のある矢となります

 

神代、雷鳴轟き天から降ってきた一本の丹塗矢が川を流れてきたところを賀茂一族の姫 賀茂玉依姫命が見つけ持ち帰り祀っていると身ごもり男子を出産します

 

御子が元服の祝宴にて祖父である賀茂建角身が「父だと思う神に盃をすすめよ」と問うと御子は「我が父は天津神なり!」と盃を天に向け投げると甍(茅葺)を突き破り、御子は雷鳴と共に天へ昇ってしまったという

 

突然御子を失った祖父と母が再会を願っているとある夜、玉依姫の夢枕に御子が現れ神託を告げたのでその通りに神迎祭をおこなうと立派な成人の姿となった御子 賀茂別雷大神 が降臨されたという

 

社伝によると降臨御鎮座が神武天皇の御代(紀元前)、欽明天皇の代(550年頃)に賀茂祭が始まり677年に賀茂神宮が造営とされています

 

こちらの矢の先、というか後ろというか、に鎮座されているのは櫛石窓神と豊石窓神を祀る棚尾神社です
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そして本殿へ参拝する中門には注連縄で作られた宝船御飾!!
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五本の当たり矢が刺さった宝船の下を通ると良い一年になると言われているそうです(*´ω`*)

 

神前に立つと御幕の先は薄暗く、でもはっきりとした御神威を感じる厳かさに包まれ、私の真横、というより前にまでお子様が駆け寄り後ろから親御さんの声が響くというなかなか賑やかな中だったにも関わらず一瞬時が止まったかのように音がスッと消えた気がしました

 

こういった参拝者が列をなしている場合、私はいつも近くなってきたところから心の中で名乗りとご挨拶を進めてしまい、自分の番になると感謝をお伝えするだけというスムーズな参拝にしているのですが、そんな短い間でも時が止まったかのように感じる事は滅多にありません

 

なんだろう、このご挨拶した後のスッキリした爽快感(*´ω`*)
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って結構陽が傾いてる!? サクサクッと回らないとほんとに時間無くなってしまうw

 

と思いつつも全然急ぐことなくのんびりと参拝してしまう、そういった何か不思議な居心地の良さがここにはある
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お姿は見えませんがこちらには本殿権殿だけでなく若宮神を祀る若宮神社建玉依比古神を祀る土師尾神社、杉尾神を祀る杉尾神社が祀られています

 

こちらは罔象女神を祀る川尾神社、社殿の脇から後ろの川へと降りられる御手洗場のようになっていますが、この川にはその先にも何ヶ所かそういった場所が作られています
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もう少し苔むした方が好きですが、いやぁ、檜皮葺って良いですね
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そして今境内図を見ていて気付きました、境内を流れる川がY字形になっていて賀茂川と高野川、丁度上賀茂社下鴨社の鎮座する扇状地の位置に本殿が祀られているんですね!!

 

そして伊勢神宮遥拝所がありました
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本殿右手、門の所からの参拝になりますがこの奥には二社
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右手、新宮神社は明治期まで賀茂別雷神社の第二摂社だった貴船神社の高龗神が祀られ、雪深い冬場でもこちらで参拝出来るよう1628年に分霊が祀られたそうで、その左手には大山津見神を祀る山尾社が鎮座しています
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川を渡ると賀茂県主族の祭祀王だった玉依姫命を祀る片山御子神社が鎮座されています(何故だか社殿の撮影を忘れてしまったようです)
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石段の上には阿須波神波比祇神生井神、福井神、綱長井神を祀る須波神社
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一説によると大年神御子神と宮中守護として祀られていた井戸の神とされています

 

石段を降りてくると目が吸い寄せられたのがこちらの岩
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な、な、なんだここは、、、御神木?よりも岩が凄いんだけれども、と写真だけ撮っておいたのですが今読んでみるとなんと返祝詞をあげられていた古代祭祀の霊所で氣が集中する場所とある、どうりで物凄く引っ張られたわけだ...暫し目が離せなかったもの
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本殿西側と東側、川尾社の裏の奥より流れる川は結構な水量で境内を長く流れていて御神域全体を素晴らしい氣で包み込んでいるのでどこに居ても居心地の良さがハンパない

 

時間のことなど忘れてついつい川のほとりでの~んびりしてしまうのであります

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あ、そうですw 実は主殿参拝後に授与所を覗いた時、どうもやっぱり八咫烏さんがこっちを見ているのでおみくじを頂戴し、我が家の神棚にお座りいただくことにしたのです

 

そして高鴨さんで御札を頂いていたのでもうお受けするつもりはなかったのですがどうも金色の輝きに引っ張っていかれたのが金ではなく黄色い厄除御守護神札でした、我が家の神棚にいらっしゃって中央でお守り頂いています

 

ならの小川のほとり、岩の上に鎮座される陰にあって凄い存在感のあるこちらのお社
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凄いですね、ほんとに岩の上に鎮座されています、こちらは底筒男神・中筒男神・表筒男神を祀る岩本社
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そのまま川を下っていくと鎮座されていたのが賀茂山口神社
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御歳神が祀られており、細い川に石が渡されこの背側には拝殿がありました
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あれっ、入っちゃいけないところに踏み込んでしまったのか?!と一瞬慌てましたが、この先には「日時によりこちら側へはお入り頂けませんと書いてある柵があり開いていたのでひと安心

 

ただ、後に書きますが私と同じルートで参拝される方はこちらより先に行くべきところがありますのでご注意ください

 

 

さらに先へ進むとならの小川の支流に石橋が架かり、山上へと朱鳥居が並ぶ二葉姫稲荷神社がありますが記事を次に分けます
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二葉姫稲荷からそのまま先へ進むと境内外へと出てしまったので再び正面へ、駐車場側から来たのでならの小川の方から境内へ

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砂利の正面参道に人が全然居なかったのは皆さん車で来てこちら側からいらっしゃるんですね~

 

川沿いに並ぶ末社、こちらは梶田神社で御祭神は、、、瀬織津姫神!
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東手、高野川に当たる小川の上流に罔象女神、そして合流した下流瀬織津姫が祀られているんですね、素敵(*´ω`*)

 

続きまして山森神社には素戔嗚神稲田姫神、田心姫神と夫婦御子神が祀られています
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このもうひとつ上流に奈良刀自神を祀る奈良神社もあったようですが図を見ると真横を通っていたにも関わらず気づかなかったようです(´・ω・`)

 

ナラトジノカミはならの小川の女神とされており、神饌を清める女官だとされているそうです
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ここからは渉渓園という庭園になっており、この先に鎮座されているのが先程の御歳神が祀られる賀茂山口神社になります
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こちらは睦の木とされているスダジイという椎の仲間でひとつの根から何本もの幹が伸びていることから仲睦まじい家族の絆を守る木とされているそうです

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うーん、ほんとだ、家族の傘のように温かい(*´ω`*)
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そして問題はこの先です

 

こちら、陰陽石
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瀧尾神社の陰陽石は男根女陰を表す二石でしたがこちらは陰陽が極まり融合した石とされており、古く龍が棲むとされていた池の底から出現した石だそうです

 

確かによく見ると真ん中に割れ目はありますが左右はしっかりと繋がっており、そして左と右では若干石質が異なるように見えます

 

両手で触れてそのお力を、とあるので割れ目の左右に手を置いてみました、、、まぁビリビリするでもなく温かいでも冷たいでもない不思議な感じでしたが、なんだかとても落ち着きました(*´ω`*)

 

問題は説明板の最後、「両手で触れてそのお力を頂いてから賀茂山口神社にお参り下さい」と書いてある

 

つまり、こちらから来て拝殿からご挨拶しなさいということだったんです! 勿論、仕切られてはいなかったので拝殿脇からご本殿へ石橋を渡ってご挨拶しても大丈夫です!!(本殿自体に賽銭箱がありましたしね)

 

いやー、、、素晴らしかった、賀茂大社の石碑通り御神威に満ち満ちた御神域でした、さすが京都最古とされる上賀茂さんですね
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ずっと御神氣と御水氣を受けていたからか物凄く清々しい気持ちで身体も全然元気、とても未明から稲荷山を登ってきたとは思えないほど充実していました

 

と、いうわけで、、、特に急ぎもしませんで、というか少しのんびりもしつつの参拝でちょうど1時間ほど、実はここから東に境外末社が鎮座されているのは知っていたのですがさすがにそちらは諦めました

 

何故って、、、上賀茂さんから下鴨さんってマップでは徒歩45分なんですよw これまでの経験上、私の足でサクサク歩いても40分は掛かる、軽く日没との闘いになってきたのですw

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勿論バス移動もあるのですが調べてみると余り変わらない、であれば賀茂川を長ながら歩く方を選ぶのが私(*´ω`*)
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と、カラス様

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じーっと眺めていると翔んだ!! 足は二本!残念!!(アタリマエダ)
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でもあれですね、八咫烏の神社へご挨拶した後に会うカラスさんはやっぱり格別ですね(*´ω`*)
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いやー、良い眺めだけれどやっぱ45分は長いですね、と思っていると彩雲登場!!
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さらに!
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さらに!!

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次々と現れる彩雲が飽きさせず歩かせてくれました(*´ω`*)

 

 

 

では御祭神について

 

神山の御阿礼所への御鎮座を創建とすると創始は紀元前ということになりますが祭りの始まりや神宮造営までかなり時があくのが少し気になります(大きな祭りほどではなく祭祀自体は続いていたのかもしれませんが)

 

一説には賀茂別雷大神がアジスキタカヒコネと同一視される説もあるようですがさすがにそれは時系列から言っても難しいかと、それよりも賀茂別雷大神が御降臨された後について資料が見当たらないのです

 

父である天津神については火雷神である、大山咋神であるなど諸説あるようですが、矢・川・解任・天津神というキーワードが酷似する話があることが注目されています

 

個人的には、、、神憑りや降臨にしては実際に祖父や母の御名まで出てこうして現代まで祀られ続けているのでただの創作神話だとも思えず、もしかしたら流産や早世などに遭ってしまった御子だったりするかもしれない、と考えてみたり

 

でなければ、賀茂別雷の降臨と時を同じくして賀茂一族若しくは諸説にある松尾大神、つまり秦氏系に大神クラスの人物(神)が突如現れていれば、、、という可能性もあります

 

記紀においてはその都度異なる名前や職位名で書かれるので同じ神が別人のように、またその逆で同じような役職名で別の神が同一のように書かれたりします

 

いずれにしても、検索してみてもちょっとその論拠には、、、という説or深すぎて理解が追いつかないものしか見当たらない感じなのでこれは難題ですね

 

ちなみに先日、風邪で微熱を出していた時に見た謎の夢で最後歩いていた道にかかっていた看板には 神山 という文字が書かれていました

 

まだこの記事を書く前で賀茂別雷大神が降臨されたのが神山だということを知らない時です

 

何故か感覚で北西すぐ近くに海がある場所(夢の中では海など見えていない)というイメージを持っていたのですが、さすがにそんなことは無いだろうとGoogleで検索すると出てきたのは北陸のとある場所、旧神山村

 

ただそこは既に合併で名称が変わっており、そしてすとりーとびゅーで見ても全然雰囲気が似てはいない、まぁ夢だからな、てことでやり過ごしていたのですが

 

もしかして八咫烏というキーワードが出てくる夢だったから葛城か山城に神山が?と調べて賀茂別雷大神が神山に降臨されていたことを知ったのでした

 

その上賀茂神山の北西には海ではなく賀茂川、そしてストリートビューでサラッと確認したところ、さすがに神山という看板は見当たらなかったのですが緩やかな坂と建物の雰囲気が夢と似ている?!

 

いや、勿論全ての道を見たわけではないし似ていると思えば似ているだけで建物など夢そのものだというほどの場所は見当たらなかったのですが、、、まぁ、偶然ですかね

 

でもいつか、行ってみたいですね

 

神聖な山ではあるのですが禁足地にはなっていないようで、ただし登るにはなかなか大変だというのであまり現実的ではない気がしますが( ̄▽ ̄;)

 

 

さぁ、次はいよいよ、葛城・山城鴨族五社の最後、下鴨社です!

 

賀茂別雷神社第八摂社 久我神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

さぁ、次はいよいよ上賀茂社だ!!

 

貴船社から歩き初めてすぐのこと

 

どん!!    久我神社!!
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もうね、ほんとね、どうしてマップって奴は 神社 で検索した時に出て来ないことがあるんでしょうかね

 

とはいえ、そのまま気付かずというよりはこうして出会わせて頂けることが本当に有難いわけですが、普段からすぐ近くを通りながら全くその存在に気付いていない神社さんも結構あるのなぁ、なんて

 

っていうかこちら、御神域感がさらに強い?!

 

なんか神宮の別宮的な雰囲気すらあるなぁ、、、と思ったこの時はまだ賀茂さんがどれだけ凄い神社であるかを知らぬままでしたが

 

えーと、、、御祭神は賀茂建角身命で初めて記録に社名が出るのは859年ですがその時に従五位下に叙されているとあるので賀茂氏が当地を治めた頃より鎮座されているのでしょう、なんと式内社です
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神武東征で功をあげ移住した賀茂県主族の祖神、八咫烏!!

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こちらは先に読んでしまいました、鎮祭当時より大宮と呼ばれたことから前通りは大宮通りと呼ばれ、、、って、第八摂社と書かれていますが御神域はそれどころでは無いほどの氣で満たされています

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いやー、巡拝予定も変更したしさすがにお腹減ったので何か食べてから行こう、なんてのんびりしかけた休息モードもどこかへ吹っ飛びました

 

足がピタリと止まり、御神前へ向かうのに暫しここで佇み整える

 

普通の手水舎に見えますが凄い浄化の力を感じます
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その隣には植栽に囲まれた御神木、とても太い
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すー、、、、、はー、、、、、

 

呼吸を整えてから、ご挨拶
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これは、、、

 

拝殿を通りなみなみならぬ氣が後ろの御本殿から流れてくる

 

急に時の流れがゆっくりになったような、気圧されるほど迫力

 

こちらは絶対に参拝しなければならなかった場所なんじゃないか、そう感じました

 

こちらは南向きですが貴船社と同じように東西に区画を貫く参道がある境内、東側の参道には三本の木がまるで鳥居と蕃塀のように立っています
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こちらが大宮通り側なので正面参道はこちらでしょう
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いやー、、、凄い、写真だけでは伝わらないでしょうけれど、物凄い神社です

 

 

調べてみると、それもそのはず

 

大和から山城へと徐々に移って来た賀茂県主氏はその地その地で氏神を祀っており、こちらは現在の上賀茂社へ移る前に祖神を祀った神社だとされています

 

そしてこの一帯は大宮の森と呼ばれていたそうです

 

つまりは、元宮のひとつと言っても良いでしょう、そりゃ凄い氣を感じるわけだ

 

ここより南、伏見区にも久我の森に鎮座する久我神社があり、さらに京都南部の木津川市には岡田鴨神社、加茂八幡宮もあり現在でも加茂町と呼ばれている

 

葛城より葛城川、木津川、桂川、鴨川を経て山城へと移ってきたということですね、確かに大人数で移住するには陸路より川を使った海路の方が便利です

 

あぁ、、、鴨系で行きたい神社がどんどん増えていく(´ºωº`)

 

 

ここでちょっと余談というか、考察を挟んでしまいます

 

 

勝手に記紀考察ではまだまだ知識も浅いのにほぼ古事記日本書紀だけを頼りに勝手な想像を膨らませて解釈しました

 

そんな中でどうにも気なってしまったアジスキタカヒコネ

 

記紀を読み解く中で私は勝手に アジスキタカヒコネ=アメノワカヒココトシロヌシ、さらには =ナガスネヒコ と捉えたわけですが、どうもナガスネヒコは別の存在であると考えを改めはじめました

 

葛城には祭祀を司る鴨族が居た、つまりタキリビメの血を引くアジスキタカヒコネとシタテルヒメである

 

アジスキタカヒコネは喪屋を蹴立てるという武力を示すような記述ではありますが死人と間違われる、喪屋を破壊するというかなり縁起の悪さが際立っています(というか縁起の悪さしか書かれていない)

 

そこへシタテルヒメが死人であるという穢れを受けた兄に対し生人である事を明確に唱えることで禊を行った、つまりシタテルヒメは祭祀王の血を引きその能力を有していることが描かれていた!!

 

アジスキタカヒコネは事代主となり、そして国譲りにおいてタケミカヅチに対し縁起の悪い天の逆手を討ち蹴り上げた船を垣にして姿を消すという呪術的行為を行っている

 

やがてアジスキタカヒコネは大和国へと移り妹をニギハヤヒへと嫁がせる、ここからアジスキタカヒコネがナガスネヒコとして生きていたのかと思ったのですが、ナガスネヒコはあくまでもニギハヤヒに従った大和の豪族だったのかもしれない

 

戦が始まりナガスネヒコイワレビコに対し徹底抗戦を訴えるが鴨氏とニギハヤヒは協力を申し出る、八咫烏としてナガスネヒコの布陣を伝え大和への迂回路を導いたのはもしかしたらナガスネヒコが手が付けられぬ状態になっており排除したかったからかもしれない

 

やがて鴨氏は葛城の地から大移動を始める、その理由は東征の功により別の説によれば鴨氏のもつ祭祀力や技術力が戦争利用されるのを嫌がったからだとされている

 

賀茂氏について調べると朝臣氏と県主氏がありそれぞれ別氏族だとされていたり元を辿れば枝分かれのようでもあり、ぶっちゃけよく分かりませんが、どうも葛城に残った鴨氏と山城に移住した鴨氏ということではないかと

 

うーん、やっぱり深きに深すぎる...

 

あれ?ちょっと待って? 上賀茂神社の摂社で元宮だと思っていたから気付かずスルーしそうになったけれど、上賀茂神社の御祭神は賀茂別雷命なので久我神社の御祭神は下鴨神社と同じということになりますね

 

というわけで、いよいよ上賀茂下鴨さんだ!!

 

 

と、その前に!! 

 

じゃじゃーーーん!!
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御薗橋前のまるたこさんでたこ焼きランチ!!

 

サイドにネギの輪が見えるのなんて最高にせくしぃ♪

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特性生姜醤油にしてみました(*´ω`*)

 

いや、しっかりと生姜が効いててうみゃい!!!

 

さらにマヨなんかかけちまった日にゃぁマイルドぅで最高ぅ♪
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これからだというところで結構疲れがで初めていたのですが、そりゃそうだ夜明け前から稲荷山登って朝のわさび葉寿司一個だけで円町駅からここまで歩いて来てるんですからねw←阿呆

 

でもやっぱ不思議ですね、貴船さんと久我さんで身体の疲れが一気に取れた気がします

 

大好きなたこ焼きでチャージした後は橋を渡っ、、、サギだぁぁぁ、と近付いてみたらアオサギさんじゃなくてコサギさんでした
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可愛いやねぇ(*´ω`*)

 

元々サギって好きなんですけど、君たちはどう生きるかを見てから特にアオサギさんが好きになってしまいました(*´ω`*)

 

総神社天満宮と紫竹貴船社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

諦めた諦めた詐欺とはよく言ったもので(誰も言ってません)

 

時間的にも最後の巡拝社はかなりギリギリが見込まれる、それでもまだ希望はある、、、と思いつつ今宮神社から次の神社へと向かっているその時であった

 

じん、、、じゃだ、、、
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横から見ていて鳥居も幟も無いから、っていうか地図に出てなかったよね!!!!

 

さぁどうする

 

天満宮とある、先程総本社の北野天満宮でご挨拶したし先を考えてこのまま、、、、、、、、、あ、はい、そんなわけにはいきませんよね、ご挨拶させて頂きますm(*_ _)m

 

っていうか総神社なのか天満宮なのかどっちなんだい?とさすがに御由緒を読むと、、、御祭神は天穂日命八幡大神、天満大神、源義朝神霊、そして境内社市杵島姫命とあります
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っていうか由緒(読んでないけど)の冒頭に賀茂別雷神社38社のひとつ、と書かれています!!  おぉ、スルーしなくて良かった  ^^;

 

っていうか38社もあるんですね、、、さすがだ

 

こちら、やや不思議な境内でして鳥居から参道がジグザグっと曲がりましてその先の階段を上がって社殿のある、そして境内は区画を突っ切って反対側までという公園のような感じなのです

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境内の雰囲気もまさに公園のようでとっても穏やかで心落ち着く感じです
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そう感じたのもそのはず、境内は公園を兼ねていてボール遊びはしないよう張り紙がありましたw
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境内右奥には厳島社が鎮座されています
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いやー、なんかとっても伸びやかでThe街の神社さんとはこのことだ(*´ω`*)

 

ですがどこかやっぱり雰囲気が...? と思ったら菅原家 日本最古学問所という札が

 

こちら、創始年代は不詳とのことですが賀茂読経所聖神寺の鎮守として社僧から崇敬を受けていた神社だとされていることから680年頃には鎮座されていたのではないかと言われています

 

流刑に処された道真公は当社宮守だった叔母を訪ね一宿されたことから菅宿の森とも呼ばれ、またこの当たりには頼朝の別邸があり義経が生まれた常磐の森もあったそうです

 

 

つまりは道真公の叔母がこちらで社僧に対し学問所のようなものを開いてらっしゃったのでしょうか

 

あれ? 義朝は? っていうか、あれ? 頼朝の別邸で義経が生まれ、あれれ? と思ったら社殿前にあった由緒紙を元にこの記事を書いていたのですがその紙が義朝を頼朝と誤記されていたようですw 看板の方はちゃんと 義朝の別邸があり と書かれていますね

 

源義朝は頼朝や義経のお父上であります

 

いやー、しかし道真公の叔母が巫女や宮守を務められていたとは知りませんでした、やはり家系として学深き一族でらっしゃったんですね

 

相手が社僧だったとはいえ学び舎でもあった総神社、今でも公園になっているなど雰囲気としてはなるほどという素敵な神社さんです(*´ω`*)

 

しかし、賀茂別雷神社38社のひとつ、というのが調べたけれどよくわかりませんでした( ̄▽ ̄;)

 

 

よし、では!! と歩き始めてすぐのこと

 

どどん!! 貴船社!!
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だーーーかーーーらーーーマップに載ってなかったぢゃん!!w

 

でも貴船さんとあっちゃ通り過ぎることが出来るはずもない♪

 

こちらもまた細長~ぃ参道で奥に鳥居と社殿が見えますね

 

あぁ、もう 貴船 という情報だけのせいかもしれませんがなんという心地よい参道なことか、まさに緑道、水道、風道といった氣のある参道です(お水は流れていません)

 

こちらも総神社と似た感じの境内ですね
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な、なんか凄い氣が、、、?! と思ったらこちら、龍口の後ろが井戸じゃないですか?!

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今の手水も井戸から汲み上げられているのかはわかりませんがこりゃもの凄く浄化していただけそうです、さすが貴船さん

 

そしてこちらが御社殿
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おわかりになりますでしょうか

 

東西の参道を真ん中に社殿と舞殿があるのですが、本殿は北向きなんです!!

 

神社や神棚は地形的理由などが無い限りは太陽に向け南向きまたは東向きが基本です

 

なぜ北向き? それはすぐにわかりました

 

鞍馬山貴船神社が北にあるから!!(真北からは少しズレますが)

 

違うかな。。。w

 

いやー、特に川があるわけでもないのに物凄く水の氣を感じるのは決して気の所為ではないと思います

 

私、お稲荷様と水の氣にはちょっとだけ自信があるんです

 

根拠はありません(威張るなw)

 

水の氣はやはり、あの井戸と思われる場所でしょう

 

失礼かもしれませんが、いや、本殿も凄く御神威を感じて素晴らしく心身引き締まる想いでしたが、やっぱり手水舎の雰囲気が凄いんですよね

 

調べてみるとこちらも賀茂別雷神社の摂社だそうなのですが、昔この辺りは賀茂別雷神社の荘園だったそうで、だからこの辺りの神社が摂社ということになっているんですね

 

今回はお呼ばれしませんでしたが、ここから2区画隣の公園内にも小森社という境外末社があり水分神が祀られているそうです

 

 

いやー、まぁ今回はナビを逸れたわけではないのですが、それでも地図上に表示されていなかった二社と出会い、どちらもこれから向かっている賀茂別雷神社さんの摂社だとは何かちょっと嬉しいですね

 

え? この辺りは摂社しかない?

 

あーーーっはっはっはっは、違ぇねぇ(*^▽^*)←何キャラだ

 

でも実は、今宮神社からはルートとは違った東門から出たので元のナビだと少なくとも総神社は出会えてなかったでしょう

 

 

偶然と言えば偶然、必然と言えば必然(*´ω`*)

 

 

勿論、逆のことで知らずが故に逃していることも沢山あると思うのですが、それもまた必然ということで( 'ω')

 

 

 

紫野御霊会 今宮神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

本日はこちら、今宮神社です
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船岡山を後にした私はてくてくと北へ向かって行きます

 

目指すは今宮神社

 

地図で見た時に、あ!福男で有名な?! いや、あれは兵庫か、、、じゃぁあれだ!!えべっさんの!! いやいや、あれは今宮でも今宮戎さんで大阪か、なんて呑気に考えつつ道中だからというだけで巡拝コースに入れていたんです

 

暫く歩くと、、、ドン⛩
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あ、、、あれ?

 

実は凄い神社を連拝していたことで若干の御神氣当たりといいますかw まぁ所謂体力の疲れとは違う疲労感がありましてw

 

その後に控える凄い神社に向けてちょっとホッと出来る神社だと勝手に思い込んでいたんですね

 

ほんと、物を知らないってある意味で罪ですね

 

そしてもう暫く歩くと、、、デデン!!
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この時点で覚悟しました、、、この日の巡拝最後の目的地は絶対に無理だと

 

今から向かう神社は絶対に凄い、、、簡単に参拝を済ませるような神社ではない、そしてそれはつまり、私がこの日組んだ順路は時間的に距離的に規模的に不可能なコースだったようだ

 

件の鞍馬山→稲荷山を断念した以外ではこれまで数々の無茶コースを予定通り参拝してきたので舐めていましたね...というわけで呼吸を整えつつ境内図を検索してみるとかなりの規模である

 

それでも頑なに由緒を調べないところがいかにも私らしい←

 

う、うぉぁうぁおぅう...す、すごい。。。
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こんなただ事ではない神社なのになぜこんなに人が居ないんだ?!

 

大己貴命事代主命奇稲田姫命の三柱が祀られています(そして由緒は読まないw)
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三世代が祀られているということになりますがスサノオ不在でクシナダヒメが祀られているのは少し珍しい気が?

 

美しき楼門を潜ると、、、やはり広い! ! そして氣の流れが凄く温かい?!
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右手に美しい手水舎があります
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こちらは謎の勘に従って主殿へ先にご挨拶します、、、って!?f:id:hinoki_kaonashi:20240119211247j:image

 

立派な拝殿だと思ったのが、いや、こちらは拝殿なのですがなんとその後ろに本殿が、つまり外拝殿のような形と言いますかね

 

拝殿の後ろへ回ると立派な御本殿が、、、二社?!f:id:hinoki_kaonashi:20240119211648j:image

 

右手が本社で東御座に事代主命、中御座に大己貴命、西御座に奇稲田姫命が祀られています

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なんと居心地の良いことか...規模が凄いながらも凄い安心感に溢れた御神域は畏みつつもとてもリラックス出来ます

 

そして左手が疫社、そう、素戔嗚命!! こちらにいらっしゃった!

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そういえば読んではいないけれど由緒板に疫病の文字が見えていましたが京でスサノオといえば疫病避けの祇園というくらいとても有名です

 

いやはや、やはりというべきかこちらの神前は空気感が全く違います、前に立ち疫社という名を見て御祭神を察するよりも前から凄い氣が渦巻いておりました

 

 

そして境内社もたくさん、こちらは織姫社で天天忍穂耳尊お結婚して火明命と瓊瓊杵尊を産んだとされる栲幡千千姫命が祀られます
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こちらは、、、井戸?!
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と、この右手には今宮の奇石と呼ばれる阿呆賢さんがいらっしゃったのですが前の方があまりに長かったので後で、、、といってそのまま忘れてしまいました(ノ∀`)アチャー

 

おもかる石でありながら、病気平癒を願いながら阿呆賢さんを撫でた手で身体の悪いところを擦れば回復が早まると言われているそうです、、、ふともも撫でれば良かった!!

 

こちらは八社殿、大黒社、蛭子社、、八幡社、熱田者、住吉社、香取社、鏡作社、諏訪社が合祀されています

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鏡作社? と調べてみると想像通り、、石凝姥命が祀られているようですが天照国照彦火明命と天糠戸命も祀られているようです

 

八社の隣から八幡社、牛頭天王と八大王子(五男三女神)を祀る大将軍社、そして大山咋神大物主神を祀る日吉社
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そして一際存在感のあるこちら、左手に見えますが中央に鎮座されるのが伊邪那美神を祀る若宮社
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すみません、参拝時は良く分かっておらず、にしてはやけに凄い氣を感じるな、と思っていたのですが、、、待って、調べると右手は加茂斎院、賀茂大神に最王として奉仕された歴代皇女が祀られているというのです

 

そう、斎王制度によって皇女が巫女として奉仕したのは伊勢の神宮賀茂神社だけなのです、その賀茂の斎王がここに祀られていた!?

 

いやはや、、、そりゃぁ一際凄い氣が放たれていたわけです

 

そしてなぜイザナミが若宮?と思ったら薬子の変で処罰された御霊を鎮めるための神社だからのようです

 

こちらは宇迦之御魂命を祀る紫野稲荷社
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織田稲荷社は稲荷でありながら信長公と家臣を祀るとあり、本能寺の変後に信長公と家臣を葬ったとされる阿弥陀寺が後に移されその跡地に祀られた稲荷社だそうです

 

さぁ、、、
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少し逡巡するも、行かねばならぬ、太ももを堪えて!!

 

こちらはその階段からか境内にいらっしゃる人のうち僅かしか行かれていませんでしたw

 

だが、行かねばならぬ!!

 

石段途中に倉稲魂大神猿田彦大神を祀る地主稲荷社
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あぁ、、、なんと涼やかな風

 

そして石段の先に祀られるお社
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月読尊が祀られる月読社です

 

なんとまぁここだけが今宮神社の境内の中で空気が違う御神域になっていて スンッ としているのである

 

この石段を上がった者だけが肌に感じられる不思議な感覚

 

あ、大袈裟ですね、はい、太ももさえ万全ならさしたることもない石段でございます

 

ツクヨミ様が祀られる神社はかなり少ないので貴重です

 

こちらは宗像社、多紀理姫命湍津姫命市杵島姫命を祀ります
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そして神馬舎
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こちらが東門で、こちらの参道は名物あぶり餅屋の風情ある建物が並んでいます(閉まっていましたがw)
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いやー、ボリューム満点で素晴らしい神社でした(*´ω`*)

 

それでは御由緒を(*´ω`*)

 

平安京遷都によりどんどん栄える京の街でしたが疫病に悩まされ各地で御霊会が行われる中、994年に遷都以前よりこの地に祀られていた厄神が神輿二基に乗せ船岡山に安置、紫野御霊会となりました

 

しかしまたしても疫病が流行したことを受け1001年に船岡山より厄神が降ろされ再びこの地へ祀られ、さらに本社として三柱を創祀して今宮神社となったそうです

 

そうか!! どうりで疫社が凄かったわけです

 

そこへさらにスサノオの御力を得るため御子神と奥方を併せ祀ったということでしょうか、ただなぜそちらが本社となったのかはよくわかりませんね

 

またこちらは桂昌院からの崇敬が特に篤かったことから玉の輿神社とも呼ばれているそうです

 

ちょっとイメージ的にはアレですけどね^^;

 

牛頭天王信仰は平安時代より始まったと言われており、となると遷都と共に京の町に浸透したことになりますが、この地には遷都前から厄神様が祀られていたといいます

 

つまりは都となり人々が増えて行く中で元より祀られてきた厄神・御霊信仰が強くなっていったということでしょうか

 

実は以前に一度だけ八坂神社を参拝したことがあるのですがまだ神社巡り前だったので何も調べて居なかったので知らなかったのですが八坂神社の創建は1200年だと伝わっているようです

 

牛頭天王信仰も平安期より始まったと言われており、その頃から牛頭天王スサノオが習合されたようですがでは厄神は?

 

厄神は陰陽道から始まっているのではないかと言われています

 

陰陽師といえば安倍晴明安倍晴明の師匠は賀茂忠行賀茂忠行大田田根子にも繋がる三輪系賀茂氏

 

さすが賀茂の地、どちらを参拝しても繋がってきますね(自分で無理やり繋げている感もあるw)

 

 

さて、ここで完全に諦めたこの日最後の目的地、それは実は日向大神宮でした

 

分かる人には分かる、なんて無謀な計画を立てていたんだろうw

 

稲荷山に登らず早朝からこのルートで動いていたらまぁ間に合ったでしょうけれどもまぁそれはそれ

 

さぁ、次はいよいよ!!

 

と歩いて行くのですがさすが京の町、マップで出てきていなかった神社へと誘われるのである

 

 

 

 

 

稲荷信仰発祥地 船岡山 義照稲荷神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

 

タイトルバレしてしまいました、とんでもない参拝記事でございますがその事実を知ったのはつい先程、記事を書きながら調べた時で、急遽建勲神社の記事から切り離して二つに分けました

 

まずはいつも通り、何も知らない参拝時の状況をそのままに(。-_-。)b

 

 

南参道から船岡山へ登り、建勲神社の参拝を終えて正面参道を降りてきましたので真っ直ぐ写真右上の境内社へと向かいました
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扁額は稲荷社になっています
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両部鳥居ぃぃぃ♪←両部鳥居大好きなので見ると変なテンション
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のままに進もうとしてここでピタッと足が止まる
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いや、今度は足が重いとかではないのですがここから急に空気が変わって非常に緊張感漂う御神域になっています

 

二社並び祀られていました、右手が義照稲荷神社、左は命婦社というので神狐様が祀られているでしょう、、、全域が凄いのですが特に命婦社を中心に凄い氣に包まれている感じです
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主殿へご挨拶をすると優しい風が身を包む、そして命婦様へご挨拶するとそれこそドーム状に境内の空気が変わるのを感じる

 

さらに左の山側にはお山を拝するような場所
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そして正面からは全く見えませんでしたがお塚のようになっている
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いやはや、そりゃ凄い力を感じたわけだ、、、この時はその理由をまだ知らなかったにも関わらず、まるで小さな稲荷山のようだ、、、と小声でつい漏らしたのをはっきりと覚えています

 

ご挨拶を終えて鳥居を出る、、、大いなる力はそのままに、来た時とは明らかに異なる柔らかな氣が御神域を包み込んでいた、心から、ありがとうございました、と感謝が出た

 

おや?
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おやおや?
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おやおやおやおや?
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お気付きでしょうか、私は凄く違和感を感じたのですが

 

この時はその理由を知らなかったので分かりづらい写真ばかりですみませんが、そうなんです、私は上から来てしまいましたが義照稲荷神社には専用の参道がありまして、それだけではなく建勲神社の鳥居の真正面が義照稲荷神社になっており、建勲神社旧跡で山上の現社地へ向かう参道は写真の奥なのです

 

勿論、鎮守の役割が込められる稲荷社は境内社末社であっても境内に入ってすぐの位置に祀られていることも多いのですが、鳥居真正面にいらっしゃるというのはなかなかに無い!!

 

やはり不思議な力があるのだろうか

 

 

記事を書くのに調べていくと、参拝時に感じた数々の違和感が見事なまでの一致を見せ私を驚愕させる

 

 

信長公が祀られる船岡山ですから義照稲荷神社はてっきり〇〇義照公の屋敷稲荷とかだろうと勝手に思っていたんです

 

〇〇義照って思いっきり戦国武将に居そうじゃないですか(*´ω`*)

 

だがそうではなかった

 

社殿によれば、義照稲荷神社は宇迦之御霊大神、国床立大神、猿田彦大神を祀り、、、国常立尊!!

 

以前ちらっと書きましたが、出処がよくわかっていないが為にあまり重視しないようにしている祝詞 稲荷大神秘文 において、略して書けば 唯一にして形の無い国常立尊を拝し奉れば と出てくるのです

 

後期神道の流れかと思っていたのですがどうもそうではない可能性も出てきた?!

 

さらになんと奈良朝の頃に渡来した秦氏船岡山を中心として稲荷信仰を広め、さらには命婦社に祀られる霊狐は伏見稲荷大社命婦社の親神であるといい、その伏見稲荷命婦社でも船岡山の霊狐が祀られていると記されているそうです

 

つ、、、ま、、、り、、、伏見稲荷大社の大元がここ?!?!

 

うっわ、、、そんな事も知らずつい口走った言葉

 

すっご、、、こりゃ小さな稲荷山だな

 

というのは思いっきり当てはまっていたことになる

 

信長公へご挨拶~なんて気持ちで来たのですがまさかの稲荷信仰発祥地へご挨拶することになるとは!!

 

しかもそれを知らずにしてちゃんと肌で感じとることが出来ていたということこそが最大の喜び!!

 

いや、、さすがに当日早朝に稲荷山を登拝しておいてこちらを参拝したのになーーーんにも感じなかったとしたらそれはそれでものすっごく悲しいですから(´・ω・`)ヨカッタ

 

いやー、しかし、まさか秦氏のお膝元?が船岡山だったとは、そして総本社である稲荷山にさらに元宮があったとは…

 

 

ふー。。。すごい、スゴすぎる

 

いや、毎回凄いんですけど、今回の巡拝、あまりに凄すぎる

 

っていうかこの後の予定、全部回るの厳しくないか?とここで漸く気付くのであるが、それはその通りとなる

 

 

あとがき

 

今回の巡拝はとあることが目的でした

 

勝手に記紀考察から長岡巡拝により、、アジスキタカヒコネと鴨氏・賀茂氏について調べる

 

現時点でまだ葛城鴨三社しか調べれておらず、実は私の脳内大混乱真っ只中なのですが飛び越えて記事にするつもりは無いのでこうして巡拝通りで記事にしていっているわけですが

 

チラッと書いて来ているように、そしてこのルートから導かれるように、この後は上賀茂下鴨さんへご挨拶することになります

 

現時点では調べてどんな内容が出てくるか、そして葛城と山城併せるとさらに混乱状態へと突入する気がしてならないのですがw

 

ここまで調べている中で賀茂氏秦氏の関係性もいずれ調べなければと思ってはいたのです

 

ここでまさか秦氏と稲荷信仰の創始について出てくるとは、というか参拝していたとは本当に驚きです

 

巡拝を重ねるうちに知識が積み重なったから分かるようになったという事ももちろんありますが、それ以上に、事実が事実を繋げ導くというのが本当にあるから凄いですよね

 

 

社伝では奈良朝の頃に渡来した秦氏船岡山を稲荷信仰の血としたとあります

 

奈良朝は都が奈良にあった710~784の事を指すそうですが、伏見の稲荷山に稲荷神が降臨されたのは711年とされていますので秦氏が来ていたのはそれより前ということになるでしょうか

 

ざっくりとであれば、日本書紀応神天皇の条に秦始皇帝子孫 弓月君 が多数の民を率いて朝鮮半島より渡来したと書かれています

 

当時の日本には海洋ルートと大陸ルートで人々が移動していたようで、大陸ルートのほとんどが新羅から来ていたようですがその地に住んでいた人々が来たとするにはやや荒唐無稽かと思います

 

秦氏はその高度な技術力や文化から様々な考察がされており、特に酒造、、機織りなどが有名です

 

お酒の神 大山咋神 を祀る松尾大社秦氏による創始と言われており創建は701年、養蚕の神を祀る神社も701年には既にその名が記されており伏見稲荷大社は711年を起源とされているのですが、太秦広隆寺などはそれよりも古くからあったとされています

 

では秦氏が渡来したのはいつなのか、5世紀には既に秦氏の痕跡があったとされており、一説には武内宿禰の子とされる葛城国造の祖 葛城襲津彦の支援があったと言われています

 

葛城氏と繋がった!!

 

そしてさらに調べていくと葛城氏と賀茂氏には血縁があったとされており、葛城から山城へと大移住をした、その場所こそが上賀茂下鴨の地だというのです

 

そして山城国秦氏がやって来る

 

改めていろいろ見ているとなんと、秦氏による松尾大社のご祭神 大山咋神大年神の子とされています、、、大年!! さらには賀茂別雷命の父が大山咋神であるという説まであるという

 

もしそうであれば、、、賀茂氏秦氏は姻戚関係にあった?!

 

 

ちょっと都市伝説に寄ってしまいますが、秦氏ユダヤの民であるとも言われており、弓月の君というところからもツクヨミの氏族ではないかという説まであります

 

というかもはや天孫族ユダヤ氏族という説がかなり多く、そして強くなって来ていますのでなんら驚きはありませんが(*´ω`*)

 

いやはや、まさか建勲神社から稲荷神社発祥、そして京賀茂二社の記事を待たずして賀茂氏秦氏の繋がりにまで触れることになろうとは...

 

かなりしつこいようですが、やはり此度の巡拝はちょっと凄すぎる

 

 

京都はじまりの地 船岡山 建勲神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

本日はこちら、建勲神社です
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北野天満宮北門を出て閑静な住宅街を抜けていくと社号標を発見

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その先は、、、( ˙꒳​˙  )oh......Kai Dan ...

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イテテ、イテテ、、、そう、階段上りは左の太ももが、、、
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あっ?!

 

そう、決してぶり返したわけではなく、前日も階段上りはふとももが痛かったしこの時も痛い、でも早朝の石段続きな稲荷山では痛くなかった?!   やっぱり稲荷山は不思議だ...イテテ

 

覚悟はしていたのですが、、、階段を上がるとそこには社殿ではなく由緒板が
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と思ったら史跡の案内板でしたがこちらは先にご由緒も併せて
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そういえばなんか音だけで船岡山って聞いたことがある気がする

 

標高112mの船岡山聖徳太子の文献にもその名が綴られており京に都が築かれた際には陰陽五行において龍気漲り大地の気迸る玄武の小山であるとしてこの山を基準に大極殿朱雀大路が整備されたそうです

 

しかも桓武天皇はこの船岡山から山城盆地を見下ろし、平安京遷都を決めたと言われています

 

1582年の本能寺の変を受け秀吉がこの船岡山に信長の為の寺を建立しようとしたそうですが天正寺は完成を見ぬまま山は信長公の霊地として保護が続き、1870年の明治天皇勅令により建勲神社が創建されました

 

御祭神は 贈太政大臣正一位 織田信長公、また嫡男である従三位左近衛中将 織田信忠公も配祀されています

 

家康公の東照宮、秀吉公の豊国神社は知っていたのですが信長公を祀る神社があると知って参拝せずにはいられなかったのです(*´ω`*)

 

尾張民としてはやはり思い入れがあります

 

さぁ、、、登るか!!
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と横を見ると、、、船岡妙見社!!
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玄武神は北方に鎮まり諸厄を祓う亀であり、妙見菩薩にして童形なり。玄武の大元は国常立尊なり。水の神にして宅神である、とされています

 

実はこちら、裏参道だったのですが正面から参拝して正面へ帰っていたら気付く事が出来なかったでしょう、ありがたや

 

境内到着!  なんて気持ちが良いんだ! めちゃめちゃ清々しい!
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手水鉢にはしっかりと織田木瓜の紋
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それでは、いざ

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なんと、なんと素晴らしい拝殿!!

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周りは玉敷になっており本殿手前祝詞舎(神門)の手前まで行くことが出来ますがそちらにはお賽銭箱がありませんので、拝殿にてご挨拶させて頂いた後に神門前で深く一礼させていただきました

 

あぁ、、、なんと素晴らしい
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実際はどんな方だったのでしょう、色々と研究が進んでいて再現CGだったり子孫とされる方のお顔だったりとありますが、私の中で最大級のインパクトを残しているのは故渡哲也さんが演じた信長公ですね

 

炎に包まれた御殿の中、有名な幸若『敦盛』をうたう信長公の姿は完全に脳に焼き付いており、後に素晴らしい俳優さん方がそれぞれの信長公を演じてらっしゃって皆素敵なのですが私の中での渡哲也さんのイメージは決して超えられないのです

 

いつものように逆ルートですがw こちらが正面参道
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敦盛の碑がありました
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すると頭上で チッチッチッ と鳴き声が、見上げるとメジロさん♪
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わぁぁぁぁぁぁ、素晴らしい眺め!!
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別格!!
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...別格?! と調べてみたらなるほど、明治政府により新設された社格で国家に対し特別な功労があった者を祀る神社に対するもので既に廃止されていますが28社が列格されていて靖国神社久能山東照宮上杉神社などがそうなんですね

 

いやー、、、ほんとに良い眺め、こうして平和に空を眺められることの幸せよ
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ということはつまり、、、( ˙꒳​˙  )oh......こっちも結構な階段だ
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登ってくるときはこんな感じですね
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大平和敬神、、、の碑?
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由来も書いてありました、元はこの場所に本殿があったそうです
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下から見るとこんな感じなのですが、この階段を上がった右手が境内社になっています
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写真左上から降りてきた私はそのまま右手の境内社へと向かったのですがそちらの記事は次回

 

いやー、、、船岡山、とんでもないお山でした
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物凄く素晴らしい氣が流れていたのも当然ですね

 

この日、稲荷山も京都駅もその他の街も、そして天満宮もこの後に参拝する神社さんもたーくさんの人に溢れていましたがこの船岡山には他に二組ほどで全然人が居なかった

 

いや、それが物凄く有難い事なのですが、、、こんな凄いパワースポット、行かない手はありませんよ!!


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