日々是"吉"日

ゆるゆるなスピリチュアルでパワースポットやパワーストーン、原石、お香などを楽しんでいる日々の日記です。

名古屋開祖を祀る 尾陽神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

御器所八幡宮の参拝から地下鉄で移動、っと駅までの途中に神社があるので寄ってみよ~

 

というまたまた軽い気持ちでやって来たのがこちら、尾陽神社です

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またしても思っていたより大きい(  ˙꒳​˙  )

 

御祭神は、、、天照大御神徳川義直公、徳川慶勝
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義直公は初代尾張藩主、そして慶勝公は三輪神社に祀られていた義宜公のお父上ですね、17代は子の夭折によるもので名古屋開府300年を祈念して県と市により明治43年に創建、公式HPによると当社創建までは名古屋東照宮に合祀されていたそうで、1949年に天照大御神主祭神として祀られたそうです

 

ジモティー(この辺りの者ではありませんがw)として愛を込めて言えば、こんな住宅地ばかりで特に何も無いエリアがなぜ選ばれたんだろうとは思いますが用地的なものかもしれないなぁ、とこの時は漠然と考えていました

 

石段を登ると三葉葵の山門
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普通に見えるけどこういう味のある手水舎、好きです(*´ω`*)
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社殿前が広くお手本のような境内は気のせいかもしれませんがどこかちょっとお寺な雰囲気を感じます
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境内中央に凛々しい御神馬さんが! こちらにも三葉葵が輝きます

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午年産まれなので御神馬さんは大好きです(*´ω`*)  綺麗になびく尾が素敵で、、、あっ、尾陽神社だ♪
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まぁ尾というのはさすがに違うでしょうが調べても社名の由来はわからず、まぁ、、、ってところで気付きましたよ、尾張の尾!! 開府300年を迎え明るく照らされ続けますように、って感じじゃないでしょうか(*´ω`*)

 

ご近所の方が数組いらっしゃってほのぼのとした境内、うん、とっても長閑でまさに陽の氣ですね(*´ω`*)
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ずいぶんしっかりとした社殿ですが元の社殿は空襲で焼失、さらに復興した仮本殿も伊勢湾台風で倒壊したため、現社殿が建てられたのは昭和45年 1970年です

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そうそう、名古屋を出てからカルチャーショックのひとつに伊勢湾台風がありましたがこれは後述にしましょう

 

境内の右奥、ちょっと不思議ですが社務所ではない建物の正面に鳥居、お社は左脇に鎮座されています
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こちら、久延彦神社です
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...久延彦神社ですと?!

 

目の前には建物がありこの好天にあって暗がり、にも関わらず朱の社殿は明るく輝いて見え(写真では暗いのですが)御神威をとても力強く感じる

 

すぐに感じたのは広い境内全体の陽と小さなこのお社の陰で凄くバランスが取れている、そう思って周りを見渡したのですが違う、このお社だけで陰陽のバランスが取れていてこんな日陰なのに陽の氣も凄いのです

 

御祭神である久延毘古命大国主に多くの知恵を授け、少彦名命の神名を知っていたのは久延毘古命だけだったとされています

 

そしてこちら、なんと1976年に大神神社より分霊を受け、さらに大阪府枚方市の山田神社より譲り受けた社殿は200年前に春日大社本殿として使用されていたものだそうです

 

なんという情報過多!!

 

山田神社には境内に春日大社より勧請された春日神社があるのでもしかしたらそちらの社殿に使用されていたものかもしれませんがちょっと情報が無くてわかりませんでした

 

というかこちらはいわば県立市立、つまり公立神社と言ってもよいでしょう、皇祖神に御無礼ですが、天照大御神も後から主祭神に祀られていることから旧尾張藩と徳川家の神社と言っても良いでしょう

 

それがなぜ大神神社から久延彦様を勧請?!

 

...なぜだ? なぜなのだ?

 

ちなみに東海地区のマップで久延彦神社と打つとぐるり三輪山へと飛ばされてしまいましてw そして名古屋や愛知と久延彦神社でキーワード検索しても当社しか結果に出て来ません

 

というか久延毘古命を祀る神社としては他に石川県の能登くらいでしょうか、、、能登?! しかも久延毘古のクエは久江であり、最初に久江(能登)に定住した住民が五穀豊穣祈願神とせ祀ったとされていてしかも式内社である、つまり平安期よりも前から祀られている

 

大神神社の久延彦神社は神代から祀られているというのですが、三輪山から能登へと移り住んだ人々が祀ったのでしょうか、或いはその逆の可能性もゼロではなかったり?

 

いずれにしてもしつこいようですが、やっぱりなぜ尾陽神社が久延毘古命を勧請したのかについてが気になりますね、大須大神神社と何か関係があったりするのか無いのか...

 

境内左手にはもうどう見てもお稲荷様ですね、その右手にも境内社が並びます
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お稲荷様は永世稲荷神社、鳥居の手前から凄い氣が社殿から押し寄せるようでゆっくりと神前へ、こちらはなんか凄いぞ、、、と気を引き締めてご挨拶

 

こちらなんと1973年に遷された徳川本邸の邸内稲荷だったのです! いや、そりゃ凄かったわけだ、だってとてもじゃないけど社殿の撮影が出来なかったくらいですからね

 

そして右手の境内社は垣に囲まれ祭壇のようになっている、こちらもやはり特有の氣が流れていて御祭神名が見えなかったのでその隙間から覗かせていただくと迦具土命を祀る秋葉神社、そしてなんと龍神社!!
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こちらもまた凄い渦を巻くような不思議な御神域となっていて龍神様の氣かと思っていたのですがそれだけではありませんね、火と水が並び祀られて渦を巻いている

 

つまり火水の陰陽!!

 

ちょっとこの境内、東は久延毘古命がおひとりで陰陽の氣を放たれており西は稲荷神の力を火水の渦で巻き上げその結界に守られた境内中央はとんでもなく朗らかな氣で満たされている

 

なーんてそういう相の知識も無い奴が思うままに言ってるだけです

 

多数の災難に遭ってきた神社ですから火防と水難避けでしょう、と思ったところでこちらの立て札を発見しました
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御器所西城、、、ここだったのかぁぁぁぁぁ! つまり平城だったそうですが濠は巡らされていたので龍神様が祀られているのは当然ですね、濠を埋めたからという可能性もありますが元々祀られていたのかもしれませんね

 

やっぱり川や濠の多い名古屋は龍神様も多い!

 

いやー、ほんと、今回は由緒も調べず参拝しているのに凄く繋がりの多い巡拝になっています

 

これまで近くの神社を巡拝してもそんなにあっちもこっちも繋がるところってあまり無かった気が(私の調べ・感じる力が弱かっただけかもしれませんが)

 

いやー、しかし名古屋の神社が持つポテンシャル恐るべし

 

さて、移動する為に最寄りの荒畑駅(もしかしたら初めて使ったかも)へと向かったら、、、な、な、な、なんだこれは!!!
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ここは山王通り(そういえば山王様ってどちらなんだろう)、幼少期は自転車で市内広範囲を走りまくっていた私は何度も通ったことがありますがこんなの無かったはず?!

 

調べてみると2008年秋にオープンした結婚式場なんですね! こんなところにこんな凄いのが建ってたとは...

 

 

さて、後述にした伊勢湾台風についてです

 

はい、問題です

 

過去大被害をもたらした台風と言えば?!

 

という大きな括りにするとかなり広くなるし地域差がさらに大きくなってしまいますね、では

 

昭和三大台風を全て述べよ!!

 

ってそんなのほとんどの人が無理ですよ(≧ε≦*)   壮年の方ならばお答え頂けるかもしれませんが

 

室戸台風枕崎台風伊勢湾台風です

 

室戸が有名なのでほか二つは霞んでしまうかもしれませんが授業でやったので聞けばなんとなく耳馴染みがあるかと思ったのですがなんと東京に来ると9割以上の人が聞いたことも無いと言ったのです

 

どこでも授業でやってると思ってたのですが私の年代ではもう東海地区だけだったようです、伊勢湾台風物語ははだしのゲンと共に授業で必ず観るアニメ映画でした

 

その後、別件ですが愛知南部へ社会見学に行った際にバスガイドさんが何か質問ありますかーって言うじゃないですか、私引っ込み思案なので絶対に黙ってる性格なんですがその時はどうにも気になったことがありました

 

車窓を見ているどの家にも必ず、軒下か二階の壁に木船がぶら下がっているのです

 

誰も何も質問しない中、気になって仕方が無かったので手を上げて聞いてみると(セールストークでしょうが)驚いた顔でその質問は初めてされました、良い質問ですね!と伊勢湾台風の教訓として必ず備えられるようになった事を教えてくださいました

 

そう、あれとあれという間に高潮がまるで津波のように押し寄せ一階は全て埋まってしまった、さらに1時間近くもその状態だったという

 

ご興味をお持ち頂いた方は是非、伊勢湾台風浸水地域のマップを画像検索して見てください、恐ろしい範囲が水没しており押し寄せた高潮は湾から木曽三川をも遡上して下流の弥富から大量の金魚や鯉が20km以上も北まで流れて着いたそうです

 

ちなみに一般的にはやはりあまりイメージが無いでしょう、災害ニュースなどでも近代では酷い高潮被害は滅多に聞きません

 

実は1959年に甚大被害を出した伊勢湾台風時の高潮の高さは気象潮で3.45m、で天文潮で3.89mと共に観測史上最大となっており、895hPa、最大風速75m/s、死者行方不明者5098名、負傷者約3万8000名という酷さでした

 

勿論この時は台風の規模、潮、そしてちょうど伊勢湾を通って海水を押し上げてきたという針路などが重なってのものですが大昔は海岸線がもっと北にあり河川の多い名古屋において水害には常に悩まされていたでしょう

 

古代より蛇信仰、龍神信仰が篤くそれは失われることなく続いている土地、つまり、龍棲まう地

 

だからこそ名古屋を龍脈とされる方が多いということなのでしょう

 

式内社 八所大明神 御器所八幡宮

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

御器所

 

そのまま読むと ごきしょ ですが奈良の御所(ごせ)と似たようなもので  ごきそ と読みます(特に難解でもなんでもないですw)

 

実は今回初めて知りましたが昔は熱田神宮神領で神祭で使われる土器を調達する場所だったのが由来なんですね

 

というわけで今回は御器所八幡宮です
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折角白山社まで来たのでその周りを、と地図検索しただけだったのでまたしても思っていたよりも規模が大きく、そして参拝者も多くてビックリしました

 

狛犬さんが特徴的で素敵です、そしてとても賑わっていて嬉しそう
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初めて来たエリアですがごく近隣の方々だけでなく車でも結構来られているくらいの八幡様がこんなところにあったんですね

 

良い、凄く良い、まさに住宅地の中の杜、鎮守様ですね
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さすがにイチゲンさんなので凄いウェルカムさは感じられませんが和やかに賑わっている人々と御祭神の穏和な氣で満ちています

 

川はありませんが石橋が中央に、元は小川が流れていたそうです
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そして左手の手水舎は、、、龍ではなく亀!!
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しかも長寿の象徴 蓑亀 です、なんか良いですね(*´ω`*)
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さて、みなさんお気付きでしょうか

 

石仏白山社にもありましたがこちらにも蕃塀があります、こちらではその色から朱塀と呼ばれているようです
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そういえばあるにはあるけど滅多に無い、なのに名古屋ではちょいちょい見かける、、、これも名古屋に多い気がする!! と調べてみたのですが後述にします

 

参拝列はこの蕃塀の所まで並んでいました、そして私が並んだ後はさらに鳥居近くまで、なんか嬉しくなってきますね

 

二の鳥居は目の覚めるような朱色、境内を包み込む杜にとても映えています

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人が多かったのと、その賑わいで油断していたのですが神前に近付くと御神威が強く社殿の写真はこちらから
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御祭神は八幡大神、八剱大神、五男三女神天児屋根命
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一説には仁明天皇の勅令により840年前後に創建され熱田神宮の鬼門守護とされたと伝わっているそうです

 

八剱大神については諸説ありまして、熱田神宮の御祭神つまり草薙剣であるとか名の通り八振の霊剣であるなどとされているのですが、実際にいくつかある八剱社の御祭神が様々なのでよく分かっていません

 

熱田神宮鎮守社としては草薙剣だと思いたい気持ちもありますが宝剱を守護する立場としては邪を避けるほどの武神軍神八柱ではないかと思われます

 

そして五男三女神、なんか他地方の神社であまり見かけない

気がするのですがこれまた名古屋では多い気がする?さすがに気の所為だろうか

 

天児屋根命祝詞の神であり中臣氏の始祖ともされています

 

うん、八幡様ってやっぱりどちらでもガッシリと構えてらっしゃるちょっと怖いけど実は優しいおじいちゃんって感じなのですが少し手前からでも奥の本殿からただならぬ圧を感じました

 

その圧から考えると、八剱大神は草薙剣なんじゃないかと勝手に想像しております(確証ゼロw)

 

主殿左手に総社宮、この地域で古くから祀られていた祠が合祀されているそうです
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さらに西側に並ぶこちらは御器所天満宮、元は北東の天神町天神山に鎮座されていたのが一村一社制度に伴いこちらへ遷座されたそうです

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その先は西参道になっています
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こちらは佐久間社、その名の通り関東から移りこちらを崇敬されていた佐久間一族を祀っているそうで、佐久間といえば信長の家臣佐久間盛政が有名でしょうか
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看板にある勝利へ神鈴を振ろうというのがこちら、必勝鉾鈴
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そ、し、て、この境内にあって空気の違う場所が主殿右手側
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そう、白龍神社ですよ、まさかこちらにも祀られているとは、名古屋どんだけ白龍様信仰篤いんだよ!! って話ですがほんと、住んでる頃は当たり前に祀られていたから離れて初めてその多さが普通では無いことに気づくんですよね
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しかもこちら、元より祀られていた龍神様に加藤清正により名古屋築城時に祀られた城内龍神社、場外龍神社を合わせ祀っており、ただ合祀というのではなく三社殿として篤く祀られています

 

やはり古来より白龍様が祀られていた、そして清正公によって城守護に龍神様が選ばれていた、やっぱり名古屋は長きにわたって龍神様への崇敬篤き土地だったのです

 

え?加藤清正といえば熊本だろうって方もいらっしゃるかもしれませんが彼は名古屋生まれ育ち、幼少期に津島、近江と移っていきますが名古屋といえば何なのか、何を大切に活かせば良いのかはちゃんと知っていたと思われます

 

ちなみにこちらにもおもかる石が2石ありましてかたや丸くもう一方はゴツゴツした隕石のような感じです

 

ちょっと調べてみたのですが、検索で一番出てくるのは伏見大社稲荷でしたがおもかる石(重軽石)の起源というのは石占いが元だろうとは言われているのですがその年代や創始はわかりませんでした

 

白龍様の前がこちら、水の恵に感謝し長寿を祈る神石と吉幸水で遥拝として磐長姫命が祀られています、とても珍しいですね
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さらに境内西側に境内社が並びます、五社宮は地域で古くから祀られていた摂社である村上社、州原社、八幡社、氷上社、春日社が祀られています、御祭神は不明です

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右手には二社鎮座されています

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稲荷社はよく見ると神狐様の存在感が凄いのですが決して厳しくはなく稲荷神を守りつつ静かに参拝者と地域を見守ってくださっています
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左手は地域の出征者を偲び感謝する英霊社、鎮魂のため仏像が並んでいますね

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六社宮の左手、実はパッと見で縁結びなのねーと失礼ながらスルーしようとしてしまいました、まぁ御縁は万事に通ずるわけですがどうしても真っ先に思いつくのは 出会い でして、ほら、色事に注意せよという二連続のおみくじがあったものでw

 

と背を向けた時、なんでしょう、何が過ぎったのかもわかりませんが何故か戻ったんです、いや、美しいですね、良縁・縁結びのみとおし石と書かれています

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神門を支えていた石だという、その神門は崩れてしまったのでしょうか焼失してしまったのでしょうか、にしても凄く大切に祀られていますね、なんだか凄く和やかな気持ちになるのは幸せな、幸せを願う皆さんを見守る温かい心が宿っているからでしょうか

 

これがどっこい、調べてビックリなんですが、というかよく分からなかったのですが公式HPには「御本社にお祀りされている菊理媛命さまは、、、」という説明が

 

んっ?! 御本社というのは本殿の事だろうか、普通はそのお社であれば当社と書くでしょうし、そもそもこちらは新門を支えていたという石であって社ではない、でも御神体とされたのであればこちらに宿られ(祀られ)ていても不思議はありません

 

実は私、この由緒板で右列と隙間が空いているので左は境内社の神々が書かれていると思っていたのですが白龍神稲荷大神も書かれていないということは境内社の神々はこちらには書かれていない?!
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つまり、本殿には天照大御神、彌豆波能女命、菊理媛命木花咲耶姫命、山王大神、高蔵大神、熊野大神も合祀されていることになります

 

つまりはこちらも一村一社に従って合祀された各地の御祭神なのでしょうか、ちょっと後半が手書きなのはやむないとして

熊野大神だけちょっと雑でしかも色落ちが凄いのだけ気になりますが(ボソッ)

 

そしておっそいのですが今更気づきました...こちらは八所明神 御器所八幡宮、そう、八所明神なんです

 

由緒板後半に書かれていたのは右列が四柱、五男三女であることを考えると十一柱と数が合わないどころかそもそも 所 ではありません、そして左列に並ぶ御祭神は七柱、当八幡宮を合わせれば八所になるんです!!

 

あぁ、そういうことだったのか!! なんで後半が後から遷座合祀されたかのように手書きになっていくんですかぁぁぁw←人のせいにするな

 

改めてHPの御由緒を読む限りは八所大明神と尊称された由来は書かれておらず、1441年の棟札にこの尊称書かれているのが初出のようです

 

ということは一村一社、つまり明治の合祀令よりもかなり古いことから合祀されたわけでは無さそ、、、あっ!! 創建推測が840年前後とされるということは!!

 

延喜式神名帳の一覧を調べてみるとしっかり御器所八幡宮が載っていました!!  そして属する愛智郡には34座が記載されている、その中を確認していくといろいろ紐解けました!

 

こちらの八所ではありませんが八剱宮を発見(ダジャレではありません)、やはり洲崎神社での八剱宮御祭神は熱田大神つまり草薙剣でした

 

そしてこちらの氷上大神は宮簀媛命、高蔵大神は高倉下命と分かりましたが唯一、菊理媛命を祀る神社だけがわかりませんでした

 

つまり、御器所八幡宮は総ではありませんがその下の神社にそれぞれのエリアを纏める〇所宮がいろいろあったとしても不思議はない、つまり分霊を迎え配祀されており当社を参拝すれば他7社も併せ参拝したことになるという場所だったのでしょう

 

まさかこんな複雑に調べることになるとは思いもしていませんでしたが、これにはしっかりとした意味がありました

 

そう、高倉下命です

 

もう情報を詰め込み過ぎていて、あれ?なんか土地に馴染みの無いでも物凄く記憶に残っている神名だぞ、、、と思い調べてみるとそうですよ! 神武天皇の元へ布都御魂を献上したのは高倉下です!!

 

そして全然見てなかった!! 高倉下は尾張連、つまり尾張国造です

 

まさかの、洲崎神社の御祭神で謎だった石神、布都御魂と思いっきり繋がりました!! なぜあの時に高倉下が尾張国造だと気づかなかったのだろう!!

 

まさか、、、布都御魂は一時的にでも熱田神宮とか洲崎神社に祀られた事があったとか、、、草薙剣と何か関係があったとか、、、?! まぁこれはもう都市伝説とかどんどんかけ離れるのでやめておきましょう(*´ω`*)

 

凄く長くなりましたが最後の境内社です

 

先程の境内社を囲む玉垣と舞殿の隙間という謎の位置に祀られているのがこちら、稚児社で御祭神は本社と同じ八幡大神

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本殿は本殿であるものの特に地域の子供達の安寧を守るためのお社だそうでその神社により御祭神は主祭神と同じであったり御利益に合った御祭神になっているそうです

 

と、いうわけですっごい神社でした!!

 

いやー、冒頭にも書きましたが白山社の近くで地図検索して選んだだけだったのでここまでの規模だとは、そして調べるとここまで深掘りが繋がるとは思ってもいませんでした

 

菊理媛命はどちらから、という謎はありますが改めて由緒板の社員を眺めていたら、手書きの三柱を除くと八柱で八所と言えなくもないですね(。-_-。)  そもそも印字か手書きか、八所なのに元から祭神名が抜けていたとも思えません

 

由来が棟札だけだというのでもしかしたらこうだろうと特定していたのが研究や資料の発見によって新たに本来の配神名が判明して手書きされた可能性も考えられます

 

っていうか多くの神社が式内社を名乗るのにこちらは全く触れていないところがまたなんとも言えず、そんな事しなくても地元の人を守り崇敬されているからそれでいいんだよ、というお気持ちにも感じられてなんかいいな、って勝手に妄想(*´ω`*)

 

 

もう一社とてのんびりと書く事が出来ないという異常事態、そりゃ巡拝で物凄い精神力を使い果たしたと感じたわけだ(普段手抜きというわけじゃないですよ!w)

 

神社では物凄く御神威を頂けます、だから心身が浄化され不思議と力が漲りますが御神氣当たりと勝手に名付けている、所謂効果が強すぎてしまう状態というのもあるんです

 

でもそれはとっても有難い事、物凄く充実した巡拝だったと感じたのはやっぱりそれだけの理由があったのです(*´ω`*)

 

ちなみに徒歩1分のところにどう見ても目を引くこちら
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御器所東城跡だそうで二重の堀を持つ平城があったそうでこの北西には佐久間氏の居城だった御器所西城があったそうです
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さて、蕃塀について(忘れてなかった)(というか実はいつも内容を忘れぬよう 後述 って言いながらスグにその時に末尾の方に書きあげてあるのですw)

 

詳しく調べられてる方がいらっしゃって、正式には神宮のだけを蕃塀と呼びそれ以外の神社のものは不浄門とか透垣と呼ばれその意味は不浄避け、外(入口)から神様を直視しないように、などと言われています

 

ちなみに沖縄の古民家にもほぼ必ずと言って良いほどありまして、そちらは屏風(ヒンプン)と呼ばれていて中国から伝わったのではないかとされているそうです

 

琉球古民家は門の正面に魔を避けるヒンプンがありさらにその上、屋根上の真ん中からシーサーが睨みを効かすというガッチリとした魔除けになっています

 

一部では出入りする時に男性と女性でヒンプンの右左どちらを通るかが決まっていたりとやはりまじない(祭祀)的な要素がありますね

 

琉球は海人の島、祭祀の島、神の島

 

一説では高天原は沖縄の事だったのではないかとされており、実際に神武天皇の出生にまつわる場所があったりもするのです

 

琉球は龍宮でもある、龍の多い沖縄、龍の多い名古屋、ヒンプンのある沖縄、蕃塀の多い名古屋、顔が濃いうちなーぢらの沖縄、琉球の血は入っていないのにうちなーんちゅからうちなーんちと間違えられることもある濃い顔のわたし、何か繋がりがあったりなかったり?

 

なんて軽口を残して次の神社へ~

 

名古屋大須 幸せの杜 三輪神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

本日はこちら、三輪神社です
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白山神社の後に母親と合流して元旦の大須を楽しんだので上前津駅から地下鉄に乗ろうとしたのですがまだ夕方まで時間もあるので散歩がてら栄へ向かうことにしました

 

二駅ありますがぶらぶら歩いていくとすぐなんです

 

と、、、えっ、神社?!
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あぁぁっ!!  予定を変更したので完全に位置関係が頭から消えていましたが元々この日は柳里神社→白龍神社→須崎神社→松原緑地→三輪神社→若宮八幡宮と巡拝するつもりだったのです

 

これは絶対に意味があるはずだ、ということで参拝(*^^*)

 

いやー賑わってますね、さすが縁結びの神様(*´ω`*)

 

ちなみになんと有難い事か鳥居が三輪鳥居とも呼ばれる三ツ鳥居になっていまして大神神社では垣奥にありますがこちらでは茅の輪潜りと同じ方式で中央から左右左と潜ってから参拝すれば御利益三倍!とされていますw

 

いやはや、参拝の時にちょっとだけ「潜れるじゃん!」と思ったのですがあの三輪山の三ツ鳥居を思うと恐れ多くて中央を潜らせて頂くだけで十分有難いと潜らなかったんです、、、そういう直感には従うべきですね(と言ってもさすがに茅の輪と同じように潜ろうとまでは思いつかなかったと思いますがw)

 

ちょっと!! 兎が壺から手水を注いでいるとか可愛過ぎ

んか?!

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ちょっと調べてみると大国主と大物主は同神であり因幡の白兎に因んでいるとたくさんの検索結果が出てきました
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いやはや、勝手に考察のせいで大物主=味耜高彦根と考えてしまいます、あまり良くないですね(_ _ )  大物主は大国主の荒御魂とされ、、、ちょっと待ってよ? 何か違和感が、こういう違和感にはすぐに従うべき

 

調べてみると崇神天皇8年(紀元前90年)、大物主神からのお告げにより子孫である大田田根子を斎主として御祭神を篤く祀ったことで疫病が収まったその日が卯の日だったため、卯の日神事と呼ばれ2000年を経た今でも大切に執り行われている神事となっているそうです

 

そして大神神社のHPでも記事(記載)によっても違いますがうさぎとの御縁は卯日神事であり、因幡の白兎についてはそれも踏まえていたかもしれません、というトーンです

 

 

それではご挨拶、御祭神は大物主神、配祀に徳川義宜

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はて、義宣公? 調べてみると当社が尾張徳川家より崇敬篤かった事から大正12年に16代尾張藩主が合祀されたそうですが幼少だった為に実際は父が執政を行い、倒幕後は徳川宗家次期当主候補にもなったそうですが名古屋藩初代知事として病により夭折、御歳18歳というからなんともやり切れないですね…

 

最後の藩主、初代知事として若くして亡くなった義宣公が祀られたのがわかる気がします
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境内右手前の社務所はかなり人だかりですが右奥の境内社側は全然人が居ません、と、今気づきましたが灯篭の元に白うさぎが供えられていますね(*´ω`*)
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こちらの幸宮社は迦具土命を祀る秋葉社素戔嗚命を祀る津島社、そして猿田彦社です

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そしてこちらは、、、白龍社!?
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なんとこちらにも龍神様が、白龍様が祀られていました

 

名古屋は中日ドラゴンズで青い龍のイメージがあるのですが各地で祀られている龍神様は白龍様が圧倒的な気がします

 

そしてこれは大神神社を参拝した時にも学びました、大物主大神には蛇として顕現されたという伝承もあり、大神系神社では 巳さん として親しまれているそうです

 

はて、隣の矢と的は? こちらは尾張藩矢場跡で矢場町の由来となっている、、、知らなかった!!

 

そしてこちら、福光稲荷社
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なんとも素敵な神狐さん、御神威は強いけれどとってもウェルカムな雰囲気が両立されている(*´ω`*)
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そういえば狛犬と神狐ではそもそも意味合いが異なるのですが稲、鍵、巻物、宝珠ではないパターンの多くは狛犬と同じ造りで置かれることが多いので気付きました

 

多くの狛犬は向かって右が口を開いていて左は口を閉じている、これは本来双方とも口を閉じていた(開いていた)ものに阿吽の思想が取り込まれたものだと考えられており、古い物にはさらに吽形には角がありました(双方にある場合も)

 

さらに現代は右雄左雌とされていますが本来は性別無関係(共に雄)だったとされており、そのあたりは諸説入り乱れている感じです

 

ちなみに沖縄のシーサーもまた現代では右が雄で左が雌とされていますが昔は逆だったそうです、さらに古来は門の左右ではなく屋根の上の真ん中に一体だけだったそうです

 

いやー、偶然ながら参拝出来て良かった(*´ω`*) 元旦とあって結構多くの方々で賑わっており、特に縁結びとして若い方がとても多く活気のある境内でした

 

元々は静かな境内でしっかり感じて参拝したい派なのですがこういう時は賑わっていた方が有難いですね、神様も凄く嬉しそうでとっても柔らかい雰囲気になっている気がします(*´ω`*)

 

 

さて、御由緒検索!

 

1570~72年、奈良桜井三輪町から当地へ移った牧若狭守長清が故郷の三輪山より大物主神を勧請されたそうです、以上

 

...短いっwww

 

という事で牧長清について調べてみましたら主君織田信長とありました、そっか1570年ってその頃か!! しかもなんと父は信長公の叔母を妻としており長清もまた信長公の妹 おとく を娶っているという織田家との繋がりの強さ!!

 

そしてこの辺りには小林城があり父が城主だったそうです

 

...以上!!

 

 

いや、もうちょっと何か下さいm(*_ _)m

 

...無い

 

と諦めかけたその時、待てよ? 父だ、父!!  ということで巻き長義を調べてみると小林城主でありながら情報は生没年すらわからず、ただ斯波義統の子であるという説がある

 

斯波氏は尾張守護のほか越前、陸奥、出羽などを治めていたようですが大和が無い、、、となると由緒にある長清が移り住んだ時に故郷の三輪山から勧請したという話と辻褄が合わなくなる

 

例え一時三輪に居たとしてもそれは故郷ともいわないし戻る事を移り住むとは言わない、念の為母である信長の叔母の父(ややこしい)織田信定について調べてみたけれど津島を納めていたようだ

 

これはもう単なる由緒間違いとしたいところですが城主の息子であり信長の妹を娶っており小林城下(内?)に祀られているのだから疑うにはちょっと難しい

 

となるともはや養子として牧家に来たと考える他にない、城主とはいえその息子に織田家当主が娘を嫁がせるだろうか

 

これ以上は資料が出て来なさすぎてむーりー(´;ω;`)

 

少なくとも、何かある、ということだけはわかりました

 

 

この後、栄へ向かって歩いていたのですがなんかお腹減ってきた、そりゃそうだ巡拝に出る前、つまり朝にパパっと食べてからなんも食べてない!!

 

そこでふと信号待ちで気付いたお店に入ることにしたのがこちら、ひとり焼肉の焼肉ダイナマイト!!
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おかん連れて入る店じゃないwww けど大丈夫、肉をあまり食べないおかんは朝食べたので夜まで要らんと言うのでビビンバをw

 

折角名古屋なのにチェーン系の焼肉かよ!というのもあったのですが実は前日から無性に焼肉が食べたいと思っていて、さらに実はひとり焼肉(隣におかん居るけど)って初めてだったんです!

 

じゃん!! 上カルビハラミ定食!!
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えっ、リーズナブルなのにお肉の質良くない?!
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ツラミもめっちゃ美味くてコスパ良すぎん? えっ?
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うっ、、、うんめぇ、、、あれ? ひとり焼肉ってこんなん?!?!
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最も驚いたのはご飯! こういう店にありがちな、量があればいいんだろ的な大量に炊いてカピカピにならないようにしたちょっとベチャッとしたご飯ではなくしっかり炊きたてのような丁度良い具合のご飯!!

 

これらにビビンバで約2300円だからすげーな。。。正直、お腹減ってるし安くて肉ならなんでもいいやって感じで入ったから全部が美味くてびっくりした

 

調べてみたらこちら、このビルの上にある人気焼肉店が1階をひとり焼肉店舗にしたらしく上質な和牛なのにリーズナブルさを実現出来ているんだそうです

 

いやー、偶然だったけどめっちゃ良い店を選んでた!!

 

 

さぁ帰るか~と歩いていき、特に何もないこれから降りようという地下鉄出口の横からこんなアングルなのに何故か撮っておくか、とスマホを取り出しカシャッ
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撮るならもうちょっと拘りたい(下手の横好き)のになんでこんな適当に写真撮ったんだ?とも思いつつ、じゃぁ帰るかと階段へ向かう、スマホをポケットに入れ階段を降りようとしたその時

 

ぶっぶぶー

 

特になんでもない通知バイブだったし帰省中は基本的にスマホ放ったらかしだったので後で見ようと思ったのにこの時は何故かすぐに一度手を離したスマホをポケットから取る

 

その通知は地震アプリからのもので最大震度7と表示されている、そしてP波の波形が北からどんどん名古屋へと迫りS波の波形もそれに続いて追ってくる

 

階段を降りかけたおかんを戻して出口横の壁に捕まらせ頭上からの落下物の危険性を確認

 

すぐに小刻みな揺れ、続いて気持ちの悪いゆったりとした波のような揺れが始まった、、、その波は徐々に大きくゆーらゆらとまるで筏に乗っているような感じだった

 

あかん、これはあかん

 

名古屋の震度は4、別に周りのビルも揺れてないしなんなら僅かに歩いている人は特に気付いてもいない雰囲気、兵庫県南部地震の時も名古屋は4だった(と記憶していたのだけど調べると3になっている)けれどあの時とは全く揺れ方が違う、そして東京で経験した東北太平洋地震の5強ともまた違う

 

なんとも気持ちの悪いガタガタではなくゆーらゆらとした揺れは初めての経験だったのですがつい最近の報道で能登沖地震はふたつの断層が立て続けにズレた地震でとても特徴的な揺れだったことが分かった

 

恐らくあの写真を撮ってなかったら通知にも気付かないまま階段を降りていただろう、あのぐわんぐわんした揺れでは自分はまだしも先を歩いていたおかんは立ちくらみと勘違いして階段から落ちていたかもしれない

 

名古屋の震度は3~4だったので緊急速報は最初鳴らず、揺れがいちばん大きくなった頃に漸く鳴ったのでした

 

普段から地震情報には結構気を配ってはいますが改めて速報よりも通知の速いアプリの有難みを感じると共に関東も東海も既に今日明日、いや、今大地震が襲っても全く不思議では無い時期に入っている

 

歩いている時、寝ている時、トイレ、風呂、、、今発生したら何をすべきか、例え小さな震度の地震であっても普段からどれだけシミュレーションをしておくかが落ち着いた行動に繋がる事を再認識しました

 

阪神以降、被災の映像や写真は出来る限り目を通しておくようになりました、その時自分の居る場所にどれだけのリスクがあるのかを知っておかないといざその時どういう行動が優先されるかが全然違うからです

 

その時どこに居て何をしているかというのはもはや運でしかありませんが、事前予測と心の準備があるかないかだけが自分で自分や家族の運命を左右出来る手段だと思います

 

 

 

 

 

白山さま 大須白山神社と石仏白山社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

本日はこちら、大須白山神社です
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予定二社は諦めてさぁ母親と合流するため大須観音へ向かうかーと歩き始めてすぐの事

 

......嘘やん
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地図に出てなかったというか気付いていなかったというか、それもそのはず、予定の神社へ向かうはずだったルートと違うからか!

 

まぁ予定を削ったから若干余裕はあるけど、まぁ多少遅れてもおかんだからいっか← ということで信号待ちの間に参拝決定

 

信号を渡ると、、、嘘やん、白山神社 Σ(゚д゚;)
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社名を見た瞬間に マジか と声に出てしまいました

 

実はこの日、元旦深夜に私のブログとしては珍しくもコメントを頂いておりまして、それが菊理媛神に関するものでした

 

松原緑地から大須観音のルートを調べたついでにメールチェックをしてコメントを確認、とっても有難いけれどこれから歩くから返信は夜にさせていただこう、と歩き始めて1分ほどで真正面に現れた神社が白山神社とかもう驚きでしかありません

 

石鳥居を潜ると直ぐに二の鳥居、こちらは塗り直されたのかとっても鮮やかな朱色で道路の反対よりもさらに手前からでもハッキリと見えていてまるでこっちが前に建っていたかのように美しい
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この鳥居を潜った途端、一気に空気感が変わる

 

うわっ、、、想像していたより、といっても突然出会ったので想像も何もありませんが、ガチガチビシビシに氣を感じる

 

白山さんは私が長く暮らした地元の氏神様でしたから、神様に対して無礼ではありますがククリヒメ様はお姉ちゃん的な存在として捉えていますので思いっきり和やかな気持ちで足を踏み入れました

 

が、この圧、、、!!

 

空を見上げ、深く息を吸い、ゆっくりと吐く

 

よし、定まった

 

拝殿前に立つまでの一歩一歩がやや重い、そして社殿の雰囲気に圧倒される

 

いや、勿論しっかりとして立派なんですがよくある普通の社殿なんです、でも奥から流れてくる氣の重厚感が凄い

 

上述の流れを報告しつつ、このタイミングでこうしてご挨拶させて頂けた事に感謝を伝え参道へと振り返ってふーと空を見上げる

 

あぁ、なんて素晴らしいんだ、、、とそこで気付きました、先程までの圧が弱くなってる? まだ少し重厚感はあるけれど急に柔らかくなってる?!

 

おや? おやや? 境内を見回すと社殿右手には井戸でしょうか
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と参拝者さんがいらっしゃったので境内左手の方へ、こちらは右側に社殿があって左手は結構広い公園になっています

 

あっ、気付いてなかった、奥に境内社が鎮座されていま、、、
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(*°ㅁ°)ハッ‼  なんと真後ろに繋がっているだろうと思っていた本殿はやや小高くなったところ、拝殿との間がちょっと長めで登りになっている
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.....................もしやこちらも古墳?!?!

 

もう一度深呼吸をして近付いていきます

 

あ、あれ??? 近付けば近づくほど重厚感が消えていき、もの凄い温かさに包まれていく、心がどんどん穏やかになっていく
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なんだろう、なんか急に様々な感情が一瞬で噴き出して、そのどれかをひとつひとつ考えるという間もないくらいに一気にぐちゃぐちゃに噴き出して、でも凄い安心感で涙が目に浮かぶ

 

あれ? 私、ここ、来たことあった? いや、でも絶対とは言えないけれど、もしかしたら自転車で市内広範囲を走り回っていた幼少期に目の前を通り過ぎた事はあったのかもしれないけれど、でもそんな頃にわざわざ自転車を停めて境内に入ったりするかな?

 

全く記憶に無いのですが、まるで凄く久しぶりに氏神様へと挨拶したかのような気持ちになったのです

 

でもすぐに気付きます、いや、だってさっきまで全然重厚感の強い、圧 とまで言うくらいに緊張していたじゃないか、なんでそんな急に?

 

改めて見回すけれど境内のどこも記憶を呼び覚ませるものは無い

 

とにかく、ありがとう、という言葉しか出てこなくなりましたが、その時の私の目線がこちら、この写真、とっても気に入っています
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いやー、、、びっくりした

 

もうこの後はずっと、昔懐かしい里帰りの雰囲気でめちゃめちゃに居心地の良い境内になり、ふら、ふら、と空を見あげたり社殿を眺めたり木を見上げたりとゆっくりしていました

 

今どのへん?と送ったのにおかんからは返事が全然来なかったのでさらにの~んびりしてましたw

 

境内社日吉社、御祭神は素戔嗚命ですね
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む? もしかして日吉社の居心地が良かったとかっってこと? と再び拝殿前に立ってみたのですが最初とは全く違って凄く穏やかな氣に包まれている

 

こちらでゆっくりしている間、三組ほど参拝者さんがいらっしゃったのですが皆さんご近所の方という雰囲気

 

もしかしたら、滅多に余所者なんて来ないから最初は警戒されていたのか、それともただ自分側が参拝をする事で御神威の強さに馴染んだのだろうか

 

特に御神木にはなっていないけれど凄く優しい氣に満ちた木
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特に垣でもなく石が置かれているな、と目を向けた先のひとつ
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な、なにこれ?!

 

最初は根が石を避けてというか取り込んで育ったのかと思ったのですがさざれ石? でもよく見ると上部が加工されているっぽいので砂利コンクリートでしょうかね

 

でもなぜこんな目立たない、というか参道側からは見えない位置に何の意味があって設置されたのだろう、、、とさらに見ていたのですがやっぱりこれ、自然のさざれ石じゃないですかね?

 

造成したにしては形に相対性が無いし木の根元に近過ぎる、外側の石達の下にも流れこむようになっているし、、、うん、でもやっぱり謎だ

 

 

いやー、なんかねー、もう、出会うべくして出会ったんだろうな、と思いたくなるほど素晴らしい神社さんでした(*´ω`*)

 

で、調べてみたのですがやっぱり情報が少ないですね

 

創建年も古墳かどうかもわかりませんが一番古いのがこの周辺で起きた大火により社伝などが失われたという1724年の記録ですが産土神として祀られていたというので結構古いのかもしれません、また鎌倉期の創建ともされていますがその根拠は見当たりませんでした

 

日吉社は江戸期に遷座されたそうでそれまでは山王社と呼ばれていたようです

 

うーん、、、結局何もわからなかった( ノ∀`)タハー

 

でも良いんです、ここで感じられた事は恐らくずーっと記憶に残ると思います

 

 

と、いうわけで

 

翌日やって参りました私が姉神様と慕う石仏白山社
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いっつも見上げていた本殿のお背中、、、そういえばここは坂道になっているので参道側は平面なのに本殿周りは道から高さ3~4mくらいの高さまでガッチリとした石垣で囲まれています

 

いや、でもさすがにここは古墳ではないでしょう

 

前日の大須白山神社での感覚が蘇ってもうこの時点でちょっと涙がポロポロ

 

勿論こちらでは圧も何も無く絶対的な安心感の塊、ほんと帰省です、心の故郷です

 

意外な事に結構次々と参拝者がやって来ていて嬉しくなりますね、宮司さんと崇敬会の方が拝殿前で元気におで迎えくださってました(*´ω`*)
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参拝を済ませると脇から境内の奥へ、皆さんが境内社にご挨拶なさっている脇を抜けて本殿の真裏へ上がっていくおっさんはさぞ不思議な存在だったことでしょうw

 

幼稚園小学生くらいの頃はほんとここが好きでした

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帰っておかんにその話をしたら、あの頃友達と遊ぶ以外に一人で良く出かけてて一体どこに行ってるかと思ってた謎が今になって解けたと言われましたw

 

いや、そこまでしょっちゅう行ってたわけじゃないからw

 

そしておみくじを引いたら!! さすがに三連続で色事注意とは書かれておらず安心w でもやっぱり姉様ですね、全体的にちょっと甘やかしのような優しい言葉が並んでいましたw

 

なんの変哲もない手水舎ですがお水の揺らめきが綺麗だったので写真を撮っておいたらなんと青い反射が背中に重なって輝く鱗みたいになってました!!

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まぁ今の時代、全国にそれぞれの地神様が祀られており、崇敬心であったり移住であったりその理由は様々、特に城下なんかだと大名などが武家屋敷に祀りそのまま残るケースもあるのですが名古屋って結構白山社が多い気がします

 

白山信仰の総本社は加賀の白山比咩神社ですがその実というのはなかなかに謎が多いのです

 

そもそも白山信仰はその名の通り福井石川岐阜に跨る白山を御神体とした山岳信仰で加賀越前美濃の三箇所に設けられた馬場からそれぞれの禅定道を通り白山を登拝するものでした

 

717年に天空の貴女よりお告げを受けた僧が登拝を果たしたのが始まりとされており、普通に考えると移行の神仏分離廃仏毀釈により神社となったと思いがちですが実は白山比咩神社の創建は紀元前だと伝わっている、しかもその時から姫とされているのです

 

総本宮の御祭神は菊理媛命伊邪那岐命伊邪那美命の三柱ですがその社により菊理媛のみ、菊理媛と伊邪那美、な違いがありますが菊理媛が祀られていないケースは稀でしょう、あとは白山大神、白山比咩大神の名で祀られています

 

ざっくり言うとイザナギイザナミが黄泉比良坂で言い争いになっているところに現れ仲を取り持ちます、これによってイザナギは無事戻ることが出来たのでククリヒメが居なければ今の世の中は全く別のものになっていたでしょう

 

でもそんなに重要な女神でありながらこのワンシーンでしか登場しないのは不自然だから隠されているという説もありますが記紀には名前が変わるどころでなく素性も朧気で突然登場して以降出てこない神は数多く存在します

 

黄泉比良坂はあの世とこの世を繋ぐ坂ですからそこに現れたククリヒメは死者と生者を繋ぐ存在だとされ大巫女、イタコの祖先であるとされています、つまり霊山に祀る神としては最適であるとも思えますが黄泉の国のイメージとしては記紀の頃から地下世界を思われているのでなぜ山に祀ったのか

 

そもそも記紀のイメージが逆で実は山の上だったのか、天国と地獄のイメージからしてもやはり上の方が良いですけどね

 

多くの方が気になっているのは、ククリヒメがイザナギに何かを言い、それを聞いたイザナギが褒めたというシーンでしょう

 

何を言ったのか、その後の行動からもそれが何だったのか全くわからないのです、そんなことあります?! 物凄い匂わせですねw

 

あくまでも書かれている事だけで妄想すると、ククリヒメには言霊、呪(しゅ)を操る力があったということを示している、つまりは巫女神の祖であると考えることが出来るわけです

 

...が、やっぱり謎の存在である事には変わりがありませんw

 

一説には、白山は命の源であり水の源でもあることからククリヒメ=セオリツヒメであるというものがあります

 

ちょっと無理矢理な話のようにも思えますが共に水に関連しておりつまりは龍神と同一視される、でもククリヒメは龍神では、、、待って!?

 

今調べると石仏白山社の例祭は7月末なんですよね、、、でも私の記憶では6月30日ー7月1日の二日間で龍神祭りが開催されていた記憶があるんです、、、まさか一ヶ月間違えて覚えていたのかな、、、っていうか今では龍神とも書かれていない

 

これは一体。。。

 

さて、結局以前と同じで色々調べてはみたのですが様々な解釈あれど如何せん元となる資料の少なさ故に何も分からないという結果になってしまいました、、、無念

 

ただ、ホツマツタエという資料にはカミムスビと結婚し北陸の根国を治めており、アマテラスの叔母であり産湯に浸からせたという記述があるそうなのです

 

神代文字で書かれているということは記紀よりも古く、本当に古代に書かれたものであるとすれば記紀よりも信頼性が高くなってきます

 

記紀ではイザナギイザナミ以前に夫婦神が存在しませんのでカミムスビに妻は居ませんがホツマツタエ通りであるとするならばスクナヒコナの母でもある可能性があります

 

生み出す神であるカミムスビ、生と死の命を司るククリヒメ、その間に生まれた御子のひと柱が医術の神とされるスクナヒコナだとしたら、、、流れは通じます

 

瀬織津姫が大好きな私としては、僅かな記述のみしか描かれないククリヒメと祓詞にしかその名が伝わらない瀬織津姫が禊を司る同神であるとちょっとワクワクしますけどね(*´ω`*)

 

ただ難しいのは、私は白山信仰廃仏毀釈の流れでククリヒメを祭神にしたと思っていたのですが山岳信仰よりも前から女神を祀っていたとすると全く話が変わってきますが、女神が導いた霊山であるならば同じとも言えますね

 

と、うだうだ言葉を連ねてきましたが何もわからずただグダっただけになってしまいましたが、やっぱり私にとっては人生において最も大切で最も見守っていただいた神様ということで大切な存在であります

 

今後、、、といってもなかなか難しいでしょうけれど、新たな考察や資料が発見される事を切に願いつつ、そうでなくとも私は大切に崇敬し続けます(*´ω`*)

 

あっ、忘れてた!!

 

名古屋に白山系がやや多い気がするので調べてみました

 

なんと最も白山神社が多いのは岐阜県!  続いて福井、新潟、愛知、石川は5番目です

 

石川は意外な気もしますが至極当然でしょう、だって総本社があるんですからあちこちに分社する必要が無いんです

 

三箇所の馬場の中で岐阜が一番である理由も想像に易く、当時の中心である奈良京都から白山を目指すのに湖北から越前加賀へ回って下りてくる来るよりも東海道をそのまま進んで真っ直ぐ向かう方が便利だったのではないでしょうか

 

また東海道方面から向かうにしてもちゃんと馬場から禅定道を進むのであれば美濃ルートということになります、そして美濃から近く人が多く住む場所だからこそ名古屋に白山神社が多いということですね

 

石川より多いとは思いませんでしたがw

 

というわけで、名古屋に白山社が多い気がするのは正しかった!!
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...以上ですw

 

雲龍神社跡地 松原緑地と勝手に考察

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

さて、この後は二社巡拝した上で母親と大須で合流の予定だったのですが想定外に白龍神社の混雑と洲崎神社の規模&居心地の良さだったので諦めて真っ直ぐ大須へと向かうことに

 

と言いっつ一箇所、洲崎神社から少し南へ行ったところ

 

松原緑地です
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って、えぇ?! いや、素晴らしい御神木なのですが柵に覆われていて中に入れないんですけどw って笑えないくらいに雰囲気が凄い

 

写真の通り快晴で風もあまり無く過ごしやすい長閑な住宅街なのですがある意味 異様 と言えるほどの圧がある

 

手前にはY字のこちらも大きな木が生えておりその脇には石道が敷かれている、その先には...巨木にしては手前の木の方が枝葉が多い?
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ズームにしてみると祭壇のような石組みと真っ二つに割れた、いや、中が空洞になった巨木の跡がありました、、、枯れてる?!
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案内によるとこちらは「くすのきさん」と呼ばれ親しまれてきた巨木で空襲によって中央が抉り焼けてしまったにも関わらず根元から枝を生やしこうして青々しく復活を遂げたのだそうです

 

焼けた巨木を取り囲むたくさんの葉は大楠のお陰で焼け逃れた或いは新たに植えられたものかと思ったのですがこの状態で根元から自力で復活しているんですか?!凄い...

 

こうして各地を巡拝していると時々雷や戦災によってこのように樹皮だけになってしまったのにしっかりと再生し生きながらえ御神木になっている木に出会いますがそれにしてもこの太さは凄い

 

そして案内を読む前にこの中心から何か重々しい氣を感じていたのは決して思い込みではないと思います、この感覚は紛れもなく過去幾度と感じてきたものと同じです

 

ここへ来た理由はマップに 雲龍神社跡地 とあったからですが柵の手前に居ながらして目が離せずしばし動けずに立ち続けたこの感覚、そしてこの少し盛り上がった丘

 

古墳じゃないですか?

 

神社跡とあった事を考えるとこの祭壇のような土台は雲龍神社お社が鎮座されていたのではないでしょうか

 

というわけで調べてみるとなかなかになかなかな内容でした

 

雲龍神社についてはあまり情報が無く、創建は鎌倉期と想定されているようですが恐らく古墳上に御神木と共に鎮座されている事を考えるとかなり古来から祠などが祀られていたのではないかと思われます

 

これまで参拝してきた白龍=白蛇ではなく雲龍となっていますが雲も白いと考えるのはちょっと無理やりかもしれませんw

 

複数の方がお調べになったようでその一説によると明治以降に祀られた神社だとされていますがやはり大須古墳群のひとつだとされているようです

 

はて、市が管理し松原緑地という名称にしており神社も既に無く(遷座はされていない模様?)にも関わらず人の立ち入りを柵で防ぎ古墳調査もせず放置されている理由とは?

 

どうもこちら、戦後にくすのきさんを伐採しようとしたらしいのですが住民からの大反対に遭ったようです

 

そりゃそうだ、ここまで焼け落ちてなお根元から新しく芽吹く樹齢千年といわれ真偽不明ながら弘法大師の手植えとか信長が戦勝祈願をしたとの伝説も残る大楠がどれだけ人々の心の支えになったことか

 

結局、神社は再興されず木の伐採をすることも出来ず、なのに松原緑地と名前をつけ中途半端な管理をされている

 

行政はなにやっとるだぎゃぁ!!たわけか!!!

 

市は樹を伐採した上で土地を売却しようとしていたそうですがさらに大うつけですね!!  みんなの想いが込められた御神木を切り倒して神社まで無くなってしまった古墳(と思われる)を一体誰が買い取って何か建てようとするでしょうか

 

マジで大うつけだわ...( ¯-¯ )

 

そんな扱いにするくらいならみんなでお金を出し合って土地を市から取り返して皆が集える本当の緑地にすれば良いのにと思うのは他人事だからでしょう、立地的にそこまでの地価ではないでしょうがそれでも結構な広さですから戦後復興の中においてそれだけのお金を出し合うのは困難だったでしょう

 

そうこうしているうちにこの状態になってしまったのでそのまま、という感じでしょうか

 

にしてもちゃんと予算を取って刈り込みなど整備はされているようですし、流れが流れなだけにゴミなどが放り投げられていても不思議ではない状態なのに空き缶ひとつ見当たらないのはおおくすさんがどれだけ愛されているか、それが若い人々まで受け継がれいるかを物語っている気がします

 

普通に目の前の公園管理と併せて毎日清掃されているだけなのかもしれませんけども

 

まぁ行政なんて、というか名古屋行政なんてそんなもんだと元市民なので思いもしますが、それにしてもこの状態だと放置になっても不思議ではないのに一応ちゃんと管理されている謎

 

これだけ時が過ぎたのならいい加減、ちょっとだけ予算を掛けて、なんなら倒木や御神木周りに安全柵を設ける程度ならば寄付を募っても集まるでしょうから鉄柵を取り去って人々が集える緑地にすれば良いのにそうしていない

 

そこには古代祭祀跡であり旧社地であり古墳上であることが何か関係しているのではないかと勘繰ってしまいます

 

そうこうしているから名古屋(尾張)は歴史が隠された地だという都市伝説考察が生まれるんですよ(なんか見た)

 

 

でも確かに、、、子供の頃は三大都市ツアーと言えば東京名古屋大阪だったのに徐々に名古屋が外れて福岡に、七大都市には名を連ねていたけれどそれも外れるケースがあって2002W杯ではその為に作った豊田スタジアムも使われずw

 

まぁ位置として中途半端だし名古屋を故郷とする我々にとっては名古屋は名古屋で西にも東にも属していないと考えているのですが関東からは関西だと言われ関西からは関西の向こうとされる非常に中途半端な存在

 

規模も歴史も観光地も東京京都大阪の足元にも及ばず、県外の方に自信を持ってオススメ出来るのは名古屋城熱田神宮名古屋港水族館くらいでしょうか...ってなるとやっぱり名古屋は関東関西の通過点なんですよね

 

まぁ仕方ないですね、こうして神社の歴史を調べて分かってきましたけど海がこの辺りまであった昔では沢山の川が流れ

氾濫も起こす土地なんて栄えていなくて当然なんで、、、す?

 

まて、松原古墳群や遺跡群があって古代祭祀があってって事は結構な歴史がある? しかも後世ですが信長の本拠であり秀吉や前田家、三河だけど家康と戦国時代の主流を生み出した土地

 

あ、そうなんです、加賀百万石の前田家は信長に命じられて治めた土地であって出身は尾張荒子なんです

 

っていうか、なぜ神代史においても特筆すべき事の無いこの地に当時でも現代でも重要な草薙剣が祀られたんだ?!

 

同等の霊剣 布都御魂 は宮中に祀られていたのが石上神宮へ遷されしかも2000年も社殿ではなく土中に埋められていた

 

皇祖神が宮中で祀られていたのに外へ出され伊勢の地に落ち着いたのは御神威の強さを恐れてのことだとされていますが、そう考えると毒家を吹き飛ばすほどの布都御魂の御神威が強過ぎてそれを鎮める為に埋めていた?

 

では草薙剣は? もう一度考えてみよう

 

あ、松原緑地から全くかけ離れた話になって行きますけど、まぁそれもこちらがキッカケということでw 諸説ありすぎて入り乱れますが整理してみます

 

スサノオが退治したヤマタノオロチの尾から産まれた剣を姉アマテラスに贈るのですが、一説には天岩戸開きで八咫鏡と共に奉じらたものでヤマタノオロチに奪われたのをスサノオが取り返したともされています

 

剣は天孫降臨でニニギへ授けられ宮中で祀られますが崇神天皇により外へ出され伊勢へと遷される、東征を命じられた日本武尊は神宮を参拝し倭姫命から草薙剣を拝領し東へ、尾張で宮簀媛に惚れて契を結び東征を成功させて戻ってきた日本武尊は大切な霊剣を宮簀媛に祀らせて都へ戻ろうとするも暴風雨で危篤となり草薙剣を偲ぶ辞世を詠み命を落とす

 

これ、やっぱり不自然ですよね

 

なぜ天孫族にとって重要な刀を神宮へ返そうとせず宮簀媛に与えたのか、しかも祀るようにと、、、

 

そもそも本体ではなく形代が与えられていたから返す必要が無かった(そもそも形代は御分霊なので本体と同等)、東征によりボロボロになってしまったから(それでも御神体)、などいろいろ考えられていますがいずれにしても神宮へ返すべきでしょう、しかも種々の苦難を乗り越えてきた武神ともあろうお方が草薙剣を手放した後に伊吹山の暴風雨で命を落とすのです

 

っと、、、これ即ち宝剱の霊力凄まじく神宮の外へ祀ることにしたということじゃないかと考察しようとしたのですが突然閃きました、洲崎神社を調べていて船玉社が普通に考えれば航海神なのに弟橘媛だと思い込んだ事が!!

 

というわけで改めて上っ面だけでなくちゃんと調べたのですが記紀だけでなく伝承や英雄譚も多く諸説入り乱れます

 

相模、千葉というキーワードに縛られていましたが弟橘媛日本武尊に同行して船に乗っており相模で暴風雨に襲われた、、、あれ?どっから乗った? っていうか尾張で宮簀媛と出会ってしばし過ごしてなかった?その後?

 

調べてみるとなんと、弟橘媛三重県の亀山出身だというではないですか、そこから船に乗っていたのか?!  となるとその後に弟橘媛同行のまま尾張で宮簀媛に恋をしてしばし過ごした事になるΣ(゚д゚;)  まぁ多妻が普通の時代っちゃ時代ですが( ̄▽ ̄;)

 

一説では日本武尊は宮簀媛への求婚は東征の後に決めたらしくだから東征後にまた戻ってきたんですね、妻が同行していたから気を使ったのかこれから戦へ向かうから帰りに妻にして連れ帰るつもりだったのか

 

駿河湾でも暴風雨に襲われた的な記述もみられますが有名なのは草薙ですね、駿河で賊に襲われ火に囲まれた中を剣で草を薙ぎ迎え火をもって無事に逃れたという剣の名前の由来となった出来事です

 

そして走水では小さい波だと小馬鹿にすると暴風雨になってしまった為に弟橘媛が身をもって救った、、、なぜわざわざ波が小さいと小馬鹿にする必要があったのか、何かが隠されている気がします

 

やがて折角尾張へ戻ってきたのですが帰ろうとしたのではなく伊吹山方面の賊退治へ向かったんですね、だから求婚はせず剣を預けていった、、、はておかしい

 

これから賊退治へ向かうのになぜ剣を置いていったのか、戻ってくる約束の印にしては既に一度戻って来ているのだからそこまでして信頼を獲得する必要は無いでしょう

 

ちょっと待って! 伊吹山の暴風雨で命を落としたんじゃなくて賊退治に向かって返り討ちに遭ってませんか?

 

そして駿河でも賊に襲われている、つまり相模でも小規模勢力だとタカを括ったら思いのほか強く妻を喪ったということなのではないか?

 

ちなみに弟橘媛は船から飛び込んで暴風雨を鎮めたということなのでそれはつまり航海の守護神、、、やっぱり船玉命として祀られていても不思議はなかったんだ!! 名古屋と亀山はとても近い!

 

日本武尊の東征は関東の制圧だったのであちこちで戦うのは当然ですが暴風雨も賊だと考えれば静岡から先全体が東征範囲だったのでしょう、でも折角帰って来て落ち着いて求婚しようとしたのに再度伊吹山の賊退治へと向かう、忙しすぎる(´;ω;`)

 

何度も命を救ってきた草薙剣を置いていったが為に命を落としたような書き方にとれるのも気になりますが彼の微妙な立場により疎まれていたことがその扱いや記述に影響したと思われます

 

また、この様な扱いを受けた日本武尊は即位していませんがその子である仲哀天皇が実在を疑われるのもこの辺りが少し影響してそうですね

 

 

結局なぜ剱を置いていったのかはわかりませんが宮簀媛は密かに守り続け晩年になって漸く身近な者だけを集めて打ち明けてから正式に祀られていくことになります

 

つまり皇室としてはヤマトタケルと共に宝剱が失われたと考えられえいた期間があるということになるでしょう、そしてどの段階で剱が守られていた事を皇室が知ったのか、さらになぜ返還させるのではなくそのまま熱田で守らせることにしたのか

 

八尺瓊勾玉は宮中で祀られその防衛はしっかりしている、八咫鏡は伊勢で祀られ猿田彦や神武東征に同行した天日別命の子孫達が守っている

 

では最もその力が強調される草薙剣がそのまま熱田で祀られた理由ははたして?

 

名古屋巡拝後半で巡った神社の考察と繋がれば尾張の謎が少しだけ見えそうな気がしてきました(*´ω`*)

 

 

いやはや、緑地だし龍神様について全く掘り下げられる情報が見つからなかったので次の神社と併せた記事にしようかと思ったのですが 行政大うつけか!! からまさかこんな方向へ行くとは思っていませんでしたw

 

なんか、、、今回の巡拝は今までと余りに違い過ぎるぞ...?

 

石神社と白龍龍壽社を祀る 洲崎神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

本日はこちら、洲崎神社です
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はい、もう幟が見えていますね、白龍龍壽社と書かれています

 

いや、違うんです! 確かに白鷹大神と白龍神社は折角の辰年だしっていう気持ちで選びましたけどこちらはマップ上では 洲崎神社(廣井天王社)となっていて龍神様だとは思わなかったんです!

 

しかもこれまた想定外な境内の広さでうわぁっとなりましたが、それでは参拝していくぅっ!!

 

まずは御祭神確認、おおっと、、、結構いらっしゃる

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主祭神素戔嗚命、うん、確かに天王ですね、がその下!!

 

稲田姫命は当然として五男三女神も祀られている!! さらに石神、布都御魂道祖神、そして猿田彦命、天鈿女命が相殿となっています

 

っと、色々と気になりますが後にしましょう

 

こちら、元旦とあって中々活気があってこの規模の神社にしては参拝客が少しまばらな気はしますが常に人が来て入れ替わる感じなので物凄く最高の状態ですかね

 

もう境内全体から滲み出ている居心地の良さが手水舎にも溢れていますが、それでも各社殿前はピシッとした氣が流れているなんともバランスの素敵な神社です
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境内東側は奥まで緑道というか杜というか遊歩道のようになっています
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参道を進むといきなり縁結びの神が祀られています
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社殿は無く磐座が祀られています、こちらは道祖神として祀られる猿田彦命天鈿女命夫妻が御祭神です

 

どうも縁結びとして参拝する場合は本殿にご挨拶し、石神にご挨拶してからこちらへお参り(お供え)するようです

 

多分私、にっこにこしてただろうなぁ、、、w どうです、この素敵な参道!! 雅楽が流れていて途中の初詣用仮社務所前からは焚き火の煙が参道に沿って流れている、その匂いがまたなんとも言えず好き(*´ω`*)
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真っ直ぐ進むと本殿です、主祭神の10柱が祀られています
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やや暗がりになるからではないでしょう、ご神職様とうかお手伝いの氏子さん達、つまりおっちゃん達のにこにこした明けましておめでとうございま~すの声、そしてこの雰囲気で和みに和んだ心が社殿前に来ると一気に締め付けられます

 

あやうく子供の頃に近所の氏神様へ遊びに来ている、つまり親戚の家にでも来ているかのように伸びやかになっていた心身をビシッと正してご挨拶

 

ちなみに社殿左右など境内各所に十二支が祀られていますので自分の干支を探して参拝することが出来ます(*´ω`*)
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社殿右手は人が多いのでその先へ、美しい木の下には...
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こちらにいらっしゃった!! 白龍龍壽社!!
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こちらもまた本殿と同じくビシッとした雰囲気で社殿内はさらにしっかりとした御神氣、まさに狐穴や蛇穴という雰囲気だと感じたのは決して勘違いではありませんでした

 

視界を遮っていた前の人たちの参拝が終わり自分の番になると目の前には沢山の蛇、特に中央には二匹の蛇が左右からとぐろを巻いて中央に宝珠を抱いている

 

あまりの雰囲気に圧倒されて写真が撮れず、そして左右まで見れなかったのですが検索すると両脇に蛇石も奉納されていました

 

完全なる蛇信仰!!

 

そう、この時はまだ蛇についてまで考えがいっておらず、白龍神社も本殿に龍神様も祀られていて奥宮はそれと別に白蛇様だと思っていたので(なぜ?とは思っていましたが)完全な蛇神様を祀る龍神様ということでここで初めて白龍神社の不思議にも気づいたのでした

 

そして本殿と白龍様の間に鎮座されているのが石神様です
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太鼓橋のようになっているところへ寝そべって小さな赤い鳥居をくぐり抜けるのだそうですが、その先に書かれているのは石神 同祖 猿田彦大神と書かれているのです

 

でもやっぱり謎が多い、やはり後で触れましょう

 

手前の方まで戻り正面左手の主鳥居から進んだところに境内社が並びます
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佛社、泰産社、弥五郎社、秋葉社、稲荷社、住吉社、船玉社
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佛社は神仏習合の名残かと思ったら大物主命が祀られている可能性もありそうです、泰産社は木花咲耶姫命が祀られるようです、弥五郎社は後で触れます、船玉社は弟橘媛命?!

 

荒れる海を鎮めるため海に身を投げて夫日本武尊を救ったとされる弟橘媛命が祀られているのは草薙剣が祀られる熱田神宮がある名古屋だからかもしれませんが、元はこの近くまでが海だったり堀川があったりさらに住吉様と並んでいること考えると普通に航海安全を司る船玉神でしょうか

 

社名を書いてくださっているだけでも有難いのですが御祭神名まで書いてくださっている神社さんの有難いこと有難いこと

 

ちなみにこちらの末社殿向かいにあるテントが固定されてしまっている普通の木、なぜかとっても優しい風を感じました(*´ω`*)
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そしてふたつの参道の間には不思議な遥拝所がここから各方角へ伊勢神宮明治神宮橿原神宮、宮城を遥拝出来るようになっています、、、みやぎ??? いや、みやしろですよねf:id:hinoki_kaonashi:20240131201340j:image

 

調べてみると きゅうじょう でしたwww  一般的に天皇のいらっしゃる皇居を指すそうで明治神宮と同じ方角ということは現皇居ですね

 

いやーーー、ほんと、柳里神社か白龍神社くらいの小さな神社を想定してきていたのでこれだけの規模でびっくりしました、そして初めて来たのに昔懐かしいほどの居心地が良くてそれにも驚きました

 

本当はこの後も二社参拝予定だったのですがこちらの規模を見た時におかんとの待ち合わせに間に合わなくなるので諦めましたw

 

さて、調べていきます!!

 

創建は860年頃と伝わっているそうです、廣井天王牛頭天王社として創建され元は栄一丁目全域が境内だったというのでとんでもない広さだったことになります

 

そして謎の相殿ですが、明治期にこの辺りの地主神を祀っていいた石神社が合祀されたのだそうですがその崇敬者も多かった事から鳥居が分けられ本殿合祀ではなく境内を分け合うようにして祀られているのだそうです

 

はて、、、それでは謎が解決出来ていません

 

そもそもイシ神社なのかイシガミ社なのか、そして道祖神猿田彦命(天鈿女命)というのも分かるのですが布都御魂は一体どちらに行かれてしまわれたのか

 

布都御魂ってそもそもタケミカヅチの刀神じゃなかったっけ?と調べてみるとやはりそうでしたがさらに、という伝承がありました

 

東征にて長髄彦に敗れた神武天皇の元へ高倉下ッが持参したのが布都御魂! そういえばそうだった!  やがて布都御魂物部氏、穂積氏の祖とされる宇摩志麻治命によって宮中で祀られ、やがて石上神宮に移され御神体となっている...物部!! っていうか石!!

 

むむむ、、、勝手に考察が頭を模たげてきましたぞ。。。

 

そうなんです、道祖神は石祠で祀られることが多いので石神社とされていても不思議はない、でもサルタヒコと共に神名を並べ、っていうかサルタヒコとするならば社名は他にいくらでもあったはずです

 

それに由緒板にしっかりと布都御魂と書かれているのにどこに祀られているのかまるで存在していないかのように書かれていない

 

というか元々地主神を祀っていたというのですが猿田彦の本拠は伊勢とされていますのでいくら海を渡ってすぐだと言っても地主神だとは思えない

 

伊勢神宮の正式参拝は現在の愛知県伊良湖岬から船で渡るので無関係とも言えないのですがでは地主神とは?

 

これはややこしくなってきた

 

では尾張氏の祖は誰か、実は天火明命(ニギハヤヒ)だとされていてかなりの力を誇っていたとされ、だからこそ宮簀媛が日本武尊の妃となるなど天皇家とも密接な関係にあったと言われています

 

ただ実は宮簀媛は伝承上の存在であって系譜には記載されていないんですよ、なのに草薙剣はしっかりと熱田神宮にあってこの辺りに物凄い違和感を感じます

 

それはおいといて、で、びっくりしました

 

尾張宿禰の末裔の中に住吉大社の社家となった津守氏や籠神社の社家になった海氏が居るのです、、、尾張氏すごない???

 

まぁさらに調べるといろいろと出てくるのですがそれは置いておきましょう、というわけでそうなって来ると住吉社がただ海運守護神として末社に祀られているだけではない可能性も出てきますし、私が勝手に勘違いした弟橘媛の可能性まで無くはないほど尾張に重要性があったと考えられるのです

 

ちなみに弥五郎者は津島神社にも祀られており御祭神は武内宿禰大穴牟遅命だというのです、、、広大な境内に祀られ天皇家とも繋がりがあったとされる洲崎神社を考えると、そして草薙剣がある名古屋と布都御魂に関係性があるのかないのか

 

っていうか末社がみな〇〇社なんだからイシ神社じゃなくてイシガミ社じゃん! っていうかイソガミ社なんじゃないの!!

 

調べてみると名古屋には他にも石神社があってやはり布都御魂が祀られている、布都御魂には件の霊剣だけではなく刀に宿る神氣の総称という側面もあるようなので同名で祀るには恐れ多い草薙剣の事だという解釈も出来ますがそれだと社名を石神にするのは余りに不自然です

 

やばい、まだ一番の謎があるのにその謎解釈に全然辿りつけないw でも大事な事だ、続けましょう(開き直る)

 

タケミカヅチ葦原中国を平定すると布都御魂は突然熊野に現れ大和征服を成し遂げ宮中で祀られる、やがて石上神宮に祀られるのですがなぜか一度禁足地に埋められて後に発掘されたものが形代と共に御神体となっているという

 

一方の鹿島神宮では国宝ではあるものの石上神宮から戻らなったために奈良ー平安期に造られた所謂形代だという

 

鹿島ー石上の関連性に齟齬は無さそうです、なぜ土中に埋められていたのか、それはあまりの御神気の強さ故なのかもしれませんが2000年近くも埋められ行方知れずだったことになりますね

 

何か隠されてる...? という話はとりあえずここまでにしておきます、後にその謎に繋げる事が出来るかどうか分かりませんが、また、記事にします(*´ω`*)

 

さて、漸くですね、、、白龍様!!

 

最大の謎が布都御魂に取って代わられてしまいましたがw

 

こちらもまた、あんなにはっきりと幟があってしっかりと祀られているにも関わらず、道祖神猿田彦という習合される神名がどちらも書かれている、実際の社殿がわからないのに布都御魂が書かれている、じゃぁなんで白龍様はどこにも書かれていないのでしょう

 

謎過ぎませんか?!?!

 

ましてや、知らずに参拝しましたけど白龍神社と共に洲崎神社の白龍様も結構人気があるらしくあちこちに記事がある、なのにドラゴン大好き龍(蛇)神崇敬篤い名古屋において公式に龍神様が押し出せない理由が何かあるんですかね???

 

私にはよくわかりませんが、巷では 龍脈 という言葉がありまして地下水など地脈に龍の氣を纏った流れを龍脈といい風水や陰陽道などでとても重要視されているのだそうです

 

各地で都や都市を作る際には風水が重要視されますが一説では名古屋の都市づくり(城下作り)には龍脈も駆使されていると言われているようです

 

別にお膝元でもあるのだから当然ではありますが徳川家も洲崎神社を崇敬していたとありますし名古屋城下の整備は徳川の一大事業でもありますから名古屋の地に根付いた龍脈を利用した可能性もあります

 

偶然なのか、マップで白龍と検索すると名古屋城下と昔の海岸線の間の東西ラインに検索結果が並びます、これは偶然なのだろうか

 

となるとなおさら、これだけしっかり祀られた白龍龍壽社が一切御由緒に触れられていないのが不思議この上ないのです

 

...............あっ

 

元々祀られていた地主神って、、、白龍様なんじゃないですか?! で、白龍神社と同じく蛇神信仰なので表立って祀ることが出来ず龍神ということにしたけど社殿内は思いっきり白蛇信仰のままですから目立たぬようにした???

 

合祀されたのに崇敬篤かったからといって鳥居と参道まで別にして祀るのも相当なものですし、っていうかそうですよ、凄く気になっていたのですが道祖神と扁額のかけられた両部鳥居からの参道はなぜか真正面で末社に当たりカクカクと参道を曲がってすぐに正面参道へ合流するんです

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普通、わざわざ参道を分けた場合って例え方角がズレても真っ直ぐになっていませんか?? そしてこちらの境内、南西の角に鳥居があって白龍龍壽社はその対となる北東に鎮座されている、しかも道祖神の扁額よりもビッグインパクトで大きな社名看板が真横にあるんです

 

複数の方が石神社の参道だと書いていたのでそのまま受け取っていましたが、いや、それは確かにそうなのですがここには布都御魂を祀っているイソガミ社であることを道祖神で目くらましをしている、そして道祖神の石神社であるとして本来の地主神である白龍龍壽社を目立たなくしているという二重構造になってやしませんか?!

 

あ、私個人の勝手な憶測です、はい

 

ですが先程自信なさげに書きましたがひとつ気になった事と今回の名古屋で参拝した二つの神社がここで妙に繋がりました

 

佛社の御祭神次第では...

 

うん、これは妄想にしては出来すぎてるほど繋がった!!(何の確証も無いけど)

 

 

神示により祀られし大神 白龍神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

やぁ~さすが名駅南ですね、元旦の朝、、、と思ったらちょうどお昼になっていましたがほんっとに人が居ない

 

まさに閑古鳥な街をのんびり歩き柳里神社から10分弱

 

龍神社です
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.........って、えぇぇぇぇえええええ?!

 

信号を渡ってからあれはまさか、、、と思いつつ歩いて来ましたが行列!!Σ( ̄□ ̄;

 

境内はこのちょっと左側まであるだけの小さめな神社さんなのに、そして目の前の大通りには稀にしか車が通らずこの近辺にはこの列以外に人も居らず、たまに歩いて来る人の95%は列に並ぶ、、、その数ざっと100人以上

 

いや、元旦の初詣としては少ないと言っても良いとは思うのですが近隣の方というよりはこちらを目指して来たという雰囲気を強く感じる

 

いや、まぁ、流石に折角来たのでスルーはしたくないしこのくらいならと並びますが皆さん随分と熱心に参拝されているようで列の進みは思っていたよりも遅い

 

有名でもない小さな神社なら元旦でも大丈夫だろうと思いっきり油断してました!! というか並びつつ聞こえてくる周囲の会話からは、とても金運に力のある龍神様で大人気なのだそうです、ということは逆に元旦だからこそこの程度で済んだというべきか

 

本来ならば真っ先に触れるところですが後回しになってしまいました、繰り返しますがこちらの社名は白龍神

 

そう、柳里神社では白鷹龍神でしたがこちらも白龍なのです

 

折角並んでいるのでさすがに謂れを調べようかと思ってしまいましたが、いや待て、既に想定外なのだからこのまま無知で参拝しよう!

 

金運に御利益が凄いのことですが私は徹底します! 金運は大事だけど願い事はせずご挨拶と感謝だけ!! それが通じれば自ずと金運にもご利益が頂けるはず! 頂けなければまだそれだけの資格が自分には無いということだ!!

 

まぁ100名程度なので最後尾に並んでから20分ほどで鳥居までやって来ました
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参拝までには25分ほどでしたが巡拝としては結構予定外w
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境内には人々のお金に対する念が渦巻いて、、、いたでしょうけれどそれほど気になりません、それでいてやはり強い氣があるように感じます

 

居心地の良さは無く厳とした御神威のある境内ですね

 

この送の本殿からなのだろうか、何か圧を感じる
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御祭神は白龍大神とされる高龗神と須佐之男命の二柱です

 

混雑時の私はいつもこうします、拝殿が近づくと心の中で名乗りとご挨拶、まだ時間があれば雑談(境内で感じている感想的な事など)を念じ、そして自分の番になると最低限の所作だけで後に譲れるように

 

と拝殿前に立つと圧倒的な圧!!  やや広めな拝殿内の手前には多くのお供えが並んでいます

 

気圧されるとはまさにこのこと、深々と礼をして感謝をお伝えする

 

うん、これだけの人が来るわけです、小さな神社ですが確かに素晴らしい

 

ただいつも覚悟はしているのですが、初詣期などは特に、大きな神社や人気のある神社であればあるほど特別な何かは感じづらい、それは人の多さによる雑多さ故かはたまた神様(眷属様)も人が多過ぎて個々には構っていられないからか

 

いいんです、それでも御神威は感じることが出来ますから

 

拝殿右手に社務所があり、参拝が終わった人々はそのまま列を成して境内を出ていかない

 

恐らく御札や御朱印、金運の授与品が人気なんだろうな(*´ω`*) と境内を出て行きかけたところでその氣を感じました

 

んっ? と振り返ると授与所への列が社殿右奥の隙間まで繋がって折り返していると思っていたのですが違う!!

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ここから先は撮影禁止となっています、皆さんはこの先の奥宮へと並んでいたのです!!
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いやぁ、、、気付いてよかった( ̄▽ ̄;)

 

手前のお社はどなたが祀られているか分からないのですが心地の良い御神木銀杏が隣に立ってらっしゃいます

 

全体的に圧のある境内においてこの御神木付近の非常に狭い範囲だけ不思議な癒しを感じました

 

そして奥宮へ、覆屋の中にお社が鎮座されており、そのお社専用の小さめながら左右に昇り龍下り龍が施された双龍鳥居、薄暗さも相まってとっても厳粛な氣が流れています

 

人が多いながらシンとした空気の中でご挨拶、そして社殿前にはおもかる石が2石、左はやや宝珠型のような球だっただろうか、右はとぐろを巻いた蛇になっていました

 

特に願い事を考えてもいなかったので、寄り良い一年になりますように、と持ち上げてみるとそれなりの重さがあり軽くもないというごく普通さでしたw

 

うん、でも普通が一番です、有難い

 

ちなみに大混雑を見て社務所の方が出てきて おもかる石は左右どちらも一緒ですからどちらか片方でお願いします~っ! とおっしゃっていました

 

そうか、やたら長いなと思ったら両方を持ち上げてる人が居たんですね(苦笑)  まぁデザインが違うからわからなくもないけどw

 

というわけで社務所の行列かと思った人々は9割が奥宮参拝でした

 

次の機会があれば是非、人の居ない静かな状態でご挨拶してしっかりと感じてみたい、素敵な神社でした(*´ω`*)
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というわけでご由緒を調べてみました

 

柳橋付近でえ熱病が流行した際に大神より神示が下り、現在は地下流となっている江川岸にいある柳の下に祠を建て祀ったのが始まり、、やがて柳が枯れると大神が近くの銀杏へと移られ御神木となったそうで区画整理により現在地へと遷座する際も御神木が移殖されたそうです

 

なんと、だから凄い癒しを感じたのか!!! そしてあのお社は御神木に宿られる大神様を祀るものだったんですね、そして奥宮には白蛇様が祀られているといいます

 

ただ創始としては大神様とだけでいつからか白龍様と呼ばれるようになったようです

 

公式によると本殿以外の末社二社には芸事商いの神と健康知恵の神として崇敬されているとだけ書かれており御祭神名が書かれていません、また白龍大神は高龗神と須佐之男命の総称であるとされてはいますが由緒にはどちらの御祭神名も出てきません

 

いろいろ調べてみると創建は1603年という説がありました

 

勝手な想像ですが、やはり川ですし社名にもなっているので大神様は白蛇(龍神)だったのではないでしょうか、ただ鎮めたいのが疫病なので牛頭天王も併せ祀った

 

やがて神仏分離を迎え、白蛇様と牛頭天王では通らないので高龗神と須佐之男命となったと考えるとスムーズな気がします

 

やっぱり名古屋には白蛇信仰が浸透していたんですね、そして気になったのが江川です

 

現在の白龍神社は堀川と暗渠となった元用水である江川の間に鎮座されている、堀川はその名の通り矢田川から名古屋城のお堀を回って(つまり堀を作って)南へと流れ、、、熱田神宮の脇を通って名古屋港へと流れ込む、、、城と熱田神宮を繋いでいる!

 

そうだ、住んでいた頃はそんな考え方なんてしてもいなかったけれどそういうことだ、そして当たり前に住んでいたけれどこうして考えてみると名古屋ってほんとに川が多い!

 

ふと思いついてマップで 白龍 と検索してみたところ、思ったのと違って南北ではなく東西から南東に複数の白龍を祀る神社が出てきた、つまり名古屋南部がまだ海岸線だった頃から白蛇・龍神が祀られていたラインということではないでしょうか

 

川は清らかなものでありますが人々が住み様々なものを流していくと下流になればなるほど汚れや病も流れていきます、またこれだけ沢山の川が流れていれば水害も多かったでしょう

 

ただやっぱりどうも気になるのは、やはり他の地域と違って白蛇様を龍神として祀っている、つまり龍よりも蛇としての存在が大切にされている所です

 

白鷹龍神とされる柳里神社には蛇の姿あれど龍はいませんでした、そして白龍神社には双社名と双竜鳥居だけでお供えは卵だし奥宮は白蛇様、おもかる石も蛇

 

既述のように、私は神の使いである蛇が神格を持つと蛇神(龍)となりさらに神階を高めると龍神になる説をとっており、どちらかというと神として祀られやすいのはより力のある龍神で白蛇は川というより池、つまり弁財天系の眷属神になっている事が多くありませんか? むしろ主流と言っても良い

 

でもそれは恐らく、池に弁財天を祀り白蛇が眷属として崇められるという流れだからでしょう

 

熱病を鎮める水神として白蛇を祀り、龍と習合されながらも白蛇としての存在を大切に守り、やがて安寧な世の中になり弁財天信仰と習合されて金運の霊験とされるようになってもなお本来の白蛇信仰を守っているのが白龍神社なのではないでしょうか

 

本当は白蛇神社なんでしょうね、でも社名的に許されなかったのか龍とした、でもやっぱり白蛇なんですよ、だから社紋は蛇にしたかったけれどそれだと結局蛇信仰じゃねーか!とバレバレで神社として存続出来ないから 白 とした、なんて妄想はどうでしょう←聞くなってw

 

 

そういえば蝮ケ池では池主の怒りを鎮めるのに龍神を祀り、それでも足りないからと弁財天を併せ祀ったとされていました

 

あちらは蛇ではなく龍である理由は創建が大正期という時代的な違いではないでしょうか

 

 

さぁ、この先の巡拝で何かさらにヒントが見つかるのかい? 見つからないのかい? どっちなんだい?!