どうも、檜治朗ですm(*_ _)m
本日はこちら、上杉神社です!!
越後時代、謙信公は遺言により春日山の林泉寺と岩殿山に分けて埋葬され、會津移封となった際にはなんとそのまま残していったといいます
會津移封の際、侍身分は一人残らず移り農民は一人も移動してはならないとされました、これは墓は無闇に遷すものではないという建前と共に残された民の心の支えとすることで越後から上杉の魂を無くさぬ戦略だったと言われています
越後国主となった堀秀治は苦情も訴えたでしょうがそもそも奥州仕置における上杉移封は伊達への抑えとしての転封であり信仰心篤き五大老の上杉に対しては誰も何も言えなかったでしょう
越後の民が神と信奉する謙信公の墓が残され、さらに年貢米の全てまで持って出ていかれた堀秀治は倍近い石高加増という出世ながらかなり苦労されたでしょう
家康により會津召し上げ米澤移封となって漸く謙信公の墓や林泉寺(春日山にも残されている)が米澤へと移されましたが、岩殿山の墓はそのまま直江津へと残され、時代の経過と共に埋もれてしまったようですが後の調査で発見され今も残っています
やがて神仏分離令により墓は城東の上杉家廟所へと遷され場内には上杉神社として祀られることになりました
いやーあかんですね、心の故郷 米澤 だからこそしっかり書きたいということもありながらやっぱり事前に多くの情報を知っていると前置きが長くなってしまいます(≧∇≦)
でも米澤旅行譚の一環でもあるからたまにはいっか(*´ω`*)
それでは、参拝!! 濠の南側には龍の旗
、上杉輝虎と常に虎を名にしてきた謙信公、それ故に越後の虎と称されていますが、江戸期に甲斐の虎・越後の龍とされたのが有名になってしまって龍のイメージが強くなったと言われています
堀の北側は謙信公の旗印でもある 毘
自らを軍神 毘沙門天の化身と信じ、、、とよく言われますがどちらかと言うと 信じ というよりは長き時はひと月近くも毘沙門堂に籠って祈りを捧げ神降ろしをしていたと考えています
これは、、、っと、この続きはさすがに後述にしましょう(*´ω`*)
橋を渡りすぐ左手にこちら、そう、米澤は鎌倉期より伊達家の所領で政宗は米澤城内で誕生したのです
右手に御祭神 謙信公の像
さらに天地人の像、こちらは2009年の大河にちなんだもの
懐かしいですね天地人、既に何も直江津米澤を旅していた私も楽しみに観ていたのですがなんとギリギリまで役者は秘密と引っ張った末に慶次は出ない事が発表されて なんだよ先に言えよ! と観るのを辞めてしまいましたw
いや、景勝公も兼続も大好きなのですがそれはやっぱり慶次あってのこと、ニューギンさんの影響もあって一大慶次郎ブームが巻き起こっている最中でありながら後年の上杉支えた慶次の存在無しで描かれてしまうのは悲しかったのです
だって子供の頃から大好きで漸く全国的な脚光を浴びた私が最大に憧れる人なんですから(´・ω・`)
その向かいに前出の鷹山公の像があります
そして上杉神社!!
ここで是非右手をご覧下さい、巨大な兼続さんと目が合いますw
私も一度だけ観る事が出来ました、米沢上杉まつりで山車として市内を練り歩きます、昔は米沢駅の中にどーんと座ってらっしゃいましたw
さぁ、こちらが手水舎です、何かお気づきになられますでしょうか
ちっ
ちっ
ちっ
ぽーん
はい、正解は虎口になっているのです! さすが越後の虎!!
旗は龍でしたがこういう所はちゃんと 虎 なんです
実はかなり賑やかな若者が居たので先に境内社を巡ったのですがそれば別記事とします
では、ご無沙汰してしまいました、御挨拶!!
いやー、、、やっぱり良いですね
凛として、威厳があって、それでいて強い優しさを感じる
これは後述(すぐ後ですがw)の都市伝説とは別として、やはり国を、部下を、民を想う謙信公の、上杉の心を強く感じるのです
私が米澤を、上杉を好きだからかもしれませんが、ほんと神前でありながらずっと居られるくらい心が落ち着くのです
うん、やっぱり米沢、大好きだ(*´ω`*)
こちらも正面を見据える狛犬さん、なのにわざわざ横から撮るのは横顔が素敵だからです(*´ω`*)
今回は朝のオーバーランによって諦めましたがここから東にある上杉家廟所もとっても素敵な氣で満ちていますので是非、併せてお参りください
さて、長くて長くて長いですが最後の都市伝説をば
上杉謙信女性説をご存知でしょうか
個人的には安土戦国時代における三大都市伝説のひとつだと思っているのですが( ̄▽ ̄)
ご興味のある方はお調べいただくとして省略しますが、まぁ都市伝説の域を超えるものではないにしろ小柄説、非常に細やかな気配り行き届く性格、生涯不犯の誓い、長期に渡る毘沙門堂籠りは月のものが影響していた、謙信公の病歴を紐解くと婦人病に近いものが多いなどなど
謙信公自身もそうでしたし養子においても御館の乱が起こるなど上杉家もまたお家騒動が多かった事からも決して ありえない と切り捨てられるものではない気がします
これはずっと思っていたことですが、神社巡りをライフワークとした上で改めて考えてみると、まさに巫女!! 仏神ではありますが、堂に籠り神降ろしをし、軍神毘沙門天を纏い戦う姿は正に神憑っていたと評されています
これ即ち、巫女!!
勝手な論ですが、男性は信奉により神仏の御力を借りて(身にまとって)戦いますが、その身に乗り移らせ文字通りの化身となることが出来るのは女性なんです
いやー、都市伝説としてロマンがあるなぁなんて思っていた謙信女性説がこういう部分で繋がることになろうとは、過去の自分に教えてあげたい(*´ω`*)
ま、都市伝説+勝手な妄想ですけどね
ちなみに三大の残りは信長と家康です
信長は悪しきを一身に背負い天下統一に程良いところで光秀と秀吉を使い本能寺の変を仕組んだ、死んだことにして逃れた信長は憧れた欧州へと渡り、受け継いだ秀吉は脅威的なスピードで跡を取る、ここで悪名を着た光秀は天海となり裏からこの国を動かした
壮大な都市伝説ですが、それこそ痛みを伴う改革を断行した信長は最大の敵を倒したところで御役御免、第六天魔王のまま天下人になるのはいろいろ問題もあったでしょう
もうひとつは家康影武者説
これはもう敬愛する隆慶一郎先生の著書そのものですが、実は家康は関ヶ原で暗殺されたが戦況が覆るのを防ぐため影武者を本人として仕立てたというもの
これがまたたかがフィクションの時代小説と切り捨てることは出来ないほど精巧に考えられており、当たり前に見えてよく考えると不思議な家康の言動がこれに従うと上手く合致するという素晴らしさ
凄い読み応えですが上中下巻程度ですので未読の方は是非!!