どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、高尾山薬王院です!!
駅から歩いていくとケーブル・リフト駅前広場があり、まず右手には別院不動院、この坂道が登山道1号路です
標柱の裏には遥拝所がありますので上まで行かれない方はこちらでお参りすることが出来ます
そう、柱に高尾山飯縄権現遥拝所と刻まれているようになんと薬王院は飯縄信仰のお寺だったのです!!(ズットシラナカッタ!!)
1号路は薬王院境内を経由しますので数え切れないほど通りましたし通るだけでなく幾度か参拝をしたこともあったのですがぜんぜん無知だったので天狗の山にあるお不動さんだと思ってました( ̄▽ ̄;)
そのあたりを掘り下げたくて少し前から改めて参拝したいと思っていたのですがどうも寒さも相まってか遠征以外に腰が上がらず、、、でもそう篭もりっぱなしじゃいられない!!と4月を迎えやっと来ました
実は前日の予定だったのですが天気も微妙で気も乗らず、そしてこの日もなんだか少し気がのらなかったのでもうちょっと先にしてしまおうか、、、と思ったのですが、何故か早く行かなければならない、ほんとなぜだかはわからないけれどそう感じてやって来たのでした
というわけで、、、ひゃっほーーーぃ (^o^)/
あの頃は一度も使ったことが無かったリフト、本当は歩いて登ろうと思ってはいたのですが出発が遅れたのとさらに氷川さんで時間を使ったので早々に往復券を購入、頂上も諦めてしっかりと薬王院の参拝に集中すると決めました
高尾山はケーブルカーもリフトも同じ金額だけどそれぞれ特徴がありまして、所要時間はケーブル6分、リフト12分と倍ながらケーブルは約15間隔なので待ち時間がありリフトは次々と来るので待ち時間無し
当然ながら大混雑時はどちらも並びますが比較的ピストンで送り出されるリフトの方がスムーズですかね、というか何より箱の中ではなく風と木々の匂いを感じられるリフトが最高ですね(*´ω`*)
ケーブルカーが日本一の急勾配だということを知っていてもなお、開放感のあるリフトを選んでしまうのでいつかケーブルも乗りたいですね←と思い続けてるw
さぁ登山開始! といってもリフト・ケーブル駅からは意外なほどなだらかな道が続きまして、薬王院手前までは楽に歩いていけます
いやーーー綺麗ですね!!
春ですね(*´ω`*)
暫く進むとこちら、太い根がまるで蛸のような蛸杉!!
以前はフェンスなど無かったのですが登山者が増えたことで根に乗ったりする不心得者が増えてしまいやむなく保護フェンス
高尾山はミシュランガイドにも載った都心から手軽に行ける素晴らしい山ではあるのですが、それ以前に素晴らしい霊山ですから、ほんと、節度を持ってくださいね(*´ω`*)ジブンニカエッテキマスヨ
ほんとね、ある程度の混雑は覚悟してきたけど意外と人はまばら、なのに広い登山道で既に下りてくる人も居るのに横一列全員で道を埋めてしかも避ける気が無い人たち、多すぎません?!
この素晴らしい山にお子さん連れてくるのは全然良いしむしろ推奨しますけどだからと言ってのんびり歩くのに横埋めつくして避けもせず塞ぐのなんなん?!っていつも思う(´・ω・`)
あぁいけないいけない、霊山なのにこんな事思いたくないんだゎ、、、そう、高尾山に全然来なくなってしまったのは人が増えて純粋に楽しめなくなってしまってからの事でした
あの頃は平日午前中なんてほんと、時々しか人とすれ違わなかったし、だからこそすれ違う見知らぬ人でも気持ちよく おはようございまーす! 狭い道でもお互い気遣いあう、そんな人ばかりだったなぁ
まぁでも、こうして多くの人が来る事であっちもこっちも整備されるわけだし、これでもミシュラン直後の恐ろしい大混雑フィーバー期に比べればびっくりするほど少なくなりましたからね
それでも紅葉の季節はとても来れたもんじゃありません、来るなら始発で来て9時10時には下山レベルに早めて、それでもどうかってくらいでしょうね、、、
というわけで心を落ち着けて、霊氣満山!! こちらは簡素なものに見えますが浄心門です、潜る際には心を込めて一礼を
早速の御堂は神変堂、、、神変大菩薩???
なんと役の小角さん!! 謎多きとは思っていましたが山伏の開祖とされていたんですね!!
そしてこちら、狛犬のように左右にいらっしゃるのは善童鬼と妙童鬼という役小角に使えた鬼の夫婦だそうです
うーん、この山伏、飯縄権現についても物凄く深くて都市伝説も多くって、、、あぁ、ここでやめておきます(><; )
さぁ、ここからが足腰に辛いところ、左手が男坂で108段のの石段が続き、右手は比較的緩やかな坂が続く女坂、さぁどっちを選ぶでしょう?!
ちなみに私、登山ともいえない最初にリフト乗り場へ上がる階段の時点でふとももがピクピクして息が上がりました、はい、いつもの私です
そしてガッツリ歩き回る予定を組んだ北陸遠征を控え、出来るだけ体調万全にしておきたいと思っています(そのくせに何故高尾山来たw)(いや、なんか、もう何故か分からないけど早く行かなきゃいけない、って思ったんですよ)
というわけで選んだのは!! 勿論!! 男坂(´◉ᾥ◉`)←をいw
リフトの階段が準備運動になったのか最初こそ意外と良いペースで登ったもののやっぱり次第に、ひぃっ、ひぃぃっ、後半は息切れしつつ足ブルブル、でも一気に登らないと無理だこれ、っていう勢いでなんとか登りました(ハァ、、、ハァ、、、、)
平面と下りに強く、坂なら登れるけど登り階段だけに滅法弱い、そう、それが私です(偉そうにすんな)
登りきってすぐの所に苦抜け門というのがありました、この先に仏舎利塔と百観音霊場があるそうです
結構険しそうですね...行きたいところですが後の時間を考えて今回は素通りですみません、帰りも時間が無かったので諦めたのですが調べてみるととても素敵な場所になっています、次は必ず!!
ちなみにこちらもタイ王国より賜った御神骨ですが、その辺はここでは省略しますのでちょっとお調べいただければお分かりになるかと思います
全てはお気持ちが大事です(-人-)
高尾山には一千年を超える樹齢の杉が多いそうで杉の植樹も募集されています、季節的なアレな方には非常に辛い山ですかね ^^;
よく考えたら凄い崖に参道(登山道)がありますよね、でもこの多くの木々がしっかりと支えてくれています、樹は山の命
そして四天王門から境内へ
なぜ四天王門というか、それは表裏、門の左右に持国天、増長天、広目天、多聞天がいらっしゃるからです
ちなみに入る時は気付かなかったのですが出る時に門中の右手がやけに真っ暗な空間があることに気付きまして、目を凝らしてよーく覗いたら、、、大きな天狗のお顔がいらっしゃいました
前後しますが、門の手前にはこちら、高尾山中興開祖の像
門を潜り右手にこちら、高尾山ではなく富士山でしょうか、山上に雲と御神鏡!! 神仏習合の名残ですね
各所に設置されているグルグルと回すのは自身を見つめ直す六根清浄というものですがまだコロナの名残で全てが使用中止になっていました
高尾山と言えば天狗!! と当たり前のように捉えていましたが飯縄権現の眷属様なんですね!!
手水舎にもやっぱり天g、、、じゃない!! 山伏!!!
手水舎の隣にはこちら、石の輪を潜って棒で大錫杖を鳴らしお願い事をする願叶輪潜があります
向かい側に納札所
そしてこちら!! 八大龍王堂!! は御堂というよりも銭洗場になっていますが、後ろに並ぶ碑と凄い太さの杉が金色像の凄さを際立たせています
ちょっと無礼かもしれませんが、ジョジョ立ち!! と言わんばかりの凄く格好良いポーズで御利益が凄そうです(*´ω`*)
さらにお隣の倶利伽羅堂にはこちらも金色の不動明王剣!! 貪り・怒り・愚か三毒を破り御利益を授けてくださいます
さらに向かいには十二神将十二支方位塔!! 私は午年なので勢至菩s、、、そっか!神将だから違うんだ! 今まで気付いていませんでした、私は珊底羅大将様、、、カッコイイ!!
さらに修行大師堂、笠を被った弘法大師像が安置されています
ここから左右に授与品や御札、護摩木が並ぶ参道を進むとこちら、本堂へと繋がる石段を登っ、、、
と思ったのですが何故か今まで気にもしたことが無かったこちらの道、気になるということはそういうことでしょう、行こう
その先がこちら、高尾山大本坊
大本坊? なんだろう? いやー、こういう時の勘って凄く大事ですね、いや、調べとけよって話ではありますけどもね
写真を撮り門へ向かおうと一歩進んだ所で大きな違和感に気が付きました、おわかりになりますでしょうか
そう、門は普通にあり手前に標柱もある、そして狛犬が、、、逆向きになってる?! ということは門前ではなく門の後ろに居る、つまりこの門は入る為ではなく出る為にある、そして門を出てから本堂へ向かう手前に狛犬さんが居るのだ!!
と脇から内側へ回ってみるとまさにそうなっていた!!
さらに門の正面へと近付いてみると この門は僧侶専用 という立て札が!! あっぶねぇ!! 気付かなかったら潜っちゃってたよ!! ナイス機転推理!!
なんて思ってたのですがなんのことは無い、ちゃんと外側にも立て札は立っていて目の悪い私でも近付けばわかったのである、そして上の写真にもその立て札が写っているのであるw
すると、、、何やら大きな傘をさした僧侶様が、、、そして人数が増えて、ぶぉーーーーーっ、響き渡る山伏法螺貝の音!!
ちょうどぴったりと僧侶の入場が始まったのです、ここへ来て僅か2~3分のこと、ぴったりや!! そうか、高尾山は山伏さんだったなー
実は火渡り祭りなどのポスターや映像で知ってはいたのですがこれまで登山や参拝の時に実際に僧侶様を拝見したことが無かったので頭に無かったのです
すると本堂の方からはドン、ドンと太鼓の音が響き、徐々に高くなる法螺貝の音色と合わさっていく、周りを見渡せば青い空に青々とした杉、、、あぁ、なんて有難いんだろう
僧侶様方の姿が見えなくなり、そして音色が聞こえなくなるまで全身から山の氣を感じていました、そう、ここは霊気満山の高尾山だ!!
ふーっ、、、まだまだ本堂を参拝していないのにひと仕事(参拝)済ませたかのような充足感ですが、いやいやこれからやで!
ちなみに薬王院の精進料理というのは有名でしたがこちらでいただけるんですね!!
時に、、、(写真撮り忘れました)、大本坊の脇に細道がありこれはさすがに何処へ行くんだか、、、と思ったら案内札に弁財天と書かれている!?
そう、先入観排除のため今回も由緒などは調べなかったけれど境内図だけは見てあったのです、そこに福徳弁財天窟というのがあり、、、過去の記憶を遡ってもそのような場所なんて、、、と思っていたんですよね
こっちから行くのかーーーっ!! そりゃ知らなかったわけだ!
少し進んでいくと、、、ありました!! うわーーー!!
こちら側へ来る人は全くと言って良いほど居ない、それこそこの日の賑わいからしても数パーセント程度でしょう、さらにこちらの道も隠れ登山道になっているようで混雑を避けたい方が進まれていたのですがそういう方は弁財天には寄らず
重ね重ねですが、こりゃ知らないわけだ...
この時は前にひと組来てらっしゃって洞窟が狭いようなので下で待機、造園の方が崖上に登り竹を狩ってらっしゃってその様子がまた長閑で凄く良くて、待っている間も凄く良い気持ち
階段脇にはとても美しき弁財天像と御池がありました
なんと、元安置されていた弁財天像は盗難に遭ってしまったんんすね、今は昭和天皇即位を記念して新たに奉安されたものだそうです
そんな不届き者にはきっと重たい罰が下っていることでしょう
いやー、、、凄いなー、、、こんな岩窟があるなんて知らなかった
前の方々が出てらっしゃったのでいざ!! 福徳辯財天 穴辨天様へ
入口が結構低いので頭をぶつけぬように、そしてリュックを背負っていると引っ掛けたりしそうなのでゆっくり進みます
中は少し高め、Pixelなので結構明るくうつりましたが肉眼では薄ら壁面と天井が分かる程度で先が見えませんでした
目が慣れてからも真正面に辨財天像がいらっしゃる事はわかってもそのお姿は真っ暗で見えず、像の背後はさらに先があるようにも見えました
像前は水滴が垂れぬよう保護されていましたが途中や周りからはこの霊山から滲み出した水がポチャリピチャリと音色を奏で、ひんやりとした空気がすーっと流れている
御真言を唱え、こうしてご挨拶出来た事を心から感謝しました
やっぱり誰も来られる様子が無いので、背中を向けて失礼します、とお断りして天様の前で洞窟内の氣を五感で受け取る
あ、五感は言い過ぎました、味覚は使いませんでしたけど滴るお水に触れたんだから少し舐めてみれば良かった(´・ω・`) いや、それはさすがに失礼かな
それほど長く居たわけでは無かったと思うのですが、出てくると竹で階段が埋まっていてw 職人さんが あっ、ほれ!!邪魔だ
竹どかせぇっ、あらあらごめんなさいー、ってw
なんかもうその空気感までもが愛おしくて、慌てて退けようとしてくださっているのを 大丈夫ですよー通れますよーってちょっと跨ぎつつ笑顔で下りました
なんでしょうね、あのやりとりすらご褒美だなーって感じるほど凄く人の良さが伝わってくる方々だったし、屋根に竹が乗り、ガサガサ音がして話し声もするあの状況で参拝出来た事が凄く嬉しかったのです
勿論、洞窟内には小さくしか聞こえなかったのでしっかり集中してご挨拶も出来ましたしね(*´ω`*)
と、いうわけで、仁王門へと戻ってきました!!
が、その前に、、、こちらをいただきました!!
後で撮った写真ですが、飯縄大権現様のお姿が彫られた護身鏡守!
必ずではありませんが、御札や御守りは参拝前に頂き手にした状態でご挨拶、おみくじはお言葉をくださいとご挨拶した後で引くようにしています(*´ω`*)
それでは!!
門の内にはやっぱり天狗様(*´ω`*)
こちら大本堂、御本尊である薬師如来と飯縄権現が祀られているのですがガラスの反射で外からは御本尊のお姿は見えず
そして写真では伝わりませんが堂内からは太鼓と僧侶の読み上げる素晴らしいお教が響き渡ります、、、御護摩!!
そう、先程僧侶様が向かわれたのは御護摩祈願だったのです、薬王院もそうだったんだ!!←無知の極み
いやー、、、好きなんですよ、護摩行の太鼓とお教、火の音、キンキンキンッと鳴らされる棒(お名前知らず)の音、時々寝る前とか落ち着きたい時にYouTubeなどで流して聴いているくらいです←変なやつ
その後ろからお賽銭を入れ、ご挨拶
何年も高尾に住み、何度も何度もお邪魔しておきながら幾度かはご挨拶すれどこうしてしっかりとした参拝が遅くなりすみませんでした、そして今回、こういう機会をくださってありがとうございます、帰ってしっかりと調べ記事にさせていただきます
知ってはいた、知ってはいたけれど改めてみると美しい本堂ですよね、左右に天狗像と巨大な天狗の面
御護摩を聴きながら本堂を眺めていると丁度祈祷が終わりました、外からではありますがありがとうございました
大本堂右手に高尾山開祖行基菩薩の像
鮮やかなこちらは愛染明王を祀る愛染堂、とっても美しい仏像が結構お近くで拝むことが出来ます
煩悩即菩提、、、愛欲むさぼりなど煩悩多き私にはこれ以上ないほどの菩薩様じゃないか...愛染明王と言えば直江兼継公の 愛 兜前立てが有名ですね(*´ω`*)
こちらは聖天堂、歓喜天が祀られています、、、歓喜天?と調べてみるとガネーシャに相当されるんですね!
そして弘法大師を祀る大師堂です
いやー、、、、、、なんと素晴らしいんだろう
なんと心地好いんだろう
ほとんど通過していたとはいえ、薬王院の雰囲気はずっと大好きでした、それこそ水が合うって言うんでしょうね、こうして改めてしっかり参拝するとさらにもっともっと好きになりました
うん、次は他の予定無く登山もしっかり楽しんでまたご挨拶に
来よう(*´ω`*) でも、アレなんですよね、登山としては1号路以外で登りたいんだけど薬王院を通るのは1号路だけ、、、となると往路は別ルートで帰りにご挨拶って感じになるかなぁ
昔一度だけやった、ムササビを観察しながら真夜中に登って朝陽を見たら降りてくるとかまた一度やりたいなぁ(*´ω`*)
おっと、これで終わりではありません
本堂左手の石段からさらに上へ、途中の御堂には飛飯縄とあります
調べてみると面白い御由緒で、1428年に日野にあるいづなの森から飛んできたので祀ったとされていますが、幕末になり大火に見舞われた際、飛飯縄は火の玉となって日野へ帰ってしまったといい、社殿が復興して日野宿へ返して欲しいと願ったところ御神体が返還されたという
これが何を意味しているか分かりかねますが、要は燃えてしまったということかと思いきや火の玉が飛び去った先で祀られていてそれがちゃんと返還されている、その後も日野宿とは繋がりが保たれたというところがなんとも不思議ですが、術で有名な飯縄権現様ですからしっかりと信じたくなりますね
細い階段を登ると更に上が、左右には三十六童子が祀られています
そうなんです、リフト・ケーブルからずっとなだらかでしたが仁王門前の石段から一気に登りが続いて行くことになります(境内を通らないルート:夜間はそちらのみ通行可もあるのですがそちらも階段で登りですw)
なので麓から登って来た方は山上駅から境内までが中休みになりますがショートカットしてしまった人には突然キツイ登りが始まるポイントになりますw
こちらの石碑(柱)は調べたのですがちょっと由来が見つかりませんでした
そして方位盤がありました(*´ω`*)
いやー、素晴らしき眺めですね、ほんと(*´ω`*)
と、いうわけで、、、まださらにもう少し先がありますし由緒や考察、感想なども考えるとちょっとアレなので続きは後篇へと分けたいと思います!!
後述
こちらの写真で気付かれた方はいらっしゃるでしょうかねぇ
桑都物語
どういうこっちゃ? っていうことで簡潔八王子物語です
名古屋市内の住宅地に生まれ育ち、東京へと引っ越した私でしたがその住んだ地こそが高尾でした
ちょっと待て!! 東京って凄いんじゃなかった?! 山あり川ありでっけー公園あり、自然豊か過ぎてなんだこりゃ!!(嬉しい)
でも八王子はちゃんと都会でした、高尾に暮らす人々も僅か22駅隣なのに八王子へ行くと言うほどにw そしてそこそこ栄えているのに立川に大きく水をあけられ地味な都会、田舎の都会、といった感じ(何度も書きますけど私は今でも八王子大好きですw)
ちなみに高尾は天気予報で八王子よりも甲府を見ます、なんなら甲府と八王子の真ん中よりやや甲府寄りで捉えていました(今はもっと詳細に予報が出るでしょうけどw)
都内で雪が降ると必ず八王子駅前の中継が入るのは有名ですが、高尾の積雪は八王子どころではありません、さらに僅か一駅の高尾山口になるとさらに雪は深まります
細かく言えば、西八で何も無かったのに高尾警察を超えたら急に路面が白くなり始めて陵南公園辺りで真っ白、高尾駅を超えると轍が出来始め、高尾山口は雪を踏みしめて歩く、といった感じですw
そんな感じの八王子ですが、とにかく、とにかく、とにかく、市内の結束がめちゃめちゃ強い、八王子愛が物凄い!! これはなんなんだ?と思ったら八王子の歴史にありました
古代遺跡もあり古くから人が住んだ地ですが916年に八王子神社が創建されたことが地名の由来になります、南北朝・室町に入ると各所に城が建てられ、要所となっていきます
1559年には武田信玄による小田原攻めで八王子が戦地に、これにより八王子城が築城され本格的に八王子と呼ばれるようになりました
豊臣北条の八王子城合戦を経て江戸幕府が始まると八王子はなんと直轄領に、大久保長安により甲州街道整備、旧城下町整備が進み大きく発展し街道随一の宿場町になります
この時、養蚕業を中心として一大繊維生産地となり、八王子が桑都と称されました
そう、これだけ発展すると目立つ、米軍に交通の要衝であると判断され最大となる八王子空襲においては人口10万人ほどだったと言われる今よりも狭い八王子に対し67万発の焼夷弾が投下されたといいます
分かりますか? 東京大空襲で投下された焼夷弾は38万発と言われていますので、倍近い数が落とされたんです、そのくらい八王子は重要な位置にあり発展していたということですね
戦後においては戦災都市指定され23区以外では唯一の指定を受けたのが八王子、桑都の本領を発揮し繊維産業を中心に奇跡の復活を遂げた八王子の街には人も店も集まり大都市に戻りました
その後は繊維産業の衰退などもあって現在のようになっていますが私は変に大きく発展してしまうよりも今の穏やかさと適度賑やかさのある八王子が大好きです(*´ω`*)
なんのこっちゃねん、っていう八王子の歴史を語りましたが、この歴史こそが八王子市民の温かさや結束に繋がっているんだなぁと思うと胸があつくなりますね
ここまでの歴史を住んでいた頃に知っておくべきだった、でもそれを知らずにいても街や人々の素晴らしさはしっかりと伝わっていたし、離れて久しい今においてもやっぱり八王子は良い
特に今回再訪して歩き回った高尾の街もやっぱり凄く良かったのです(*´ω`*)
さすが霊山高尾山の麓の街、権現様の街!!