どうも、桧次郎ですm(*_ _)m
さぁ、遅れての到着にまず米澤牛というスタートになりましたが早速巡拝を始めます!!
それなりに来慣れた米澤ですが神社巡りとしては初めてなので普段と違うところを歩くのも楽しみのひとつ
いやぁ、、、ほんと米澤という街は変わらないですね、10年を経ても変わらぬ安心感で凄好きです(*´ω`*)
まずはこちら、開運稲荷神社です
が、やっぱり私らしいですね、住宅地を抜けて辿り着いたのがこちら、、、うん、完全に真後ろ!!w
もはやそれこそが歓迎の印なんじゃないかと思うほどに馴染みました(ただナビのせいだとも言う)
どこか小さな空気感を感じたまま 失礼します と境内に足を踏み入れるとそれが圧であることに気が付いた、でもそれは存在感としての圧であり威厳とも言える
本殿からかと思ったのだけれどこちらからのようで小さなお社に対してしっかりとした朱鳥居が二基、この左手にも一基
樹上から雨のように滴る雪解け水を身体に受けながらしばし心身を整える、うん、大丈夫、凄い存在感だけれど圧迫とか拒絶とは違う感じがする
神前にしゃがむと氣が円錐状に放射されているような感覚の正体がわかった、こちら、とても凄い場所なんじゃないの?
そういえばマップを見ながら巡拝路を考えていた時、特に 開運 に惹かれたわけではなかったのになぜかこちらは必ずご挨拶しなければいけないと思っていたのですがそれは間違い無かったようです
しっかりとご挨拶をし、少し離れてからお断りして撮らせていただきました社殿がこちら
そうなんです、御幣も神札も無く社殿後ろの板が丸く切り抜かれており、その後ろは御穴のようになっている、つまり神狐様が祀られているのでしょうか
こちらから雪避けにブルーシートが掛けられた本殿が見えます
そしてこちらが主殿、御祭神は宇迦之御魂神
とても静かで厳かな拝殿です、こちらに神狐さんがいらっしゃらないのは右手のお社にいらっしゃるからでしょうか
境内右手には雪囲いに守られ寄り添う石
うん、とても凄いお稲荷様でした
調べてみると大正大火により再建されたそうですが詳細は不明とのこと、ただ米澤城の鬼門に位置することから城守護として祀られていたのではないかとされているそうです
定かではありませんが、鬼門守護のお稲荷様であるならばあの迫力も納得、もしかしたら築城前から狐穴として祀られていたのかもしれませんね
そして住宅地だった裏から入って正面から出るとびっくり、神社前はガッツリと大人のお店が並ぶエリアになっていて米沢銀座とも言われているそうな、知らなかったー!!
なかなか風情を感じる繁華街ですがお稲荷様のお力もあって繁盛されていることでしょう(*´ω`*)
以前は え…神様の目の前にそういうお店?( '-' ) とか思いましたが神社といえば組や青年会、講などで男衆が集まる場所でもありましたからその周りが繁華街になるのは自然な流れですね
さて、ここから少し南下するとこちら、武者道!!
なんか物々しい名前の小路の先に鎮座されるのが西條天満神社、米澤城三の丸なんですね!!
武士のみが歩くことを許された道を半農武士がこっそり歩いた的なさらっと聞くと なんじゃそりゃ? と思ってしまいますが当時の様々な事情を考えると、という道ですね
と、何か後ろが気になる、、、と振り返ると駐車場の橋にお社が
由緒が見えない、、、ので冷たいけど手でびゃーっ!!
大海龍王神と表米宿禰命を祀る赤渕大明神で兵庫県朝来市の赤渕神社が本社?! 朝倉氏と米澤に繋がりがあったんですね!!
それでは、お濠に囲まれた天満様へ!!
このグルっと木橋で渡るのが凄く風情があって良いです(*´ω`*)
西側はとても広い公園になっているんですね! まっさらな雪の中をどだだだだだだだだっと駆け回りたい衝動は抑えて
こちらが正面ですね
さいじょう かと思ったら にしじょう なんですね、そして 旧 ?!
なんと凄い流れ、後醍醐天皇を助けた西條倫房と天皇より授けられた道真公が祀られていたんですね、現在はここから少し北に鎮座される中央皇大神社へと遷されているそうです(予定にあったのですがオーバーランにより参拝省略を余儀なくされてしまった)
神社跡地の碑
そして残された社殿は御神体がいらっしゃらなくなっても土塁の上でとても雰囲気が良いですね
米澤といえば上杉ですが、元々上杉は越後が所領であり、家康による仕置きによって兼続が秀吉より個人的に与えられていた米澤へと転封になりました
当時の米澤は最後まで抵抗し敗者側であっても凛としていたことからとても人気があったようで様々な地から組外衆として武士・浪人が集まっていたのでこうした神社も数多いのかもしれません(それとは時代が違ったらごめんなさいw)
米澤という街は上杉武士の心意気と多くの人々による団結力が今に至るまで受け継がれている素晴らしい街なのです(*´ω`*)