日々是"吉"日

ゆるゆるなスピリチュアルでパワースポットやパワーストーン、原石、お香などを楽しんでいる日々の日記です。

神社記事における考察について

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

 

日光・宇都宮・流山と巡拝した後にホツマツタヱ全文の読み解きを進めておりまして、まぁそれでも情報過多を防ぐために年月だとか土地だとか文化風習の話などは飛ばしていたりしますが( ̄▽ ̄;)

 

先日大物主に主眼を置いて一読しているので既に触れている記事もありますが今後においてはよりホツマも参考にした解釈を書いていくことになります

 

ただ、まだ現段階で14アヤまでと全体の三分の一までしか記事に出来ていない(いつどのタイミングで上げていくか決めていませんが)のでその進捗具合によって自分の中での解釈が変わり神社考察にも差が出てくるかもしれません

 

また、世間的な評価もあるのでホツマを参考にする場合は限定的に、ガッツリ適用する場合は後述としてしっかり分けていこうと思います

 

これまでも書いてきましたが、ホツマツタヱ偽書のひとつとされている以上は神社考察の主とするわけにはいかないと考えているからです

 

確かにそもそも記紀とそれを元にした正史とされる内容とは異なりますし怪しい神代文字が使われていたりもしますが、そもそも記紀が正しいという確証も言うほどありませんし神代文字が偽物だったとしても、写本の造り手が良かれと思って神代文字で書き写した可能性もある

 

考察の参考には重用していきますがそれでも私自身、ホツマを手放しで信用しているわけではなく、どちらかと言えば半分以上は疑っています、にも関わらずなぜ参考にするのかと言えば、記紀に比べてより現実に即しているからです

 

記紀には神話が多かったり謎な部分も多く前後の繋がりなどにも疑問は多い(だから私は半分弱程度にしか信じていません)、さらに由緒ある神社の社伝などとの整合性も無い場合が多い、よって個人的には一級史料とするには心許なく、他に資料が無いだけだと感じているからです

 

 

さて、折角なので偽書について考えてみたいと思います

 

神代記においては記紀が主とされていますがそれ以外にも古語拾遺、古風土記などなど歴史解釈に使用されている書物は存在しますが基本的に記紀以降に編纂されたものなので、記紀の内容が間違っていれば他の物も連動して間違っていることになってしまいます

 

ホツマツタヱウエツフミ竹内文書、宮下文書などなど主に都市伝説が好きな人からの支持を集める系の物は殆どが偽書とされています

 

が、私もまだ全然知らない頃に引用者を信じて記事に使用したことがあるのですがw、かなりしっかりと調べてらっしゃる方でも史書として未だに引用されている先代旧事本紀記紀よりも古い622年成立とされていますが、他の書からの引用がいくつか発見されており偽書だということが判明しているそうです

 

ちょっと詳しくまでは調べていないのですが以降に編纂された古事記以降が引用したのではなく先代旧事本紀が各書を引用したと確定的に言われている以上、読んでいてもそれが明確なんでしょう、引用編纂は普通のことですが年代を偽って本体よりも古くしてしまうのは完全にアウトですよね

 

 

大切な国史において嘘を広めてしまうというのは相応しくない、明確に 偽書である とすることで嘘の拡散を防ぐというのはとても大切な事だと思いますが、記紀の内容にそぐわない物はまず排除する、という判断基準はとても危険です

 

近代においても、著名な歴史家が提唱した説が多くの人から支持されたことで歴史的事実だと広まってしまったけれど実はどこにもその元となる一級史料が存在せず、実は小説家が書いたシナリオが引用されていた可能性が非常に高い事が判明したパターンがあります

 

(あまりにも大きく広がり過ぎてしまったせいかまともに訂正されることもなく、ただじわじわと別説の考察が増え始めただけになっているようですが)

 

 

SNS全盛期となった現代においては真実よりも嘘の方が広く拡散されてしまい、一度広まってしまうとどれだけ訂正しても嘘の方が信じられてしまう事が大きな社会問題となっています

 

なぜそうなってしまうのか、人は自分に無関係だったり不都合だったりすればするほどつまらない真実よりも劇的な嘘の方に興味を惹かれてしまうからですね、それに加えてパッと見た情報をちゃんと読まない、自分で調べない、他の情報と比べないといった事が追い討ちを掛けています

 

なんでしょうねぇ、確かに中には詳細まで記されている巧妙なフェイクも存在していますが詳細もソースも無く明らかに不審点がある、なんならその情報内ですら既に理論が破綻しているようなものですら大勢が信じてバンバン拡散してしまうのですから困ったものです

 

自分だけは騙されない、見極められる、というのはもはや幻想でしかありません、嘘が嘘で固められ広く拡がってしまうといくら専門家や学者さんであってもパッと騙されてしまう可能性があるのです(実際に専門家が引用発言してしまった元がフェイクだったというケースは決して少なくありません)

 

そしてそういった問題は現代だけではない、情報の少なかった時代であればあるほど、例えば権威からの発表は問答無用で信じるしかない、大本営が発表しているから、幕府が言っているから、お代官様からのお達しだから、、、

 

末には、江戸で流行しているから、なんなら こないだ聞いちまったんだよ! という伝聞程度からタダの聞き間違い勘違いでさえも拡がってしまえば大勢が信じてしまいまるで事実かのように受け継がれてしまい、後世のどこかでそれが判明しない限りは嘘や勘違いが 事実 のままであり続けるのです

 

 

神代史についてはより文化的な発展をした江戸期に流行っていたようですね、とても多くの創作がなされたようで〇‪✕‬文書や△□口伝など偽書認定されている物の多くが文中に反映されている文字や風潮、知識的に江戸期に作られたのではないかと推定されているようです、また神代文字もその頃に作成されたものだと言われています

 

ただ、例えば、私はこう思う! うちにはこう伝わっている! というだけでは偽書とは言われず、歴史的事実や地政学的にありえない事がまことしやかに綴られたものがさらに広く一般へ周知されるようになると偽書認定される(批判される)ことになります

 

つまり、現実とは異なる創作であっても人々を欺く目的でなければ罪にはならないし社会的に問題が無ければ偽書とは言われないんですね(主義思想の自由)、有名な某文書が問題視された時も天皇等に対する不敬罪や詐欺容疑が中心だったようで結局は刑の確定までは至らなかったそうです

 

 

まぁナントカ文書なんてみんなそんなものだろうと私もエンタメとして取り上げるYouTubeをたまーに見る以外は全く相手にしていなかったわけですが、どういうわけかホツマツタヱは読んでみようと思ったんですよね

 

で、いざ摘み読みしてみれば、、、あれ? 思ったより荒唐無稽な記述が無いぞ? なんなら記紀よりも話がしっかりしている、それだけではなく記紀にも伝わる由緒ある神社で独自に伝わっている話に共通点が見られる

 

まぁ記紀のモヤモヤする部分を創作していくとこうしたとても面白い作品を生み出すことも出来るだろうとも思いますが、読めば読むほどに感じたのが、逆に記紀がホツマを元にしているのではないかとさえ思えるほどしっかりしていること

 

勿論全てではありませんが、あの情報量の少ない記紀からはとても結びつかない部分が思ったよりも多く、勿論ホツマにだって随所に怪しいと感じてしまう部分も含まれているので手放しに信用することは出来ませんが、やはりだからといって全部が嘘だとは思えない内容なのです

 

もしホツマが記紀の曖昧さを解読する為に各地各社に伝わる伝承を元に考案された歴史考証作品だとしたら、それはそれでより現実に即した調査ということでやっぱりひとつの参考にする価値は十分にあると思うのです

 

 

記紀を含めた全ての資料の元は口伝で、やがて文字で記録されるようになっても印刷なんて出来ませんから複数揃えたり劣化損傷を防ぐ為には人の手で書き写されていくわけです、なんなら印刷技術が確立しても人の手で原版が作られていたわけですしデータ化された現代でも画像読取から文字データへの変換が主流になるまでは人の手で入力されているわけです

 

つまり、その都度、写本を作成する人による誤字脱字、時には思い込みや私見による書き変え写し間違えが発生する、例えば国書クラスで何人もが一字一句が校正されたものは間違い無いかもしれませんがそこまでされない原本以外が少しづつ変わっていってしまう事は避けられません

 

古ければ古いほど原本が劣化し写本しか残らなくなるわけですから、国書とされていた既に写本だったかもしれない多くの原本が焼失してしまって編纂された記紀は写本どころか断片と記憶からの再現本だということになります

 

ホツマツタヱにおいても天皇へ奉呈された物ですから記紀の元となった国書と共に原本が焼失した可能性は非常に高い、そうなれば残っていたのは奉呈される前に作られた書き写しか焼失を受けて作成された書き直しという事になります

 

それが国書ほどの校正も無く書き写され、場合によっては分家などまで広がった写本がどこかの段階で外へ出て来たとしても不思議は全くない、さらにそれがどこかの段階で流行りの神代文字で写されたとしたら、可能性は十分にあるのです

 

つまり、全てが真実である可能性は低いけれど部分的に真実が含まれている可能性は十分にある、ということになります

 

また、他に偽書とされているものにはなかなか荒唐無稽な内容が多く、といっても荒唐無稽だからといって嘘とは限らず後世に実はそれこそが真実だったと判明する事もあるわけですが、なかなか信じ難い物があるのですがホツマツタヱにはいうほど突拍子もない事は書かれていません

 

 

現実的には、神話として書かれる記紀より現実的に描かれた方が人を惹き付けると言われますが、逆に現実をより崇高にするため神懸り的な話にする事もあるわけで実際に記紀の元になったのではないかと言われる似たような神話が海外に存在しています

 

都市伝説信奉者は、いや違う、日本の神話が世界に広がったんだ!と言うでしょうしそうでない方は何を言ってるんだこいつらはと一笑に付すかもしれませんが、どっちが真実なのかはまだ誰にもわかりませんからね

 

個人的にはその時代その時代で何に重きを置くかは変化すれどやはり発掘調査や地質調査などで否定出来るほどの証拠が見付からない限りは等しく可能性を排除するべきではないと考えています

 

凝り固まった理論よりは、反論を受けてそれを反証することで初めてわかる事実もあるものだと思います、だからこそ、現実的におかしい部分を見て見ぬふりして記紀だけをベースに考えるべきではないな、と思っている次第であります! ∠( ̄^ ̄)

 

 

さて、次の記事からは先週参拝してきた巡拝の記事をアップしていきます

 

もうそれはそれは暑く暑く暑く暑く修行のような巡拝でしたがw 有難い事にこれまでに無い経験も出来ましたし、そしてどの神社もとっても素晴らしかったです(*´ω`*)

 

今回もなかなか一社一社のボリュームがあって記事を書くのに苦労しているのでまだ半分程度しか書き終えていませんが、

 

いやー

 

神社って

 

ほんっとに

 

良いものですねっ!( ´罒` *)ニカッ


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