日々是"吉"日

ゆるゆるなスピリチュアルでパワースポットやパワーストーン、原石、お香などを楽しんでいる日々の日記です。

ホツマツタヱに大物主を読む

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

新シリーズ(シリーズ?w)、勝手にホツマツタヱでございます

 

本当はゆっくりのんびりと最初から全綾を読み解いて行こうとしたのですが、最初に全篇を数回読んだはずなのにその時点で注意が分散or一点集中しまくってやり過ごしてしまった場所が結構ありました

 

ほんと、読みながら全体を把握するのは困難でひとつに気を取られているとさらに凄く気になる部分が出てきてそっちに注視するとさらに上乗せでパワーワードが積み重なりその中のひとつに絞るとまた...と言った具合なので大変ですw

 

ということで今回は大物主へ繋がる部分に注目して読んでいきたいと思います

 


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素行が悪く追放されたソサノオはイフキドヌシ(?!)のマスヒト討伐に協力した功績が認められ、サホコに築いた宮はクシイナタ宮とされ国名を出雲としアマテルに仕える形で治めた

 

そう、大祓詞にしか登場しない神が普通に出てくるなどもう気になるワードが多すぎて多すぎて大パニックに陥ってしまうのが解読に窮する最大の要因なのですw

 

さて、復権後イナダ姫が最初に産んだ子がオオナムチともされるクシキネでアマテルは彼を大物主に任命し娘のタケコを嫁がせ、その子クシヒコはアマテルより大物主の代理である事代主に任命される

 

やがてオオナムチが宮を建てアマテルと同じような振る舞いしているため使者が送られタケミカヅチが来るとクシヒコは父が去るならば同行すると言い、逆らうタケミナカタ信濃湖へ追われ、逆らう者は誅された(概ね記紀と同じですね)

 

タカミムスビからこれまでの功績と反省を認められアソベのアカル宮を賜ったオオナムチはウモト宮を建てウツクシクニタマと呼ばれ、亡くなるとツカルウモトの神となり出雲でもホヒを斎主として祀られた

 

...待って...これは遮らざるをえない...ウツクシクニタマ?ツカル?! 期間は空くけれどこれまた偶然にも参拝社に選ばれ参拝した岩木山神社は780年創建説でしたが津軽開拓の神として顕国魂神大国主として祀っていました...つまり津軽へ国替えされていた?!

 

かなり驚いていますがとりあえず今回のテーマではないので戻りましょう...w

 

大物主のクシヒコはタカミムスビより国つ姫ばかり娶っていると勝手が分からぬだろう、我が娘ミホツ姫を妻として皇孫を守りなさいと言われる

 

ここまで事代主だったクシヒコがモノヌシ(大物主)と呼びかけられているのは二代目を継いだ事が書かれていないのか、娘を娶り忠誠を違うならばお前を大物主にしてやるという意味だったのか

 

クシヒコの世継ぎはヨロキマロミホヒコで三代目大物主となり36人の子をもうけた事からアマテルよりコモリカミの名を賜ったという...はて、オオナムチが三輪山に大物主を祀ったという話が出てこない、そしてアマテルに関する綾が続く

 

我慢していたけれど逸れてしまおう、ワカヒコの葬儀で死者と間違われ暴れた際に歌を詠んだシタテルオクラヒメと結ばれたタカヒコネが再度登場します

 

馬術を極めイフキドヌシやソサノオを鍛えたというヲバシリの弟子のひとりだったタカヒコネはニニキネ(瓊瓊杵)に指南し見事鍛えあげたことからアマテルよりフタアレの名を賜り、その子も孫も馬の君と呼ばれるようになったという

 

うーん、鴨とは繋がらないし実際フタアレが日光と繋がるかどうかはちょっとよく分からないかもしれない

 

次に大物主が出てくるのはオシホミミが皇子クシタマホノアカリ(テルヒコ)を後継に推挙、タカミムスビがアマテルの十種宝を授け向かわせた、その行列の中に三代目大物主コモリの子達も加わっていたほか、大物主(コモリ自身か?)も物部衆を連れ参列しており総勢864人だったという

 

つまり天孫降臨はオシホミミからホノアカリへの世代交代でありそこには忠誠を誓っていた(といっても元々臣下であった事には変わりないのだが)大物主ら国つ神もしっかり加わっていたようなのである

 

さらに驚く事に一行はヒタカミを出てカシマ宮へ、アマテルより指示を受けた伊勢のニニキネはタチカラヲと共にワニフネに乗りカンフサのツクモ(上総の九十九里?)へ、そしてカトリ宮でホノアカリと合流しイワフネで行けという詔を伝える

 

ちょっと混乱する部分もありますが、どうもヒタカミは鹿島より北にありニニキネは伊勢の伊雑に居たようですがアマテルは同じく伊勢に居たのか祀られし神としてのお告げだったのか

 

イワクスフネを造った一行はツクモを出てイツノミサキ(伊豆の岬?)を周り熊野宮を拝みナニハからイカルガまでカモ(船?)で向かいその地をヤマトクニと名付けたという、随分と具体的で経路的にもしっかりと書かれている

 

ホノアカリはイカルガに宮を建てたがシラニワ山にカラスが飛ぶのを見てクマノと思い早くも宮を移すという、アメノコヤネとオオモノヌシは一年も経たぬ遷宮は穢れになると強く諌めるも聞き入れられず、オオモノヌシは帰ってしまった

 

祖父が皇を強く諌め隠棲したというのはこのことですね

 

オオモノヌシが去った先は伊勢だったのだろうか、ニニキネよりニヒハリ宮を建てるよう頼まれたオオモノヌシが造り上げた宮造りは現代にも残る神社建築の元になったようで非常に細かく書かれておりその業績からヲコヌシの名を賜ったようです

 

ニニキネは完成したニイハリ宮へツクバから遷ったと書かれているのでイセでアマテルに仕えつつ宮はツクバ、つまり筑波にあったということだろうか

 

ところがニニキネが宮入する前にカキクモリハタタカミナリカキヤブル、これが民が暴れ宮垣が壊されたと解釈されているようですが遷宮に選ばれた地で民が暴れ塀を壊すような騒動が起きるものでしょうか

 

それを聞いたアマテルは主導したウツヲ神の社を壊せというがニニキネはオオナムチは国を追われたが息子大物主はしっかりやっているとように後に何かを成すのではないかと説得、宮の東北鎮守としウツロヰのヲマサキミと名付けた

 

大物主がどれほど尽力しており信頼されていたかというところですがこの辺りは難解でして、この綾の最後に「長くツクバに宮を構え、フタアレのヰズの神として暫く過ごし、そして元のニハリ宮に戻られた、ヰズの神の素晴らしいことよ」と書かれているのですが...

 

この難点を調べてみるとニニキネはカモ大神、伊豆大神、別雷神であるとされています、ちょっと多くを兼ね過ぎた解釈のようにも感じますがそうなると葛城賀茂はタカヒコネで京賀茂がニニキネということになる? そしてフタアレを治めていた時にタカヒコネから馬術を習ったということになるけれど立場としてはニニキネの方が上で...

 

あかん、やっぱ混乱するから大物主に集中しましょうw こんな感じであちこちに気になるワードが出てくるのにそれぞれが難解なのでほんと解読に困りますw

 

続いてある日の話が出てきます、モノノベが剣を拝み大物主が斬る物が何故宝なのか聞くとアマテルは昔君(王)が使っていた矛であり皆が決まりを守れば矛は要らぬが守らぬと斬らねばならぬ、斬る事で寿命というものが出来て短くなってしまったのだ。など国を司るにはという話が事細かに語られたのち、物部よ我儘に民を斬るな、民は皆我が孫だ、その民を守り国を治めよ、と諭す

 

さらに話を続けた大物主はアマテルがイザナキイザナミより授かったサカホコを与えられ、皇の八重垣おしてヤマトヲヲコノミタマノカミの称号を賜り代々ニニキネの右大臣を務めるよう仰せつかったという

 

こうしてクシヒコ(大物主)が大和の山辺に宮を造った時には既に高齢だったが皇を代々守り続けるため生まれ変わるとしてサカホコを下げ三諸山に掘った洞に入ったがトマミが物部をまとめツミハが事代主となりニニキネを守った、とある

 

遂に三輪山の大物主が誕生しました、なんと御諸山は即身仏が如く自ら洞に入った墓もしくは逆鉾御神体として祀られた場所で天皇を守り続ける役目だったのです

 

まぁこれを書いたのが他でもない大物主の子孫ですからある程度の誇張はあって然るべきかもしれませんが、三輪山にどの大物主がどういった経緯で祀られたかという謎はこの話が唯一しっくりきます、またとても多くの称号を受けた中のひとつがオオクニヌシの名に似ていたことが混同を招いたのではないかと推察する方が多いようです

 

まだ続きます、時代は戻るようですが国中を巡りたいと申し出たニニキネですがアマテルに許されず伊勢に留まり治水を行うとそれが認められ国中を巡ることに、右大臣大物主は三種宝の剣を授かり同行した

 

名古屋には物部神社があり熱田神宮草薙剣が祀られているのと関係があるかもしれない?

 

しかも直接大物主に剣を渡したのはハヤアキツ姫と書かれている(御鏡を左大臣天児屋根に授けたのはセオリツ姫ですって)

 

一行は伊勢から飛鳥、ミツのニシノ宮、マナイ、コヱネへと至り白山でココリ姫と会っている、感動したニニキネは国の名をコシと定め、輿を作った妹ウケステにモモキネの名と美濃国を与えたという、岐阜も白山への登拝口で白山神社の多い土地ですね

 

タカシマに着くとサルタヒコと出会う、一行にアメノウズメも居たようである、地理関係の調査はちょっと置いておき多賀宮、美濃、諏訪からハラミ山へ至る、このハラミ山は富士山だと解釈されている、オオヤマツミの元でアシツ姫を妻に迎えニイハリ宮へと戻り即位する

 

大物主はヒタカミから井堰を造りヒスミに至るとオオヂが宴を開いたとされる、主君ニニキネが富士を開拓したと伝えると自分も開墾に尽力したがそれほどのことは知らず素晴らしい君に今後もしっかり尽くしなさいと言ったという、はてこのオオヂとはいったい...? 東北に移されたオオナムチが会いに来ていたのだろうか

 

いや、その後の大物主は海を西に渡り佐渡、越まで開墾していったようなので津軽を通って父に会っていたのだろう

 

大物主に限ると言いながらやはり触れずにはいられない、ニニキネが娶ったアシツ姫はサクヤ姫の事である、身篭った妻をアマテルに会わせに行こうとすると母親が姉のイワナガ姫を紹介するが痩せすぎで美しくなかったので断る

 

オオヤマスミは妻を叱り、それを恨んだ母姉がアシツ姫の子は浮気だと触れ回る、、、おっと姉を勧めたのがサクヤ姫か母かはやっぱり解釈が別れるようです、ニニキネはそれを信じて一人で伊勢へ行ってしまう、室の八嶋とされる火をかけたウツムロで出産した場所は富士の裾野だとホツマツタヱには書かれている

 

ニニキネは助け出されたアシツ姫達の居るサカオリ宮へ急ぎ、長男をホノアカリ、次男をホノススミ、三男をヒコホオデミとし、子を産んだ日から桜が絶えなかった事から妻の名をコノハナサクヤ姫とした

 

うーん、こうして読んでいるとやはりある程度スサノオとオオナムチにより国造りが進んでいたとはいえその後の国譲りによってさらに平定されニニギの代では治水と開墾で各地を豊かにしていくほど広く平和であったようです(勿論時折イザコザもあったようですが)

 

かいつまみになりますがネの国はどうも北陸らしい、大物主が北国からネ国に至るとコキリ姫(ククリ姫だという)と会っている、つまり全国開墾事業は関東北陸東北を大物主が、近畿東海中部をニニキネが担当したということだろうか

 

タガの国を訪れた大物主は娘のアサ姫に養蚕縫製を教えオオクニタマ神を祀って暫く滞在したことからコヱ国の神とされたという、タガといえば滋賀県多賀大社ですが茨城や宮城にも多賀があり茨城県桜川市には大國玉神社がある(ただし真壁郡で創建は700年頃とされている)

 

そして凄い事が書いてある、二尊はオキツボ(近江?)を治めアマテルはヒタカミ(北関東東北辺り?)を政治の中心とし、そしてニニキネはハラミ、つまり富士を国の中心としたというのだ

 

まだ先があるのに尚早ですが、なぜ記紀ではその辺が書き換えられたのか、なぜ富士が隠されたのか、それはニニギが富士を中心として国を治めた事実を残すには大物主の活躍は欠かせない、ではなぜここまで尽くし国王補佐レベルになっていた大物主を怨霊として隠さねばならなかったのか

 

各地を巡拝していて謎に感じたのは国譲りで敗れた大国主を祀る神社が思いの他多い事だけでなく天津神国津神、それこそ直接戦ったような記述のある神々が共に祀られていたりする事だったのですが、大国主が出過ぎた真似してごめんなさいと東北へ引きこもり大物主が天津神と手を取り合って尽力したからこそ国が栄えた、だから共に祀られている、だって仲間だもん!

 

そう考えると三輪山の件もオオナムチオオクニヌシオオモノヌシコトシロヌシの件もあれもこれも納得が行くんですよ

 

なんなら富士山噴火を鎮める為に後からサクヤヒメが祀られたという話こそが元から富士を本拠にニニギの妻となり国の中心となった事実を隠す為の嘘だったという方が凄くしっくり来ます(勿論しっくりくるから真実に直結するというわけではありませんが)

 

ではオオクニヌシスクナヒコナの進化系であるニニギとオオモノヌシの国造りが隠されたのは何故かって?

 

その理由は物部氏ですよ! 物部氏!!

 

飛鳥時代に勃発した物部氏と曽我氏による丁未の乱は曽我氏の勝利に終わりました、ニニギを補佐し偉大な功績を残した大物主と物部氏の記録はとても邪魔だったんでしょう、それを消すにはニニギの功績すら消さなければならない

 

ただし皇孫ですからただ消すわけにはいかない、そこで全国開墾と富士王朝の事実を天孫降臨にすげ替え物部の祖である大物主は過去の存在であり国譲りで消えた存在にしたのです

 

うん、これぞ都市伝説!!w ですが、とても理にかなっているように私には思えます、そりゃぁこれが真実となれば未だに都合の悪い人も多いでしょうから認められないのも分かる気がします

 

まぁでも勿論、なぜアマテルを外に? アヂスキタカヒコネと賀茂の話はどこに? という謎が残るのですが脱線から戻って続きを読んでいきましょう

 

各地の開墾が記される中に、津軽ではオオナムチが沼を掘りあげ田水を作ってヰユキヤマに里を拓いたと書かれている、これが岩木山だとされています

 

ちなみにイカルガからアスカに無理やり遷宮したホノアカリ(アスカヲキミと呼ばれている)はまたしても香久山への遷宮を強行し大物主の諫言を引用し強く諌めた妻スガタ姫に女は子を産み政に口出しするなと現代でも大炎上する逆ギレをかまして出て行かれている、あらあら...w

 

邪推すると大物主の諫言が正しかった事を強調する部分であるような気もしますがちょっと待てよ? 皇に強く諫言し隠棲したけれど自分で復権したからこれを書き奏上したはずだが大物主は隠棲どころかそのままニニキネに仕えほぼ国のNo.2にのし上がって大活躍している、これは一体???

 

やがてニニキネは高千穂で崩御しヒコホオデミが跡を継ぎアメノコヤネと大物主は引き続き左右大臣を務める、恐らく代替わりが混ざってくるのだろうがこの書は時代が前後するので大変だ、さっそくカンタチ(長男らしい)が大物主に就き筑紫を治めている

 

様々な婚姻などが出て来ますが私の足りない頭はとうの昔に混乱状態に陥っておりますw

 

ふんふん、と流して読んでいたらナガスネがオオモノトミになったという記述が出てきた、ナガスネヒコが大物主に仕えた? 結構時代が後になったようですがこの直前にはハラ宮のクニテルをニギハヤヒにすると書かれているので一部整合性がある

 

ホオデミが跡継ぎに選んだ御子はウガヤフキアワセズと呼ばれている、フキアエズではなくフキアワセズ?! そしてタマヨリヒメやカモタケツミの名が見える、、、けれど我慢して先へ進もう

 

事代主を務めていた大物主の次男ツミハは重要な役割を果たしたことでツミハヤエコトシロヌシとされ三島を拠点として尽力している間にタマクシ姫と結ばれクシミカタマとクシナシが産まれるがオオナムチも登場する

 

子孫もオオナムチと呼ばれたと書かれていたが内容的には初代オオナムチのように思えてまた大混乱、と思えばどうもここで登場するオオナムチはサキミタマのようだ

 

二代目大物主のカンタチは子のフキネを次代に据えたようですが話が行ったり来たりするのでキツイw 祖神が顕現されどこに祀りましょうぞと聞くと私ではなくお前が住めと言う、さらに子がいないと乱れるので事代主の子クシミカタマを跡継ぎにせよと告げられ、その教え通りミモロに殿を建て筑紫を治めたという

 

大物主が無くなる際には次代へムラクモを与えたようですがほんと、全体的にキツイのは元文が同じ人物を役職名や諱、本名、称号などを織り交ぜつつも主語抜きで書かれているので翻訳を作った人がそれぞれに補った主語人物の解釈に差があったり書き方が違ったりして話が繋がらない気がしてしまうのである

 

前後して混乱したままですがとりあえず進もう、クシミカタマはタガの君となったヰツセの右大臣を務める、タネコは御子のタケヒトの御守役を務める...タネコ出てきた?!

 

あぁややこしいったらありゃしない、タネコともアメノタネコとも書かれるのはコヤネの家系、つまり左大臣なんですね、まったくややこしい

 

タケヒトとタネコはタガを出てニシノミヤからオオワニに乗ってウトノハマに着いてミヤサキ宮へ、、、あれ?多賀ってやっぱり近江?(混乱は置いていこう)

 

二人に治世を説いたミヲヤアマキミ(ウガヤフキアワセズだという)はタケヒトを跡継ぎに据えヒウガの神、オニフでカモの神、アラヒツ山でミヲヤ神として祀られ、その妻タマヨリ姫が亡くなるとカアヒに併せ夫婦神として祀られたという、、、オニフ?カモの神?!

 

あれ、、、賀茂の神が複数になってないか?(情報過多で混乱)

 

君が変わったのに暦が変わらぬと大物主が伊勢へ行きフタヱと共にオウチ宮へ問うとカスガは初め暦の成り立ち?について説明していたかと思えば二尊からの世の流れを話し、大物主がマサカキを探すことになりアスス暦に決まった(結構重要な話と思われますがここでは割愛しておきます、終わらなくなるのでw)

 

ここから少し飛ばしてしまいますが(一応ちゃんと読んではいますw)、タネコがウガヤフキアワセズより授かりミカサにしまった文をナガスネヒコが密かに写し取る、タネコが驚きタケヒトに知らせ騒乱へと発展したようだ

 

タケヒトとタネコが宮崎に居たので平穏だったが香久山のナガスネヒコが儘に振舞ったため富士王は糧を止めナガスネヒコは船を止めるなど混乱に陥った

 

結局タケヒト自らが大和へ行くことになり宇佐、安芸、吉備、浪速と何故か途中途中で政をしながら数年かけて進み河内クサカで軍を整えた、ここからヤタノカラスが登場しナガスネヒコは妹が后として産み十種宝を授けられたニギハヤヒの子ウマシマチに仕える我らが正統だ!と主張

 

ニギハヤヒは恭順を示すもナガスネヒコは従わず、ツチグモ・アシナガグモに手を焼いたタケヒトは大物主クシミカタマの応援を頼み葛網を使い退治、ナガスネヒコがどうなったかは書かれていませんが足長蜘蛛がナガスネヒコの事なのかもしれません

 

大和を平定すると命を受けた大物主が橿原の地を遷宮先に選ぶ、タケヒトは事代主とタマクシの娘ヒメタタラヰソスス姫を后に迎え、事代主はヱミス神として祀り孫のクシネを県主に据えて即位したという

 

マツルオオミハ カンナミゾ カンヨリニナモ カンヤマト イハワレコノ アマギミト アマネクフレテと書かれているがこれをクシヒコを三輪山に祀ったとか三輪山を拝んだと解釈されているようですが無知な私的には神奈備に祀られる大三輪神に因んでカンヤマトを名に使ったという意味のように思える

 

度重ねますが、一族としての誇張があるにせよ大物主(一族)の活躍と信頼と地位は絶大でこの書が本物であればという条件付きですが、時の天皇へ差し上げるものに大きく嘘を書く様なことは無いだろうし天皇もそれを認めることは無いでしょう、ただし崇神天皇は大物主派と思われるのである程度の誇張は許されたかもしれませんが

 

次の綾にてクイシカタマとヰツセがナガスネヒコを取り逃していた事が書かれていました、大物主がアワウミの大国宮を作り替えコシネやサホコを治めたので平和になり、ウマシマチは十種宝を君へ献じ、タネコはこれまでの経緯を記し献上した、物部はウマシマチが継ぎ、賀茂県主はアタネ、葛城国造はツルキネ、ヤタカラスの孫がカドノヌシを任命された

 

人も稲にも病が流行りタネコとクシミカタマがヤスカワで祈ると収まり、君はクシヒコが正しき心を持っていたからであるとして大物主を神としてタネコはナカトミカミを賜ったという、、、これが中臣の始まり?!

 

また、ミヤコトリの助けで騒乱を収められたのでアメトミにカモを遷させミヲヤ神をハリハラの鳥見山に祀り、アタネをカモタケツミの斎主として国造に任命したようだ

 

世継ぎとされたカヌナカワミミ尊の右大臣大物主はアタツクシネが務めている、そして時は流れ、我既に老い政ナオリナカトミ・モノヌシの親子の臣にまかすべし、諸臣は彼らと若宮をたてよと崩御される

 

永く大物主が治世を行い国を治めていたということになります、クシミカタマは宮中で喪に服しタネコ、クシネ、ウサマロらが若宮と政を整えようとしたが継承に納得のいかなかったタキシ御子が勝手に政を行いさらに暗殺を企てるがイススヒメの機転により返り討ちにする大事件が起こるのであった、自分を殺そうとしたタキシをしっかりと祀りカタキに遷ってタカオカ宮で即位したカヌカワミミはカシオに父を埋葬した

 

ある日、オオナムチは三諸神より事を為せたはサキミタマである我が居たからでワサタマはワニヒコ(クシミカタマ)であると告げられたので世継ぎを決めた、以降三代も事を為した三代目のワニヒコまでを三輪の神として代々皇の守護神として祀るという勅が出され、クシミカタマの子?アタツクシネが大三輪姓を賜った(つまり斎主?)という

 

この中で ヒトリワカレテ という部分が三人のうち一人が一族では無いと訳す人も居ますが一族から離れたという方がしっくり来るような、でも意味がわからないと読み返してみたのですが、初代クシキネはオオナムチでその後三代とすればクシヒコ、コモリ、フキネでどうやらコモリが優秀で長命だった為にカンタチは大物主を継いではいなかったのかもしれない?

 

うーん、ほんと何度も愚痴ってしまいますが、それぞれを調べようとしても翻訳者によって内容だけでなく系図までもが異なるので自分自身で調べるしかなく、でもそれにはかなり頭も混乱して本当にキツいw

 

とりあえずちょっと衝撃ですね、一旦整理すると三輪山は二代目大物主が宮を建て洞に眠り2代綏靖天皇によって代々の功績が認められ皇室守護神として二~四代目大物主が祀られたことになります

 

ちなみにワニヒコハモモコソフホゾの翻訳次第ではありますがこの部分はその偉大な功績を認めワニニコを192歳とするという詔だったと思われます、つまり功績に応じて年齢が加算された?

 

それはつまり上古天皇の有り得ない年齢こそ功績加算だったのか?と調べてみたけれど記録によって違えど初代神武天皇ですら137歳、崇神天皇が168歳ですから歴代天皇を大きく超えるほどの年齢を与えるとは思えない、とはいえこの数字をオオタタネコが水増ししている可能性も拭えない、ちなみにこの後アメタネコが187歳で亡くなったと書かれている

 

民は稲の病を祓い産土神として住吉・物主・中臣を併せてナオリ神として祀ったという話を挟みヌナカワミミが84歳で崩御したと書かれている、やはり年齢功績説は採用しがたいので数代が一人に併せられているような気もする

 

代々の天皇について語られミマキイリヒコ、つまり崇神天皇の話になる

 

磯城に都を遷した崇神天皇は、クニトコタチ宿る御璽・アマテル宿る八咫鏡・オオクニタマ宿る八重垣(剣)の三種宝を代々受け継ぎ祀ってきたので我は神々と暮らしてきたが畏ろしくなり落ち着かないのでアマテルをカサヌヒでトヨスキ姫に祀らせる、オオクニタマはヌナキ姫にヤマヘの里へ祀らせる、イシコリトメの子孫に鏡、アメヒトカミの子孫に剣を作らせ天照御璽と併せ神宝とするという

 

あれ? クニトコタチは残されたのだろうか、だとすると御璽だったはずなのに新たに作った鏡と剣に併せる御璽(ヲシテ)がカサヌイに遷されるはずのアマテラスに変わっている

 

これにより疫病が蔓延して多くの民が亡くなり出て行ったので二神の宮を新たにした、、、あれれ、怖くなって宮外に出してしまったのが原因で祟られているようだ

 

祀りが届かず咎められているとしてアサヒノハラに行幸するとモモソ姫に大物主が宿り、神を敬うことにしたが収まらず、すると夢に大物主が現れ我が子孫のオオタタネコに祀らせば治まるだろうと告げられ、同様にメハクシメ、オオミナクチ、イセヲウミも同じ夢を見たというのでその通りにし、神名文を作り八百万の神を祀らせたことで豊かになったという

 

崇神天皇は即位してすぐに宮中の神を恐れ遠ざけたようだがもともと神々を敬う気持ちが無かったのかもしれない、平和が戻ったのも束の間、タケハニヤスが叛乱を起こし征伐するとまだ荒れる地へ軍を送ったようだ

 

さて、三輪神が祀られたところから突然出てこなくなってしまったと思っていたら突然に現れました、それもモモソ姫は大物主の妻となる、といきなり始まります

 

夜は来て下さるけど昼にはいらっしゃらない、夜が明けてもお会いしたいですと留めると大物主は櫛箱に入っているので驚かないでくれと言われたが小さな蛇の姿を見て驚き泣き叫んでしまい、人の姿に戻った大物主はナンジシノビズワガハジトと三諸山へ帰ってしまい、恥じたモモソ姫は亡くなってしまったという突然のホラー演出です

 

皇女であり巫女として大物主のお告げを行い国を救ったのですがその功績もあって妃に選ばれたのでしょうか、にしても魂として夜は姿を保てるが日中は何かに乗り移るしか姿が見せられ無いというのは現代の心霊にも通じるようでこの話が元となったのかそういう風潮がこの時代既にあったのか

 

これが大物主と蛇を繋ぐ話ですがどうも代々に跨る輝かしい功績が綴られていたかと思えば暫く存在が消え、祟りを鎮めたかと思いきや巫女を驚かせて死なせてしまうというのは三輪神として祀られた後に何かあったとしか思えない

 

大物主が皇への強い諫言で隠棲してからオオタタネコ復権したと書かれているが年代的にもズレていることからどうも四代目かその後の大物主で別の何かをやらかしたのではないか、それはとても書けないので身を捨てての諫言という英雄譚に書き換えてしまったのではないだろうかと勘ぐってしまう

(次に日本書紀を読み解いていてオオミケヌシが君に諫言したタネコの祖父だと気付きました、それについては次の記事にて)

 

だって諫言して出て行った直後からとんでもない大活躍ですよね、あれだけの功績を嘘として綴ったというのは逆に考えづらいし単純に左右大臣制度が廃されたのであればそれも書かれると思うのです

 

そしてトヨキイリヒコとヰソサチの夢の話は宇都宮二荒山神社を調べる際にも書きました

 

崇神天皇の跡を継いだイクメイリヒコ(垂仁天皇)の后(ヒバスヒメ)がヤマトオオクニ神より神垂を賜る夢を見て身ごもりヤマト姫を産むと亡くなってしまったが君は姫の巫女としての才を認めアマテル神の斎主をトヨスキ姫からヤマト姫へ変えたと書かれているがどうもトヨスキ姫と共にアマテルに仕え、年齢的に続けられなくなり後継となったようである

 

やはりもう出てこないかと思っていたら、三輪のタタネコが相談を受け賀茂神の前で定めましょうとミヲヤの神に参り助言をするとキフネとワケイカツチの神にワカを奉納すると賀茂宮も伊勢も荒れているから政がうまくいかないのですと君に訴え、タタネコの孫クラマロがオオカモとして賀茂社を任され、ミヲヤ神、ワケイカツチ神の宮遷しをオオタタネコが行ったようだ

 

この後も綾は続きヤマトタケルで結ばれる、見逃しが無いとは言えませんが大物主に繋がる話はもう出てきません

 

これは自分で書いたものと神代の書、クニナヅ(伊勢の神官?)の三笠記、そしてムカシモノヌシ(クシミカタマ)が勅命により書いたものを併せたものとして奏上しますと結ばれ終わります

 

 

いやー、、、普段使ってない脳みそが筋肉痛です(マテ)

 

やはりまだまだ謎は多くいくらでも出てきます

 

物部氏はウマシマチを始祖とするというのが定説ですがホツマツタヱではウマシマチと物部が両存しているだけでなくウマシマチよりも先にその名が出ており大物主の下で働いている

 

君が頭で左右大臣が羽、物部が足という比喩で語られており左右大臣がしっかりしていないと物部が割れ世が奪われる(国が崩れる?)と言われている事から考えると各国長(部族長)という意味のように考えられる

 

ただし大物主がアマテルより代々授けられていた大切な剣を守る役目を仰せつかっているしウマシマチは代々物部を継げと言われておりそこでは各部族長という意味が成り立たない、各部族長のさらに長にウマシマチが就いたと考えてももはやそれは大物主や君の存在になってしまう

 

む、むむむ?! 大物主に関する記述が忽然と消えたのは三代を神として祀ったところからでウマシマチは物部を継げと言われた辺りである、その時は鏡と剣が耐えれば物部が割れると言われていたので大物主(五代目?)は存在していたはずだがもしかしたらそこで絶えてしまい物部が台頭、それにより国が治まらなくなっていって崇神天皇の頃には荒れに荒れ、物部を抑える事の出来る大物主の系譜がオオタタネコ復権したと考えれば...?!

 

そうだよ、これずっと気になってたんだよ、崇神天皇らがお告げを受け祀り直して世が治まった大神神社の斎主は凄いけれどイチ斎主が天皇に故事を記した書物を奏上するのは普通の事なんだろうか?

 

つまり大物主を祀らせたというのは大物主に準ずる役職に就かせ言うことを聞かなくなっていた物部をまとめさせたと考えると非常に都合が良いわけです(ご都合主義w)

 

物部を継いだウマシマチが台頭して大物主系が追いやられたのであれば子孫であるオオタタネコがもっと細かく書くはずだが、この時物部を追放した訳ではなく落ち着かせたのであれば悪く書けばそれこそ落ち着いたものが再び騒乱となる

 

よってその辺がごっそり抜け落ちて突然大物主系が消え合わせるように物部も目立たぬようにされたと考えると再びのご都合主義として完璧!!!  なわけないやろ!(自己ツッコミ)

 

物部氏の祖はニギハヤヒであるという強い説もあってもはやワケワカメ状態でございますが物部氏は後に応神天皇に仕えた武内宿禰を始祖とする蘇我氏に敗れ衰退、その際に物部の記録が消されたと言われており謎多き一族になってしまった原因かもしれません

 

ちなみにそんな中、左大臣を務めていた天児屋命の子孫中臣氏は勢力を保ち続け鎌足が藤原を名乗ってからは全国を支配するほどになっていますね

 

っと、大物主から大きく逸れてしまった(反省)

 

逸れついでにアマテルですがよくよく読んでみるともしかしたら女神として書いてないか?という部分もあったような気がします、つまりこれはアマテルという役職に男神だけでなく女神が就いた時代もあったのではないか

 

つまり男神アマテルを女神に変更して都合良く書き換えたのではなく女神だった時代を利用したのではないかという気もしました

 

ちなみに物部ですが、饒速日や宇摩志麻治を始祖とする説を忘れたフラットな状態でホツマツタヱを読んでいると大物主が率いる形で登場しており、物主の物なのか?と思ったけれどそもそも物主は武力面の統率をしていたようなので物部はやっぱり将軍たちという感じなのかもしれない、その中で有力だった者に物部姓を賜った形だろうか

 

まぁここまで考えておいてこれが偽書寄りなのか真書寄りなのか分からないということは改めて書いておきます(。-_-。)b

 

では次の記事で記紀から大物主を読みといてみます(*^^*)b

 

...

 

......

 

.........む? .........むむむむむ???

 

実は次の記事を書き終えた後、ふーっとひと息吐いているとふわっと頭に降りてきた

 

そういえばかなり前、それこそこうして神社巡りをする日々など想像もしなかった頃に続けて同じ夢を見ていて不思議だった場所

 

巡拝を初めてからも一度だけ久しぶりにその夢を見て実際に行こうとしたけれど狙う予約が取れなくて諦めたところ

 

そう、金刀比羅宮である

 

あぁ、大物主が祀られている!! ...でも崇神天皇もだよね? ちゃんと調べたことは無いけれどなんとなく神仏習合されたところで御霊信仰だからきっと大物主もその都合で祭神にされ...

 

...まさか?!

 

サラッとWebで調べると大物主と崇神天皇を祀り元は真言宗の寺で神仏分離により金刀比羅権現を廃止して大物主を主祭神とした、と以前調べた通りの事が書いてある

 

が、その時はちゃんと公式HPを見ていなかったんですね、恐らくHPを見ると詳細を知ってしまうからでしょう、でも大物主について色々調べた今であれば知った所でマイナスにはならない

 

公式の由緒を見ると、初め大物主神を祀る琴平神社と称し中古に本地垂迹説を受け金毘羅大権現になったと書かれている、、、元が大物主!!!

 

あっ!! ホツマの最後に大物主が書を収めたって書かれていたのをまぁここはいいかと流したのを思い出した、見返してみると結びの綾最後に

 

コノフミハ ムカシモノヌシ ミコトノリ ウケテツクリテ

アワミヤニ イレオクノチノ...

 

と書かれている、つまりタネコが纏めたムカシモノヌシ、つまりクシミカタマが書いた書が阿波宮に収められたと言っているのだ!!! って金刀比羅宮は讃岐!!(ドテッ)

 

しかも 阿波 大物主 で検索するとなんと茨城県稲敷市の大杉神社が阿波地区で あんばさま として倭大物主櫛甕玉大神を祀るという(創建は767年とされておりどこまで関連があるかは不明)

 

っていうかホツマ本文中に阿波宮があったはず、と読み返すとまずツミハがアワノアカタに納められると書いてある、これは三代大物主の子で主に事代主と呼ばれる神でイワレヒコの后の父となります

 

続いて時代は前後してイワレヒコが后を勧められるところで阿波宮にコトシロの娘ヒメタタラヰソススヒメが居るとされている、探しきれていないだけかもしれないが直接大物主ではないものの子孫が阿波宮を治めていた事を考えると関連は十分にある

 

金刀比羅宮は讃岐だが伊予も大物主系で治めていた事が書かれているのでその範囲といっても差し支えなかろう

 

書が収められていたのは金刀比羅宮ではないかもしれませんが子孫が治める地に祀られていたのは間違い無いと言えるでしょう、、、つまり? なぜか繰り返し夢に見ていた場所までもが大物主に直結している事がここで判明するという連鎖...

 

これは...遂に整ったのか? 遂に行ける...のか?

 

ぶっちゃけ、新幹線と特急や夜行バスなんていつでも手配出来るわけで急げとなればいつでも行けるのですが...出来ればサンライズのしかも個室で行きたいんですよ(苦笑)←予約困難

 

っていうか手段がなんであれ行くならば今だ! という奇跡的なタイミングで行きたい! 漸く繋がった今こそがその時だろうという気もしたのですが日光、三輪山、宇都宮ほどに急がされている感じがしないのはもう少し何かを繋げておけということなのかな、と

 

なんてことがあったので折角なので追記してみました(*´ω`*)

 

実はその前にひとつ、まぁ自分で探したっちゃぁ探したけれどスパンと繋がった所があったのでそちらが先なのかな、と(。-_-。)b