日々是"吉"日

ゆるゆるなスピリチュアルでパワースポットやパワーストーン、原石、お香などを楽しんでいる日々の日記です。

ホツマツタヱってなんじゃろか

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

 

さて、一応日本の歴史というやつは古事記日本書紀が元とされておりますが各地に別説や口伝が残されており一体何が真実なのかは歴史の奥深くに眠り続けています

 

歴史というのは勝者の記録でもありますからそういう意味では記紀ばかりが真実とは思えず、偽書とされる各口伝も嘘とばかりは言えないのです

 

かの有名な三国志だって、、、というところで冒頭ではありますがいきなり脱線いたします( *・ω・)ノ

 

それぞれが様々な名前で呼ばれることもあり分かりづらいのですが基本的に三国志正史三国志三国志演義に分けられます

 

勝者が歴史を作るという観点から魏を主体として描かれるはずである三国志ですがなぜか劉備が中心として描かれている、それは三国志の著者が蜀漢に使えた人物であるからだそうです

 

ではなぜそれが正史とされたのか、それは各地で様々に伝えられる"三国志"のどれよりも魅力的に描かれ、そして三国それぞれをしっかりと描いていたからだとされています

 

うむ、納得、史実に忠実か否かは当然のことながら伝わり方によりどれがどこまで真実かわからない中においてはより具体的でそれぞれの立場がちゃんと描かれており、そして何よりも読みやすければ読みやすいほど多くの人に読まれ採用される

 

三国志は確かに蜀贔屓ではあるものの魏を貶めるわけではなくそして呉に関してもしっかりと描かれている、ただしよくよく調べてみれば著者 陳寿の個人的理由で内容を変えたり触れられていない部分も散見されるそうです

 

つまり、日本においてもかなりの人気で有名な三国志ですら古名に贔屓や隠蔽改竄がされているのですから記紀や口伝だってそうであるに違いと思っています

 

ちなみに三国志演義は小説として書かれましたが決して創作を交えてエンターテイメント性を上げたわけではなく各地に伝わる話の中から年代の齟齬や有り得ない部分を排除し本格的に書かれたものだそうですので場合によっては正史三国志よりも史実に近いのかもしれない?

 

日本においては古事記の後に日本書紀が編纂された事になっていますが実は日本書紀が先で古事記はそれを元に書かれたものであるとも言われています

 

確かにそう考えると、とても分かりづらい別説だらけ、つまり説話集のような日本書紀よりも一本化された古事記の方が分かりやすくまとめられたもののように感じます、であれば諸説の中から編纂者の好みで選ばれたストーリーということにもなりますね

 

 

では、完全に偽書扱いで無視され一部の都市伝説ファンが好むだけになっている感のあるホツマツタヱは一体どんな内容なのか、難しそうで脇に追いやったまま結構な日々が過ぎてしまったのでここで漸く重い腰を上げてみました(*´ω`*)

 

ガチで考察していくととんでもない事になることが読み解く前から分かっていたのでとりあえず現代語訳をざっと読みつつ自分なりの大筋と気になった部分だけを書いてみたいと思います(間違っているところがあったらごめんなさいね)(でも解釈が人によって違うし元が難しいから許してね)

 


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まずホツマツタヱの著者はなんとオオタタネコらしい、そう、三輪山にて大物主の斎主となった人物である

 

ここからして驚きですが現存しているのが江戸期の写本で原本はいつ書かれたのか分からないのいうのだからそりゃぁ学者さんがそっぽを向くのも致し方無し、神代文字であるヲシテ文字が使われているから本物であるとされていますが本当に神代より写されてきたのか古語を学んだ人が書いたのかわかりゃしませんもの

 

オオタタネコが書き残したということは前90年以降に成立した書物ということになります、まぁ紙や木なんて余程厳重に管理したしてもそう長くは残りませんから多く伝わらなかった書に写本以外が残らなかったのは当然といえます、つまり写本しかない事を偽書の理由にしている人は論外です

 

編纂理由とされるのが何気に面白く、祖父は皇へ強く諫言した責任を取って隠棲した(させられた?)が自分の代で復権させていただいたのでそのお礼にこの書を記し奏上すると書かれています、つまり過去の記録を残すついでに祖先の謗りを拭いたいというところでしょうか

 

そういう意味ではやはりある程度の恣意は含まれているかもしれません

 

さらに234歳にして謹んで認めると書かれているのでオオタタネコは数代にわたる役職名であるとみられておりホツマツタヱはスエトシの名で結ばれています

 

文章はとても読みづらいのですが冒頭から面白い、アマテルカミの治世により民が安心して暮らせるようになったことからヤスクニ宮とされ後にコヱ国のイサワ宮に住んだと書かれている

 

ヤスクニについては諸説あるようですが後に移るイサワ宮は志麻に伊雑宮や伊射波神社がありますので関係があるのかもしれません

 

また御子であるオシホミミはヒタカミのタカを治め、孫のホノアカリは香久山の飛鳥宮に住み、弟ニニキネはニハリ宮に住んだ後に名高いハラミ宮へ遷りシワカミホツマの国を作ってイカヅチワクルイツノカミと呼ばれるように、その功績はクニトコタチに匹敵すると「別雷の天君」と称した事から以降、皇の事を天君と呼ぶようになったのだそうです

 

ここまででも大概ですが、ここから先はもう独自の呼称が多くとてもじゃないけれど皆さんの考察を併せ読まないと意味がわからないのですが勿論それらは考察ですのでホツマツタヱ単体が真に意味している事を読み解くのはかなり難しいですね

 

とうわけで、ざーっと読んでいったのですがとても興味深いポイントが多くありながらもなんといっても物凄く読みづらい! 突然見知らぬ名前の羅列に入ったかと思えば物語が始まりそして急に言葉の説明に入り気づけば違う話に移っていく

 

非常に興味深いだけに流れがとてもストレスw

 

ただ、読めば読むほどなんとなく うーん という気持ちが大きくなっていきました

 

全然不勉強ではありますが、記紀などには共通点もありますがそれぞれにしか書かれていないことがあるのですがどうもホツマツタヱを読んでいるとあちらこちらを寄せ集めた感をも感じてしまうのです

 

違和感が強くなったのは結構早く、ソサノヲの三姫は早々に沖つ島、江の島、厳島へ渡ったことになっている

 

うーん、気になり始めてしまうとあっちこっちが胡散臭い!!

 

というわけで偽書!!

 

...というわけには参りません

 

もう一度ホツマツタヱ偽書断定されている理由について調べ考えてみました

 

江戸まで見つかっていなかった、そして神代文字とされるホツマの構成がとても新しいと言われていること

 

まず江戸まで見つかって居なかったことについては都合の悪い物は隠すという歴史からしても表に出して消されてきたとすれば不思議ではない、当然ながら原本や原本に近い物は特に見つからないでしょう

 

次に致命的な神代文字ホツマについてですが、これがまた致命的に見えて逆のようにも思えるのです

 

ホツマツタヱは随所に神代文字の存在を伝え、解説し、古代の言葉をなんとかして残そう残そうとする気配が感じ取れます

 

これは時代的流行を元に江戸期頃創作された文字なので説明を随所に書く必要があった(無ければ読めない)という決定打にも思えますが、逆を言えばオオタタネコの時代には既に漢字文化へと移行してしまい神代文字が忘れ去られようとしていた、それを憂いて神代文字の説明を盛り込んだ、と考える事も出来るわけです

 

表記こそ図形のようですが言葉としては現代のひらがな・カタカナと同じ46文字があり、さらに や行 に Yi Ye があって意味も同じなのでどの文字がどの音なのかさえ覚えてしまえば学者でも研究者でもない一般人でも普通に読めて固有名詞以外はなんとなく理解出来てしまうのである

 

そんなことある??? ではやはり偽書なのか

 

私は怪しんでいる派の方に近いのですが、でも、こう考えることも出来るわけです

 

数千年前だろうがなんだろうが、ある時期にほぼ完成された言語が出来上がってしまえばそこから変化させる必要は無い、よって文字として神代からひらがなカタカナに変化したとしても言語としての読みと意味は変わっていない、だから読めて理解出来ても不思議ではない

 

また、これが本物であれば2000年ほどの間、何度も書き写されてきたものであり、世の中からは忘れ去られ或いは隠されて来た書物ですから、写し書いた人が良かれと思ってまたは意図をもって内容に手を加えていたとしても不思議はない

 

写し手が個人的に知っていた情報や祖先に関する内容などを書き加えたり書き換えたりする事は大いにありうるのです

 

とすれば、なんだか知ってる情報をあちこち寄せ集めた感を感じてしまったのもなんとなく理解出来てしまう、いや待て、でもそう感じている私の基本は既に記紀を元にした "常識" になっているのだかそこから外れている話を疑ってしまうのは当然である

 

だってずっと正史として扱われているものが絶対に真実だという証拠は無いのだから

 

 

結果、内容については全然触れませんでしたがw 私の感想としてはホツマツタヱ偽書だと断定するならば内容における齟齬をもっと決定的にしていく必要があるのではないかという所に落ち着きました

 

使われている言葉が嘘っぽい、見つかったのが江戸時代だから、そんな小さな理由ではなくもっと決定的に断じてこそ否定出来るものなのではないでしょうか

 

とはいえ、大々的に偽書とされてしまっていることと、確かに読んでみれば読みづらく文法や時代背景などに怪しさもあるという状態では本気で研究しようという方がほとんどいらっしゃらない事も頷ける

 

だってほぼ確定的に偽書とされているものを本気で研究してその結果が はい!! ここまで調べて偽書でした!!  と言った所でそれを評価するのは私のようなちょっと変わった人?wだけでしょう、多くは何を言っとるんだそんな当たり前な事に時間と手間掛けて、と思われるでしょう

 

もしかしたらホツマツタヱこそが真書でこれまで我々が学んできた記紀こそが偽書であると証明出来るかもしれない?! という一抹の希望を持って人生を賭けるだけの価値が見いだせるのかどうか、というところですね

 

 

ただ調べていると、歴史を覆すような最近の調査結果と符合する記述が含まれているという話もあるようで、そういった事例が増えてこればもっと本気で研究する方も現れるかもしれません

 

え? おみゃーさんやりゃーえーがねって?

 

...いやぁ(ヾノ・∀・`)

 

結局何が言いたんだって話になってしまいましたが、もし未読の方で上述のようなストレスにも負けない方がいらっしゃったら、一読してみてもよいのではないかという事でございます

 

実は原文だけを読みつつどこそこの方々がそれぞれ翻訳してくださっているのを補助として活用するのが一番理解しやすいのですがそれには一度だけでなく二度三度読まなければなりません

 

その手間を省いて翻訳だけを読んでしまうとこれがまた難解さの塊でして、さらに本文が五七調短文なので翻訳は訳者によって書き方や解釈が変わり、それが更に難解さと怪しさを持たせてしまうのです

 

例えば冒頭に出てくる  トホコ ですがトを卜と解釈し占いとする人も居れば占いをするのに力を宿した珠の事を意味するとされたり意味を繋いで法律を意味すると解釈する人も居て様々なのです

 

まぁとりあえずワケワカメな部分は流し読みつつ読み解けそうな部分だけちょっと集中して読んでみてもなかなかに面白い、結果、それが偽書だったとしても「なるほどそうして話を創作するのか」とか「だとすると記紀などで ? となっていた部分だってもしかして創作や間違いなのかもしれない」という新しい目線を持つ手助けにもなるかもしれません(*´ω`*)

 

 

っと中途半端に1回締めました(ノ∀`)

 

ここからは四苦八苦しながら諦めそうにもなりながら結局数回読み返した上で上述のように原文をそのまま読み理解の難しい部分だけを自分で調べたりいくつかの翻訳から納得行くものを採用したりして読みといた感想になります

 

グダグダ書いてきたのは実はここまでのグチャグチャな感想と説明で興味を失う人はホツマツタヱ本篇やこの記事の続きを読んでも苦痛でしょう、という振り落としでもありました

 

書物や伝えにより同一でありながら名前が異なるのはもう当然ですがホツマツタヱも同様に同じ綾でありながら違う名前が多く使われているし急な展開や同一名での代替わりも普通に混在するので解釈が大変なので時々記紀風の名前にしますがどうしても混在してしまいます

 

数回読み解いてみることで大まかに理解出来まして、もいかしたら...と思うに至りましたがそれでも悩みながら悩みながら部分的に纏めてみたので非常に理解しづらいかと思います、先に謝罪しておきます m(*_ _)m

 

 

スサノオは若い娘を拐っていた8人の悪者を酒に酔わせて討ちイナダ姫を娶る、最初に男の子であるオオヤヒコが産まれたのでヤス川へ行き姉に身の潔白を申し出るがまだ穢れていると言われ、戻ると隠れるように棲んだ

 

以降オオヤ姫、ツマツ姫、コトヤソが産まれ、悔い改めたスサノオはイブキドヌシ(←?!)と共に騒乱を治めた功績でホソホコの宮と八重垣幡が与えられ、サホコ国を出雲と改め治める事を許された

 

...だーいぶ話は違いますが記紀で朝鮮を通り降りて来た時に既に連れていた謎の子供たちが実は稲田姫との子でありスサノオはアマテル、つまり家系との復縁を願っていたように書かれています

 

そして平和のうちに生まれるのがクシキネ、オオトシ、クラムスビ、カツラギ、ヒトコトヌシ、スセリヒメ

 

子孫が代々ヤシマシノミノオオナムチと呼ばれた(オナムチの名もまた一代ではないようです)ほど優秀だったクシキネはアマテルより大物主に任命されその娘タケコ(タゴリヒメ)を嫁に貰う、生まれた子はクシヒコ、タカコ、ステシノ

 

長男クシヒコは大国主となり、長女タカコはシタテル姫に仕えタカテル姫と呼ばれるようになる、次男ステシノはアヂスキタカヒコネである

 

この通りであれば、何代目かのオオナムチが祀った大物主は初代オオナムチ、つまり普通に祖先を祀ったということになるが果たして大物主には二代目三代目、もっと言うとクシキネ以前にも先代大物主が居たのかもしれない

 

とにかくホツマツタヱ記紀よりも複雑に名前を書いてくるので落ちるか落ちないか踏まないとわからない落とし穴だらけなのですがやはり話に齟齬も多い

 

アメノワカヒコが亡くなるとタカテル姫の兄アヂスキタカヒコネが都へと上がってきたと書かれている、はて、生まれた順ではタカコが先になっていたが、もしかしたら時代的に男が先ということになっていたのだろうか

 

ちなみに「え?だってアマテルはソサノオの姉として書かれてるでしょ」と思ったそこの貴方、違うんですよ、ホツマツタヱではアマテルは男神として書かれています

 

話を戻しましょう、姉が妹かよく分からないタカテル姫(タカコ)の親族として葬儀に参列し死者と間違われたタカヒコネに対しワカヒコとは違う素晴らしいお方だと歌を詠んだのはなんとカナヤマヒコの孫娘であるシタテルオクラヒメ、その気持ちを汲んだタカヒコネは歌で返しこれが婚約の習わしになったのだそうです

 

シタテルは姫としての職位名ということで混乱しますが...私も含め多くの人が高照姫と下照姫を混同し混乱した原因は記紀の記載が原因で(そりゃそうだ)、だからこそ意味がわからなかったのです

 

そのまま読めば妹の夫を弔いに行って無礼を受け妹が庇う歌を歌い、そしてその後も傍に居るのが妹ということになっていたけれどホツマツタヱでは父母の無礼を娘が謝りつつ嫁になったということになっている

 

だからこそその後もタカヒコネの傍に居たのだ、だって妻だもの

 

そしてつまり、その後も記紀などにシタテルヒメが登場するのですがそれは姫としての職位名であって同一ではないんですね、もうこれはほんと勘弁して欲しい!!

 

どの話が本当だとしても 何代目 って書いてよ!! って思います、特にホツマツタヱでもアマテルやオオナムチ、特にワカ姫など何代目の話なんだかどこで変わってるのか全くわからんです

 

こうなってくるとホツマツタヱの方が真実味を持ってきます、いくら役職名であって同じ名前でも同一神ではないとしても余りにも兄妹としての繋がりが不思議である

 

 

一旦流れは変わりますがまた戻ります、改心したスサノオを許し出雲の統治を許し初代オオナムチを大国主に任命して娘を嫁がせたのはアマテラスなのです

 

やがて所謂 領主 である大国主は 国王 と同じ規模の宮を建てるなど目に余るようにあった事を諌められ争いに発展していくのがアメノワカヒコの死からタケミナカタ信濃落ちに繋がる、つまり国を譲ったのではなくただの追放処罰?!

 

がしかし、最終的にはタカミムスビの取り計らいなどもあってオオナムチ(何代目なのだろう)は服従したので反乱失敗というか、出過ぎた真似をして叱られ反省したという感じに描かれています

 

やがてアマテラスは確立させた治水技術を各地へ広めるようニニギに八島を巡らせる、天孫降臨は少し流れが不思議だったのですが諸処収まったところで各地を巡察させたと考えるとその方がしっくり来る

 

一行が白山へ差し掛かった時に急な山でも傾かない輿に驚き誰が作ったかと問う、それに答えたのはなんとククリヒメ、その答えは マコガナス イトウケステメ なのですがここが人により我が子であるとか義妹だったりと意訳が別れているが恐らく親族ということにはなるでしょう

 

実はククリヒメ(ココリ姫)は冒頭の方でイザナギイザナミの兄弟として登場しています、なんなら 姉 でしょうか、イザナギイザナミにさらに姉がいて喧嘩を収めるという急にリアルな図式が入ってくると近親相〇?!的な感覚を受けてしまいますが(笑) 神産みは特に神代も神代ですしなんなら同族ではあるけどそれぞれの長ということにもなるかもしれませんしね(。-_-。)b

 

ククリヒメに関しても黄泉の国から天孫降臨(八島巡り)までには年代的に大きなズレはあるのですがちょっとだけホツマツタヱに慣れてきました、 姫という事は役職名ですから代替わりしてます、いつの頃からか白山を治めていたのでしょう

 

さらにこの八島巡りでサルタヒコから道を教わり、記紀には登場しない富士山をも巡りオオヤマツミの娘サクヤヒメ(アシツ姫)を娶るのですが、ホツマツタヱではオオヤマツミは醜い姉を隠し美しい妹を出したのに妹が良かれと姉も紹介した、結果断られるという辱めを受けた事を恨んだ母と姉がサクヤヒメの子は浮気の子だという噂を流したというリアルな話になっています

 

またホスセリが海幸彦で山幸彦のヒコホホデミは二荒山に居たという、そう、二荒山の名が出てくるのですがなんと馬術を極めたタカヒコが師ヲバシリの再来としてフタアレ(再生)の名で呼ばれ、、、そう、それが二荒の由来だというのです

 

...二荒山とアヂスキタカヒコネが繋がった...

 

 

直近で言えば、二荒山神社にて感じた違和感に繋がりました

 

山岳信仰に祭神を当てはめ三山を父 大国主、母 田心姫、子 味耜高彦根としたのは良いけど妹なのに下照姫は磐座で祀られているのが不思議で、さらにその神域に高天原という名が使われていることに最も違和感を感じたのでした

 

それがどうだろう、ホツマツタヱを元に考えればそもそも二荒は味耜高彦根に縁のある地であり両親と共に山の神としている、そして大国主は一旦叱られたけれど元々アマテラスの部下であり高天原と無縁では無い、さらに言うと限度を越したアマテラスに並ぶほどの宮を建てた、つまり主と同じ立場になろうとした時代の名残と考えれば辻褄が合うのです

 

ちなみに味耜高彦根は ステシノ という名でも登場します、これがまた奈良は御所の高鴨神社が捨篠神社とも呼ばれているという話が...ステシノ!? Σ(゚д゚;)

 

さらに...おっと、それはまた別の機会があればにしましょう

 

この後は所謂欠史八代について触れられ、さらにセオリツ姫が后となること、ツキヨミがトツ国をシラヤマ姫(ココリ姫)が根国をアマテルがコヱ国を治めたこと、セオリツヒメがヒロタに祀られたこと、崩御したアマテラスはトヨケと共に伊勢に祀られたこと

 

そして大蛇の呪いによりアマテラスの妃やスサノオの間で争いが起きてセオリツヒメは隠されイワナガヒメも妬みを持ち、、、といった話がウトウという鳥、善きを知る、、、善知鳥神社?!という繋がりを見せ、三女神が母の禊のために三所へ祀られた(流された)という話まで展開されます

 

都内以外で私が参拝した事のある神社などはかですが、一部とは言え知らずしてホツマツタヱの重要なキーワードに含まれている神社が複数含まれているのには驚きです

 

ただやっぱり読めば読むほど、先に崩御して宇治に祀られたと書かれていたのに後から宇治へと移った話が出てくると、最初の宇治は別の宇治で、というか元の地名が現伊勢にも付けられたのか?そうでなければやっぱりいろんな話を盛り込んだ偽書なのか?と訳が分からなくなる

 

ホツマツタヱの終盤は倒した相手からヤマトタケの名を捧げられたコウス皇子について語られるのですが東征の間に自らのサキミタマ(祖先?化身?)を悟りスサノオを祀る氷川神社を建てる

 

伊吹で毒にやられたハナヒコ(ヤマトタケ)は熱田大神となったが最期はスサノオの姿となり氷川へ、そして氷川神のお告げにより熱田神としてヤマトタケが伊勢と同じ位で祀られミヤス姫は斎王と同等に任じられる

 

そして最期には、オオタタネコ景行天皇までの記録を書いたものにアメノコヤネの子孫クニナヅが三笠史を新しく書き起こしたものを併せたものであると書かれている、それが文体の違いを産んだということになります

 

そして既に書きましたが、そうしたことから話が世に出ていることとマチマチになっているので疑わず何度も読み返せば遙か昔がわかるでしょうと結ばれている

 

恐らく、オオタタネコの書いた部分が読みやすくクニナヅが纏めた三笠史の方が読み辛かったのではないかと思うのですが

 

 

兎にも角にも、例えば原文にて「ツラツラト オボバタミノ フエルホト」なのが現代訳で「つくづく考えてみれば民が増えるほど」になる、、、神代...のコトバ? 確かに文字は象形っぽくて読めないけれどカタカナに変換しただけで意味が通じるようになる?

 

と読めば読むほど内容よりも文字にモヤモヤするのですが、日本語にはカタカナというものがしっかりとあることを考えれば、古代よりそこは大きく変わることなく続いていたとしてもおかしくはないし、それこそ昔っぽく思わせるために創作された文字だと見ることも出来る

 

恥ずかしながら読み齧った知識だけの私でも勝手に記紀考察と題して好きなように解釈した話に纏めた事を考えると深く学んだ人ならば記紀口伝各地の伝承を纏めつつ上手く穴を埋めていけばしっかりとした話を創作する事は可能であると考える

 

結構 そんなの無理だろ! 的な話も見掛けるのですが、そうかな? 都市伝説考察だってあちこちの謎を想像で組み合わせていってちゃんと意味合いを持たせられますよね? でもそれが真実だという絶対的な証拠って何かしらの物的確証が出ない限り 説 でしか無い訳ですから

 

と猛批判しているようですがそうではありません、ずっと語り継がれてきたから真実だというのも間違いだし見つかったのが新しいから嘘だというのも間違い、つまりどちらも真偽どちらの可能性があるでしょっていうことです

 

そしてもしホツマツタヱに書かれている事(の主軸というか大半)が真実に近しかった場合には相当数の人や組織がダメージを受けるのは間違いない、なぜなら根底的な部分が崩れるからである

 

それはアマテラスの女神化! としてしまうには余りに短絡的で面白くない...もっと何か、絶対に是としたくない何かがあるんじゃないかなぁって煽りたくなります(*´▽`)

 

真実は科学による証明のみ、と言われても科学力の進歩と共に過去の結果が覆ることだってあるわけですから蛇行剣の発見のように新たな発掘発見によって嘘のような誠がどんどん明らかになっていくと面白いですね(*´ω`*)


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いやー、それにしてもアレですね、いつもながらのこじつけですが偶然参拝した長岡の二社宮と高彦根神社に端を発し御縁を元に御所へ、そこから半年を経て二荒で偶然の"再会"、そしてほったらかしだったホツマツタヱを読んでみればそれらを繋ぐ内容が書かれている、しかも善知鳥神社まで絡んでくるとか偶然偶然の流れにしては...

 

これは...つまり...そういうことか(。-_-。)ンム

 

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ふふふ...この意味不明な即断が何かに繋がるのかどうか(謎)

 

 

なんかさらーっと触れるだけの記事にするつもりでそこそこガッツリ書いてしまいましたがタイトルは当初の適当さのままにしておきます(≧∇≦)