どうも、ひのきですm(*_ _)m
予定二社は諦めてさぁ母親と合流するため大須観音へ向かうかーと歩き始めてすぐの事
......嘘やん
地図に出てなかったというか気付いていなかったというか、それもそのはず、予定の神社へ向かうはずだったルートと違うからか!
まぁ予定を削ったから若干余裕はあるけど、まぁ多少遅れてもおかんだからいっか← ということで信号待ちの間に参拝決定
信号を渡ると、、、嘘やん、白山神社 Σ(゚д゚;)
社名を見た瞬間に マジか と声に出てしまいました
実はこの日、元旦深夜に私のブログとしては珍しくもコメントを頂いておりまして、それが菊理媛神に関するものでした
松原緑地から大須観音のルートを調べたついでにメールチェックをしてコメントを確認、とっても有難いけれどこれから歩くから返信は夜にさせていただこう、と歩き始めて1分ほどで真正面に現れた神社が白山神社とかもう驚きでしかありません
石鳥居を潜ると直ぐに二の鳥居、こちらは塗り直されたのかとっても鮮やかな朱色で道路の反対よりもさらに手前からでもハッキリと見えていてまるでこっちが前に建っていたかのように美しい
この鳥居を潜った途端、一気に空気感が変わる
うわっ、、、想像していたより、といっても突然出会ったので想像も何もありませんが、ガチガチビシビシに氣を感じる
白山さんは私が長く暮らした地元の氏神様でしたから、神様に対して無礼ではありますがククリヒメ様はお姉ちゃん的な存在として捉えていますので思いっきり和やかな気持ちで足を踏み入れました
が、この圧、、、!!
空を見上げ、深く息を吸い、ゆっくりと吐く
よし、定まった
拝殿前に立つまでの一歩一歩がやや重い、そして社殿の雰囲気に圧倒される
いや、勿論しっかりとして立派なんですがよくある普通の社殿なんです、でも奥から流れてくる氣の重厚感が凄い
上述の流れを報告しつつ、このタイミングでこうしてご挨拶させて頂けた事に感謝を伝え参道へと振り返ってふーと空を見上げる
あぁ、なんて素晴らしいんだ、、、とそこで気付きました、先程までの圧が弱くなってる? まだ少し重厚感はあるけれど急に柔らかくなってる?!
おや? おやや? 境内を見回すと社殿右手には井戸でしょうか
と参拝者さんがいらっしゃったので境内左手の方へ、こちらは右側に社殿があって左手は結構広い公園になっています
あっ、気付いてなかった、奥に境内社が鎮座されていま、、、
(*°ㅁ°)ハッ‼ なんと真後ろに繋がっているだろうと思っていた本殿はやや小高くなったところ、拝殿との間がちょっと長めで登りになっている
.....................もしやこちらも古墳?!?!
もう一度深呼吸をして近付いていきます
あ、あれ??? 近付けば近づくほど重厚感が消えていき、もの凄い温かさに包まれていく、心がどんどん穏やかになっていく
なんだろう、なんか急に様々な感情が一瞬で噴き出して、そのどれかをひとつひとつ考えるという間もないくらいに一気にぐちゃぐちゃに噴き出して、でも凄い安心感で涙が目に浮かぶ
あれ? 私、ここ、来たことあった? いや、でも絶対とは言えないけれど、もしかしたら自転車で市内広範囲を走り回っていた幼少期に目の前を通り過ぎた事はあったのかもしれないけれど、でもそんな頃にわざわざ自転車を停めて境内に入ったりするかな?
全く記憶に無いのですが、まるで凄く久しぶりに氏神様へと挨拶したかのような気持ちになったのです
でもすぐに気付きます、いや、だってさっきまで全然重厚感の強い、圧 とまで言うくらいに緊張していたじゃないか、なんでそんな急に?
改めて見回すけれど境内のどこも記憶を呼び覚ませるものは無い
とにかく、ありがとう、という言葉しか出てこなくなりましたが、その時の私の目線がこちら、この写真、とっても気に入っています
いやー、、、びっくりした
もうこの後はずっと、昔懐かしい里帰りの雰囲気でめちゃめちゃに居心地の良い境内になり、ふら、ふら、と空を見あげたり社殿を眺めたり木を見上げたりとゆっくりしていました
今どのへん?と送ったのにおかんからは返事が全然来なかったのでさらにの~んびりしてましたw
む? もしかして日吉社の居心地が良かったとかっってこと? と再び拝殿前に立ってみたのですが最初とは全く違って凄く穏やかな氣に包まれている
こちらでゆっくりしている間、三組ほど参拝者さんがいらっしゃったのですが皆さんご近所の方という雰囲気
もしかしたら、滅多に余所者なんて来ないから最初は警戒されていたのか、それともただ自分側が参拝をする事で御神威の強さに馴染んだのだろうか
特に御神木にはなっていないけれど凄く優しい氣に満ちた木
特に垣でもなく石が置かれているな、と目を向けた先のひとつ
な、なにこれ?!
最初は根が石を避けてというか取り込んで育ったのかと思ったのですがさざれ石? でもよく見ると上部が加工されているっぽいので砂利コンクリートでしょうかね
でもなぜこんな目立たない、というか参道側からは見えない位置に何の意味があって設置されたのだろう、、、とさらに見ていたのですがやっぱりこれ、自然のさざれ石じゃないですかね?
造成したにしては形に相対性が無いし木の根元に近過ぎる、外側の石達の下にも流れこむようになっているし、、、うん、でもやっぱり謎だ
いやー、なんかねー、もう、出会うべくして出会ったんだろうな、と思いたくなるほど素晴らしい神社さんでした(*´ω`*)
で、調べてみたのですがやっぱり情報が少ないですね
創建年も古墳かどうかもわかりませんが一番古いのがこの周辺で起きた大火により社伝などが失われたという1724年の記録ですが産土神として祀られていたというので結構古いのかもしれません、また鎌倉期の創建ともされていますがその根拠は見当たりませんでした
日吉社は江戸期に遷座されたそうでそれまでは山王社と呼ばれていたようです
うーん、、、結局何もわからなかった( ノ∀`)タハー
でも良いんです、ここで感じられた事は恐らくずーっと記憶に残ると思います
と、いうわけで
翌日やって参りました私が姉神様と慕う石仏白山社
いっつも見上げていた本殿のお背中、、、そういえばここは坂道になっているので参道側は平面なのに本殿周りは道から高さ3~4mくらいの高さまでガッチリとした石垣で囲まれています
いや、でもさすがにここは古墳ではないでしょう
前日の大須白山神社での感覚が蘇ってもうこの時点でちょっと涙がポロポロ
勿論こちらでは圧も何も無く絶対的な安心感の塊、ほんと帰省です、心の故郷です
意外な事に結構次々と参拝者がやって来ていて嬉しくなりますね、宮司さんと崇敬会の方が拝殿前で元気におで迎えくださってました(*´ω`*)
参拝を済ませると脇から境内の奥へ、皆さんが境内社にご挨拶なさっている脇を抜けて本殿の真裏へ上がっていくおっさんはさぞ不思議な存在だったことでしょうw
幼稚園小学生くらいの頃はほんとここが好きでした
帰っておかんにその話をしたら、あの頃友達と遊ぶ以外に一人で良く出かけてて一体どこに行ってるかと思ってた謎が今になって解けたと言われましたw
いや、そこまでしょっちゅう行ってたわけじゃないからw
そしておみくじを引いたら!! さすがに三連続で色事注意とは書かれておらず安心w でもやっぱり姉様ですね、全体的にちょっと甘やかしのような優しい言葉が並んでいましたw
なんの変哲もない手水舎ですがお水の揺らめきが綺麗だったので写真を撮っておいたらなんと青い反射が背中に重なって輝く鱗みたいになってました!!
まぁ今の時代、全国にそれぞれの地神様が祀られており、崇敬心であったり移住であったりその理由は様々、特に城下なんかだと大名などが武家屋敷に祀りそのまま残るケースもあるのですが名古屋って結構白山社が多い気がします
白山信仰の総本社は加賀の白山比咩神社ですがその実というのはなかなかに謎が多いのです
そもそも白山信仰はその名の通り福井石川岐阜に跨る白山を御神体とした山岳信仰で加賀越前美濃の三箇所に設けられた馬場からそれぞれの禅定道を通り白山を登拝するものでした
717年に天空の貴女よりお告げを受けた僧が登拝を果たしたのが始まりとされており、普通に考えると移行の神仏分離廃仏毀釈により神社となったと思いがちですが実は白山比咩神社の創建は紀元前だと伝わっている、しかもその時から姫とされているのです
総本宮の御祭神は菊理媛命、伊邪那岐命、伊邪那美命の三柱ですがその社により菊理媛のみ、菊理媛と伊邪那美、な違いがありますが菊理媛が祀られていないケースは稀でしょう、あとは白山大神、白山比咩大神の名で祀られています
ざっくり言うとイザナギとイザナミが黄泉比良坂で言い争いになっているところに現れ仲を取り持ちます、これによってイザナギは無事戻ることが出来たのでククリヒメが居なければ今の世の中は全く別のものになっていたでしょう
でもそんなに重要な女神でありながらこのワンシーンでしか登場しないのは不自然だから隠されているという説もありますが記紀には名前が変わるどころでなく素性も朧気で突然登場して以降出てこない神は数多く存在します
黄泉比良坂はあの世とこの世を繋ぐ坂ですからそこに現れたククリヒメは死者と生者を繋ぐ存在だとされ大巫女、イタコの祖先であるとされています、つまり霊山に祀る神としては最適であるとも思えますが黄泉の国のイメージとしては記紀の頃から地下世界を思われているのでなぜ山に祀ったのか
そもそも記紀のイメージが逆で実は山の上だったのか、天国と地獄のイメージからしてもやはり上の方が良いですけどね
多くの方が気になっているのは、ククリヒメがイザナギに何かを言い、それを聞いたイザナギが褒めたというシーンでしょう
何を言ったのか、その後の行動からもそれが何だったのか全くわからないのです、そんなことあります?! 物凄い匂わせですねw
あくまでも書かれている事だけで妄想すると、ククリヒメには言霊、呪(しゅ)を操る力があったということを示している、つまりは巫女神の祖であると考えることが出来るわけです
...が、やっぱり謎の存在である事には変わりがありませんw
一説には、白山は命の源であり水の源でもあることからククリヒメ=セオリツヒメであるというものがあります
ちょっと無理矢理な話のようにも思えますが共に水に関連しておりつまりは龍神と同一視される、でもククリヒメは龍神では、、、待って!?
今調べると石仏白山社の例祭は7月末なんですよね、、、でも私の記憶では6月30日ー7月1日の二日間で龍神祭りが開催されていた記憶があるんです、、、まさか一ヶ月間違えて覚えていたのかな、、、っていうか今では龍神とも書かれていない
これは一体。。。
さて、結局以前と同じで色々調べてはみたのですが様々な解釈あれど如何せん元となる資料の少なさ故に何も分からないという結果になってしまいました、、、無念
ただ、ホツマツタエという資料にはカミムスビと結婚し北陸の根国を治めており、アマテラスの叔母であり産湯に浸からせたという記述があるそうなのです
神代文字で書かれているということは記紀よりも古く、本当に古代に書かれたものであるとすれば記紀よりも信頼性が高くなってきます
記紀ではイザナギイザナミ以前に夫婦神が存在しませんのでカミムスビに妻は居ませんがホツマツタエ通りであるとするならばスクナヒコナの母でもある可能性があります
生み出す神であるカミムスビ、生と死の命を司るククリヒメ、その間に生まれた御子のひと柱が医術の神とされるスクナヒコナだとしたら、、、流れは通じます
瀬織津姫が大好きな私としては、僅かな記述のみしか描かれないククリヒメと祓詞にしかその名が伝わらない瀬織津姫が禊を司る同神であるとちょっとワクワクしますけどね(*´ω`*)
ただ難しいのは、私は白山信仰が廃仏毀釈の流れでククリヒメを祭神にしたと思っていたのですが山岳信仰よりも前から女神を祀っていたとすると全く話が変わってきますが、女神が導いた霊山であるならば同じとも言えますね
と、うだうだ言葉を連ねてきましたが何もわからずただグダっただけになってしまいましたが、やっぱり私にとっては人生において最も大切で最も見守っていただいた神様ということで大切な存在であります
今後、、、といってもなかなか難しいでしょうけれど、新たな考察や資料が発見される事を切に願いつつ、そうでなくとも私は大切に崇敬し続けます(*´ω`*)
あっ、忘れてた!!
名古屋に白山系がやや多い気がするので調べてみました
なんと最も白山神社が多いのは岐阜県! 続いて福井、新潟、愛知、石川は5番目です
石川は意外な気もしますが至極当然でしょう、だって総本社があるんですからあちこちに分社する必要が無いんです
三箇所の馬場の中で岐阜が一番である理由も想像に易く、当時の中心である奈良京都から白山を目指すのに湖北から越前加賀へ回って下りてくる来るよりも東海道をそのまま進んで真っ直ぐ向かう方が便利だったのではないでしょうか
また東海道方面から向かうにしてもちゃんと馬場から禅定道を進むのであれば美濃ルートということになります、そして美濃から近く人が多く住む場所だからこそ名古屋に白山神社が多いということですね
石川より多いとは思いませんでしたがw
というわけで、名古屋に白山社が多い気がするのは正しかった!!
...以上ですw