どうも、ひのきですm(*_ _)m
とても素晴らしいスタートをきった鹿島巡礼の旅
続きましてはこちら、跡宮
最高の氣をいただいた海邊社から先へ歩いていくとお猫さんと出会い
さらに住宅地の中へと入っていくと木々に囲まれる境内が見えました
周囲全てが住宅地に囲まれている中、ぽっかりと御神域があり、木々の隙間からお社が見えます
区画を横切る道(参道)があり、こうして鳥居と立て札があるのですがこの背後には住宅が並んでいてちょっと不思議な感じです
跡宮の目の前にご自宅があるなんて凄すぎます
立て札がこちら
鹿島神宮の御祭神 武甕槌大神の荒御魂が祀られており、荒祭宮とも呼ばれています
主殿を置いた後に荒御魂を祀る場合もありますが立て札に書かれている通り、降臨の地として先に祀られた可能性もある凄い場所です
また春日大社への有名な 鹿島立ち もここからだったという伝承があります
となると、鹿島神宮が創建された(もしくは最初の宮柱が建てられた)のが神武天皇元年とされていますので、こちらもその前後、紀元前660年頃ということになるでしょうか
それでは文字通り、畏み畏み、境内へ
お分かりでしょうか、決して狭くはないのですがさほど広いというほどでもない境内でありながら鳥居からお社までの数十mが物凄く長く感じます
平日朝の住宅地とあって静寂に包まれた境内には鳥の声だけが響きます
言葉になりません
武甕槌大神は伊邪那岐が火之迦具土の首を切り落とした際に剣から飛び散った血より生まれた神とされています
武甕槌神は天孫降臨と国譲りで経津主神と共に活躍した神で、苦戦する神武天皇の元へ霊剣 韴霊剣(布都御魂)を授けて東征を助けたとされています
その神恩への感謝として神武天皇は即位すると共に創建したのが鹿島神宮です
てっきり武甕槌神が座られた場所だと思い込んでおりましたが感謝として祀った神社だったんですね
つまりは、この場所こそが高倉下が剣を授かった場所もしくは高倉下が神武天皇に剣を渡した場所なのかもしれませんね
神御本体が降りられたのではなく剣を降ろされた、つまりはそれが荒御魂であるという個人的で勝手な解釈をしました、はい
御本殿のお背中はとっても優しさがありました
ちなみに鹿島神宮の裏手(東)の方に高倉下命を御祭神とする潮社が鎮座しています
本殿右後方に何やら道があったので進んでみたのですが民家の敷地の方へ入っていきそうだったので引き返しました
板根の周りに見えるのは苔むした瓦でしょうか
妄想民なのでこういったところに神様や眷属様が宿られているような気がしてしまいます
隣には石道の先に柵で囲われた土地があります
こちらが立て札にあった物忌が住まわれていたという場所でしょうか
驚いたのは、女人禁制はよく聞くのですが鹿島神宮本殿は逆で明治期までずっと男子禁制だったんですね
反対側まで行くと石柱と鳥居がありました
またしても反対側から参拝しましたね、私w
いやー、、、御神域感が凄まじかった
なんでしょう、伊勢などを考えると本宮へご挨拶してからこちらへ来るべきなのかもしれませんしそうしようかという気持ちもあったのですが、何故か、絶対に跡宮へ先にご挨拶するんだというよく分からない意思がありました
さて、それでは本宮へ向か、、、と思ったのですが道の先に鰐川が見下ろせましてね
っと、鳥居が(* 'ω' *)
偶然でしょうがご挨拶の間、横の木から鳥が飛んでいったり飛んできたり
立て札には江戸時代に記録があるとのことですがお社のことではなく御神木について書かれていたようです
紙垂の掛かった木は見当たらないので今は無いのでしょうかね
はて、天日鷲命って天岩戸神話において弦楽器を奏でていたら鷲がとまったという鷲神社や大鳥神社などに祀られている神ですよね
と調べてみたら、なるほど
神武東征の際に弓に金の霊鳥が留まったとされていてそれを天日鷲命としたという説がありました
また、天日鷲命は忌部神ともされていて阿波(安房)忌部氏の祖神でもある
そして目と鼻の先である跡宮には物忌館がある
あ、なんか繋がった感
跡宮で満足して本宮に向かってしまってもおかしくなかったのですが、こうして参拝出来たというのは繋がりがあったからでしょうかね
ありがたいことでございます
ちなみに酉の市関連神社で日本武尊を祀っている場合もあるのですがそこにはいろいろとあるようです(機会に恵まれたら近々書くことになると思います)
さて!!
いよいよ鹿島神宮へ向かいます!!