どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、冨士神社です
桜通沿いに鎮座されており、最寄り駅は高岳なのですが栄で降りてちょっとぶらぶらしつつ久屋大通側から行きました
正月二日の夕方、車通りも人通りも少ない中、ビルとマンションに囲まれた一角に境内がありました、大通りとビルに挟まれていますがここからも御神域感を凄く感じます
とても雰囲気のある由緒板です、御祭神は木花咲耶姫命
凄く重厚感のある境内は鳥居を潜り右手に長くそしてこの迫ってくるような御神威、青銅鳥居がまた雰囲気を押し上げています
境内の雰囲気は普通に見える手水舎まで特別に見せる
そえではご挨拶
物凄く勝手な想いですが、まだ神社巡りを始めたばかりで何も分かっていない頃からずっと、氏神様として幼少期からずっと見守ってくださったククリヒメ様と共に産土神であるサクヤ様もまたお姉ちゃん的な存在として捉えていました
今回もこの後参拝する神社が目的だったのですが地図で近くにサクヤ様をお見掛けしたのでルートに入れていました
白山系や浅間系の神社では古墳や富士塚がある場合を除けば初めてであってもとても親近感のある温かくて居心地が良い雰囲気を感じることが多いのですがこちらはとにかくビシーッとされている
こちらが御社殿
何を言っとるんだと思われるかもしれませんが、見た通り右は社務所に続く建物で左はお稲荷様でしょう幟が並びその背後はマンション、空は細くしか見えないのですが物凄く広い地に立っているかのような気がするのです
それこそ、どちらも行った事はありませんが富士山頂の浅間神社か霊峰に抱かれた裾野の御神域に立っているのかと錯覚するほどに
暫しこの場所に立ち尽くしていました
あぁ、突っ立ってないでご挨拶せねば、と神前に進むとまるでグワッと拝殿に取り囲まれているかのような感覚に、これはどういうことか、心を込めてご挨拶すると若干空気が和らいだ気はしますが重厚感は残ったままでした
周りを見渡すけれど富士塚は無さそうだし古墳でも無さそうだけれど、、、あ、ビシッと厳しい空気ではありますが、どこか応援されているような雰囲気はあったんです
ただ、不思議と女神様ではなく男性的な厳しくもある優しさ的な感じでしょうか、なんか不思議です
振り返るとどこか気になる木が、と思ったら三本にしめ縄が巻かれており御神木のようです、この大きさはさほど古いとも思えないのですがこの雰囲気を持ちしめ縄が巻かれているので何か謂れがあるのでしょう
そしてこちらも重厚感に満ちたお稲荷様へ
この写真には写っていませんが、実は、さぁ参拝をとここに立ち呼吸を整えたその時、奥に突然人影が現れたのです
えっ、遂に見えるようになった?! と目の悪い私は一瞬思いましたが何のことはない、よく見れば社殿前で女性グループが自撮りをしていてじっとしていたのでわからず、動いた時点で影として認識しただけでしたw
いや、だって私がこの境内に入って来てから5分ほどですが境内に誰も居ないし車通りも無ければ人の気配も声もずっと何も無かったんですよ
勿論そんな静けさなので後から人が来たのであれば気付きます、実際、私がご挨拶している間に老夫婦さんが静かに境内へ入ってこられたのにも気付いていましたから
そんな静かで複数の女性がずっとお稲荷様の前に居たとは一体、、、と思いつつ少し離れぶらぶらして出て来られるのを待って参道を進む
朱鳥居に囲まれた参道はトンネルのように暗いのにお社前はとても明るくなっていました、でも重厚感は凄い
凄く氣の強いお稲荷様ですね、あの若い女性達、よくこの社殿前で5分以上も静かに自撮りして居られたなぁ
あ、いや、批判ではなくて純粋に凄いな、と
そう思わせるほどに夕方のこの雰囲気は人によっては結構な怖さと感じても不思議はないんじゃないだろうか
そして右手のお社は、、、白龍社!!
まさかのこちらにも祀られていらっしゃった、龍神様のいらっしゃらない神社を探す方が難しいのか?というくらいですが、やはりこちらも白龍様なんですね
そして境内手前へ戻ってくると何故か全身というか心も含めていつの間にか凄く軽くなっていることに気が付いた、境内の重厚感はそのままですが重力だけが変わった感じ
それが主殿へご挨拶したからなのかお稲荷様なのか、はたまた白龍様なのかその全てなのかわかりませんが、どうにもこうにもあの緊張が無くなっていて物凄く心が軽やかなのです
それほど広くはありませんが参拝ではなくこの庭園をのんびり楽しみに来たかのような
っと、そういえば最初に気にはなったけれどご挨拶を優先した手水舎の脇の小屋、こちらは御神水を復元された井戸だそうですがポンプを押しても空回り、呼び水を入れる場所も覆屋でよく分からなかったので御神水に触れることは出来ませんでした
そして境内一番手前、一の鳥居を入った正面がこちら
心地よい庭園のようになっていますが、なになに、名古屋城築城の残石! 〼がその目印になったようです
左の立て札には歌が書かれているのか、と視線を落とすとそこにあったこちらについては後述にします
さて、では由緒について調べてみました
創建は1398年、郷士が駿河国より分霊を受けて勧請したのが始まりとされていますが一説によると元鎮座地は名古屋城築城に際し一時的に移され城普請が終われば戻される事になっていた
しかしその間に宮司が亡くなり跡継ぎが幼かった事から手続きが遅れ、気付いた時には既に元地は屋敷で埋まってしまい元に戻れなくなってしまいそのまま残る事になってしまった
神社なのに自分から行ってこなければ知らん、というのもまた酷いとは思いますが今とは全く事情が異なる当時としては戻れる権利を与えていただけでも優しかったと考えるべきでしょうか
元地には富士塚などもあったそうですが全て取り壊されてしまったそうでいずれ戻るとして残されていた小社は後に富士浅間神社として別の地に遷座されたそうです
参拝後に北側を歩いていたら富士塚という文字を見掛けたのですが桜通の北側に富士塚と名のつく公園やビルがあるので元はそのあたりだったのでしょう
それ以外の情報が見つからなかったのでお稲荷様と龍神様の由緒は不明ですが、なぜ冨士神社の社殿からあれほどの氣を感じていたのかは分からずじまいでした、残念
さて、こちら
古銭を象った石かぁ(*´ω`*) でもなんでお水が溜まってるんだろう、二日前の雨そんなに降ったかな 、、、(*゚・゚)ンッ? 矢五隹止、、、止じゃない!?
そして気が付いた、、、真ん中は穴じゃなくて口だ!
吾 唯 知 足
われただたるをしる
まっじっかっ!!!!!Σ(゚д゚;)
続けてお読み下さっている方はお気付きでしょうか
2024年を感謝の年として生きる事を目標とした私が伏見稲荷山の眼力舎さんで頂いたカードがこちら、そう、吾唯知足だったのです
お恥ずかしながら私はこの言葉を知りませんでして、カード裏の説明に書かれた感謝をする気持ちに同調してお迎えしたのでした
その言葉が突如として目の前に現れた、いや、今までも出会っていたかもしれないけれど知らなかったから気にしていなかっただけだろうか、にしても古銭に多少興味がある私がこのデザインに見向きもしないわけがない、調べてみれば結構有名だったようですが全く知らなかったなぁ
そしてなんとこの翌日、そうだ京都、行こう30周年キャンペーンの龍安寺とのコラボお守りで吾唯知足のマークを見るという突然の連鎖、もはや この石と出会いその意味をしかと学べ というお導きなのではないか、その為にこちらへ導かれたのではないかとさえ思ってしまいました
ちょっと諸説あって正確にはわかりませんが元は仏教典に書かれた 知足 だとか老子による 知足者富 と言われており、日本で有名なのは龍安寺のつくばい
つくばい は庭などに供える手水鉢のことだそうで、まさに冨士神社のもまさにそうですね、龍安寺のものは水戸光國公が寄進したと言われているそうでこの洒落たデザインはどなたが考えたんでしょうね(*´ω`*)
いやー、、、稲荷山でカードを見つけた時はそれほど有名な言葉だとは全く知りませんでしたが、単純には 自分自身が満ち足りている事だけを知っておきなさい 的な考えで不満や欲望を抑え幸せに生きなさいという事なんですね
ただ、これがまたなんとも難しい
日頃の様々な事に感謝して生きよう、その考えがどれだけ浅はかだったことか
日々自分を取り巻く様々な事象に感謝して生きようとする事は手近なところでは今日も無事に帰れてありがとう、美味しいご飯をありがとう、平和に過ごせてありがとう
神社巡りを初めてからこれま思って来たことでしたが、実際に強く意識して生活を始めてみると逆に自分に足りないものばかりが頭を埋め尽くしてしまう
出来る限り前向きになれたのは近年のこと、それこそ神社巡りなどのお陰であって元々の私は物凄くネガティブでその本質は今も残っている、新しい考えで見えないように出来ていただけだったのです
どれだけ恵まれていることか、と些細な事にも感謝しようとして逆に自分がどれほど至らぬ人間であることか、そしてそれはやがて こんな自分が~(自粛)~ という超マイナスな想いへと変わってしまう、まさに本末転倒である
うむ、禅問答だな、こりゃ(៸៸>∀<៸៸)
前向きに転身したとはいえ覆い隠しているだけな事を見抜いた眼力様(お稲荷様)からの 今のうちに負の本質自体をなんとかしなさい という啓示なのだろうか( ˘•ω•˘ )ガンバリマス
さて、目的地はあと二社だったのですが時間的にも最後の一社は次の機会にして次の一社を参拝したら帰ることにしました
折角の機会ではあるのですが一応、母親と過ごす事が帰省のメインですからね(*´ω`*)