どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日も名古屋は大須でございます
名古屋市営地下鉄 上前津駅 の大須寄り、8番出口と9番出口の間に鎮座しますこちら
いやー当然ながらここの道は何度も通ったことがありまして、思い返してみれば確かに神社があったな!!という感じで記憶には残っていましたが参拝は初めてです
大須通りという比較的大きな通り沿いなのですが大きく立派な椿が目立つとっても美しい境内
鳥居を挟んで反対側には楠の瘤?根?が境内からせり出して垂れ下がっています
もうこれだけで凄いご利益がありそうな……
春日神社、名の通り奈良の春日大社と同じ御祭神、武甕槌命、経津主神、天児屋根命、比売神の4柱 春日皇大神が祀られています
由緒書によると、鹿島神宮から春日大社へと白鹿に乗り移動した武甕槌命の御分霊がこの地に滞泊されたことをご縁にその後の947年に創建されたのだそうです
この日は折しも12月31日 大晦日
参拝にお伺いした時はまさに年越の大祓が執り行われている最中でしたのでお邪魔はせず少し離れご挨拶だけさせて頂きました
………………と、鹿!!!!!!
狛………鹿!!!!!!
そうか、春日大社といえば奈良、奈良といえば鹿!! 奈良で鹿が大切にされているのは鹿島神宮からの武甕槌命勧請が由来だったんですね! 知らなかった!!
いやー、ほんと勉強になります
中学生か高校生で奈良公園に行ったのになーんにも学んでいなかったんだなぁ、って反省ですがそのまま知らずに居ることなく今知ることが出来たのが嬉しいですね、うん(The前向き)
いやー、とっても美しい社殿です、この立派な社殿が裏から見えたんですねー
恐らく氏子さん方を対象に大祓をされているのでしょうから勝手に参列するわけにもいかずそんな大事な時にお邪魔するわけにもいかず、と言っても狭い境内なので鳥居の外側で少し様子を見つつご挨拶だけして帰ろうとしたその時
ちょうど神主様があげてらした祝詞が一旦終わり、再び始まったのはとても聞き馴染みのあるもの
そう、大祓詞でした
これだけは、と一礼して再び鳥居を潜り境内に入り参列とは離れ狛鹿の傍で聞かせていただきました
2021年、この年末は各地を周り瀬織津姫様に繋がる神社巡りをしてきた中、偶然にもこうして神職様の大祓詞を聞いて年を終えることが出来るとはなんたる幸せか
実はこの時、大須から移動するため上前津駅へと歩いていると僅かな建物の隙間からチラリと赤い建物の端が見えたのです
完全に意表を突かれましたが、その一瞬だけで神社であろうことは十分にわかりました
あれ? こんなところにこんな大きな神社、あったっけ? と見えやすい方へ行くとしっかりと大きく真っ赤なお社が見えました
うーん、まぁとりあえず次の、、、とそのまま歩き続けたのですが、いや、ダメだな、あの僅かな隙間から偶然に気付いてしまった(気付かせて頂いた)のにご挨拶もせずに帰るのはやはり違う! ということで参拝させて頂きました
特に祭祀の音が聞こえたということもない偶然の流れでしたが、やはりこれも必然だったのでしょう
春日皇大神とされる四柱の神
いつもなら、ほほー、で終わるのですが記事を書きながらどうも気になってさらに調べたんですよね
いやー、そりゃ神様ですから色々な繋がりがあるのは当然であり繋がってしまうのも無理はないんですけど、こういうガッチリした繋がり方をするともはや不思議や偶然すら超えて必然としか思えないんです
大和国高市郡藤原(現奈良県橿原市)、そこは中臣鎌足が生まれた地(常総という説もあり)、そして中臣鎌足は藤原鎌足と名を変え日本最大の氏族である藤原氏の時代を築いた
やべぇ
何が やべぇ って勉強嫌いだった私はそんなことを 今 知った という事実がですよwww
710年頃、藤原鎌足の次男 不比等 は藤原家の氏神である武甕槌命を鹿島神宮から春日御蓋山へお迎えし、その後武神を崇め香取神宮から経津主命を勧請した
天児屋根命と比売神については調べた中では二説あり、武神二柱の後に勧請されたという説もありましたが、藤原氏つまり中臣氏の祖神として元々祀られていたという説の方がしっくりきます
中臣藤原の祖神であるという説からすれば、元々ご先祖さまを祀っていたところへ武神様をお迎えするならば神様を主祭神にお祀りするのも頷けます
そして気にせざるをえない存在、それが、比売神
この説が正しいかどうかはわかりませんが、勘が当たってドン引きです(勿論良い意味です)
天児屋根命は天岩戸隠れにおいて天太玉命に鏡を差し出させた神であり、天孫降臨で邇邇芸命に従い中臣氏の祖となったとされています
では比売神は? 天児屋根命の妻とされる天美津玉照比売命のことではないかと思うのですが諸説あり謎の神とされています
その諸説の中に、そうです、もうお気づきですね
瀬織津比売命こそが 比売神 なのではないかという説があるのです
まぁ大人気の謎多き瀬織津姫ですから様々なところで関連付けられいても不思議はありません
が、
現代に繋がる大祓詞の礎を編纂したのは中臣金
中臣氏の祖は天児屋根命
天児屋根命の妃神がもし瀬織津比売であるとするならば、自らの祖神にして神官である比売神を祓戸の神としても不思議は無い?!
でもそうなると大祓詞に天児屋根命が登場しないじゃないかと思ってみもしたのですが、そもそも大祓詞の元となったものを作ったのが天児屋根命であるという
はい、この辺にしておきましょう、説はたくさんありますからね(´>∀<`)ゝ
いずれにしてもこの年末の動きによって、瀧川神社、佐久奈度神社、瀬織津姫、藤原氏、中臣氏と繋がったこと
偶然を繋ぎ合わせれば繋がることもありますが、知らぬままに辿った物がこうして後から気持ちよく繋がっていくのは私の中では お呼びいただいた という事に変換されます
ちなみに、、、中臣氏は遠く遠く遠く遠く遠く遠く遠く遠くの私の祖になります(氏族的に)
もし今の説が正しいとすれば、瀬織津比売様も私の遠い遠い遠い遠い………遠い遠い祖先ということに?
こうして繋げ始めるとドンドン繋がります、普段引いている神様カードでよく出て頂く数柱の神様がいらっしゃるのですがその筆頭とも言えるのが天児屋根命様なのです
なぜこんなにいつも出てくださるんだろうと思っていたのが繋がってしまったんですね~無理矢理の仮説なのにスッキリ
と、ここまで盛り上げておいて落としますが、まぁ我々日本人の祖先として絞っていけば僅かな祖神の何方かへと繋がりますからね、偶然も何も確率的にはそれほど凄くないと思いますw
それに家系図が残るほどの家柄ではありませんので、今名乗らせて頂いている氏がどこまで本当の繋がりがあるのかなんてわかったもんじゃありませんし、それが日本最大の氏族であるのならば尚更ですw
しかも猿田彦命説もありますのでもはや贅沢すぎる妄想ですよね( ̄・ω・ ̄)
まぁでもですね
個人的に神社巡りを この国を築いて下さったご先祖様と繋がる旅 であると捉え日々参拝していますので、その中で自分のルーツへの繋がりが見えたような気がするのはとっても嬉しいものなのです
それが例え 説 だとしても、ね(*^^*)
みなさんもご自身の 氏 の由来、そして地域ではなく 氏 の氏神様を、そしてその祖神を辿ってみてはいかがでしょうか
自分の由来となる神様が分かったりすると日頃の神社参拝にも変化があるかもしれませんよ☆
そして、もし、その神様が実はいつも崇敬していた神社さんとかだったら、、、( ・∇・)
というわけで2021年を締めくくり、、、いやいやまだまだぁ!! 2021年の神社めぐり、まだ終わらなかったんですwww