日々是"吉"日

ゆるゆるなスピリチュアルでパワースポットやパワーストーン、原石、お香などを楽しんでいる日々の日記です。

香取神宮境外末社 津宮神社と龍田神社


どうも、ひのきですm(*_ _)m



利根川沿いに位置する香取神宮一の鳥居 津宮鳥居


その正面から真っ直ぐ南下したところ、東の宮 忍男神社の斜向かいの沖宮神社


境内はとても小さく、石祠が鎮座されています


境内の小ささにしては紙垂が綺麗に保たれておりしっかりと手入れがされているな、と感じました

沖、というからには海に関する御祭神が祀られているはず

特に何があったというわけではありませんが陽も傾いた夕方でもとても清々しい雰囲気でした

こちら、調べてみると香取神宮の境外末社でありまして御祭神は海の神 綿津見命 でございました

ワダツミ ワタツミ と読み、底津・中津・上津三神を総称して綿津見三神、大綿津見神綿津見神とされる説もあるようです

有名なところだと、釣り針を探していた山幸彦が出会った豊玉姫の父 豊玉彦 が綿津見大神とされています


ここから東、香取駅の方へと歩いていくと駅のほぼ正面にこちら

公園と神社が完全一体化しております


説明看板もありました、風神様とされる龍田神社

こちらも香取神宮境外末社となっておりますが説明がやや難しいですね

天候はわかりますがお百姓の神もまとめて 風の神々 とされており、御祭神は うかのみ玉命 しなつ彦命 しなつ媛命、この三柱を 風神三神 として祀っているようです

また境内東に渕生稲荷神社が、西に御霊宮が移されて風神五神となったと書かれております


公園、いや、境内中央に鎮座されているこちらの五祠が元の風神三神でしょう

三社とも黒い鳥居が供えられていますが中央だけ朱色がありますので恐らく 宇迦之御魂神 が祀られている祠でしょう

となると左右が志那都比古神、志那都比売神と思われます

ちなみに神代の神々は二柱一対として祀られることが多く、その中には実際に夫婦神である場合もあれば所謂和御魂荒御魂である場合もあるようです



境内西側に鎮座するこちらが御霊宮

香取護国神社の 御霊 を考えると特定の御霊信仰における祭神というよりもこの地域の御魂を弔う意味での御霊ではないかと思います


そして一社だけ専用の朱鳥居のあるこちら


渕生稲荷神社です

利根川沿いの元渕生より遷座したとあって恐らく鳥居も一緒に遷されたのでしょう


ちなみに案内看板のすぐ裏手だったでしょうか、こちらの石塔石仏が座られていました

庚申様にも見える石仏は表面が少し剥がれているものの前で手を合わせている様子がありとても素敵です

石塔はちょっと文字が読めないのですが 六夜 の字が判別出来るので恐らく月待講の類でしょうか

子供たちが集まる公園ですが夜には大人の集会場にもなっていたのかもしれませんね


香取はあちこち歩いているとなかなかの頻度で庚申様をお見かけしました

神宮もあることから信仰心の篤い地域なのでしょう


昼食をとらせていただいた地元の方が集う食堂の雰囲気も凄く良かったし、龍田神社の手前では子供たちの集団下校とすれ違ったりしましたが街全体的にとっても素晴らしい雰囲気がありました(*^^*)



あとがき


前にも描きましたが、個人的に大きな神社であればあるほど、そして例大祭や年末年始といったタイミングであればあるほど おしるし 的な物は感じることが出来ないと考えています

その根拠は、実体験に基づくものw なのですが、理由としてもやはり古よりの大きな神社であればあるほど神様の格といいますか年期といいますか、おいそれとおしるしなど頂けるわけもないと思うのです

勿論それは悪い事でも何でもなく、そんな神様の元へ近付かせて頂けていること自体が おしるし であるからだと思うのです

また、年末年始といった時期は非常に多くの人々が願い事を携え参拝するわけですから眷属様もその願いを神の元へと運ぶのに一生懸命で個別におしるしを出しているほど暇ではないんじゃないかと(その分だけしっかりとご挨拶は届けて頂けているはずですよ)


まぁこんな風にそういった都合の良い考えをしているのですが、なんでしょうね、徐々に考えも変わってきたのです

というか私自信の経験が積み重なってきたということでもあるでしょうか


今回の笠間さん、鹿島さん、香取さんが考え方の変化が始まるキッカケとなりました


そう、ここでもお呼ばれしたとかおしるしかもしれないと感じたのはお稲荷さん等の末社さんで主たるお社では特に何もありませんでした

ですが、境内全体に満ち溢れるエネルギーというかヒーリングイオンは、ただ樹が多いから水気が多いからというだけではないレベルで感じることが出来ました

これはもちろん、同等の要件が揃った神社であっても全く同じレベルの心地良さを感じられるわけではありません

同様に、年末年始などで人がひしめき合い、なんなら騒いでいるような家族や集団がいたりといった所謂 邪魔 があったとしても、癒しの力を存分に感じられることがあります


これは年末年始に巡った大量のw参拝によって確固たる考えになりました


恐らく、どんな神社やどんな状況においても おしるし はある時はある、ない時はない

そしてあったとしても気づけるかどうかは自分次第

神社が大きい、人が多い、といった要素によって自分の感性が分散してしまい気付けないだけかもしれない

実際に おしるし が無かったとしても、境内やお社から感じられる特別な雰囲気があれば、それは間違いなく歓迎されているサインだし相性が良いということではないでしょうか



本格的な神社巡りを始めて三年目


これまで上述の思い込みにより神社巡りの候補を決めるのに大きなところは出来るだけ避けるようにしてきました

だって、折角参拝するならば特別なおしるしを感じたいじゃないですか?w

でも、ここに来て笠間鹿島香取、そしてさらに年末年始にはとても大規模な神社ばかりを大量に巡ってきたのですが、そういった部分も合わせて

変化の時

だったのかなぁ、と考えております