どうも、ひのきですm(*_ _)m
急遽となった午後からののんびり巡拝、最後はこちら
成子天神社です
以前からぶらぶら(という距離ではありませんが)と歩き回るのが好きだったのでこうして神社巡りをしていると意外なところで、あ!ここ歩いたことある!! という事が多々あります
新宿住友ビルから北へ少し、青梅街道へ出たら左へ
こんなビルだらけなのにちゃんと神社があるんだなぁ、とビルの間に突然現れたのがこの長い参道でした
すっ、すごい!!
恐らく夜になると明かりが灯るのでしょう、天神様の梅参道
手前には門柱だけで鳥居はありませんがそれでも一歩参道へ足を踏み入れるととても良い心地、街道沿いなのに街のざわめきがスーッと聞こえなくなっていきます
と、参道に恵比寿様がいらっしゃいました(*^^*)
また少し進むと、あら、今度は大黒様が(*´ω`*)
とっても元気が頂けるような素敵な笑顔ですね
そして鳥居とその先の隋神門はどちらも目の覚めるような朱色
手水舎の脇に御由緒がありました
この時の私は写真に収めただけで読まなかったのである(よくやる)
こちらには瓦と扁額が置かれています、旧社殿のでしょうか、にしても扁額は新しいような
美しい隋神門、全体的に近年再建されていそうですね
左右には隋神ではなく風神雷神像がいらっしゃいます
マンションの映り込みでやたら格好良い雷神さんw
わぁ!! 長く素晴らしい参道と神門でしたがこれほど境内が広いとは思いませんでした、素晴らしい
右手には神輿倉、とても近代的ですねー
では道真様にご挨拶、、、と思ったのですが、前にひとり、後ろからひとり、境内には人が居ない、これは境内社からご挨拶すべきだという事であると解釈(*´ω`*)
とても美しい神楽殿、手前には梅の木ですね(*^^*)
なんだろう、、、あっちもこっちも真新しくて気持ち良いのですが雰囲気はとってもどっしりした御神域感があるギャップ
なんと三柱鳥居! 三囲神社、大神教本院以来三度目です
井戸はちゃんとお水も出まして手を清めさせていただきました
それではご挨拶、って決して木陰で薄暗いだけではなく凄い氣が
これまでの三体と雰囲気が違って物憂げというか神懸かり的な雰囲気なのがまたこの境内社の空気にマッチしています
まず中央、、、と思ったのですが威圧感が凄くて左手から、日本武尊を祀る大鳥神社
神狐様達がしっかりと守られるお稲荷様はやはり背後の木の存在もあって陰の氣が強いですね(陰は決して悪い気ではありません)
こちらで暫く気を落ち着け、、、よし、では、と中央の三社にご挨拶しようと思ったのですがなんというか、ぼわっとした雰囲気というかなんか次元が揺れているというか、、、お社を見てもなぜかこちらだけ社名も祭神名も書かれていない、、、???
不思議なものです、特に何も感じない時は気にならないのにこういう時はとてもじゃないけれどわからないままにご挨拶が出来ない、一旦神前を離れ調べてみる、、、と、地主神が祀られているという、なるほど、だからこの御神威なのか!!
この時の私はいったいどこの情報を見たのだろう、そこには天神様が祀られる以前からの地主神としか書かれていなかったのである
にしても、凄い迫力である、、、もうほんと、懸けまくも畏きという言葉そのものという御神威にしっかりとご挨拶させて頂きました
鳥居の外、井戸の前には水波能女命が祀られる水神宮
あぁ、こちらとお稲荷様を結ぶところが凄かったのか、というかお背中からの氣が凄かったのかもしれません
いやー、、、なんか凄いぞ、ここまで凄いとは想像していなかった
もう、ちょっとこの後もあってボリュームいっぱいなのでまさかの前篇後篇に分けます!!
さて、やっぱりなんとなく引っかかったのでより詳しい由緒を調べてみると次のようなことがわかりました
903年、道真公の訃報を聞いた家臣が平安京(大宰府の可能性も)より像を持ち帰り、北新宿に鎮座されていた天照大御神を祭神とする大神宮の境内に祀られたと思われます
鎌倉期に頼朝、室町期に上杉憲実が社殿を造営するなど崇敬を受けた大神宮ですが春日局により遷座とともに天満天神社とされ大神宮は境内社に、そして1661年に現在地へと遷り神仏分離で一旦北野神社と変えた後に現在の成子天神社となったそうです
。。。。。。。。。!?!? あの凄い御神威を放っていた地主神様って天照大御神だったんじゃないか!! それに三社殿だったのも元は大神宮として祀られていたということなのでもしかしたら豊受大神も祀られているでしょうか、だとすると残るひと柱は?
それよりも前から祀られていた地主神でしょうか
いやはや、境内社であれだけの御神威を放たれるとはただ事じゃないとは思っていましたがそれもそのはず、錚々たる人物が崇敬してきたレベルであり、神明社とか神宮ではなく 大神宮 と伝わるほどだったわけですから
ちょっと文献までは漁れないのでアレですがちょっと調べただけではその大神宮がどれほどのものだったのかはわかりませんでした、いつかわかるかな?
元の祭神と後から合祀された祭神とが入れ替わってしまう事は時々ありますが、こと天神様においてはその人気の高さからよく見かける気がします
なんなら天神社という名称でありながら主祭神は元のままで道真公も合祀のままという神社もありますからね
それだけ人の気を惹き付ける御祭神ということですね(*^^*)b
そしてこちら、この規模でも十分凄いのですが元はもっと広い境内だったそうで2014年に整備されたのだそうです、だからあっちもこっちも新しくて壮麗だったんですね!!
そういえば神楽坂の赤城神社もそうでしたしつい先日参拝した居木神社も参道脇の建築が始まっていました
これには賛否もあるかと思いますが、神社としてはやっぱり広大な境内と社殿の保全、運営、祭礼には莫大な予算が必要で今の時代に集まるお賽銭だけではなかなか厳しい
しかも氏子も減って御札はまだしも寄付金の集まりも思わしくないでしょう、社叢・御神域を守るに固執して神社自体がたち行かなくなってしまっては元も子もない
こうして社地を売却、貸借することで社殿を整備すると共に先々までの予算も確保する、これも時代の流れでしょう
そんな中でも雰囲気を壊すことなく御神威を損なわない境内にされたというのは本当に素晴らしいことだと感じました(*´ω`*)