どうも、ひのきですm(*_ _)m
王子から歩きに歩いてきた神社めぐりも夕方にさしかかり時間的にこれで最後!
と狙いを定めて向かっていたのは浅草神社
そう、浅草寺の隣には浅草神社が鎮座しており、以前お見掛けしたことはあったのですがちゃんとご挨拶をした事が無かったんです
とりあえず浅草寺に向かえば間違い無いので富士浅間神社から真っ直ぐ南へ歩いていたのですが、思えば北側から浅草寺に向かったのは初めてでした
北側はなんとも趣のある道ですね!! ちょっと写真を撮り損ねていたのですが京や鎌倉の小路を思わせるとっても素敵な細道に惹かれ、一度通り過ぎたのにわざわざ戻ってそっちへ向かいました
疲れている人とは思えない動きですよねw しかも、もうほぼ目の前が浅草神社なのに!!
そしたらなんと目の前にお社の側面が…嘘でしょ
それがこちら、被官稲荷神社
わかります?
わかりますよね?
わかっちゃいますよね?
絶対凄いです、ここ
そして絶対呼ばれました、ここ
ほら、もう、神額の上下にお狐様いらっしゃるやん
めっちゃ可愛い!!
では、緊張感を持って失礼しますm(*_ _)m
この感じ、、、間違い無い
伏見の雰囲気がします、しかも四つ辻より上のような感じなのでこの時、まだご由緒を見ていませんが確信していました
心から呼んで頂いたお礼を言います
実は前回の記事、富士浅間神社で疲れが取れたと書きましたがその後ここまで歩いて来る途中でやはりどっと足の疲労感が出て来ていたんです(距離的には短かったのにとっても長く感じました)
それが気付いたら思いっきり飛んでるんですよ
ちなみに、この後、浅草神社を参って帰途につくわけですが適度な疲労感は残るものの元気に帰ることが出来たんですよね
やっぱり私はお稲荷さんとの相性がダントツに強いようです
御祭神は倉稲魂命、伏見稲荷から勧請されたのは安政2年 1855年
ご由緒がちょっと面白く、町のリーダー的な新門辰五郎の妻の重病が伏見稲荷への祈願により治ったお礼として分霊を勧請した
で終わっていますが、管理社である浅草神社の公式説明によると、勧請したのは辰五郎ではなく 町の人 と書かれています
本人に代わって町の人が御礼勧請をするとは辰五郎がよほど信頼厚かったのか、はたまたご利益にあやかりたかったのか(書き間違いの可能性も?)
門番をしたことで 新門 の名を頂いた辰五郎がこの神社の鳥居を奉納しているのが良いですね(*^^*)
これだけの霊験がありこうして大切に守られているということからも、心から感謝して大切に大切に祀られてきたというのがよく伝わってきます
お社右手には鳥居のようになった屋根組みとその後ろに小さな狛狐、そして鳥居の土台、その先に一本の木が生えています
御神木の印でもある注連縄等は無いのですが、とても素敵な木ですよね!!
さらに右手には珍しく赤ではない木色の鳥居が沢山奉納されています
社名の 被官 とは官を被るということで出世の意味があるのだそうです、勉強になります
左奥にも鳥居とお社があり、狐さんが沢山供えられていました
この狐は鉄砲狐とも呼ばれているそうで浅草神社にて頒布されており、願いを込めてお納めする若しくは願いを込めて持ち帰り叶ってからお納めする二通りがあるようです
ちなみに境内左に社務所のような建物があったのでもしかしたら時間次第では神職さんがいらっしゃってここで鉄砲狐をお受け出来るかもしれません
境内の隅には石社があります
いやー、、、凄い、凄かった、素晴らしかった
これだけ凄い霊験を受け続けてもお腹いっぱいになるどころかグングン受け取れてしまう凄さ
お社を背に進むと鳥居がありました、こちらが正面参道ですね
おっと、左側に新門辰五郎の銘が! 辰五郎が奉納した鳥居はこっちか!!
浅草神社を右手奥へ進むとこちらへ来られます
夕方遅かったとはいえ浅草神社を参った方のほとんどがそのまま帰られていてこちらへ来られる方は極わずかでした
とてもとても勿体ないので是非、こちらもお参りくださいませ
さて、もう真横ですが、次がこの日の締めです!